
トラウマの記憶
こんにちは。白緑(びゃくろく)です。
私のトラウマの記録を書きました。
トラウマ(EDMR)診療を開始後、書けなくなるかもしれないので覚書として残します。
分かりづらい表現があるかもしれませんが、こんなこともあるのだと一例として読んでいただけたら幸いです。
「PTSDだったんじゃないんですか?」
女性医師が言う。
私は呆気にとられた。
なんだ、その病名なら知っている。
それと同時に「やっぱりそうか」とも思った。
泣きたいんだか笑いたいんだかわからない心持ちだった。
病名をはっきりさせたい。
長年のモヤモヤを晴らすべく、初めて「精神科」をオンライン受診したのは1年前のこと。
「精神科」にかかることは私にとって最も避けたい事態だった。
面と向かってどんな精神疾患を言い渡されるのか、心から怯えていた。
以前から症状について相談していたカウンセラーの先生にも病名を尋ねてみたが、「私は医師ではないので診断はできません」と言われた。そこで意を決して精神科を受診すると、医師はあっさりと病名を告げてくれた。
受診時間は正味10分もなく、すぐに終了。
事前にメールで事細かに病状を説明済みだったうえ、私が「もう終わった症状」であり、「病名を聞く」以外を望んでいなかったのでとても早かった。
しかし、ただ答えてくれただけのことが、想像していたよりずっと心を軽くしてくれた。
スッキリした!と先生に感謝と感動を伝えたかったが、どうしてもぼろぼろ涙が溢れてくるからものが言えず、しばらく口を真一文字に結ぶしかなかった。
先生は何か言ってくれていたけれど、もうあまり耳に入らない。
「そうなんですね、わかりました。ありがとうございました」
私はようやっと早口で言葉を絞り出してから、そそくさとブラウザの画面を閉じた。
今思うとこれがトラウマ治療の小さな一歩だった。
ここまで来るのに30年以上かかった。
簡易的な診断だったワケだから信憑性に欠けるのかもしれない。
また、病名を知ったからと言って、何か変わるわけではない。
ただ、長年1人で抱え続けた不安に「名前」が付いただけで、こんなに安堵できるとは。
もっと早くこうすれば良かったのに、たったこれだけのことがどうしてもできなかった。
その日は、思うさまワンワン泣いた。
何の涙なのかわからないけれど、いいや、泣けばいい。
想像通りの大泣きをしたから、オンライン診療にして本当によかった。
泣くことを予想して、どすっぴんで受診に挑んだからまあいいのだけれど。
ぐちゃぐちゃの泣き顔で、電車に乗って帰るなんて冗談じゃあない。
★
先日、某野球監督が娘さんへの暴行容疑で逮捕(のちに釈放、不起訴処分)のうえ監督を辞任した。
「家庭内のちょっとしたトラブル」が表面化して辞任するまでに事態が発展してしまった、と監督辞任を復帰させるべく約13万筆の署名が集まったとニュースになっていた。
もちろん暴力は悪いことだけれど、娘さんも監督復帰を望んでいるということでこれほどの署名が集まったわけだ。
また、令和の今時らしく、AIに相談したうえで、児童相談所が警察に通報して事態が動いたという逮捕までの過程を報道で知って正直驚いた。
こんなに早く行政が対応するなんて。
相談者がまだ十代だったこともあるだろうけど、有名人だろうと忖度全くなしの前例が作られたかたちだ。
もちろん、逮捕までの過程に疑問点があることは否めない。
対応は迅速だったけれど行き過ぎだったのではないか?
家庭内の問題なのに、過剰反応だったのでは?
そんな反応が多く散見された。
まさか、父親が逮捕、失職となるまでは想像していなかったことだろう。
娘さんにとっては、自分が思っているより随分と大ごとになってしまったのだから、恐らく後悔しているのだろうか。
もはや気持ちを慮ることしかできないが、今回のことはとても大きな学びとなったに違いない。
家庭という小さな箱の中では、こんなことはよくある話なのかもしれない。
でも、どこまでが「家庭内のちょっとしたトラブル」で済む話なのか?
