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ひとりじゃないのに孤独だったのは、そこに"私"がいなかったから

    ひとりじゃないのに、なんでこんなに孤独を感じてしまうんだろう。
    ずっと、わからなかった。

    家族はいる。
    会話もあるし、どこから見ても普通の、仲のいい家族。
    雰囲気が悪いとか、そういうことでもない。
    みんな、笑ってる。

    なのに、幼少期からずっと、孤独感が付き纏ってた。
    その正体が、この間やっと腑に落ちた気がする。

    孤独って、ひとりでいることじゃなかった。

    じゃあ、なんだったのか。

    私なりに、たどり着いた答えを書いていく。

    ◉ 精神的な孤独って、なに?

    孤独には、二種類あると思う。

    ひとつは、物理的な孤独。
    これはわかりやすい。
    ひとりでいる。自分の周りに人はいない。
    孤独をイメージするとまず思い浮かぶ光景である。

    でも私がずっと味わってたのは、こっちじゃなかった。

    家族がいて、会話があって、ひとりじゃないのに、孤独。
    私を苦しめてたのは、もうひとつの孤独のほう。

    人といるのに、通じない。
    会話してるのに、繋がらない。
    理解されない。
    感覚が、合わない。

    しゃべってる量は、むしろ多いくらい。
    でもどれだけしゃべっても本当のところは、なにも通じてない。

    子どもの頃から、ずっとこれだった。

    たとえば、家族で話しているとき。
    母や、きょうだいや、親戚。
    みんなで、わいわい話してる。

    でも、私の番になると。
    一瞬、時が止まる。

    私の話には、あまり触れられないまま、
    すっと、次の話題に移っていく。


    小学生の頃には、もう、はっきり感じてた。
    ——あ、私の話は、ここでは止まるんだ、って。


    高校生になった、ある日。
    母と話していたら、こう言われた。
    「あんたの話は、理屈くさい」

    その先は、もう、取り合ってもらえなかった。

    家族の輪の、ど真ん中にいても
    私だけ、ひとりだけ別の部屋にいるようだった。

    あの苦しさは今でも覚えてる。

    つまり孤独の正体って、人がいないことじゃない。

    共鳴が、ないこと。

    この感覚を、生まれて初めて言葉にできた時。
    胸の奥が、ふるえた。

    でも、ここからもう一歩、奥があった。

    なんで私は、誰とも共鳴できなかったんだろう。
    それをずっと考えてて、ある時ハッとした。

    共鳴って、お互いの"好き"が触れ合った時に、起きるんだ。

    好きな音楽。
    好きなもの。
    心が動くポイント。

    それを見せ合えた時に、はじめて「わかる!」が生まれる。

    "好き"だけが、つながる理由じゃないのかもしれない。
    でも、"好き"でつながるときのあの感じは、
    やっぱり、他とはちょっと違う気がする。

    ……でも私、それをずっと、隠してきた。
    自分の"好き"を、人に見せてこなかった。

    共鳴のタネを、自分から、ぜんぶ握りつぶしてた。

    じゃあ、なんで隠すようになったんだろう。


    ◉ なんで"好き"を封印するんだろう

    私の場合、たぶんこういう順番だった。

    人は、こうやって"好き"を手放していく。

    好きなものを持つ。
    ↓
    理解されない。
    ↓
    否定される。
    ↓
    傷つく。
    ↓
    "好き"が、危険なものになる。
    ↓
    隠す。
    ↓
    忘れる。
    ↓
    やがて、感じなくなる。

    これは、結婚していた頃の話。

    たとえば、音楽。

    当時夫と、ひとつルールがあった。
    「運転する人が、音楽を選んでいい」。

    その日は、私がハンドルを握ってた。
    だからお気に入りの曲を、何度もリピートしてた。
    好きな曲が車に流れてる。
    それだけで、ちょっと幸せだった。

