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【創作大賞2025応募作・ミステリー小説部門】スタンド・バイ・ミー

    〈あらすじ〉

    昔から推理小説が好きだった広瀬和真は、ミステリー作家の芹澤まほこの“デッサン”という本を、図書館に借りに行く。夢中で読み終えると、ページに挟まっていた謎の紙片を見つける。続編を借りに行くと、また紙片が挟まっていた。続編を読む度に見つかる動物が描かれた奇妙な紙片。段々と謎解きに夢中になっていく広瀬。女性司書の坂下と一緒にその謎を解き、バラバラになっていた紙片が、パズルのようにぴったりと嵌まっていく。辿りついた答えに導かれ、いずれ二人はとんでもないモノを見つけてしまう。この謎を本に仕込んだのは、一体誰なのか――? 二人が辿りつく衝撃のラスト。一冊の本から始まる哀しきミステリー。

     



     小鳥の囀りが聞こえる。それが合図かのようにワタシはデスクに向かい、キーボードを打ちはじめる。いつもと何ら変わらない日常。あの日から、ワタシの日常が変化した。いくら、悔やんでも、憎んでも。もう、終わってしまった過去は、変えることは不可能だ。分かっているからこそ、ワタシはこうやって毎日こつこつと、小説を書き連ねていく。そう、たった一人で。誰もいない、孤独しかないこの真っ白な部屋で、永遠に――。
     ――もうそろそろ、誰かが気づく頃だろうか。そう思いながら、画面を埋め尽くす文字をぼんやりと眺める。思い立ったように立ちあがる。レースのカーテンを引き、朝露で濡れた出窓の外を仰ぎ見る。淡い浅葱色の空が広がっている。鳥の囀りがまた、聞こえてきた。

     ※

     時刻は、夜の七時二十分。閉館まで十分。ぎりぎり間に合ったみたいだ。僕は助手席の本を小脇に抱え、車を降り、図書館の入り口へと駆ける。今日が返却期限だと気づいたのは、今朝だった。仕事を早く切り上げ、間に合うことが出来て本当に良かった。閉館間際だからか、人はほとんどいない。返すついでに何かを借りようと、焦りながら本棚の間に滑りこみ、本を探していく。
    「あった、あった」お目当ての作家の読みたかった本。前は貸し出し中だった。黒光りする背表紙に指をかけ、引っぱりだす。この作品は、確かシリーズ化している。すぐ隣の背表紙には“2”と書かれているので、今手にしている本の続編だ。でも、と僕は思う。今は仕事が忙しい。だから、今回も読むのが遅くなり、返却ぎりぎりになってしまったのだ。とりあえず、一冊だけ持って、貸し出しカウンターへと向かった。

     真っ暗な表紙には、鮮やかな赤い文字で“デッサン”と書かれている。著者は“芹澤まほこ”――人気のミステリー作家だ。鼻腔をくすぐる淹れたてコーヒーのかぐわしい香り。図書館から帰ってきた僕は、夜ご飯を適当にコンビニ弁当で済ませ、コーヒー片手に、借りてきた本を今読もうとしている。ずっと読みたかった本だ。
     あらすじは――ある夜を皮切りに、女性ばかりを狙った連続殺人事件が起きる。裸の状態で見つかる死体の上には、被害者の裸体のデッサンが残されている。なぜか被害者は体の一部を欠損している。手首だったり、腕だったり、腹部だったり。残された美しいデッサン、一部が切り取られた死体には、一体どんな意味があるのか? 過去にトラウマを抱えた女刑事が、その謎に挑んでいく――といった感じのミステリーである。美術や芸術を絡ませた“デッサンシリーズ”は、大人気シリーズとして、四作目まで発売されている。もともと、芹澤まほこの作品は好きだった。美しい文体に加え、繊細な心理描写にはぐっと心を鷲掴みされる。女性ならではの視点が面白い。そして、作品の奥に漂う不穏な空気感が、僕には至極たまらないのである。
     マグカップを手に取る。コーヒーを口に含むと、脳細胞の一つ一つが活性化されていくようだ。読書のお供には、いつも苦めのコーヒーだ。ページをまた、ぺらりと捲る。
    「面白い・・・・・・」顔を上げ、壁掛け時計を見ると、もう夜の十一時だった。二時間も夢中で読んでいたらしい。ああ、続きが気になる。しかし、明日も仕事だ。どうしよう、もう少しだけ読もうか? と、ページを弄びながら思案していると、隙間から何かがひらりと舞い落ちた。
    「何だろう?」拾い上げたものは、細長い紙切れだった。手のひらサイズで栞のようにも見えるが、上部が斜めに切られている。見事に、右から左下へと。何かが下の方に書いてある。ウサギのイラストが、黒いペンで描かれていた。
    「何で、こんな紙が?」紙片を指先で摘まみ、照明の下で透かしてみる。何の変哲もないただの白い紙切れだ。前の貸出者が栞にしていたとしても奇妙な形だ。このウサギのイラストは、一体何だろう。そこまで考えて、一人で苦笑する。
    「きっと、誰かの忘れものだ。何の意味もない」そうだ、考えすぎ。ミステリー好きな僕は、つい謎解きと結びつけてしまう癖がある。ミステリー小説を読みながら、犯人は誰なのか? 動機は何なのか? と推理することが好きだ。こういった謎が突如飛びこんでくると、やはり推理したくなるのである。この紙切れが気になって、読書どころではなくなってしまった。紙切れをページに挟みなおし、本を閉じ、コーヒーをくっと飲み干した。

     「面白かった」マグカップの隣に、閉じた本を置く。仕事から帰ってきて、なんとなくデッサンを読み始めたのだが、つい一気読みしてしまった。しかも、気になるところで終わっている。続きが気になって仕方がない。左手にウサギの描かれた細長い紙片を持ち、右手でマグカップを持ちあげる。目を閉じて、香ばしい液体を味わう。この紙切れの謎も、この本の謎も、解けないままだ。消化不良のような気持ちが、じんわりと胸の中に広がっていく。昨晩はこの紙に意味などないのだと思っていた。しかし、デッサンに影響されたからか、この形状やイラストには何か意味があるのではないか? と思ってしまう。
    「ようし、とりあえず2を借りに行こう」図書館で2を借りれば、何か分かるかもしれない。謎を解く手がかりが、きっと。そんなことを思い、僕は本の表面を手のひらでひと撫でした。

     図書館までは、車でだいたい十分ぐらい。芹澤まほこの古い作品も揃っていることもあり、最近よく利用している場所。入り口の自動ドアを抜け、階段で二階まで上がる。天窓から降り注ぐ光が、館内をあたたかく包みこんでいる。天井にまで届きそうな背の高い本棚が、規則正しくずらりと並んでいる。静寂をかき集めた空間。本のページを捲る音さえも聞こえない静けさ。この独特の雰囲気、空気感が、僕は好きだ。それを味わうために通っていると言っても、過言ではない。
     さっそく、芹澤まほこの“セ”の本棚に向かう。本棚の向かい側に女性の司書がいたが、すばやく後ろを通り過ぎ、セの本棚の正面にやって来る。人差し指を滑らせながら、デッサン2を探していく。よし、借りられていない。2を引っ張りだし、ぱらぱらと捲ってみる。真ん中ぐらいまで来て、僕は硬直する。また、紙片が挟まっていた。指先でつまみ出し、本をぱたむと閉じる。1に挟まっていたものと、逆向きの形状をしている。今度は、栞の上部を左から右下へ斜めに切った形。そして、描かれているイラストは――ニワトリだった。小さなトサカが頭頂部に付いている、目がくりっとしたニワトリ。
    「どうして、また、こんな紙が挟まっているんだ?」
    「えっ?」
     つい口に出していたらしい。斜め後ろにいた司書が、目を丸くさせてこちらを見ていた。急いで目を逸らし、紙切れをページに挟み直した。何もなかったように本棚を見ているふりをしていると、右隣に微かな気配を感じた。
    「芹澤まほこさんの作品、私も好きです」柔らかな声の響きに振り返る。さっきの司書が、にっこりと笑っていた。同じぐらいの年齢だろうか。胸には数冊の本を抱えている。何を言おうかと僕が戸惑っていると、彼女が僕の抱えている本に目線を落とした。
    「デッサン、面白いですよね。私は“二夜の月”も好きです」彼女が、再び微笑んだ。
    「二夜の月! 僕も好きです。主人公が、もう一つの人格に支配されていくところが面白いんですよね!」思ったよりも声を出してしまい、口に手を当て「すみません」と謝った。同じ作品が好きだと聞いて、つい興奮してしまった自分を悔やむ。くすっと小さく笑う彼女。その表情に、胸の奥がほんわりと温かくなった。
    「あのお話、ラストが切ないんですよね」本棚に納まった“二夜の月”の背表紙を、彼女は遠い瞳で見つめている。すぐに「あっ」と声を漏らすと、慌てて頭を下げる。
    「ごめんなさい、お邪魔しちゃって。もし良かったら、デッサン2を読んだ感想教えて下さい。それでは、失礼します」
    「ええっ、はい。それでは、また」小走りで駆けていく背中を見つめる。人なつっこい人だった。同じ作家の同じ作品が好き、ということだけで、なぜだか親近感が湧く。「感想かぁ」そう呟きながら3を取りだし、2と一緒にカウンターへと持って行った。