実際、声を上げていないだけで家族、もしくはパートナーからの暴力に耐えている人がどれだけいるのだろう。
私の母も、耐え続けた人だった。
私は「本人が声を上げる」こと自体は決して間違いではなかったと思う。
いつか、映画『マイノリティ・リポート』のように、AIが判断して犯罪者が逮捕される未来が来るのかもしれない。
飛躍した考えかもしれないが、AIが台頭してきた今、あり得ないことではない気がする。
人間はそれまでに声を上げるべき明確な判断基準を作り上げることができるのだろうか。
★
何がトラウマとなるかわからない。
トラウマとは複雑怪奇だ。
被害を受けた人間はもちろんのこと、それを見た人間も同様にそうなる可能性を秘めている。
私のトラウマのきっかけは、ある夜に両親の争いを見たことだった。
父は、怒りのスイッチが入ると手が出る人間だった。
その怒りの矛先が母に向くのを、何度も見てきた。
こんな場面を度々見てきたのに、あの夜のことは強烈に記憶に残り続けた。父の暴力が幼い私には受け止めきれないほど、それだけ衝撃的だったのかもしれない。
三歳の冬の夜、寝ていたところを派手な物音で起こされた。
居間から漏れ出ている光をたよりに、そっと物陰から、それを見た。
寝起きの目に、部屋の明かりがひどくまぶしかったことをよく覚えている。
とっさに「母を助けなければ」と思ったのに、目の前の光景がとても恐ろしく感じて、どうしてもそこから出ていけなかった。
しばらくじっとしていたが、やがて私はそこを離れた。
もそもそと自分の布団に戻り、大泣きしながらそのまま眠った。
この時の感情をどう言い表せばいいのだろう。
ただ、何かとても「してはいけないことをした」ような、
母を見捨ててしまったような、そんな気がしていた。
★
次の朝、目覚めた私は不思議なことに気づいた。
昨日見た光景が、鮮明な写真のように額(もしくは目の中)にピタッと貼りついたような、そんな感覚があった。
もちろん、視界に問題があるわけじゃない。
歌の歌詞に「まぶたを閉じると浮かぶ」ようなものがあるが、ちょうどそんな感じだった。
頭の中の写真は、表れ始めた当初はとてもはっきりとした輪郭があった。
当時の我が家の冷蔵庫、壁紙の色までワンセットでちらちらと浮かび上がっていた。
この頭のなかに見えるものは何なんだろう?
疑問に思ったけれど誰にも聞くことはなかった。
それからしばらくして、パニック症状が起こり始めた。
私の場合、昼間にこの症状が起こることはなく、決まって夜遅く、眠る時間帯に不定期に起こった。
夜遅くにしか症状が出なかったので、外出先などで予期不安に苦しむことはなかった。
毎日パニックを起こすわけではなかったが、幼い時ほど頻度が多かったように思う。それが成長するにつれ月1、2回程度までには少なくなっていった。
このパニックは三歳から十五歳まで続き、長い間私を苦しめ続けることとなる。
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幼い頃は怖い夢を見ていたように思う。
パニックで夜に起き出しては、母に一生懸命に不安な気持ちを説明していた。
話を聞いてほしいし、苦しさをわかってほしいし、助けてほしかった。
自分はどうしたというのだろう。
胸がざわざわして、苦しくて、とてもじっとしていられない。
また、この不安な気持ちには波があるのが特徴だった。
始まりは震えあがるような恐ろしく不安な気持ちだったのに、ある程度時間が経つとそれらの物事がまったく普通に感じて平気になるのだ。
子供心にこの気持ちの変化を奇妙に感じていた。
ついにある夜、母に「いい加減にしなさい」と叱られた。
一向に眠ろうとしない私に母はしびれを切らしたのだ。
ほとんどうろ覚えだが、話していた内容は当時観ていたセーラームーンのアニメの話などで、およそ不安と結びつかないような話だった。
不安を訴えているのに、なぜセーラムーンの話をチョイスしたのか?
