
フラペチーノを一瞬で飲み干す人が、不思議だった。
こんにちは。ホシノです。
暮らしをただ消費しない生き方を目指しています。
「スタバに行ったら何飲みます?」
すべては、
通っているピラティススタジオでの
何気ない会話から始まった。
「フラペチーノ、
すごい速さで飲み干す人いますよね」
「いや〜わたしにはできない。もったいない」
スタバのフラペチーノを一瞬で飲み干す人は、
一体どんな気持ちなんだろう?
わたしにとっては高価なドリンク。
時間をかけてゆっくり味わいたいと思っている。
一瞬で飲み干す人にとっては、
特別なものじゃないのか?
喉が潤えばいいのか?
甘いもの欲が満たされればいいのか?
一体どんな心理なんだろう。
ただのフラペチーノの話だったはずなのに。
気づけば、
「今を味わうとはどういうことか」
なんてことまで考え始めていた。
同じものを飲んでいても、
体験しているものが違う
「せっかくなら味わいたい」
「特別感をちゃんと感じたい」
「時間ごと楽しみたい」
わたしはこんな感覚が強い。
じゃあ、すぐに飲み干す人は
どんな感覚なのか。
ちょっと想像してみた。
「喉が渇いていて早く飲みたい」
「溶ける前にベストな状態で飲むのが美味しい」
「スタバが日常化していて特別感が薄い」
「そもそも食べる飲むのスピードが速い」
などなど。
わたしは、ゆっくり味わうことが、
楽しむことだと思っていた。
でも、考えてみると、
飲むスピードが速いからと言って、
味わってないってことではないんだと気づいた。
一気に飲むことで、
美味しさのピークを逃さず体験したい人もいれば、
ゆっくり飲むことで、
体験を長く感じていたい人もいる。
今をどう楽しむかには、色んな形がある。
そして、こんな人もいると思う。
「写真を撮れたら満足」
カフェに行ったら、
食べたものや飲んだものの写真を撮る。
SNSに投稿するために。
後から見返すために。
もしかしたら、
フラペチーノの価値が
「飲む」ことじゃなくて、
「撮る」ことになっていることもあるのでは?
ふとそんな疑問も浮かんできた。
写真を撮るとき、人は未来を見ている
写真を撮ると、安心する。
「よし、これで残せたから大丈夫」
そんな風に思うことがある。
でも、なにが大丈夫なんだろう。
後から見返せるから?
忘れても思い出せるから?
写真って、視点が今じゃなくて、
未来なんだと思う。
今この瞬間を残したいのは、
未来の自分のために保存したいから。
でもそれって、
「今のこの体験を、通り過ぎてない?」
と感じてしまうこともある。
今を味わうのが苦手なのかもしれない
考えてみれば、日本人の感覚って
未来が視点なことが多い。
将来のために我慢して勉強する。
老後のために貯金して備える。
だから、今この瞬間に没頭するのは
ダメなことのような気がしてしまう。
旅行に行っても、
楽しむことより、
「ちゃんと写真撮っとかなきゃ」
になったりする。
なんだか、
「幸せを味わう」より
「幸せだった証拠を残す」ことへ
意識が傾いているような気がする。
幸せを保存する時代
もちろん、
記録すること自体が悪いわけじゃない。
わたしも、
美味しいものや綺麗な景色の写真を撮る。
忘れたくない。
思い出に残したい。
そう思う。
でも、未来のために今を保存し続けると、
「今を生きる」より、
「今を管理する」感覚が強くなる。
後で見返すことも大事だけど、
今ここで感じきることは、
もっと大事なんじゃないか。
こんな風に考えてしまうから、
わたしはフラペチーノを
ゆっくり飲みたくなるんだと思う。
消えてしまうもの、通り過ぎていくものに
わたしはいつだって小さく抵抗しているような。
そんな気がした。
𓂃𓂃𓂃𓂃𓂃𓂃𓂃𓂃𓂃𓂃𓂃𓏸𓈒🧋
「消えてゆくのになぜ
ただ忘れたくない思い出を増やすのだろう」
大好きな曲の歌詞。
なぜなんだろうって、ずっと考えてた。
この話は、また次回…📷🫧