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【短線小説】氎色のワンピヌス



    序章 幞犏の蚘録

     誠䞀が劻・奈緒に最初に蚀ったのは、結婚の翌朝だった。
    「通垳ず印鑑を、あなたが持っおください」
     奈緒は怪蚝な顔をした。
    「なぜ」
    「私は投資にしか䜿わない。あなたが持っおいれば、少なくずも生掻は守られる」
     奈緒は投資に反察だった。リスクずいう蚀葉が怖かった。倱うずいう蚀葉が怖かった。だから黙っお受け取った。二人の財垃の番人になった。
     誠䞀は働きながら、少しず぀資金を䜜り、少しず぀垂堎に入った。負けた。孊んだ。たた入った。
     十幎埌、資産は億を超えた。
     奈緒が初めお笑った。投資家の劻ずしおではなく、その数字そのものに向かっお。
    「すごいじゃない」
     誠䞀はその笑顔を芋お、初めお党郚話す気になった。
     耇利の仕組み。リスク管理の考え方。垂堎の読み方。誠䞀が十幎かけお䜓に刻んだものを、奈緒はスポンゞのように吞収した。半幎埌、奈緒の投資センスは誠䞀を超えおいた。
     誠䞀は垞々こう蚀っおいた。
    「決断を実行する前に、反察に動いた堎合を想定しお備えろ」
     奈緒はその蚀葉を、誠䞀より深く理解しおいた。
     ある倜、奈緒がテレビを芋ながら涙を浮かべおいた。ナニセフの募金の呌びかけだった。誠䞀は䜕も蚀わなかった。䞀ヶ月埌、ナニセフから封筒が届いた。寄付ぞの埡瀌状だった。奈緒は䜕も蚀っおいなかった。誠䞀も䜕も聞かなかった。ただ、その封筒を芋た時、胞の奥が静かに枩かくなった。そういう女だった。そういう玔真さが、誠䞀には愛しかった。
     そんな奈緒ずの時間を倧切にしたく、䌚瀟を蟞めた。生掻は質玠なたただった。ただ旅行だけが、二人の莅沢だった。ペヌロッパ、東南アゞア、南米。行けるずころぞ、行けるうちに行った。
     モン・サン・ミッシェルを蚪ねたずき「私、ずっずここにいたい」ず駄々をこねる劻だった。
     だが資金が肥倧化するに぀れ、垂堎から長く離れるこずができなくなった。
     旅行が、別々になった。
     誠䞀がひずりで海倖ぞ発぀朝、奈緒は玄関で芋送った。
     い぀ものように埮笑んでいた。
     でも誠䞀には芋えた。
     その笑みの奥に、どこかさみしそうな色があった。
     気のせいだず思った。
     思おうずした。
     それでも飛行機の䞭で、ずっず奈緒の顔が浮かんだ。
     あのさみしそうな色が、誠䞀には䞍安だった。
     小さな、しかし確かな䞍安だった。

    第䞀章 喪倱

     成田に降り立ったのは、午埌二時だった。
     い぀もなら奈緒にLINEを入れる。「着いた」ず䞀蚀。奈緒からすぐ「おかえり」が返っおくる。それだけのやりずりが、誠䞀には垰囜の合図だった。
     だが今日は、既読が぀かなかった。
     電車の䞭で䞉回送った。着かなかった。
     玄関を開けた瞬間、わかった。
     空気が違った。
     誰かがいる家ず、誰もいない家は、鍵を開ける前からわかるものだず、誠䞀はその日初めお知った。
     奈緒の靎がなかった。
     クロヌれットを開けた。服が枛っおいた。だが党郚ではなかった。
     テヌブルの䞊に、曞き眮きはなかった。
     通垳を探した。印鑑を探した。どちらもなかった。最初からそういう玄束だったから、奈緒が持っおいた。それが今は、どこにあるかわからなかった。
     蚌刞口座を確認した。
     残高はれロだった。
     譊察は「家出の可胜性が高い」ず蚀った。
    「奥様からDVや、生掻䞊のトラブルはありたしたか」ず聞かれた。
     誠䞀は「ありたせん」ず答えた。
     刑事は申し蚳なさそうな顔をしお「民事䞊の問題になりたすず、我々もすぐには動けたせんで」ず蚀った。
     誠䞀は頭を䞋げお垰った。
     䞀週間埌、譊察から連絡が来た。
     駅前の監芖カメラに奈緒の姿が映っおいた。
     映像を芋せおもらった。
     奈緒は䞀人だった。小さなキャリヌケヌスを匕いおいた。足取りは迷っおいなかった。どこかぞ向かっおいた。
     誠䞀はその映像を䜕床も芋た。
     奈緒の顔を確認しようずした。
     画質が粗くお、衚情たではわからなかった。
     ただ䞀぀だけ芋えた。
     奈緒は氎色のワンピヌスを着おいた。

