【言葉の庭・9月の企画】私が愛してやまない一冊
僕はずいぶん長い間、箱男だった。
箱男というのは、安部公房の小説に出てくる、箱の中に入りながら暮らし続ける珍妙な男だが、僕の場合、心の中にある箱に引きこもることによって、心理的安全を確保することが多い。
過去の記事でも、枠組みなど箱を連想させるようなテーマを、いくつか書いてきた。
そんな箱に入りがちな僕の心に、ぶっ刺さった一冊がこちらだ▼
本書の中で箱に入るとは、「自分を正当化し、他者を悪者にする行為」と言った書かれ方をしている。
なるほどなあ、と膝を打った。
かつて、一緒に仕事をしていた後輩で、ひどく神経を逆なでする男性がいた。
返信が遅い、注意するとふてくされる、上から目線でアドバイスをしたがる、行動せずに批評家ポジションをとりたがる。
正直言って、「むしずがはしるヤツ」と毛嫌いしていた時期がある。
だが、あるとき僕は気づいた。彼は過去の自分だったと。
回避的な特徴を多分に持っていた、この後輩は、社会になじめず逃げて逃げて、「自分は間違っていない」と声高に言いたがる昔の僕だったのだ。
ユング心理学で、シャドーという言葉がある。抑圧し無意識に否定した自分の一部が、シャドーとなって、心の奥深くに沈殿する。
僕は後輩と接しながら、自分のシャドーが表面に浮き上がってくる苦しさに、のたうち回った。
そのとき、本書を読んだとき、得心した。
僕は「正しいのは自分。間違っていたのは後輩」と思い込みたかった。その考えに固執していたのである。
それが心で理解できたとき、ふわっと心身が緩み、そのあとから後輩に優しく接することができるようになった。
彼とのコミュニケーションが滑らかなものに変容した。
それは排他的に接していた自分の一部を、受け入れ許す作業だったのかもしれない。
気づいた瞬間から、人は変われる。
そして、気づく前が一番おっかない。
※こちらの記事は、メンバーシップ「言葉の庭」の9月の企画
私が愛してやまない一冊
へ投稿したものです。
