私のキャリア② 職業訓練校で日商簿記2級からの会計事務所クビ
前回までのあらすじは以下。
第2新卒のわるあがき
公務員試験に落ちたのが、9月だった。いわゆるC日程の市役所の選考結果がそれくらいに発表される。そして、自分が会計事務所に入所したのは、翌年の3月だった。
当然のことながら、その間の半年、何もしていなかったわけではない。ハローワークに通って、普通に就職活動をしていた。
ハローワークのあの殺伐とした雰囲気はいまだに忘れられない。公的な施設特有の寂れた雰囲気に、哀愁漂う求職者たち、事務的な対応の職員たち。あの場所に名づけるなら「グッバイヒューマン」がお似合いだ。
初めての就職ということもあり、求人を選り好みしていた。経理職オンリーに絞り、手当たり次第に応募していたが、箸にも棒にも掛からぬ結果であった。経験者ばかりを歓迎しているが、経験する場所がない。そんな魔のスパイラルを肌で感じた。当方持っているのは日商簿記3級だけで、実務経験もない。持ち前の明るさやサークルのリーダー経験もない。
企業サイドも、新卒で立派な人間がいるのに、あえて傷物の第2新卒を採用するメリットがない。今思えば、当然といえば当然だった。
経理職ばかりに応募して、落とされ続けるうちに、だんだん焦りが生じて迷走していった。入る気もない小さな製造業の品質管理の仕事や、置き薬の営業にも応募して、内定をもらったこともある。
絶望的な状況にいたせいか、やりたくもない仕事の内定が一筋の蜘蛛の糸に見えて、一瞬心が揺らいだがどちらも辞退した。数年後、いずれの会社は廃業していた。ほんとにこっちの世界線を選ばなくてよかった。
焦らず、遠回りに見える道を選んだのは、結果的に正解だったのだと思う。
職業訓練校の思い出
このままでは埒が明かないと思い、国の職業訓練に申し込んだ。現役税理士から日商簿記2級を教えてもらえるコースで、いくつかの条件を満たせば受講料は無料、月8万円ほどの補助金ももらえた。半年弱、そこに通った。
都会の税理士事務所に、老若男女15人くらいが集められての授業だった。本来は社会人向けのコースで、自分は圧倒的に最年少だった。他のメンバーはそれなりに高学歴の30代の人が多かったが、営業で挫折した人や、どこか自信をなくしている人が目立った。おそらく経理なら専門職だし、のびのびやれるだろうといった魂胆で通っていたのだろう。
短い期間だったが、いろいろな人種と触れ合えて、勉強になった。
翌年2月に、日商簿記2級にめでたく合格した。会計事務所への就職を見据えて、それまで続けていたとんかつ屋のバイトも同時期に辞めた。3月には、会計事務所に採用が決まった。半年かけたプランが実を結び、とんとん拍子でようやく次の場所が見つかった。
とはいえ、会計事務所は大抵ブラックなので、数年耐えたら、実務経験を携えて、普通の企業の経理に転職する未来を描いていた。
会計事務所入所からの即刻クビ
所長と所長夫人、社員4人の零細会計事務所だったが、嬉しかった。のちにわかることだが、みな税理士の卵だからなのか、プライドがすこぶる高かった。学歴や持っている資格の数で人を判断しており、自分とは違う人種だと感じた。
ただ当初から15時には所長夫人とお茶をする時間が設けられていたり、事務所のありとあらゆるところに監視カメラが仕掛けられていたりと、一風変わった場所だなと思った。
1番気になったのは、自分が入所したその日、隣の席のお兄さんが所長から退所を告げられていたことだった。
そして、1ヶ月、自分がクビになった。
理由は、今もわからない。何か大きな失敗をした自覚もない。ただ入社して一か月経った日の朝礼で「明日から来なくてもいい」と告げられた。
半年かけて取った資格も、半年かけてやっと決まった仕事も、たった1ヶ月で終わった。
退所するときに一か月分の給与と、所長からの手紙が入っていた。「これから先の人生は長い、へこたれずにがんばれ」みたいなメッセージが手書きで書かれていた。クビにしておいてよく言うが、このくらい図太くないとあの傍若無人な振る舞いはできない。
事務所でもらった付箋やボールペンとともに、帰りに寄ったコンビニのごみ箱に突っ込んだ。
最近この会計事務所の評判をネットで見たら、「権利者の申請により削除されました」ばかりでどこか懐かしい気持ちに。あの所長ならやりそう。
理不尽な退職を余儀なくされて、また振り出しに戻っただけだった。ただ前回と違い、バイトも辞めているので、ニートというジョブについた形となる。
振り出しを通り越して、マイナスでのリスタートとなる。