     三日後、また図書館に来ていた。閉館まで三十分。司書の彼女はカウンターにいた。もしかしたら、彼女はもう忘れているかもしれないが、ある程度デッサンの感想を考えてはきている。それを頭の中で反芻しながら、カウンターへ近づいていく。「こ、こんばんは」と本を置くと、彼女はあら、という顔をして嬉しそうに笑った。そして、返却の手続きをした彼女と一緒に、僕はまた“セ”の本棚へと向かった。閉館前ということもあり、館内は信じられないほどの静けさを纏っている。本と本の間に入り込むと、より一層深い静寂に包まれる。
    「2も3も一気読みでした。犯人この人かな? と思っていたら、殺されてしまうし。また新たな謎が出てくるし。いやあ、本当に先が読めない。すごく面白かったです」聞かれてもいないのに、僕はべらべらと感想を語る。彼女は本棚から4を取り出すと、うんうんと頷き、大きな瞳を輝かせる。
    「そうなんです。実は、私も犯人を間違えていて、殺された時は本当にびっくりして。新たな謎は、いい感じで最終巻で回収されますよ。そして、予想していなかった結末が待っています」彼女が本を僕の方に手渡す。
    「そうか、それは楽しみです」と受け取りながら、右ポケットに入れた紙の感触を思いだす。そこには、三枚の紙片が入っている。3にも挟まっていた。違う形をした違うイラストの紙が。もう、ここまで来たら偶然ではない。誰かが仕込んだとしか思えない。だから、今日彼女に見せようと持ってきたのだった。
    「あの、実はこういったものが、デッサンの間に挟まっていたんです」ポケットから、三枚の紙片を取り出す。それを、4の本の表面に並べた。
    「これが本に?」彼女は首を傾ける。
    「はい、1にはこれが」右上が尖った紙(ウサギ)を指さす。
    「2にはこれが」左上が尖った紙(ニワトリ)を差す。
    「3にはこれが挟まっていたんです」三枚目は上が三角に尖っていて、下が二股に別れた紙。描かれていたイラストは“ウマ”。これだけ形が極端に違う。これは何なのか――? どうしても、彼女に聞きたかった。
    「すみません。私たちもページを確認しているのですが、司書によって確認していないこともあって。どこかのショップカードだったり、割引券が挟まっていたりもしますが、こんなおかしな紙は見たことありませんね。何でしょうか」彼女はウマの紙を摘まむ。それを持って、本棚を突っきって歩きだす。僕も慌てて後を着いていく。近くにあった机の上に、彼女は三枚の紙を並べた。
    「僕には、この形もイラストの意味も、全く分からなくって」
    「なんか、木のパズルみたいですね」
    「木のパズルって、よく旅館とかに置いてある、あれですか?」
    「はい、あれです。何か似てませんか?」
     確かに似ているかもしれない。単純に見えて、あれは難しい。パーツの組み合わせ方次第で、異なった形に変わっていくパズルだ。彼女が指先を滑らせ、紙切れ達を移動させる。すると、二枚をぴたりと合わせる。1の紙の斜面と2の紙の斜面を。への字のような形になった。
    「それで、これを合わせてみると・・・・・・」彼女が今作った三角の窪みに、3の尖った部分を合わせてみる。バラバラだったパーツが、パズルのようにぴったりと嵌まった。すごい! と思わず口に出していた。
    「これって」出来上がったものを指さすと、彼女はこちらを見て嬉しそうな笑みを浮かべる。
    「はい、人型ですよね」
     しかも、首がない人型。首なしの紙人形。左腕には“ウサギ”、右腕には“ニワトリ”、両足のお腹には“ウマ”のイラストが描かれている。
    「この動物は、何の意味があるんでしょう」
    「分からないんですよね、この動物がなぜ描かれているのか」彼女が腕を組んだ。その瞬間、館内の照明が少し陰りを帯びた。いつの間にか、閉館の時間になったらしい。
    「あ、ごめんなさい。お仕事のおじゃまして。しかも、謎解きまで相談にのってもらって。なんか、調子にのってしまいましたね。申し訳ありません」彼女とは、昨日少し話をしただけだ。それなのに、調子こいて親しげに話してしまった自分を反省した。彼女に向かって、深々と頭を下げる。
    「いえ、いえ、こちらこそすみません。頭上げてください。謎解き楽しかったですよ。でもまだ、全部解けた訳じゃないからなぁ。この紙の人形、私が預かってもいいですか?」
    「えっ? はい、どうぞ」
     彼女は満足げに微笑むと、首のない紙人形を手に取った。動物の絵柄について少し調べてみたい、との事だった。この場所にはたくさんの資料が揃っている。それを閲覧すれば、この謎が解明できるかもしれない。僕は最終巻の4を借りて、彼女と別れて図書館を後にした。
     次の返却までに頑張ります、と息込んでいた彼女。僕よりも、ミステリーや謎解きが好きなんだと、今日の言動で感じ取れていた。浮き足だったまま、駐車場を横ぎる。彼女に会うのが楽しみなのか、彼女の推理を聞くのが楽しみなのか。いまいち分からないけれど。高鳴っていく心の音を感じながら、僕はアクセルを踏みこみ、車を走らせた。

     ※

     キーボードを打つ手が、パタリと止まった。最近、ずっとこんな感じだ。源泉のように噴き出すアイディアが、ワタシにはない。もう、限界だ。だから、誰かに見つけて欲しかった。もう、終わりにしたかった。あの頃には知り得なかった“孤独”という波が、ワタシを包みこんで離さない。一人は嫌だ。寂しくて、悲しくて、苦しくて。どこまでも続く闇のような祠を、手探りでただ歩いて行くだけ。嫌だ、嫌だ。誰か、助けて。もう、終わらせて。ねぇ、お願いだから。

     ※

     あれから一週間後、僕はまた図書館に来ていた。新たに見つかった紙片を右ポケットに潜ませ、彼女が座っているカウンターへと向かう。パソコンから顔を上げた彼女は僕に気づいたようで、軽く手を上げる。栗色の髪を後ろで一つにまとめ、すみれ色のブラウスを着ている。「こんにちは、坂下さん」と僕は、カウンターに本を置いた。
    「こんにちは、広瀬さん。実はあの紙人形について、分かったことがあって」彼女は周りに聞こえないように、声を潜ませながら言った。僕も声を潜め、「実は」とポケットに手を入れたが、考えてみれば彼女は仕事中だ。ポケットの中身を出そうか戸惑う。彼女は返却の手続きをすると、腕時計を見て立ち上がった。
    「あの、私、もうすぐ昼休憩なんです。広瀬さん、お昼はもう食べました?」
    「いえ、まだ」
    「じゃあ、一緒に食べませんか?」

     ということで、図書館から徒歩五分ほどの所にあるカフェで、彼女と一緒にお昼を食べることになった。カフェの扉をくぐると、焼きたてのパンの香りと共に、落ち着いた木目調の店内が僕たちを迎えてくれる。
    「こんな素敵なカフェが近くにあるの、知らなかったです」
    「ふふっ、隠れ家的なカフェなんです。でも、どれも美味しいですよ」
     僕はパスタランチを。彼女はホットサンドランチを頼んだ。待っている間、彼女はさっそく、ショルダーバッグから例の紙切れ数枚を取りだした。バラバラになった三枚を、慣れた手つきでパズルのように組み合わせた。首のない人型が出来上がる。それを見て、やっぱりなと僕は確信する。右ポケットに手を差し込み、テーブルの上に小さな紙切れを置いた。丸い形。真ん中には、“ネズミ”の絵柄が描かれている。
    「これって、4の本に挟まっていたものですか?」彼女がぱっと目を見開く。僕は頷いて、紙の上に人差し指をのせ、彼女が作った人型の一番上にそれを移動させる。丸い形の下に突きでた首のような部分と、胴体の断片がぴたりと合わさった。
    「人の形ですね」僕が呟くと、出来上がったものを二人で見下ろした。テーブルには、完成した紙の人間が寝ている。左手にはウサギ。右手にはニワトリ。下半身にはウマ。そして、頭には、ネズミが黒く描かれている。
    「芹澤まほこのデッサンを読み終えると、この人型が完成する」彼女は顎に指を当てて、考え込むように呟いた。
    「そうなりますね・・・・・・」一体、誰がこんなことを? ただのイタズラにしては、手が込んでいるようにも思うが。
     しばらく二人で無言のまま、その奇妙な紙人形を眺めていた。その間にランチが運ばれて来たので、とりあえず、紙人形を隅に移動させ、「いただきます」と食べはじめた。ケチャップの味が濃厚で、ちょうどいい酸味も感じられる絶品ナポリタンだった。これは美味しい。彼女は、チキンとチーズとレタスが挟まったホットサンドを一口頬張り、もぐもぐする。その後、「この動物なんですが」と、紙人形の頭にあるネズミを指さした。
    「この動物の意味が分かったんですか?」僕は少し身を乗り出す。こくりと静かに頷く彼女。
    「ネズミ、ウサギ、ニワトリ、ウマ。これを見て、何かに気づきませんか?」実は今回のネズミが加わって、心にわだかまっていたものが少しずつ解けてきた感覚がしていた。それが今、分かったような気がする。
    「干支、ですか?」
    「そうです」と彼女は微笑む。
     紙人形の四つのパーツに描かれた干支らしきイラスト。もしこれが干支だとして、どうしてこの四つの動物が選ばれたのだろう。他にもたくさんいるのに。この干支に何か意味があるのだろうか。
    「干支は、年、月、日、時間、方位などを示すためにも使われるんです。いろいろと考えて、これは方位を示しているのだと思いました。“方位神”と呼ばれています」
    「ほういじん?」
     彼女は、紙人形の頭部に描かれたネズミを指でトンと叩くと、また淡々と話し始める。
    「方位神は北から時計回りに、子、丑、寅・・・・・・と十二等分するんです。子は北。卯は東。午は南。酉は西。紙人形を組み立てると、方位通りにイラストの配置が来るんです。これは偶然ではないと思います。きっと、何か重要な意味がある」
    「なるほど」僕は紙人形をもう一度、眺める。頭が北とするのなら時計回りに、北=ネズミ。東=ウサギ。南=ウマ。西=ニワトリ。彼女が言うように“方位神”というものに、方位と動物がぴったりと当てはまる。しかし。
    「確かに方位に当てはまりますね。でも、この方向が何を意味しているのか・・・・・・」
    「はい、そこなんですよねぇ」彼女は顎に手を当てながら、眉根にシワを寄せる。僕たちは食べ終えると、しばらく沈黙したまま、また紙人形をじーっと眺めていた。突如、彼女は顔を上げると、腕時計を確認する。
    「広瀬さん、ごめんなさい。もう、仕事に戻らなきゃ。ランチご一緒できて楽しかったです」伝票を持って立ち上がろうとする彼女を、「ここは僕が払います」と手で制した。
    「いいんですか? ありがとうございます。次は私が奢りますね。じゃあ、また」彼女は頭を下げながら、そそくさとカフェを出て行った。テーブルにぽつんと残された紙人形。僕に課せられた謎のように、“お前に解けるか?”と言いたげにしている。
     ようし、やってやろうじゃないか。この謎を解いてみせる。紙人形を指先で摘まむとポケットにしまい、僕は伝票を持ってレジへと向かった。