    でも、私が少し車を離れて、戻ってきたとき。
    曲は、夫の好きなものに変わってた。

    「え、今日は私が運転だから、私の番だよね?」

    そう言った私に、夫は言った。
    「何度もかけてて、飽きたよ。」

    そして、後ろに乗ってた子どもたちにも、こう聞いた。
    「飽きたよね? 変えたいよね?」

    子どもたちが、うなずく。

    その瞬間、車の中で、私だけがひとりだった。
    味方が、誰もいない。
    ただ、好きな曲を流していたいだけだったのに。
    自分の"好き"が、その場でいちばん邪魔なものになった気がした。

    音楽だけじゃなかった。

    お店で「美味しいね」って言いかけた瞬間、
    夫は「なんだ、この不味いものは!」と店員さんを呼んだ。

    私が美味しいと思って作った料理に、目の前で、黙って味を足された。

    そのたびに、私は思った。
    ——私の感覚が、おかしいのかな。

    これを、何回も繰り返す。

    すると最後には、こうなる。

    「好きなものが、ない人」

    でもね。ほんとは違うんだよ。
    好きが、ないわけじゃない。
    好きを感じると苦しいから、封印しただけ。

    なんで、苦しかったんだろう。
    ずっと言葉にできなかったけど、今ならわかる。

    私にとって"好き"は、いつも「否定される」とセットだったんだ。

    好き、って思った瞬間に。
    体が、勝手に身構える。

    「また、わかってもらえないんじゃないか」
    「また、変だって言われるんじゃないか」
    「また、ひとりになるんじゃないか」


    好きを感じる=心をひらく、ってこと。

    だって、"好き"には、理屈がないから。
    この曲が好き。
    なんで?って聞かれても、うまく説明できない。
    ただ、心が動くだけ。

    理屈で、守れないんだ。

    だから"好き"を見せるって、
    いちばんやわらかいところを、そのまま差し出すこと。

    ひらいた心は、やわらかい。
    そこを否定されると、まともに刺さる。

    だから好きを感じるたびに
    傷ついた記憶のほうが、先に立ち上がってくる。

    ワクワクするはずの"好き"が
    いつのまにか、痛みの合図になってたんだ。

    だったら、感じないほうが楽。
    期待しなければ、裏切られない。

    そうやって、心をひらくスイッチごと、切っちゃったんだと思う。

    自分を守るために、"好き"を遠ざける。
    それは、気づかないうちにやってしまっている
    よくある方法なのかもしれない。

    でも、その"好き"を遠ざけることこそが、
    実は、自分を一番苦しめてるのだ。


    ◉"好き"を隠すと、なんで孤独になるのか

    "好き"って、なんだと思う?

    私はね、"好き"は自分の世界そのものなんだと思う。

    好きな音楽。
    好きな映画。
    好きな人。
    好きな服。
    好きな価値観。
    好きな笑いのツボ。
    好きな空気感。

    これらが全部、「私という世界」をつくってる。
    つまり、好き=世界観。

    その世界観を封印すると、どうなるか。

    自分を、表現できなくなる。
    すると、人と繋がれなくなる。
    だって、繋がるためには、本当の自分が必要だから。

    本当の自分を隠したまま繋がろうとしても。
    繋がれるのは、仮面だけ。

    相手はいる。
    会話もある。
    でも、繋がらない。

    これが、精神的な孤独。


    順番にするとこういうことなんだと思う。

    好きを封印する。
    ↓
    本音を封印する。
    ↓
    世界観を封印する。
    ↓
    自己表現が止まる。
    ↓
    理解されない。
    ↓
    繋がれない。
    ↓
    孤独。

