待つだけの時間は無駄じゃない|生地は、布巾の下でちゃんと動いている
こんにちは、ゆきのです。
朝、パン生地をこねて、ボウルに入れました。
まだ日の低い時間でした。
打ち粉をした台の上で、生地をこねているうちに、はじめはざらついていた表面が、少しずつなめらかになっていきました。
丸くまとめて、ボウルの中に置きます。
台所には、まだ薄く粉のにおいが残っていました。
濡らした布巾をかけて、暖かい場所に置きました。
あとは、発酵するのを待つだけです。
一次発酵の目安は、一時間から一時間半。
レシピの隅に、そう書いてありました。
十五分も経たないうちに、布の下が気になり始めました。
ちゃんと膨らんでいるだろうか。
温度は、足りているだろうか。
今のうちに一度だけ確かめておいたほうが、あとで安心できるのかもしれない。
布の端に、目が止まりました。
少しだけめくって、また戻す。それくらいなら、大丈夫かもしれない。
そんな考えが、頭の中を通り過ぎていきました。
でも、そのままにしておきました。
めくるたびに生地の表面が乾いてしまうと、レシピの注意書きにあったからです。
見なくても、生地は進んでいるはずでした。
進んでいるはずのものを、見ないままでいることが、思っていたよりも難しい。
そのことに、その朝、はじめて気づきました。
台所の椅子に座って、しばらく息だけを数えていました。
吸って、吐いて。
時計を見て、また目をそらす。
そのあいだにも、ボウルの中では、何かがゆっくり動いているはずでした。
見ずに待っているその時間の中で、以前の仕事のことを思い出していました。

誰かが、自分の中で何かを決めようとしている時間があります。
引っ越しをするかどうか。
今の暮らし方を変えるかどうか。
今の関係を、続けるかどうか。
相談の仕事をしていると、そういう時間に、何度も立ち会います。
答えが出るまでには、数日のこともあれば、数週間かかることもあります。
急かしても、答えが早く出るわけではないと、頭ではわかっていました。
それでも、まだ迷っている段階の人に対しては、様子を見に行かずにはいられませんでした。
「その後、どうですか」と直接尋ねる代わりに、
会うたびに、表情や姿勢の変化だけを、確かめる。
一度だけではありません。
会うたびに、同じことをしていました。
何日か会えない時期が続くと、次に会うときの相手の表情を、
いつもより注意深く見てしまう。そういう癖が、自分の中にありました。
悪気があってしていることではありません。
気にかけているからこそ、様子を見に行きます。
ただ、確認したあとの顔つきを見ていると、
少しだけ違う二種類の人がいることに、気づいたことがあります。
相手の言葉を聞いて、安心する人。
そして、相手の言葉の中身よりも、
確認できたという行為そのものに、ほっとしているように見える人。
自分が、後者に近いことに気づいたのは、ずいぶん後になってからでした。
台所の椅子に座りながら、そのことを思い出していました。
生地の様子を確かめたいという今朝の気持ちと、あの頃の自分は、
どこか同じ形をしている気がしました。

何もしていない時間は、苦しいものです。
役に立てているという実感が、そこにはないからです。
相手と関わっているという感触が、時間が経つほど薄れていく気がします。
だから、確認という行動を差し挟みたくなります。
様子を見に行くことで、まだここに関わっているという実感を、取り戻そうとする。
一度確認すれば、その日はいくらか安心して過ごせました。
でも翌日になると、また同じ落ち着かなさが戻ってくる。
確認は、その場しのぎにしかならなかったのだと、あとになって気づきました。
それでも、確認をやめられませんでした。
少しでも落ち着けるなら、それで十分だと思っていたからです。
確かめたい気持ちは、心配とよく似た顔をしています。
でも、少しだけ手触りが違います。
心配は、相手の方を向いています。
確かめたい気持ちは、いつのまにか、自分の方を向いていることがあります。
布の端に、また目が向きました。
めくりたい、という気持ちに、気づいていなかったわけではありませんでした。
うっすら気づいてはいたのです。
ただ、それをはっきり見ようとはしませんでした。
見てしまうと、心配していたつもりの行動が、
自分のための行動だったことになってしまう気がしていたからです。
気づいていなかったのではなく、気づかないでいたのだと、今はわかります。
はっきり見てしまえば、確認をやめなければならなくなる。
そうなることを、どこかで避けていたのだと思います。

心配していたのは、本当のことでした。それは嘘ではありません。
でも、心配のとなりに、もうひとつ別のものが座っていました。
見守っている実感が、欲しかったのだと思います。
どちらも、本当でした。
相手を思う気持ちと、自分の落ち着かなさをなだめたい気持ちは、
同じ場所に、並んで座っていました。
そのことに気づいたのは、確認せずに一日を終えられた、ある日のことでした。
朝、いつもの時間に目が覚めて、いつものように連絡を確認しようとして、
その手前で止まりました。
今日は、様子を見に行かない。
そう決めて、その日はそのまま過ごしました。
声もかけず、様子も見ず、ただ一日が過ぎていきました。
特別なことは、何も起きませんでした。
何度か、気にかかる瞬間はありました。
それでも、今日はこのままにしておく、とそのたびに思い直しました。
確認しなかった時間のあいだ、相手の中で何が動いていたのかは、わかりません。
わからないままでいることに、耐えられるかどうか。
あの日、試されていたのは、たぶんそれだけのことでした。
一時間半が経って、台所に戻りました。
布をめくると、生地は思っていたより大きく膨らみ、表面には張りがありました。
台所には、朝よりも少し強く、生地のにおいがしていました。
見ていなかった時間のあいだにも、それはちゃんと進んでいたのです。
待つことは、何もしないことと、同じではありませんでした。
見ないままでいることも、ひとつの関わり方だったのだと、今は思います。
布巾をかけたまま、しばらくそのままにしておく夜があってもいい。
進んでいるかどうかを、確かめなくても。
ゆきの

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