     今思うと、小学生の頃からミステリーが好きだった。金田一少年の事件簿というマンガにハマり、金田一少年と一緒にトリックを解いたり、犯人捜しをするのが楽しかった。中学生になると小説を読むようになり、好んで読むのは、もっぱらミステリー小説ばかり。働くようになり、本を読む時間は減ってしまったが、それでも読むのはやっぱりミステリーだった。今はエンターテインメント性の高いものや、ホラー寄りのものもあり、いつでも新鮮な気持ちでミステリーを楽しむことができると思う。なぜ、好んでミステリーを読むのか? 普通に日常を過ごしていたら感じることができない、スリルやドキドキ感――非日常を感じられるからかもしれない。自分が物語の主人公になり、悍ましい事件に巻き込まれたり、難解なトリックを解いたり。そんな非日常をミステリーは味わわせてくれるのだ。だから、僕はミステリーを読み続けているのだろう。

    「方位神かぁ・・・・・・」紙人形を天井に掲げながら、ソファーに横になっていた。司書の坂下さん。そこまで気づくなんて、彼女は相当頭が切れるに違いない。競うようなことではないけれど、僕も彼女の推理に負けてはいられない。
     バラバラになった紙片が、芹澤まほこの小説に挟まっていた。デッサンを最後まで読み終えると、この紙人形が完成する。パーツのそれぞれに描かれた干支。それは方角を示しているらしい。バラバラになった紙人形。干支。方角。それは何を意味するのか。それより、どうしてこれを芹澤まほこの小説に挟んだのだろう。挟んだ犯人の目的は?
    「あー、分かんない!」起き上がり、頭を掻きむしる。デッサンは確かに名作だ。被害者の体の一部が切り取られるという残虐な犯行だが、結局犯人は女性の裸体や、体のパーツに美意識を感じ、それをデッサンすることに執着をしていた。自分のアトリエを囲むように、切り取ったパーツは土に埋めてあったんだ。パーツがバラバラになって――。
    「いや、待てよ」背もたれからバッと背中を離し、手にしていた紙人形を凝視する。まさか、これも、デッサンのようにパーツがバラバラに――?
    「そんな、まさか・・・・・・」一つの考えが浮かんだが、あまりにも現実離れしていると頭を振る。しかし、今のこの状況自体が、ミステリーのように非日常なのでは? とりあえず、彼女に相談してみよう。ふと、柔らかな笑顔を思い浮かべる。明日また、仕事帰りに図書館に行ってみようと、僕は少し頬を緩ませた。

     閉館後の図書館。静寂に包まれた駐車場を横切り、僕たちは正面入り口まで歩く。図書館を振り返り、僕はポケットから例の紙切れを取り出した。
    「ごめんなさい。無理を言って」
    「いえ、広瀬さんの推理を聞くの、すごく楽しみです」仄暗い街灯の下、彼女が嬉しそうに笑う。
     僕は会社帰りに図書館に来ていた。彼女に自分の推理を聞いてもらう為に、だ。それだけじゃない。どうしても、彼女にお願いしたい事があったから。だから、こうして閉館後の図書館を、二人並んで見上げている。僕たちの正面には、二階建ての建物がある。レンガ色の壁面をしているため、薄暗い風景の中、大きなキャラメルの箱がずんと佇んでいるようだ。
    「あの、昨夜家に帰ってから、いろいろと考えてみたんです。この紙を挟んだ人は、どうして紙人形をバラバラにして、デッサンという本に挟みこんだのか。それは、デッサンの内容に関係があるんじゃないかと思うんです」
    「デッサンの内容にですか?」
     はい、と僕は頷き、紙人形を図書館に向けて掲げる。
    「デッサンの犯人は、バラバラにした体のパーツを土に埋めていた。だから、もしかしたら、この人形のそれぞれのパーツは、バラバラになって埋まっているんじゃないかと思うんです」
    「なるほど、デッサンの内容になぞらえていると? でも、どのパーツがどの場所に」彼女は紙人形の干支を見据えると、何かに気づいたようにハッと顔を上げる。「まさか、方位神ですか?」
    「そうです。先日坂下さんが話してくれた方位神。各パーツは、干支が示す方角に埋めてあると思っています。頭は北(子)。左腕は東(卯)。両足は南(午)。右腕は西(酉)」僕たちが見ている方角は北だ。図書館を中心にして、今僕たちは立っている。
    「なるほど。紙人形の各パーツに描かれた干支の場所に、そのパーツがある。でも、その場所って――」彼女が左右に首を振って、周りをくるくると見渡した。僕も同じように視線を動かす。図書館から向かって右側。左側。僕たちと建物との間にも。同じものが配置されている。
    「花壇がある」彼女がこちらを向いた。
    「うん、ちょうどこれと同じ方角に、花壇がある」僕は紙人形を掲げる。頭を建物に合わせると、左腕、右腕、両足のパーツ部分に、ぴたりと重なり合うように花壇がある。赤みがかったえんじ色の花壇には、たっぷりと土が満たされ、小ぶりな木や小花が植えられている。僕たちはしばらく花壇を眺めたあと、これだ、と顔を見合わせる。
    「図書館の向こう側、北側にも花壇ってありますか?」子の方角はここからは見えない。
    「はい、駐車場の向こうに同じ花壇があります。じゃあ、それは頭ということになりますね」
    「はい。それぞれの方角の花壇に、パーツが埋まっているかもしれない。きっと、同じような紙切れか、人形とかマネキンの類いだと思いますが・・・・・・」花壇の土の中から、バラバラにされたマネキンのパーツが見つかっても怖いけれど。いや、もしかしたら、この推理自体が間違っているのかもしれないが。
    「広瀬さん、掘ってみましょう!」隣で土を掘るような仕草をする彼女。その表情は、宝物をみつけた少女みたいに楽しそうだ。
    「いいのでしょうか」
    「大丈夫です。花壇の木や花は、専門業者が時期が来たら植え替えしてるみたいだけど。普段は、私たちが適当に水やりをしている程度で。また戻しておけば大丈夫です」

