百年(ももとせ)の羽織
その古ぼけた羽織の袖に、また一片(ひとひら)の桜が。
老狐は、長い時を生きてきた。
その瞳には、この丘から眺めた幾千もの日の出と、幾千もの季節の移ろいが映り込んでいる。
彼の背負った羽織は、かつて仕えた主から賜ったもの。何十年もの風雨に晒され、綻び、継ぎ接ぎだらけになった。
それでも、彼がこの羽織を脱ぐことはない。
老狐の隣にある、その古木。彼がこの丘に住み着いたときから、すでに老いていた。
しかし、この木もまた、彼と同じように「待っている」のだ。
冬の厳しい寒さに耐え、雪を被りながらも、春を待っている。
「今年も、咲いたな」
老狐は、ゆっくりと杖に体重を預け、目の前に広がる桜の波を見つめた。
朝焼けの光が、満開の桜を淡いピンク色に染める。
彼が待っていたのは、この景色だけではない。
この桜の木の下で、主と約束を交わした。
「また、桜の季節にここで会おう」
主は、もうここにはいない。
しかし、老狐は、毎年この場所で桜を待つ。
桜が咲くとき、主の魂もまた、この場所に帰ってくると信じているからだ。
風に舞う花びらは、主の優しい微笑みのようにも見える。
老狐は、桜の花に囲まれながら、過去の思い出に浸る。
主と過ごした日々、共に見た景色、共に笑った声。
それらは、今も鮮明に彼の中に残っている。
「もう一度、あの声が聞きたい」
老狐は、静かに瞳を閉じ、風の声に耳を澄ませた。
桜の花びらが、彼の頬をかすめていく。
それは、主の優しい手のような、温かい感触だった。
老狐は、いつまでもその場所に佇んでいた。
桜が散りゆくその時まで、主の魂と共に、この景色を眺め続けるだろう。
そして、来年もまた、彼はこの丘で桜を待つ。
主との約束を胸に。

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