
人を生かすも殺すも 最終話 人を生かすも殺すも
九割が辞めていくと言われた、うつ病の患者。
そんな僕が、ここまで来られた。これは、自慢じゃない。ただ、伝えたいのだ。人は、環境ひとつで、これだけ変われるんだ、ということを。
その僕が、ただ働けるようになっただけではない。成長して、同僚たちを追い抜いて、先に出世するまでになったのだ。
*
僕は、自分の身をもって、体験した。
同じ僕という人間が、潰れ、そして生き返った。
僕という人材を、殺した職場があった。
そして、生かした職場があった。
その違いは、僕の能力では、なかった。
もし、僕があのまま、最初の職場にいたら。たぶん今ごろ、僕はこの世にいなかったかもしれない。大げさじゃなく、本当に、そう思う。
だからこそ、伝えたい。あなたが今いる場所が、つらいなら。そこが、すべてじゃない。
職場の空気。上司や先輩の指導。育成計画。人間関係。そういうもので、人は育ちもするし、いとも簡単に、潰れもするということ。
*
この会社では、残念ながら、自ら命を絶つ人が、絶えない。会社を去っていく人も、絶えない。
そして、悲しいことに、聞こえてくるのだ。
去っていった人への、心ない言葉が。
「あいつは仕事ができんし、根性が足りない奴だった」
「最近の子は弱い」
そういう声が、どうしても、なくならない。
当時僕も思った「ただ、ただ自分が悪い」と。
でも、今の僕は、絶対に違うと思っている。僕は殺されかけたのだ。
あのとき、僕を追いつめた人たちは、たぶん、自分が人を追いつめているなんて、思ってもいなかっただろう。でも、追いつめられたほうは、死ぬほど苦しいのだ。
言ったほうは、忘れる。でも、言われたほうは、何年たっても、忘れられない。あの「嘘つき」のひと言を、僕が二十年たっても忘れられないように。
そして会社を辞めていった人たちは、追いやられたのだ。殺されたのだ。これは殺人なのだと。
もちろん、手を下したわけじゃない。法律で裁かれることもない。でも、人の心を、じわじわと殺していく。僕は、それを、殺人だと思っている。
*
僕は、まだ、人の上に立つ立場ではない。
でも、もし、いつか、そういう役職に就くことがあったら。
僕は、あのとき自分が受けた、あの手厚い指導を、今度は僕が、部下一人ひとりに返したい。
小さな目標を立てて。できたら、褒めて。感謝で見守って、信頼して。
僕が、あの職場でしてもらったことを、そっくりそのまま、返したい。
じっくりと、心を込めて、育てていきたい。
それが、僕にできる、たったひとつの恩返しだと思うから。
あのとき僕を救ってくれた先輩たちのように。今度は、僕が、誰かを救う番だ。
当時の僕は正しいと思っていた「聞くんじゃない。自分で調べろ」
二十年経って後輩ができ、ようやく分かった。
これは間違いだ。基礎知識もない新人に一人で調べさせるべきではない。
まずは先輩がやって見せるべきだ。その作業はなぜ必要なのか。失敗するとどうなるのか。過去にどんなことがあったのか。そうでなければ上っ面なことしか学ぶことはできないのだ。
そしてもう一つ分かった「聞くんじゃない。自分で調べろ」という人は、答えられない人だ。
後輩に聞かれた時の態度で、その人の人間性がよくわかる。こういうことを言う先輩とは付き合わないことだ。
後輩の冗談も受け入れられる。そんな先輩、そんな職場であることが人材育成には重要なのだ。
*
最後に、もう一度だけ、言わせてください。
僕がこの話を書いたのは、たったひとつの理由からです。
僕と同じ思いをする人が、一人でも減ってほしい。
それだけで、この話を書いた意味がある。つらかった日々も、むだじゃなかったと、思える。
あの苦しみにも、意味があったと、今なら、思える。
もし今、かつての僕と同じ場所で、苦しんでいる人がいるなら。どうか、覚えていてください。あなたが悪いんじゃない。あなたを生かす場所は、きっと、どこかにある。
今いる場所が、世界のすべてじゃない。僕が、あの先輩に、そう教えてもらったように。
そして、もし、誰かを育てる側にいる人がいるなら。あなたの何気ない一言が、人を殺すことも、生かすこともある。どうか、そのことを、忘れないでください。
人を生かすも殺すも、人次第。
ありふれた言葉かもしれない。でも、これは、僕が身をもって知った、本当のことだ。
これが、僕の、本当の話です。
うまく書けたかは、分からない。でも、嘘は、ひとつも書いていない。すべて、本当にあったことだ。
<了>