     僕たちはとりあえず、東側の花壇に移動した。紙人形の左腕。花壇はレンガで出来ていて、僕の腰の高さほどあり、塀に沿って五メートルぐらい続いている。痩せ細った木々の間には、パンジーがひしめき合うように植わっていた。あふれんばかりに盛り上がった黒褐色の土の中に、果たして何が埋まっているのだろうか・・・・・・。
    「どの辺りにあるのでしょうか?」彼女が花壇を見渡す。そこまでは分からない。左から順番に、紫色の花を目で追っていく。すると、突如白いものが目に飛びこんでくる。お辞儀をしたような花で、見た目はユリにも似ている。
    「あそこに白い花が植わっています」僕は彼女に教えるように、その花を人差し指でさした。一緒に白い花の近くまで行くと、腰を折って花を覗こんだ彼女が「あ」と漏らす。
    「これは“スノードロップ”ですね」
    「スノードロップ?」
    「はい。花言葉は“あなたの死を望みます”。イギリスの一部の農村地方の言い伝えが由来だと言われています。亡くなった恋人の遺体にスノードロップを供えたら、雪のしずくになってしまったという逸話があり、そのことからスノードロップには“死”のイメージが定着したようです」
    「死のイメージ・・・・・・かわいい花なのに、怖い花言葉なんですね。坂下さんは、花にも詳しいんですね」
     そんなことないです、と彼女は恥ずかしそうに、手のひらをヒラヒラさせる。死の意味を持つスノードロップが、どうしてパンジーの中に一輪だけ植わっているのか?
    「ここに埋めてあるって、ことですかね?」
    「そうですね。この花が目印かもしれない」そう考えるのが妥当だろう。しかし、スノードロップの花言葉を聞いた今、僕の頭の中には恐ろしい妄想が湧いて出てくる。まさか、この花の下にはとんでもないものが埋まっているのでは? そう思ってしまう。
     固まっている僕に気づいた彼女が、こちらを見ている。その顔は仄暗い明かりの中でも、少し青ざめているように見え、同じことを考えているのだと感じる。僕たちは顔を見合わせ、頷いた。そして、意を決して花壇に身を乗り出した。
     優しく根元まで掘り出したスノードロップを、彼女は脇に寄せる。僕はシャツの袖を二の腕まで捲り、白い花が植わっていた土の下に指先を差しこんだ。花壇の土は、意外と冷たかった。一回掘ると、お椀のような窪みが出来た。すくった土粒を隅に寄せ、再び同じ場所を掘り起こす。花壇はそんなに深くない。もうそろそろかな、という所で、指先にビニールのような感触が触れた。
    「何かがある」そう僕が言うと、彼女も土の中に手を入れた。一緒に土の表面を払っていくと、薄汚れたビニール袋が現れた。中に何かが入っているようだが、袋の内側が水滴で曇っていて見えない。細長い塊であることだけは、かろうじて分かる。厭な予感がする。しかし、ここまで来たら、やるしかない。僕たちはビニール袋の端を摘まんで、せーの! で引っ張りだした。その勢いで袋の口からするりと何かが飛びだし、地面に落下した。粘土が落ちたような、鈍く重たい音が響きわたる。ゴロリとそれが転がる。落ちた細長い塊を見て、僕たちは同時に悲鳴を上げる。
    「きゃあっ!」「うわっ!」
     薄明かりの下。黒みを帯びた褐色の物体が、しっかりと像を結んだ。先端には、人間の指のようなものが数本生えている。いや、人間の指だ。人間の左腕だった。紙でもなく、ましてやマネキンでもない、本物の人間の――。しかも、真っ二つに切断されたような胸の肉片がくっ付いている。紙人形の左腕の形を思いだす。あの形状と同じように切り落とされている。ふらっとした彼女の肩を支え、僕たちは左腕らしきものから距離を置く。あまりの腐臭に吐き気を催し、熱い胃液が喉元までこみ上げてくる。
    「こ、これって、ほ、ほんものの・・・・・・う、腕ですよね?」
    「は、はい。マネキンの腕には見えない・・・・・・」
     もう、だいぶ時間が経過しているのか、干からびた大根のようにも見えるが、腐りかけた皮膚の表面には、まだ生々しさが残っている。崩れかけてはいるが、胸の筋肉の隆起も感じられる。萎びたレーズンのようなものは乳首だろう。まさか、本当に死体が埋まっているとは思わなかった。僕は青ざめた彼女の体を支えながら、震える手でスマホをポケットから取りだした。

    「では、その紙に描かれたものを考察しているうちに、この花壇に辿りつき、遺体の一部を見つけた。という事ですな」長谷部と名乗った刑事が、手袋を嵌めた指で紙人形を摘まんで眺めている。僕と坂下さんは「はい」と頷く。ほう、と長谷部は眉根にシワをよせ、片手で顎を触っている。五十代ぐらいに見えるが、がたいは良く、くたびれたベージュのスーツを着ている。
    「推理小説に挟まっていた紙切れ。並べると人間の形になり、花壇から死体の左腕だけが見つかるか・・・・・・」考えるような仕草をする長谷部を前に、僕たちは顔を見合わせてようやく、安堵の笑みを浮かべる。
     警察を呼んだ。すぐにたくさんの警察車両が到着し、図書館の敷地内に規制線が張られた。死体が発見された花壇は、片っ端から掘りおこされたが、残りの部位は何も見つからなかった。僕たちは長谷部に事情聴取を受け、今までに起きたことや推理したことを一から話した。こんな事件に発展するなんて思ってもいなかったけれど、次の死体の場所を説明していく内に、僕は自分たちの推理が当たってるのだと確信する。この刑事に信じてもらえるかは分からない。それでも、彼女と一緒になって熱心に説明をした。今まで導き出した紙人形の謎を。
    「なるほど。なかなか面白い推理だな」長谷部の強面が、ぱっと破顔する。僕たちは驚いて、顔を見合わせる。こんな頑固そうな刑事にはバカにされる、そう思っていたから。
     少し身を乗り出した長谷部は「実はね・・・・・・」と呟くと、周りに聞こえないように小声で話し始める。
    「私もね、彼女のファンなんだよ。芹澤まほこの。単純だって思われるだろうが、昔から推理小説が好きで、探偵や刑事に憧れていたんだ。だから、刑事になったんだけどね。彼女の小説に挟まっていた紙から、こうして死体が出てくるって、何かすごく彼女らしいと思うんだよね。君たちもそう思わない?」少し黄ばんだ歯を見せて、長谷部は笑う。
    「確かに、この展開は彼女らしいかもしれません」現場で忙しなく動き回る人たちを眺めながら、僕は思う。“彼女らしい”展開にする為に、誰かが本に仕掛けた謎。それを僕と彼女が解きあかし、死体の発見に至った。仕掛けた犯人=死体を埋めた犯人。と考えるのが妥当だろう。しかし、これでは、死体を発見して欲しいと言っているようなもんだ。
    「この紙人形は、警察への挑戦状かもしれんなぁ」楽しげだった長谷部の顔が、また頑固そうな刑事の顔に戻っていく。
    「挑戦状・・・・・・確かにそうかもしれません。死体の場所を指し示すなんて、犯人は何を考えているのだろう」すっかり顔色を取り戻した彼女は、腕を組んで首を傾ける。僕も同じように腕を組んだ。その時、どこかから長谷部の名前を呼ぶ声が聞こえてくる。
    「ご協力いただき、ありがとうございました。こちらで紙を挟んだ犯人の捜査、残りの死体の捜索をすすめます。また、何か思い出したことがありましたら、ご連絡ください」
     名前や連絡先を聞かれ、僕たちは図書館を後にした。いつもは図書館まで歩いて出勤しているという彼女を、近くの自宅アパートまで車で送って行った。

    「広瀬さん。送っていただき、ありがとうございます」
    「いえ。なんか、とんでもない事になってしまいましたね・・・・・・」
    「はい・・・・・・」助手席で表情を曇らせる彼女。ここ最近の探偵めいた楽しそうな表情は、微塵も感じられない。あんなものを見つけたのだから、仕方がない。僕だって、思い出すだけで吐き気がこみ上げてくるし、まだ手がふるふると震えてしまう。よし、と心で呟いて、ポケットからスマホを取りだした。
    「坂下さん、変な事に巻き込んでしまって、すみません。もし良かったら、連絡先交換しませんか? 何かあったら、いつでも連絡してください」こんな時に嫌がられるだろうか、と思っていたが、彼女は安心したような表情を浮かべ、快く連絡先を教えてくれた。
    「広瀬さんも、何かあったら連絡くださいね。じゃあ、おやすみなさい」
    「はい、おやすみなさい」自室アパートに入っていく彼女を見送る。かしゃん、と冷たい音が、静かな夜の中に響き渡った。
     今日は疲れた。早く眠ろう。そう思いながら、僕はゆっくりとアクセルを踏みこんだ。