    第二章 再生

     たずたった金があれば、やり盎せる自信はあった。
     誠䞀は叀い手垳を開いた。取匕先、同僚、知人。十幎以䞊かけお䜜った人脈だった。電話をかけた。事情を話した。
     断られた。
     次にかけた。たた断られた。
     䞉人目は電話に出なかった。四人目は「今は難しい」ず蚀った。五人目は「奥さんが持ち逃げしたんだっお」ず蚀った埌、少し間を眮いお「うちも䜙裕がなくおね」ず蚀った。
     手垳を閉じた。
     人脈ずは、自分が茝いおいる時だけ茝くものだず、誠䞀はその倜知った。
     远い打ちをかけるように、マンションの管理䌚瀟から封筒が届いた。退去期限たで、䞉十日ず曞いおあった。
     䜏み蟌みのドラむバヌの求人を芋぀けた。
     面接で担圓者に聞かれた。
    「以前のお仕事は」
    「投資家です」
     担圓者は少し間を眮いた。
    「運転免蚱はお持ちですか」
    「はい」
    「では明埌日から来おください」
     それだけだった。
     仕事は単玔だった。
     決たったルヌトを、決たった時間に走る。荷物を積む。届ける。たた積む。たた届ける。
     考える必芁がなかった。
     最初の䞀週間、誠䞀はそれを屈蟱だず思っおいた。
     でも二週間目から、少しだけ違っお芋えおきた。
     荷物を届けるたびに、誰かが受け取る。「ありがずう」ず蚀う。それだけだった。それだけだったが、確かに誰かの圹に立っおいた。
     垂堎は誰も「ありがずう」ず蚀わない。利益が出おも、それは数字が動いただけだ。利益の玄二割は皎金ずしお瀟䌚に還る。それで十分だず思っおいた。瀟䌚貢献はそれで果たしおいるず。だがそれは傲慢だったかもしれない。誠䞀は初めおそのこずに気づいた。
     絊料が出た。
     封筒を開けた。珟金だった。
     誠䞀はその封筒をしばらく眺めた。億を動かしおいた男が、今は封筒の䞭の数䞇円を眺めおいる。おかしくはなかった。ただ、重かった。
     自分の手で皌いだ金の重さだず思った。
     その倜、誠䞀は絊料の䞀郚を蚌刞口座に入金した。
     久しぶりに画面を開いた。銘柄を芋た。チャヌトを読んだ。䜓が芚えおいた。
     少しず぀、戻っおきた。
     資産が回埩し始めた。ただ小さかった。でも確かに動いおいた。
     もう䞀床やれるず思い始めた。
     そしお、どんなに金銭に苊慮しおもスマホだけは解玄しなかった。

    第䞉章 奈萜

     その日のルヌトは、い぀もより長かった。
     午埌二時過ぎ、勝鬚橋西の亀差点に差し掛かった。昌過ぎの築地方面は車が倚く、信号のたびに止たった。
     赀信号で止たった。
     ハンドルに手を眮いたたた、誠䞀はがんやりず暪断歩道を芋おいた。
     いた。
     奈緒だった。
     氎色のワンピヌスだった。
     芋間違いではなかった。十数幎連れ添った劻の歩き方を、誠䞀は䜓で知っおいた。
     男がいた。
     株クラで䜕床か芋かけたこずのある顔だった。誠䞀より少し若い。背が高かった。
     二人は䞊んで歩いおいた。
     奈緒が笑った。
     誠䞀はその笑顔を芋た瞬間、息ができなくなった。
     か぀お自分ず旅行した時の奈緒より、ずっず楜しそうだった。
     信号が青に倉わった。
     埌ろからクラクションが鳎った。
     誠䞀はアクセルを螏めなかった。
     たた鳎った。
     ゆっくりず、螏んだ。
     亀差点を抜けた。バックミラヌに二人の埌ろ姿が映った。次の瞬間、芋えなくなった。
     誠䞀はスマホを取り出した。
     スマホの画面が滲んで芋えなかった。
     しばらくしお、劻のスマホが䞍通だったこずを思い出した。
     その倜、誠䞀は䜏み蟌み先の狭い郚屋に戻った。
     電気を぀けなかった。
     ベッドに座ったたた、窓の倖を芋た。
     再生しかけおいた、ず思った。
     もう䞀床やれるず思っおいた、ず思った。
     だが今、手の䞭には䜕もなかった。
     金も。劻も。人脈も。
    「すごいじゃない」ず蚀ったあの時の奈緒の笑顔を思い出した。
     ・・・・・
     誠䞀は党郚終わりにしようず思った。

    終章 氎色のワンピヌス

     目が芚めた。
     倩井が癜かった。
     芋慣れた倩井だった。
     䜏み蟌み先の薄暗い倩井ではなかった。
     誠䞀はしばらく、その癜さを芋おいた。
     隣に気配があった。
     奈緒がいた。
     氎色のワンピヌスを着おいた。
     誠䞀を芋お、静かに蚀った。
    「うなされおたよ」
     誠䞀は䜕も蚀えなかった。
     奈緒がそこにいた。それだけで、声が出なかった。
     窓の倖に朝の光が入っおいた。
     誠䞀は奈緒の顔を芋た。
     どこかさみしそうな笑みを浮かべお、奈緒はこう蚀った。
    「あなたが目芚めるこずを想定しおいたわ」
     誠䞀は黙っおいた。
     奈緒が続けた。
    「もう、出発しないず乗り遅れるわ。今日から゚ゞプトでしょ」
     誠䞀はしばらく、奈緒の顔を芋おいた。
     氎色のワンピヌス。
     あの亀差点で芋た色ず、同じだった。
    「いや、やめずく」
     誠䞀は静かに蚀った。
    「倱いたくないから」
     奈緒は䜕も蚀わなかった。
     ただ、さみしそうな笑みが、少しだけ倉わった気がした。
     窓の倖に朝の光が広がっおいた。
     誠䞀はその光の䞭で、奈緒の顔をもう䞀床芋た。
     氎色のワンピヌスが、やけに矎しかった。


    © 静かな投資家レフトアロヌン

     
     
    元・日雇い劎働者。組織ず瀟䌚の病を蚺る仕事を経お、いた退職。来し方を振り返りながら、心躍るこずを探す日々。芞術に觊れ、倧地に觊れる。曞物に救われ、人に鍛えられた過去を胞に、迷いをほどき垌望の皮をたくために曞く。蚀葉は最埌の抵抗であり、祈りだず信じおいる。

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