返事が来ないと不安になる|無音は、本当に無音ではなかった
こんにちは、ゆきのです。
電話の向こうで、声が止まることがあります。
こちらの言葉を、相手がどう受け止めたのか。
その手がかりが、何もないまま数秒が過ぎていきます。
「もしもし」ともう一度、声に出しそうになるのを、そのたびに止めています。
面談室であれば、まだ違います。
黙っていても、目の動きや、膝の上の指先の揺れで、その沈黙の輪郭が、少しだけ見えることがあります。
でも電話には、それがありません。
見えるものは、何もありません。
聞こえているのは、何もないはずの、空気だけです。
ある夜、支援している方から、電話がかかってきました。
「もう、無理かもしれません」
そう言ったきり、声が止まりました。
「大丈夫ですか」と訊きかけて、やめました。
訊けば、「大丈夫です」としか返ってこない気がしたからです。
だから、何も言わずに、電話を耳に当てたまま、待ちました。
時計を見たわけではありませんが、ずいぶん長く感じられました。
電話が切れてしまったのかもしれない。
そう思って、画面を確かめかけた、そのときでした。
かすかに、息を吸う音がしました。
それから、椅子がきしむような、小さな音。
遠くで、テレビの音が続いているのも聞こえました。
言葉はありませんでした。
でも、その方は、まだそこにいました。
無音だと思っていた数秒のあいだにも、本当は何も止まっていなかったのだと、そのとき気づきました。

面談室の沈黙には、同じ部屋にいるという確かさが、こちらにも残ります。
でも電話越しの沈黙には、それがありません。
声だけが頼りだから、声が止まると、その人ごと消えてしまったような気になります。
けれど、声がなくても、物音は残っていることがあります。
呼吸の音。
椅子のきしみ。
遠くで動いている、生活の音。
それは、その人が今もそこで、日々を続けている証拠でもあります。
言葉を返せない夜があっても、いなくなったわけではありません。
電話の向こうで、まだ息をしている。
それだけのことを、耳で確かめられた夜でした。
今も、電話越しの沈黙に出会うと、まず耳を澄ませます。
言葉を待っているというより、その人がまだそこにいる証拠を、探しているのかもしれません。
ゆきの

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