おばあちゃんと過ごしたあの日の夏
何を隠そう僕はハーフだ。
大阪人と京都人の。
まあくだらない話はこれくらいにして、今日はおばあちゃんの話を書こう。
父方の祖父母は早くに亡くなり、母方の祖父もかなり前に亡くなっている。
僕が物心ついた頃に、存命だった祖父母は母方のおばあちゃんだけだった。
母親が京都の伏見生まれで、夏になるとおばあちゃんの家へよく遊びに行ったものだ。
中書島という風情たっぷりの場所に、おばあちゃんの家はあった。
家を出て堤防を越えると、宇治川派流がすぐそこだ。夜中に懐中電灯を持っていって川を照らすと、大きな亀などいろいろな生き物がおり、ワクワクがとまらない。
坂本龍馬の事件で有名になった寺田屋も、駅から少し歩けばあるそんな歴史ある土地。
僕は一度、このおばあちゃんの家に一か月ほど預けられたことがある。
兄が交通事故に遭い、母は入院する兄につきっきりになり、僕はひと夏の間、おばあちゃんの家で暮らすことになった。
確か6歳か7歳のときだったはずである。
内向的で人見知りの僕は、叔父や叔母の前で緘黙のような状態になり、ほとんど話せなくなった。
そのとき、僕が唯一心を開いた相手が、おばあちゃんだった。
本当に優しい人で、何をしてもニコニコ。暑い中、蝉取りに付き合ってくれて、籠の中はひしめき合う蝉で瞬く間に埋まった。
僕はおばあちゃんが夜な夜な語る話に夢中だった。昔はこの家に大きな蛇が入ってきたとか、ウシガエルがやってきたとか、飼っていた鶏をさばかなければならず、それが辛かった……などなど、生き物にまつわる話を夢中で聴いた。
近くにスッポンの養殖場があり、そこへもよく遊びに連れていってもらった。
雨がたくさん降った日、溝を勢いよく水が流れる。ふと目をやると、赤ちゃんスッポンが流され、こちらへやってきた。なんとか捕まえようと僕は必死に水流へ手を伸ばす。しかし、指がわずかにスッポンをかすめただけで、取り逃がしてしまった。めちゃめちゃ悔しかった。この光景は、今でも鮮明に焼き付いている。
幸い兄の怪我は日に日によくなり、その後、変わらず日常生活を送れるようになった。
退院間際に、兄の病院へ行ったが、久しぶりに会う兄に対してなぜか照れくさくなり一言も話せなかった。
実の兄に対しても、人見知りを発揮してしまうなんて、どこまでも自分は人見知り野郎だなあと思う。
おばあちゃんは、僕が小学校高学年の頃に亡くなった。そのあと、父も逝去した。
父のお墓が中書島にあるのだが、お墓参りに行く度に、僕はおばあちゃんを思い出す。
中書島の堤防では、今でも蝉が鳴いているにちがいない。
※こちらの記事は、のぞみんさんの企画への参加記事でございます
