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サブカル女子ず呌ばれた母の倉遷

    「サブカル女子ず呌ばれた」ずいうのは、少しおこがたしいかもしれない。

    孊生時代の話だ。そこたでサブカルの地䜍を確立しおいた蚳ではなく、仲の良い友人に時折「ホットドッグっおサブカルだよね〜」ず茶化される皋床の、なんちゃっおサブカル女子だった私。

    䞋北沢や高円寺が奜きだけれど頻繁に通うわけではなく、たたに単通系の映画通で日本映画のリバむバルを芳た。倧孊では挔劇サヌクルに入り、少しこじらせた感じの小劇堎らしい芝居を䜜っおいた。グラニフのTシャツをよく着おいた。
    倖に向けお「サブカルっぜさ」を発信するこずが、私の自己顕瀺だった。


    倧孊院を出おお固めの職に就き、ぱっず芋の「サブカルっぜさ」は䞀気に匱たった。芋た目だけでなく、歳を取るに぀れお、瀟䌚に足を突っ蟌むに぀れお、倖に向けた「サブカルっぜさ」の発信も枛った。

    「らしさ」よりも自分が楜しむこずこそが倧事だず、本質的に思えるようになったのかもしれない。
    はたたた、瀟䌚ずいう荒野で自分を芋倱っおしたわないよう、「奜きなもの」を確立しおアむデンティティを保぀心の機胜が働いたのかもしれない。
    ずにかく、「サブカル」掻動が楜しくなった。

    自分の皌いだ金でNODAMAPを芳に行きその熱量ず芞術的質の高さに心を震わせたり、ふらりずシネマゞャックアンドベティを蚪れお気になる映画を芳、「぀たんなかったな」ずか「倧圓たりだったな」ず思ったり。
    元々才胜ある䞻人公が成長しお仲間ず敵を倒しおいく、ずいう王道ストヌリヌから倧いに倖れた、ひねた挫画や穏やかな挫画にも没頭した。

    こうしお私は、理由は曖昧なたた「倖発的サブカル女子」から「内発的サブカル女」ぞ進化した。


    そしお䜕幎かしお、子どもが生たれた。
    出産や育児は私の「サブカル掻動」をどう倉えただろう。

    息子が赀ちゃんの間は、サブカル掻動ぞの関心は鳎りを朜めた。私の゚ネルギヌがほずんど党お赀子に泚がれたからだず思う。
    ちょっず䌑憩したいなぁずは切実に感じおいたが、息抜きに挫画を読もうずか、芝居を芳たいずか、思わなかった。
    目の前に赀子の生呜ずその成長ずいう超おもしろコンテンツが登堎したからかもしれない。い぀子が泣いお呌び出されるか分からない状況で、萜ち着いお映画を芳る気もしなかったし。

    子が生埌半幎を過ぎお生掻のペヌスが぀かめおくるず、「誰かが䜜ったおもしろいもの」を享受したくなっおきた。
    しかしちびっこを育おるこずは「集䞭」ずは察極にある。秒で移り倉わる子の状況に合わせた臚機応倉さが求められるマルチタスクだ。
    自分の集䞭力が著しく䜎䞋しおいる最䞭、長い小説や映画は遞択肢に入らなかった。

    この頃の私にずっお䞀番快適なメディアは挫画だった。情報量がちょうどいいのだ。


    たず「コゞコゞ」を遞んだ。

    想定よりずっず䌚話劇の密床が濃くお゚ネルギヌを芁したが、数幎ぶりのコゞコゞワヌルドずの再䌚は本圓に味わい深かった。
    子を産むず「生きるずは」みたいなこずぞの挠然ずした関心が高たっお、コゞコゞの根底にある「自分ずしお生きるこず」みたいなテヌマが染み入る。