     次の日から図書館は休館となり、司書の坂下さんはしばらくの間、仕事が休みになったようだ。警察が館内、敷地内をいろいろと捜査しているのだろう。長谷部刑事に紙人形のことは話したが、それを参考にして死体の捜索をしたのかは分からない。僕たちの推理通りの場所から、死体の他の部分が発見されたのだろうか。ずっと気にはなっていた。そんな時、坂下さんから「気になることがある」と連絡が来て、この前二人で行ったカフェで会うことになった。
     カフェの扉を開けると、前と同じ席から彼女が手を振っているのが見える。いつもは髪を一つに結んでいるが、今日は下ろしているようだ。雰囲気が違って、少しドキドキした。僕は脈打つ鼓動を悟られないように「遅くなってすみません」と、何もなかった素振りをしながら、向かいの席に座った。
     僕は未だに、あの夜の光景が夢に出てくる。表面はカラカラに干からびているようにみえるのに、生々しく不気味に光っていた人間の腕。怖くて眠れない時もある。だから、彼女を心配していたけれど、意外と元気そうで安心した。いつもの朗らかな笑顔に戻っていたから。彼女はアールグレイティー。僕はカプチーノを頼んだ。
    「ごめんなさい、お休みの日に来てもらって。実は、あれからいろいろと調べてみたんです」
    「いや、暇していたから大丈夫です。あの、何を調べたんですか?」
    「それは・・・・・・」彼女がぽつと溢した時、ちょうど飲み物がやって来る。アールグレイの香りと、コーヒーの香りが混じり合い、白く立ちのぼる湯気が僕たちの眼前を漂う。彼女は紅茶を一口飲むと、少し上気した頬のままで小さく口を開いた。
    「“芹澤まほこ”について、調べてみたんです」
    「芹澤まほこ、のことを?」
    「はい」と頷いた彼女が、カバンの中から透明なクリアファイルを取りだす。中から一枚の紙を抜くと、僕の方に向けて置いた。紙面には、黒い文字がずらっと並んでいる。
    「今回の事件について知るには、紙片が挟まっていた小説を書いた彼女を調べるべきだと思ったんです。あのまま警察に任せてしまうのは、なんか後味が悪くて。ここには、私が彼女について調べたことが書かれています。いろいろと調べていくうちに、気になることが分かって・・・・・・」彼女がある文面を、指先でトントンと叩く。
    「気になること?」僕は身を乗りだし、その文面に目線を落とす。芹澤まほこの生年月日や、出身地、デビュー作などについて書いてあるようだ。その後には、彼女の今の現状について書いてある。
    「彼女、一時テレビによく出ていたのですが、ここ最近、見かけなくなったと思いません?」
     確かに、最近はテレビや雑誌などでも見かけなくなった気がする。それでも新作は定期的に出していたと思うが。僕は「そうだね」と軽く頷いた。
    「ここにも書きましたが、彼女、五年ほど前に事故に遭って、下半身不随になっているんです。広瀬さん、知っていましたか?」
    「芹澤まほこが、下半身不随? 知らなかった・・・・・・」
    「ニュースでも報道されなかったですよね。実は出版社に知り合いがいて、その人が教えてくれたんです。最近は、彼女と会わない状態で原稿をもらったり、出版を進めているそうで。事故に遭ってから、自宅にずっと引きこもっているみたいなんです。今はパソコン一つで原稿が送れたり、やり取りも出来ちゃうから、彼女としては執筆に何の問題もないですよね。でも、二十二歳で新人賞を獲って、今年で作家生活二十周年。四十二歳。まだ若いのにそんなことになって、大変だなって思って・・・・・・」紙面に視線を落とし、悲しげに表情を曇らせる彼女。
    “事故で下半身不随になる”という文字を、僕はぼんやりと眺める。いくらミステリー作家として有名になっても、これから車椅子での生活をずっとしなくてはいけないのだ。まだ若いのに、それはあまりにも酷であるように思う。あんなに残酷で美しいミステリーの数々を、彼女はどんな想いで書いているのだろう。
    「彼女的には、自分の作品への印象なども変わってしまうから、世間に内緒にしていたのかもしれない。私の彼女の印象は、しっかりした強い女性という感じでした。だから、彼女が描くミステリーと、彼女という人柄がつよく結びついていたんです。弱い自分を隠したかったから、黙っていたんだと私は思います」
    「そうかもしれない。僕も今、坂下さんからこの話を聞いて、彼女への印象、作品への印象がだいぶ変わってしまったから」それだけ彼女は、自分の作品を大切にしているという事なのか。それとも、世間から同情の目で見られたくなかったのか。
     彼女はため息を吐くと、すっかり冷めてしまった紅茶を飲み干した。「それで、まだ気になることが・・・・・・」と、再び唇を動かした。
    「一年ほど前に彼女の自宅に向かった編集者が、行方不明になっているんです。ずっと彼女を担当していた田代という男性で、自宅近くの森で車だけが発見されたようで。自宅に行く前に、行方不明になったみたいなんです。彼女は事故に遭ってから人に会わないようにしていたから、田代がなかば強引に会いに行ったようだと知り合いは話していて。その事件以降、彼女は新しい編集者にも全く会っていなくて、家に引きこもっているようです。その田代って言う人が、どうして行方不明になっているのかが気になって・・・・・・」
     僕もカプチーノを飲み干し、今聞いた事を反芻しながら考えてみる。芹澤まほこの編集者が行方不明になっている。何かの事件に巻き込まれたのだろうか。もし、その田代が彼女に会っていた後、行方が分からなくなったのだとしたら・・・・・・彼女が事件について何かしら知っているのかもしれない。今回の死体発見の事件と、一年前の田代の行方不明事件。二つの事件に共通しているのは、芹澤まほこだ。もしかしたら、この二つの事件はどこかで繋がっている? しばらく沈黙して考えている僕に気づき、彼女が見かねた様子で口を開く。
    「あの、この行方不明事件と、今回私たちが死体の一部を発見した事件。もしかしたら、繋がっていると思いませんか?」その瞳は、新しい楽しみを見つけた少女のように、キラキラと輝いている。
    「うん、僕も今、そう思っていました」
    「良かった、同じ考えで。どう繋がっているのかはまだ分からないけど、とりあえず、その行方不明事件を調べる方がいいですよね」
    「うん、そうですね・・・・・・」あの長谷部とかいう刑事。芹澤まほこのファンだったはずだ。今回の事件から、田代の行方不明事件に辿りつくだろうか。分からない。今回、捜索に協力をしたのだから、その事件について詳しく教えてもらったりできないだろうか・・・・・・。その時、ポケットの中でスマホがぶぶぶと震えだした。知らない番号だったが、何かの予感に囚われた僕は、通話ボタンを手早くタップした。
    「もしもし」
    「あー、もしもし。広瀬和真さんの携帯でお間違えないでしょうか」聞き覚えのある低いだみ声が聞こえてくる。
    「はい、そうです」
    「わたくし、○○警察署の長谷部という者ですが」
     ああ、やっぱり。僕は顔を上げ、目の前の彼女を見つめる。誰だろう? という表情で、彼女は見つめ返してくる。
    「長谷部さんですか。ご無沙汰しています」
    「あぁ、広瀬さん、ご無沙汰してます。突然お電話して申し訳ないです。少しお聞きしたいことがありまして――」

    「申し訳ありませんね。お休みのところ、来ていただいて」皺のよったスーツを着た長谷部が、頭を下げながら小走りでやって来る。いえいえ、と僕たちは手を振り、規制線の向こうを見渡した。まだ、現場はバタバタと騒がしく、警察の関係者で溢れかえっているようだった。僕たちは長谷部に呼び出され、徒歩で図書館まで来ていた。どうやら、あの紙人形について聞きたいらしい。あれから遺体が見つかったかどうかも気になっていたので、長谷部からの連絡は願ってもないものだった。
    「実は君たちが言っていた場所から、遺体の一部が次々と見つかったんです。西の花壇からは右腕。南の花壇からは下半身というか、両脚が見つかって。それで、肝心な頭部がまだ見つかってないんです。その、何でしたっけ? あなた方が言っていた方位――」
    「方位神です」彼女がきっぱりと言う。そうそう、と長谷部は言うと、図書館の北側に向かって歩きだす。刑事は仕事柄足が速くなるのか、長谷部は中年なのに歩くのが速かった。慌てて僕たちも後を着いていく。ぐるっと図書館を回って北にある花壇に到着するが、ほとんどが掘り返されていて、駐車場に黒い土が散乱していた。
    「北の方向に頭があると言ってましたよね」ポケットを探りながら、長谷部は訊ねてくる。取り出したものは、透明な袋に入った紙人形だった。頭が花壇に来るように、紙人形の向きを合わせる。ネズミのイラストが上を向いている。
    「はい。私たちの予想だと、頭は北の方向にあると思っていましたが」彼女がちらりと僕を見たので、首を縦に揺らした。さっき長谷部が言っていた遺体の場所も、この紙人形の方向と合っている。だから、頭部もこの場所にあるはずだ。
    「あの、白い花ってありましたか? スノードロップっていう花なんですが、僕たちもそれを目印に遺体を見つけたんです」
    「スノードロップ? あぁ、他の花壇にはあったな。ここの花壇にはなかったように思うが。それが遺体が埋まっているという目印だと?」
    「はい、おそらく・・・・・・」この花壇にスノードロップは植えられていない。と言うことは、ここには遺体の一部が埋まっていないのか?
    「頭部はこの場所にはないのかもしれないな。君たちに聞いたら分かると思ったんだが。まあ、芹澤まほこの小説のように、そう上手くは解決できないのかもしれないな。はははっ。どうも、ご協力ありがとうございました」険しかった顔が突如、朗らかな笑い顔に変わる。黄色い歯が見える。長谷部は「また、ご協力いただきたい時はこちらから連絡します」と頭を下げた。 
     見つかった遺体が誰なのか? 行方不明事件についてなど。聞きたいことは山ほどあったが、僕たちは長谷部に頭を下げ、しぶしぶ図書館を出て歩きだす。
     あっさり帰されてしまったけれど、“芹澤まほこの小説のように”という言葉が、頭の中に残って響いている。隣を歩く彼女の横顔を眺める。推理が当たっていなかったからなのか、遺体が次々と見つかってショックなのか、思い悩むような表情をしている。さっき、カフェで行方不明事件について調べようと思っていたのに、遺体の頭部が見つからないというのを目の当たりにし、推理が行き詰まった感覚がしていた。見えそうだったものが、すんでのところで断ち切られたような、そんな感じ。警察でも分からないことは、きっと僕たちに分かるわけがない。
    「どうして、頭だけ見つからないんだろう」独り言みたいに、彼女が呟く。
    「頭は別の場所にあるのかもしれない。犯人は、遺体を見つけてほしがっているように思うんです。その理由は分からないけれど、頭の埋まっている場所がとても重要な気がします」あの紙切れから導かれ、こうして遺体が発見されていった。それは犯人のもくろみだ。そうして、頭だけ発見されないのも、きっと重要な意味があるに違いない。
    「犯人は遺体を見つけてほしい。どうして――」彼女は言いかけ、はたと立ち止まる。そして、図書館を振り返った。急いでカバンの中に手を入れ、さっきのクリアファイルを取りだす。芹澤まほこの資料を凝視している。
    「どうしたんですか?」僕も資料を覗きこむ。何かを見つけたように彼女は顔を上げ、図書館を見つめたあと、資料にまた視線を落とす。
    「偶然かもしれないけど、図書館の北方向に芹澤まほこの自宅があるんです。隣の県だけど、ここから二時間ぐらいで着くと思うんです」
    「彼女の自宅?」僕は資料の住所を見て、スマホで検索してみる。隣の県の出身だとは知っていたが、住所まではさすがに知らなかった。地図上で自宅を見つけると、二本の指で地図を引いていき、下の方へ指を滑らせていく。あった。図書館だ。
    「本当だ。図書館の北、延長線上に彼女の自宅がある。もうこれは偶然じゃないですよ」
    「ですよね・・・・・・じゃあ、遺体の頭は」
    「きっと、彼女の自宅に――」と言いかけて、その言葉はとんでもない答えを導き出したのだと、僕は口をつぐんだ。彼女も同じことに気づいたのか、瞳を揺るがせながら戸惑っている。
    「し、信じたくないけど、遺体の頭があるってことは、彼女が犯人の可能性が高いってことですよね。でも、行ってみないと、本当かどうかも分からないけど・・・・・・」彼女が見ている方向には、忙しなく働いている警察の姿が見える。彼らや長谷部は、まだこのことに気づいてはいないだろう。でも、いずれ、まほこの自宅に行くだろう。その前に僕たちで――。
    「僕も彼女が犯人かもって思ってました。もしかしたら、自分の本にヒントを忍ばせて、見つけてほしかったのかもしれない。でも・・・・・・」まほこは下半身不随のはずだ。その情報自体が嘘という可能性もあるが。まさか、他に共犯者がいるとか?
    「やっぱり、あの紙はメッセージだったのかな。彼女からのメッセージ。それを私たちが受け取ったのなら、最後まで見届けたいと思う。あの、広瀬さん、自宅に行ってみませんか?」真剣な瞳が、僕をまっすぐに見据える。正直、知るのが怖い気持ちもある。しかし、好きな小説家が伝えたいことがあるのなら、その真実を最後まで知りたい、そう思う。たとえそれが、辛い真実だとしても――。
    「はい、僕も坂下さんと同じ気持ちです。一緒に行きましょう」彼女の瞳をまっすぐに捉え、迷うことなく僕は頷いた。

