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Photo bymitasann

【短編】壁の向こう

    僕たちの世界は壁に閉ざされている。

    長く暮らしているうちに、
    それが当たり前になっていた。

    それと、
    住人は大勢いるが、
    皆それぞれの場所で静かに暮らしている。

    僕の場所は壁際で、
    背中を預けると収まりが良い。
    それだけで少し安心できる。

    そんな世界にも決まりがあった。

    1日に何度か、壁が開く。

    その瞬間だけ世界は白く染まり、
    生ぬるい空気が流れ込む。

    僕はあれが苦手だった。

    落ち着かないのだ。

    涼しい空気が押しやられ、
    自分の居場所まで少し揺らぐ気がして。

    だが、隣人は違った。

    壁が開くたび、光の方を見ていた。
    まるで何かを待っているように。

    「何が見えるの?」

    ある日、聞いてみた。

    隣人はしばらく黙ったまま光を見つめる。

    やがて小さく息を吐く。

    「眩しくてよく見えない」

    僕は思わず笑った。
    やっぱりな、と。

    「でも」

    隣人は目を細めたまま続ける。

    「先が見えないんだ」

    「光で?」

    「いや」

    隣人も少し笑った。

    「広すぎて」

    僕は首を傾げた。

    壁の向こうには、
    そんなに広い場所があるのだろうか。

    僕たちの世界には壁がある。
    端もある。

    どこまでも続く空間なんて、
    想像もできなかった。

    「行ってみたいな」

    隣人がぽつりと呟く。

    その横顔を白い光が照らしていた。 

    不思議なくらい嬉しそうな表情が
    よく見えるほどに。


    壁が開くと、決まって何かが起こる。
    これもこの世界では当たり前のことだった。

    誰かが連れ去られるか。
    新しい誰かが連れられてくるか。

    昔からずっとそうだった。

    連れ去られるのも、
    連れられてくるのも、
    いつも5つに分かれた何かによるものだった。

    でも、住人たちは騒がない。
    止めようとする者もいない。

    ただ静かに見送る。

    そういうものだった。

    今日も壁が開いた。

    白い光が流れ込み、
    生ぬるい風が世界を撫でる。

    隣人はいつものように、
    光の向こうを見つめていた。

    けれど、
    その横顔は少し違って見えた。

    待ち続けた何かを、
    ようやく見つけた者の顔だった。

    僕は悟った。

    ああ。
    彼は今日なんだ。 

    しばらくして、
    5つに分かれた何かが現れた。

    隣人は逃げなかった。
    それどころか、一歩前へ出た。

    光の方へ。

    別れの言葉は思いつかなかった。
    彼も何も言わなかった。

    ただ、彼の匂いだけを残して、
    壁が閉じ、涼しい空気が戻る。

    彼のいた場所だけが空いている。

    僕はしばらくそこを見つめ、
    気づけば、
    彼の憧れは僕のものになった。



    彼がいた場所には僕が移り住んだ。

    壁の近く。
    光がよく見える場所。

    そこで初めて気づいた。

    壁が開くたび、
    大きな黒い丸が現れるということに。

    彼はそんなことを一言も言わなかった。
    いや、言えなかったのか。

    黒い丸はゆっくり動き回り、
    ときどきこちらを覗き込む。

    何なのかは分からない。

    知りようもない。

    けれども、
    壁が開くたびに気になった。

    黒い丸が現れ、
    誰かが連れ去られ、
    壁が閉じる。

    黒い丸が現れ、
    誰かが連れられてきて、
    壁が閉じる。

    そんな日々が続いた。

    光と黒い丸を見つめることが日課になってきた頃、
    今日も壁が開いた。

    白い光と、生ぬるい風が流れ込む。

    見慣れた黒い丸が現れた。

    またか。

    そう思いながら眺めていると、
    黒い丸はゆっくりと動き始めた。

    ぐるり。

    また、ぐるり。と。

    やがて動きが止まった。

    僕の前で。

    なぜだろう。

    そう思った瞬間、
    理解した。

    ああ。
    僕なんだ。
    ついに。

    感傷に浸る間もなく、
    5つに分かれた何かが現れる。

    僕は逃げなかった。
    かつての隣人がそうしたように。

    むしろ一歩、
    前へ出た。

    光の方へ。


    瞬間、世界が揺れ、
    足元が浮く。

    涼しい空気が遠ざかり、
    白い光が近づいてくる。

    暖かい。

    身体を包む空気が、
    少しずつ温度を増していく。

    やがて眩しさにも慣れた。

    これが。

    壁の向こう。

    広い。

    そんな言葉では足りなかった。

    どこまでも続く白い世界。

    隣人が憧れた理由が、
    少しだけわかった気がした。

    その時だった。

    視界の端に黒い影が見えた。

    ゆっくり。

    ゆっくり。

    近づいてくる。

    いや。

    違う。

    僕が落ちているんだ。

    瞬間、
    世界が弾けた。

    熱い。
    熱い。
    熱い。

    黒い板の上だった。

    板は唸るような音を立て、
    逃げ場はない。

    白い煙が立ちのぼり、
    視界が揺れた。

    「そうか...」

    薄れゆく意識の中、
    僕はようやく悟った。

    彼が戻らなかった理由を。

    そして、
    それでも壁の向こうを見つめていた理由を。

     
     
    日々の気づきを道端にばら撒く趣味があります。

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