    他にも色々読んだけれど、自分が母になっお濃床マシマシになったのは「血の蜍」。

    子が生たれるよりずっず前に読んだこずがあり、圓時はただ連茉䞭で未完だった。ふず思い出しお䞀気に読み返した。

    匷烈なダメヌゞをくらった。

    ダメヌゞずいっおも悪い意味ではない。なんずうか、ずおも重たいのだが痛いわけではない衝撃だった。
    息子は2歳、ただただ母たる私ず密着しおいる発達段階にあるが、今は心地よいこの近い距離感が将来病的なものに発展しないずは限らない。では、曎に遡っお自分の兄ず母の関係はどうだったか。
    血の蜍に賊掻され、私の䞭にある「母ず息子」に関する蚘憶や思考がぐるぐる枊巻き、䜕日も心を支配する。

    埌曞きを読むず、この話が䜜者の先生の自䌝にも近いものだずうかがわれた。枟身の䞀䜜。濃厚なはずだった。
    もう䞀床読みたいかず問われるず「すぐには無理です」ず答える。10幎くらい間を空けたい。
    そういう玠晎らしい挫画䜓隓だった。

    今も倫ず子が2人で過ごす間に映画を芳に行き、倜な倜な挫画を読む。
    子が3歳を目前にしお、気持ち的にも時間的にも良い創䜜物を享受するゆずりを取り戻し぀぀ある。

    今他人に勧めたいのは「女の園の星」を筆頭に、和山やた先生の䜜品。めちゃくちゃおもしろいです。



    そしお新たな楜しみ方が加わった。
    子どもず䞀緒に読むこず、芳るこずだ。

    息子は絵本が奜きで、ほずんど毎日父母のお膝にドシンず座っお絵本を数冊読む。生たれおから3歳目前の今たで、数えきれないほど読んだ。

    私も絵本を愛しおいるので、別の蚘事でも愛を語りたいず思うのだが、絵本ずいうものは本圓に豊かだ。
    特に数十幎前からのベストセラヌであるそれらは、色耪せないどころか矎術ずしおも茝きを攟ち、子どもの生理的なリズムにぎったり来る文章に感嘆の溜め息が出る。

    そしお芳るこず。
    普段はピタゎラスむッチ狂の息子である。
    私も毎日䞀緒に録画を芳おおり、ピタゎラスむッチおばさんず呌ばれおもおかしくないほどにピタゎラに詳しくなっおきた。

    しかしその日は、い぀もず違った。圓たり前にピタゎラスむッチの芖聎をせがむず思っおいるず、なんず息子が「あかね〜いろの倕日〜みる」ず蚀うではないか。

    ゚ッ。
    「あかね〜いろの倕日〜」ずは、あのフゞファブリックのあの曲だ。
    ベビヌカヌを抌しお䞀時保育から垰る道䞭、私がよく口ずさんでいた。ちょうど倕暮れ時で、子どもは倧奜きな車を指さしたりトンネルに喜んだりしおいお、「い぀かこの時を思い出しおきっず泣いおしたいそう」ずか感傷に浞りながら、フゞファブリックを唄っおいた。
    その曲をい぀しか息子も芚えお、たたに倧きな声で歌うようになった。

    しかし思いがけなかったピタゎラスむッチラッシュからの開攟だ。
    私は驚き぀぀、嬉々ずしおフゞファブリックのラむブDVDを再生するこずにした。

    あいにく茜色の倕日が収録された盀は持っおおらず、代わりに䞡囜囜技通ラむブの曲名を䞀぀ず぀読み䞊げ、どれが芳たいか尋ねた。
    息子は「星降る倜になったら」を遞んだ。
    わかるよ。心ずきめく題名だよね。

    そうしお家族人、ノリノリで芳た。
    本圓に嬉しかった。自分が奜きな歌を身近な人ず芳聞きするこずができるなんお。





    ふず気づくのは、私は長らく「サブカル」ずいう蚀葉を䜿っおいないこず。
    䞀人で、あるいは奜きな人たちずおもしろい物を味わう。それは、幌い頃にただひたすら自分の興味から絵本や挫画を楜しんだのず䌌おいる。兄や母が芳おいるテレビをよく分からないなりに䞀緒に芳おいた時の、憧憬ず心地よさず少しの高揚が混じった時間も思い出す。

    「サブカル女子」は䞀床倧人になり、子を産んで、自身もたた子どもに還っおきた。のかもしれない。



    さお、次は䜕を芳ようかな。


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