     ※

     もう何も書けない。ワタシには、やっぱり無理だったんだ。もう、あなたもいない。約束も果たせたかどうか分からない。だって、誰かが訊ねてくることも――。
     その時、インターホンが鳴り響いた。うそ、まさか・・・・・・。ワタシは立ち上がり、画面横の通話ボタンを押した。画面には、ぼやけた二つの影が映りこんでいる。
    「はい、どちらさまでしょうか」
    「あの、突然すみません。僕たち、あなたの“デッサン”に挟まっていた紙を解読しまして、こちらに辿りつきました。あなたのファンでして、少しお話を聞かせてもらえないでしょうか」緊張した男の声が聞こえてくる。映っているのは、男と女のようだ。
     ただ、嬉しかった。まさか来てくれるなんて、思ってもいなかったから。ワタシは「お入りください」と言うと、部屋の中から門と玄関の鍵を解錠する。そして、玄関前の階段で二階に上がり、右側の廊下を進み、奥の部屋に来るように伝えた。パソコンの前に、再び腰を下ろす。安堵の気持ちと、すっきりとした開放感が全身を包みこんでいる。
     ようやく、解放されるんだ。この孤独から。この罪からも――。

     ※

     僕は坂下さんと一緒に、今しがた開いた青銅色の鉄門を通り抜ける。蔦が絡まり、ところどころ剥げていたが、美しい模様が刻まれている重厚な門だった。抜けると石畳が広がり、眼前に洋風の屋敷がそびえ立っている。白亜の豪邸。丸くせり出した出窓が、陽光を反射してキラキラと輝き、純白のレースカーテンがガラス越しに見えた。
    「すごい、豪邸・・・・・・」彼女は屋敷を見上げ、うっとりした表情を浮かべている。売れっ子作家は、豪邸に住んでいるというイメージがある。今まさにそのままのイメージを目の当たりにし、僕は呆然と立ち尽くす。彼女の言うとおり、すごい豪邸だ・・・・・・。恐怖や緊張、不安がないまぜになった感情が、一瞬で風船のように萎んでいく。
    「あっさり、中に入れてくれましたね」切子ガラスが彫り込まれた扉の前で、彼女がぼそりと呟く。まほこがあっさりと鍵を開け、迎え入れたことは、待ち構えていた僕たちにとっては意外だった。
    「はい・・・・・・ここからは気をつけて行きましょう」相手は殺人鬼かもしれない。僕は金色のドアノブをつよく握りしめ、ゆっくりと時計回りに回した。
     扉を開けると、前方から眩い光が差しこんでくる。毛足の長い銀白色の絨毯が敷いてあり、その向こうに幅の広い階段がまっすぐに伸びている。周りを見渡すと、いくつか扉が並んでいた。壁には絵画が掛けられ、飾り棚には高価そうな置物が飾ってある。掃除も隅々まで行き渡っていて、埃一つも落ちていない。あまりの美しさに圧倒され、しばらく僕たちは玄関で立ち尽くしていた。
    「すごいですね・・・・・・」「お城みたい」「行きましょう」「はい・・・・・・」
     眼前に広がる階段を見上げ、室内に足を踏みいれた時、背後でガチャンという音が響いた。
    「おい、あんたたち、ここで何やってる?」飛んできただみ声に振り返る。
    「長谷部さん?」彼女が目を見開く。鋭い長谷部の眼光がこちらを見ていた。ようやく警察も、この場所に辿りついたらしい。案外早かったなぁと、僕もびっくりする。
    「まさか、あんたたちも、この場所に頭があると思って来たのか?」
    「はい・・・・・・」
    「長谷部さん、すみません」僕は頭を下げた。何かあったら連絡しろ、と言われていたのに、勝手な行動をしてしまった。分かって来たけれど、やっぱり、警察に任せるべきだったのか。今更、そんなこと思っても遅いけれど。険しかった長谷部の顔が、ふわりと穏やかなものになる。
    「はははっ、まあ、私も一人で来たんだがね。どうしても、芹澤まほこが気になって」
    「えっ、一人で?」
    「いや、頭が芹澤の自宅にあるのかも、と思った時。犯人ではないかと考えたんだ。でも、好きな作家だったし、どうしても信じたくない自分がいたんだ。だから、上に話す前に自分で調べようと、勝手に来てしまったのだよ。上には怒られるだろうがね、ははっ」笑い声をあげる長谷部。黄ばんだ歯をむき出して笑っている。
     追い出されると思っていたので、僕はホッと胸を撫で下ろす。彼女も安心したようで、緊張の糸が切れたのか頬を緩ませる。長谷部はハッとして、大きく開けていた口元を手のひらで覆う。
    「おっと、いけない。彼女は殺人犯かもしれないんだ。気を緩めたらだめだ。そういえば、君たち、よくこの屋敷に入れたね。ファンだとかそんなことを言ったのか?」
     僕たちは顔を見合わせ、「そうです」と彼女が答える。あまり、もたもたしていると、まほこに勘づかれるといけない。僕は先を促すように腕を伸ばして、階段の上を指さした。
    「階段を上り、右の廊下を進んで奥の部屋へ来るように言われました。さあ、行きましょう」
    「行きましょうって・・・・・・君たち、丸腰なんだろう? こう見えても、私は警察官だ。とりあえず、私が先に行く。後ろから着いてくるんだ。いいな?」玄関を上った長谷部は、僕たちを追い越して階段前までやって来る。なかなか頼もしい背中をしている。今まで様々な修羅場をくぐってきたのだろう。やっぱり、刑事が来てくれたのは心強い。安堵した気持ちに包まれながら、僕たちは長谷部の後に続いて階段を上っていった。

     二階へ上がり、右に折れて進んでいく。左側には幾つか扉があり、右側には外から見えた出窓があった。レースのカーテン越しに差しこんでくる光が、木目のフローリングに美しい繊細な模様を描いている。白い光に目を細めながら、一番奥の部屋に視線を向ける。手前から四番目の扉。そこに、芹澤まほこがいる。“殺人犯”かもしれない人物が――。鼓動が一気に速くなる。手汗がじわりと滲んでくる。足音を立てないようにすり足で歩いていた長谷部が、「んん、おかしいぞ」と立ち止まる。三番目の扉に、そっと手を触れる。僕たちも扉の前までやって来る。
    「この中から冷気を感じる。何かの起動音も聞こえる」
    「確かに扉が冷たい」彼女も、扉の表面に手のひらを触れた。僕は扉に耳を近づける。ひんやりした温度と共に、ジージージーという規則正しい音が聞こえてくる。何の音だ?
    「なんか厭な予感がする・・・・・・私が開けてみるから、君たちは下がってくれ」 
     僕たちは壁際に追いやられる。長谷部は静かにドアノブをひねると、少しだけ開いた扉の隙間に足を入れ、足先で扉を蹴った。すぐに自分も壁に隠れる。首を伸ばして、中の様子を覗う。危険が無いと判断したのか、部屋の前まで行くと、「よし、よし」とこちらに手招きをする。自分よりもだいぶ年上なのに、刑事らしい俊敏な動きに感心する。長谷部に続いて、僕たちも部屋に入った。
     室内は冷気で包まれていた。カーテンは閉じられていて薄暗く、壁際に机や棚が寄せられている。そして、真ん中には冷蔵庫のようなものが、横たわって置かれていた。そこから、断続的な起動音が響いてくるようだ。ジージージーと。
    「何だ、あれは。冷蔵庫か?」僕たちは、その謎の物体の前まで歩み寄り、上から見下ろした。確かに冷蔵庫みたいな形状だった。金属製で上面に蓋があり、取っ手みたいな物も付いている。ここから冷気が漂ってきているようだ。見た目は、ただの冷蔵庫だった。
    「開けるぞ」と、長谷部が取っ手を握りしめる。上に向けて蓋を開けると、白い冷気がむわりと這い出てくる。寒い。冷凍庫を開けた時のような冷たさだ。冷気が天井に吸い込まれていくと視界が開け、冷蔵庫の中が鮮明に目に飛び込んでくる。
    「うわっ!」「きゃあっ!」僕と彼女は、同時に悲鳴を上げる。
     中には、蒼白い人形が詰め込まれていた。とても窮屈そうに、両脚を折り曲げるようにして。やけに両脚だけが痩せ細っている。いや、人形じゃない――冷凍された人間だった。裸。皮膚の表面に薄い氷が張っており、白い霜のようなものもところどころに付着している。唇だけ異様に青紫だった。髪は束になって凍りつき、二つの眼窩には、ガラス玉で作られたような白濁した目玉が嵌まっている。
    「芹澤まほこ、だ・・・・・・」長谷部がぼそりと溢す。テレビや雑誌で見ただけだが、確かに芹澤まほこに似ている。いや、間違いなくまほこだった。どうして、彼女が冷凍庫に――?
    「どうして、彼女が? さっき、インターホンで対応してくれたのに。じゃあ、あれは誰だったの?」彼女の顔色はすっかり青ざめ、口元に手を当てながら肩を震わせている。
    「ここに遺体があるということは、さっきの声は違う誰かなのか?」さっき、応答してくれたのは、まほこだと思っていた。じゃあ、あれは――?
    「信じたくないが、この冷凍遺体は芹澤まほこで間違いない。彼女の遺体が冷凍庫にあるということは、もう一人の誰かが彼女を殺したのだろう。もしかしたら、今回図書館に遺体を埋めた犯人と、この屋敷にいる人物は同一人物かもしれないな。よし、逃げられる前にまずは、その人物に会いに行こう」
     やはり死体には見慣れているか、長谷部は動揺した様子もなく、蓋を元に戻すと、部屋を出て行こうとする。僕たちは、不気味な起動音を響かせる冷凍庫の前で立ち尽くす。犯人かもしれないまほこの遺体を目の当たりにし、あまりの衝撃と恐怖で、僕の体は硬直している。彼女も動揺した表情で、ぐっと体を強張らせている。
    「おい、早く行くぞ」長谷部に急かされ、僕たちは急いで扉の方へと向かった。振り返ることなく、部屋を飛びだして行った。