我ながら謎だが、不安な気持ちが母に伝わっていなくても致し方なかったように今は思う。
私はひどくショックを受けた。
たった一度叱られただけだったが、それ以降、どんなに不安でも母に訴えることをやめてしまった。
叱られた時の母の目を見て、自分の不安、苦しさがまったく伝わっていないと分かったからだ。
これを契機に私はこのことは人に話してはいけない、と心に決めた。
このことは誰も助けてはくれない。
伝わらない、理解されない、叱られたのだから言ってもいけない。
全部我慢しなければいけない。
甘ったれに育った私のどこにそんな根性があったのかわからない。
とにかく決意してしまったので、その後三十代になるまで本当に誰にも言わなかった。
振り返るとどうしてあんなに固い決意ができたものかと不思議だったが、
今思えば、理解されない、絶望にも似た気持ちをもう一度味わいたくなかっただけだったと思う。
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幼い頃の私にとってパニック(不安)は名前を知らない奇妙な友達のようだった。
振り返るといつもピッタリとすぐ後ろにいて、近すぎるから姿が見えないようなそんな存在だったように思う。
三歳の頃からずっとそばにいるから、当然「いつもそこにある」もののような…不思議と、自然にそういうものだと受け入れている部分があった。
しかし思春期の頃になると、パニックに対する感覚が少しずつ変化していって、「いつもそこにある」分からないことだらけの不安感が薄気味悪くなり、「自分はおかしいのではないか」と自分のアイデンティティへの強烈なコンプレックスとして成長していた。
自分の心の弱さがあるから、奇妙な夜だけのパニックがあるのではないか。
心に不安を抱え続ける自分に、自己肯定感はどんどんと低くなっていた。
中学生になる頃には、夜に眠れないことが恐怖に繋がり、いろんなことの思考がぐるぐると頭の中を回りパニックを起こすようになっていた。
不安なイメージが車輪のように激しく回って思考が追い付かなくなってしまうのだ。
この時期には自分のようなパニック症状が周りの友人にはないことに徐々に気づいていた。
当時、すでに身近にインターネットはあったが調べる勇気はもちろんなく…
何もないような顔をしていても「パニックの時にもし正常に戻れなくなったら? 永遠に続いたらどうしよう」といつも本気で心配していた。
★
私のパニック症状は突然終わった。
高校入学直前のある夜にそれは起こった。
普段と何一つ変わらなかった。
パニック発作が始まり、いつものように苦しかった。
普段はしばらく5~10分ほどはこの状態が続くのだが、この夜は違った。
パニックが始まりしばらく経った後、突然、ドンッと体に衝撃を受けたような感覚があった。
驚いて、目を見開いた。
この時初めて、パニックの強制終了のような現象が起きたのだ。
まるで溺れていたのを引っ張り上げられたように、普通に息ができるようになっていた。
決してオカルトやスピリチュアルな表現をしたいワケではない。
ましてや私にはまったく霊感はないのだ。
とにかくありのままに表現すると、このように終わった。
この時は、まるで信じられなかった。
初めての異変にあっけにとられていたけれど、
とにかく、嬉しくて嬉しくて一人で喜びを噛みしめていた。
終わった要因を色々考えたけど今だによくわからない。
大人になった(十五歳が昔の元服の年齢)からかもしれない。
俯瞰で物事を考えるように努めたからかもしれない。
三歳の時にはっきりと目に焼き付いた光景も、十五歳までに輪郭がにじむように色褪せておぼろげに変わっていた。
不思議なことに、この夜を契機に夜だけに起こるパニック症状はまったく起こらなくなった。
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後に残されたもの
症状はもう出なくなったが、ここで終わりではなかった。
その後の私は、パニックのことを忘れて「普通」に生きようと努めた。
学生生活を精いっぱい楽しみ、
20代は仕事も恋愛もそれなりの紆余曲折を経て、
30代で占いに出会って趣味が高じて占い師にまでなった。
占い師活動を通して沢山の知見を得て、
トラウマを全て解消できていないことに気づき、
立ち止まることを選び今に至る。
占いで沢山のことが救われたが、
占いだけでは掬い上げられないことがあったのだ。
1年前に勇気を出して自分の中の不安に名前を付けることができた。
今になって、ずっと昔に置いてきた、目をそらし続けたものと、
やっと向き合おうとしている。
まだ、どうなるのかわからない。
今後受けるトラウマ治療が素晴らしいものになることを願って、
記録をここでいったん終わらせる。
長文を読んでいただきありがとうございました。