     一番奥の部屋までやって来た僕たちは、しばらく無言のまま扉を見つめていた。扉の向こうから、微かだが何かの音が聞こえてくる。カチカチカチ・・・・・・というキーボードを叩くような音が。断続的なその音が鼓動と呼応するように、頭の中を支配してくる。
     一体、誰なんだ? さっき、応答した人物は。この部屋にいる人物は。どうして、僕たちをここまで導いたんだ? 何が目的なんだ。僕たちを招き入れて、殺すつもりなのか。
    「さっき、こいつと話したのは広瀬くんか? 扉をノックをして、来たことを言うんだ」横にずれた長谷部は、険しい顔を貼りつけたまま言った。僕はゴクリと唾を呑んだ。そして、扉に一歩近づき、震えた腕をあげノック音を響かせる。
     コンッコンッ! キーボードを叩く音が止まる。椅子と床が擦れるような音が聞こえると、「はーい」という、か細い声が聞こえてくる。さっきの声だ。感情を感じさせない声色。長谷部に視線を向け、僕は頷く。すぐに息を整えると、口を大きく開いた。
    「あの、遅くなってすみません。お話をお聞きしたいので、お邪魔してもよろしいでしょうか?」
    「はい、どうぞ」戸惑いのない声が返ってくる。それが余計に恐ろしい感じがした。喉が一気に渇ききり、ノックをした手のひらに熱い汗が滲んでくる。「私が先に入る」と長谷部が、また僕たちを壁際に追いやり、腰を低くして拳銃を構えた。片腕を伸ばすと、ゆっくりと金色のドアノブを回す。軋んだ音を鳴らして開いた扉を、足の底でバン! と蹴り飛ばした。壁から少し身をのり出して、部屋を覗きこむ長谷部。何かに気づくと足を踏みだして、部屋の真ん前に立って拳銃を構える。
    「お前は誰だ!」しわがれた声が、大きく響きわたった。僕は壁際から離れ、素早く長谷部の後ろに立ち、中を覗き込んだ。彼女もすぐに、僕の隣へとやって来る。
     柔らかな光の中に、一人の人物が立っている。こちらには背中を向けたままだった。背丈は高い。肩までの焦げ茶色の髪。体の線に沿った濃紺のロングワンピースを纏っている。信じられないぐらいスレンダーだった。やはり、車椅子には座っていない。その完璧な出で立ちを見て、胸の奥に違和感が膨れ上がる。なぜか、生気を感じない。どうしてだろう。じり、と長谷部が、部屋の中に足を踏みいれた。
    「お前が、芹澤まほこを殺したのか!」長谷部の叫び声と共に、その人物が振り返る。目に飛び込んできた顔。そのあまりの衝撃に絶句し、頭が追いつかなくなる。
    「ワタシはまほこを殺していない」滑らかに動いた手が自らの頭に触れ、被っていたウィッグを床に投げすてる。美しい頭の丸みが露わになる。次に背中に手を伸ばし、ワンピースを脱ぎすてると、メタリックなボディが姿を現す。金属的でスレンダーな輪郭。ここにいる誰もが、理解しがたい真実と困惑とで立ち尽くしていた。だって、そこにいる人物は――“アンドロイド”だったのだから。
    「ロ、ロボット・・・・・・? どういうことだ?」拳銃を構えた長谷部の背中から、戸惑いの色を感じる。パソコンの前に立っていたアンドロイドが、こちらに一歩近づいた。ぎこちない動きではなく、信じられないぐらい滑らかな動きだった。

    「ワタシは、まほこのお世話アンドロイドの“アオイ”です」銀色の唇が、素早く開閉する。
    「お世話アンドロイド? 芹澤まほこの?」
     アンドロイドが視線を変え、声を発した不安げな彼女をじっと見つめる。ボディにはいくつかの溝が対照に刻まれていて、それがボディの継ぎ目なのだと気づく。体型なんて、人間にそっくりだ。とても精巧に作られたアンドロイドだった。
    「まほこは、幼い時から一人ぼっちだった。両親が医者だったから、お金は余るほどあったけれど、多忙すぎていつも寂しい思いをしていた。だから、両親は特注でワタシを作った。まほこのお世話をするアンドロイドとして、このお屋敷にワタシはやって来た。家事全般できるようにインプットされていたから、どんな家事だってこなすことが出来た。そして、まほことたくさん遊んだ。ワタシとまほこは、数え切れないぐらいの時間を共に過ごした」白目のない漆黒の瞳はまっすぐにこちらを捉えていたが、なぜか、僕には哀しげに映って見えた。拳銃を構えたままの姿勢で、長谷部がもう一歩アオイに近づいた。
    「お世話をしていたのに、どうして、芹澤まほこを殺したんだ?」
    「殺していない!」アオイが声を張りあげる。
    「じゃあ、なぜ、隣の部屋に芹澤の冷凍された死体があったんだ?」
    「まほこは自殺した。あの男が原因で。あの男さえ、ここに来なければ・・・・・・まほこは死なずに済んだのに。今も一緒に過ごせていたのに――」
    「あの男?」長谷部の呟きのあと、アオイは首を数回振ると、大きく項垂れる。
     僕は、まほこの生々しい死に顔を思い浮かべていた。もう死んでいるのに、水分をたっぷり含んだような肌。その表面をくるんだ透明な氷の膜。思い出すだけで、心臓に刃物をあてられたみたいに震えあがる。まほこは殺されたんじゃないのか? 自殺って、どう言うことなんだ?
    「まさか、編集者の田代なんじゃ」坂下さんの言葉に反応したアオイが、のっそりと頭を上げる。そう、と溢すと、アオイは椅子に腰をかける。くるりと向こうを向くと、パソコンのキーボードを軽やかに叩いた。仕草だけ見ていると、本物の人間さながらだ。表面を覆っているのは金属なのに、それ以外――仕草や言葉――は人間そのものだ。僕の頭は追いつかない。予想だにしなかったこんな状況に・・・・・・。

     ふいに笑い声が響きわたる。その声は発光した画面から聞こえてくる。映し出された女の子の笑顔。庭を駆け回る。楽しそうな笑い声。『アオイ、遊ぼ』『アオイ、大好き』女の子の声が響く。制服で勉強をする姿。パソコンに向かって、キーボードを打つ後ろ姿。こちらを振り向く。笑う。『アオイ、この結末どう思う?』楽しげに笑う、芹澤まほこ。その画面に映し出されていたのは、アオイの見ていた風景、アオイの記憶の中のまほこの姿だった。
    「五年前に両親と共に事故に遭い、まほこは車椅子生活になった。両親が亡くなって塞ぎ込んでいても、私には小説を書くことしかない、と言い、書くことで元気を取り戻していった。ワタシは一生懸命まほこを励ました。今まで以上に家事もこなし、まほこの生活を影で支えていった。ワタシの頭には、たくさんの情報をインプットできる。だから、まほこは新しい小説のアイディアをワタシにインプットさせた。執筆のお手伝いもできて、ワタシはすごく嬉しかった。ずっと、まほこと幸せに暮らしていけるんだって、そう思っていたのに・・・・・・」画面の中で静止するまほこの笑顔を、銀色の指先で縁取るアオイ。知らないうちに長谷部は拳銃を下げ、僕たちも夢中でアオイの言葉に耳を傾けていた。
     
     ――まほこの担当の編集者、田代は強引にここにやって来た。『ぜひ、芹澤先生に書いていただきたいネタがある』と言って。まほこは車椅子になってから、人に会うことを拒んでいた。人に同情されるのが嫌だったから。田代はどうしても会いたいと、この部屋までやって来た。知っている人だったから、ワタシは安心しきっていた。二人を部屋に残して、飲み物を準備しに一階に下りた。でも、その考えが甘かった。トレーを持って階段を上がっていると、二階から物音と悲鳴が聞こえた。すぐにまほこの声だと思い、トレーを床に投げ出してこの部屋に駆けこんだ。目の前に飛びこんできた光景に驚愕した。倒れこんだまほこの上に、大きな男が覆い被さっていたから。車椅子は横倒しになっていた。
    『ずっと、先生が好きだった』そう言った男は、泣き叫ぶまほこの両手首を掴んで、動けなくしていた。『いいじゃないですか』と、片手で上半身をまさぐっていた。まほこの恐怖の叫びが、部屋中に反響する。ワタシは、近くに置いたあった花瓶を咄嗟につかんだ。次の瞬間には、男の後頭部めがけて振り下ろしていた。力を込めて、何度も、何度も。
    『アオイ、もういいよ!』まほこに止められた時には、もう遅かった。田代の後頭部はぐちゃぐちゃに潰れていた。死んでいた。ワタシが田代を殺した。まほこを守るためだったから、殺したことを後悔していない。でも、まほこはワタシを殺人鬼にしてしまったことを、すごく悔やんでいた。小説も全く書けなくなった。そんな時、まほこは手首を切って自殺をした。ワタシが目を離した少しの間に。田代の遺体は処理に困って、腐らないように大きな冷凍庫に入れておいた。まほこの死体は庭に埋め、お墓を作ろうと思った。でもその時、あることを思い出した。まほこがワタシに託していた願いのことを――

     カチ、とアオイが、マウスをクリックする。画面が切り替わると、まほこの顔がパッと映し出される。『アオイ、いい?』画面が縦に揺れる。アオイが頷いたらしい。どうやらこの映像は、アオイの目線で観たものを保存したデータらしい。まほこがテーブルの上で両の手を組み、こちらを見て朗らかに微笑んだ。
    『あのね、これを記録して欲しいの。もし、私に何かあったら・・・・・・たとえば病死したり、突然死したりしたらね。そうなったら、あなたにお願いがあるの。私にとって、小説を書くことが人生の全てだった。だから、最後までミステリー作家でいたい。もし死んでしまったら、私の死体をバラバラにして埋めて欲しいの。そのヒントを私の小説に挟んで、誰かに解いてほしいって思ってる。図書館にある本なら、誰でも見られるでしょ。きっと、ミステリー好きな誰かが気づいて、その謎を解いて、ここまで辿りついてくれるはずよ。これはずっと考えてきたことなの。私なりの謎を遺して死にたいって。これが私の願い。あなたにしか頼めない。アオイ、お願いしてもいいかな? そんな顔しないでよ。私はまだ死なないわよ。だって、書きたい話がたくさんあるもの。もし、死んでしまったらってこと。お願いできるかな?』
     画面が数回、震えるように動いた。まほこが目を細め、再び笑みを浮かべる。
    『ありがとう、アオイ。大好き。ずっと、私のそばにいてね』そこで、動画が停止する。画面を見ていたアオイが、くるりと向きを変え、漆黒の瞳をこちらに向ける。
    「芹澤まほことの約束を守るために、あなたは図書館の本に紙片を挟んだの?」
    「そうして、死体を見つけさせた。でも、見つかった死体は――」彼女の後に僕は言いかけて、口をつぐんだ。あのバラバラ死体はまほこではなかったんだ。じゃあ、あれはまさか――。
    「あの死体は田代。いくら、まほこのお願いであっても、まほこの死体をバラバラにするなんてワタシには出来なかった。だから、田代の死体を解体して、図書館の花壇に埋めた。まほこが遺してくれたノートを参考にして、ワタシはまほこのトリックを本に仕込んだ。変装していれば、誰もアンドロイドだって気づかない。図書館に入って、デッサンに紙を挟むことだって、いとも簡単だった」誇らしげにも見えるアオイの顔は、陽光を受けて銀色に輝いている。とても美しく、儚げに。
    「あんたは芹澤を襲おうとしていた田代を殺し、遺体をバラバラにして埋めた。頭はみつかっていない。ここに埋まっているのか? それにしても、いくら芹澤の願いであっても、人を一人殺してバラバラにするなんて、どうしてそこまで――」長谷部は唇を歪め、悲痛な面持ちのまま、再び銃口をアオイに向ける。
    「田代の頭部は、庭に埋めてある。ここまで誰かが辿りつけるための、まほこが考えたトリック。ワタシはもう満足。あなたたちが謎を解いて、ここまで辿りついてくれたから。まほこが死んでから、ワタシはここで小説を書き続けてきた。ずっと、まほこになりすまして。まほこが遺してくれたアイディアはワタシの頭の中に全て保存してあるから、いくらでも書くことができた。でも・・・・・・もう、限界だった。ここで、たった一人、まほことの楽しい思い出を思い出しながら、ずっと生きてきた。楽しかった思い出があれば大丈夫だって思っていたけれど、まほこがいないと意味がないんだって気づいた。孤独がワタシを蝕んでいった。もう、こんなのはやめたかった。止めてほしかった。だから、あなたたちには感謝している。ワタシを解放してくれた。果てのない孤独から。ワタシの犯した罪からも。まほこの最後の謎を解いてくれて、まほこの願いを叶えてくれて、ありがとう・・・・・・」テーブルに手をつき、ゆるりとアオイは立ち上がる。窓から吹きこんだ風が、レースのカーテンを優しく揺らす。哀しさが漂う部屋で、僕たちはただ立ち尽くし、動けないでいた。予想できなかった真相に、僕の頭も体もフリーズ状態だった。
     アオイは窓際に寄ると、窓ガラスを全開にし、窓枠に片足をかける。
    「まほこ、これでずっとそばにいられるね・・・・・・」窓の向こうに消えていく金属の身体。風が一気に吹き抜ける。遠いところで、重たい音が激しくとどろいた。金属の塊が弾けたような音。それが、アオイが地上に激突した音だって気づくのに数秒かかってしまう。あまりにもあっけない結末だったから――。
     一番に長谷部が動き、勢いよく部屋を飛びだして行った。僕たちは慌てて窓際に寄り、下を覗きこんだ。そこには、変わり果てたアンドロイドが横たわっていた。パチパチと火花を散らし、ところどころ白煙を上げている。焦げたような匂いが、風にのって僕の鼻先まで届いた。
     回路の故障なのか、『ずっと私のそばにいてね』というまほこの言葉が、沈黙した庭園の中、リピートし続けていた・・・・・・。

     ※ 

     あれから数日後、僕はまた図書館に来ていた。僕が隅っこの席で本を読んでいると、坂下さんが「広瀬さん、こんにちは」と声をかけてくる。あんなことがあって心配していたけれど、彼女は普段通り元気そうだった。
    「これ、広瀬さんが待ちわびていた新刊ですよ」と置いた本は、今話題になっているミステリーだった。非日常な出来事が起きるから、わくわくと胸を躍らせミステリーを読んでいたけれど、今回事件に巻き込まれたから懲り懲りしたわけではなかった。より一層僕は、ミステリーを好きになってしまったようだ。
    「ありがとう。これ、読みたかったんだ」僕が言うと、彼女は「私はもう読んだから、感想また聞かせてください」とふわっと微笑んだ。

     あの日、すぐ警察がまほこの家に到着し、長谷部の証言通り庭を捜索した。スノードロップの花の下から、田代の頭部が発見された。まほこの死体も回収され、パソコンも調べられた。残っていたのは書き途中の小説と、二人の思い出が詰まった動画だけだった。
     アオイの告白が全て、真実だったのかは分からない。たとえ、アンドロイドであるアオイが田代を撲殺して、死体を解体したとしても、何の罪にも問うことは出来ない。罪があるとしたら、下半身不随である無抵抗のまほこを暴行しようとした田代だろう。しかし、田代はもうこの世にはいない。まほこも、アオイも。アオイがどんな気持ちで、あの屋敷で一人、小説を書いていたのか。それを考えると、胸の奥がギュッと痛くなる。苦しくなる。どんな小説よりも今回の物語は、僕の心をつよく締め付け、ずっとずっと、胸の奥に残り続けるだろう。
    「広瀬さん、どうしました?」
    「あ、いや、何でもないです」
    「あ、あの、今日の夜って、予定空いてますか?」

     夜、七時半過ぎ。僕は今、閉館後の図書館の駐車場にいる。仕事終わりの坂下さんが来るのを、車の中で待っている。
     芹澤まほこに感謝をしなくては。いや、アオイになのか。司書の彼女と知り合えたのは、デッサンに謎を仕込んだ二人のおかげなのだ。柔らかな笑顔を思い浮かべながら、運転席でぐーっと伸びをする。緊張を解きほぐすように、もう一度伸びをした時、ガラスを叩く音が聞こえた。坂下さんだった。ロックを外すと、「お待たせ」と助手席のドアが開かれる。乗りこんだ彼女の腕が、こちらにスッと伸びてくる。首筋あたりに、細い針が差し込まれたような感覚がした。
    「ずっと、あなたが好きだった」その囁きと共に、目の前が闇色に染まっていく。
     砂袋みたいに重くなる身体。
     激しくのたうちまわる心臓。
     甘えたような声が、鼓膜をふたたび震わせる。

    「私のそばにいてね」
     
     (了)




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    #ミステリー小説部門

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