    つまり、孤独の原因は。

    人がいないことじゃなくて。
    自分が、いないことだったんだ。


    ◉「好みがない」の正体

    私が独身時代、よく言ってたことがある。

    「私には、好みがないんよね」
    「私は、ストライクゾーンが広いんだよね」

    って。

    好きなタイプがわからない。
    これといってない。
    誰でもいいわけじゃないけど、ピンとくる基準もない。

    本気で、そう思ってた。あの頃は。

    でも今ならわかる。
    好みが、なかったんじゃない。
    好みを、認めてなかっただけ。

    理由は、シンプル。

    私の好みが、マニアックだったから。
    説明したとしても、人に理解されなさそうだったから。
    変だと思われそうだったから。

    だから、無いことにしてたし
    見ないようにしてたんだと思う。

    でもほんとは、惹かれるポイントがちゃんとあった。

    でも、それを口にしたら

    「え、そこ?」
    「変わってるね」

    って言われそうで。

    だから、「好みがない」ってことにして、ぜんぶ引っ込めてた。

    それに、もうひとつ。
    逆のパターンも、あった。

    みんなが「好き」って盛り上がってるものに
    昔からどうしても、乗れない私がいる。

    子供の頃、キムタクが流行り、ドラマならラブジェネが流行ってた。
    学生時代、あゆが絶大な人気でカリスマだった。
    学校の話題はそれが中心だったし、まわりはみんな夢中だった。

    でも私は、どうしてもそれらにハマれなかった。
    「いいよね」って話を合わせるものの
    正直、心の中では、ぜんぜんピンときてない。

    なんで私だけ、これを好きになれないんだろう。
    と焦った。

    私、感情がどこか欠けてるのかな、って。
    私がおかしいのかな、って。

    自分の好きは、マニアックだからって隠して。
    でもみんなの好きには、どうしても乗れなくて。

    気づいたら、私の"好き"は、どこにもなかった。

    好みを引っ込めてるうちに、私はこう思いはじめた。

    ——どうせ、そんな人があらわれるはずがない。
    ーーどうせ、こんなこと叶うわけがない。

    自分が何に惹かれるかも言えないのに。
    そのマニアックな感覚に、ぴったりハマる人なんて。
    ぴったり叶うことなんて
    出てくるわけ、ないよね、って。


    だから、最初から諦めてた。
    探すことすら、やめてた。

    でも、順番が逆だったんだ。

    相手があらわれないんじゃない。
    願いが叶わないわけじゃない。

    私が、自分の"好き"を消してたから。
    「私はこれが好き」っていう目印を、自分でしまい込んでた。

    だから、出会えるはずも、なかったんだ。


    ◉"好き"は、幸せへのレッドカーペットだった

    "好き"って、幸せへのレッドカーペットみたいなものだと思う。

    好き。
    ↓
    自分に、合う。
    ↓
    自然に、幸せになる。
    ↓
    人生が、進む。

    ほんとは、そのレッドカーペットの上を歩けばいいだけ。

    なのに、みんな。
    そのレッドカーペットを、自分でくるくる巻いて片付けちゃう。

    「そんなのダメ」
    「そんなの変」
    「そんなの理解されない」

    って言いながら。

    そして、巻いたレッドカーペットを抱えたまま
    歩く道がわからなくなって、路頭に迷う。

    導きのレッドカーペットは、ちゃんと持ってるのに。
    広げれば、その先に幸せがあるのに。


    ◉"好き"を取り戻すと、人生が動きだす

    そのレッドカーペットを、実際に広げてみた。

    イヤリングを、買った。
    ↓
    あ、これ好きだ、ってわかった。
    ↓
    毎日つけたくなる。
    ↓
    そのイヤリングに合う化粧や、髪型をしたくなる。
    ↓
    鏡を見て、あ、自分が可愛い、って思える。
    ↓
    そしたら、もっと好きなものが増えていく。
    ↓
    幸せが、どんどん広がっていく。

    音楽も、そう。

    あんなに、流せなくなってた音楽。
    それを、もう一回、堂々と聴くようにした。

    あ、私やっぱりこれが好きだ。
    そう思い出したら、生で聴きたくなって、ライブに行った。

    会場には、同じ音楽が好きな人ばかり。

    車の中で「飽きた」って消された、あの曲も。
    「変かも」ってずっと隠してきた、私の"好き"も。

    ここでは、隠さなくてよかった。

    その曲がかかった瞬間、会場が、どっと沸いた。
    みんなが、同じ音で、同じ場所で、揺れてた。

    身構えなくていい。
    好きを、好きなまま出していい。

    胸の奥が、じんとした。
    ——あ、私、ここでちゃんと楽しめてるな。って。

    家に帰って、SNSでライブレポを開いた。

    「あの曲、最高だった」
    「わかる、あそこ鳥肌」

    そうだよね。
    そうだよね!!

    画面越しなのに、何度もうなずいてた。

    ずっとほしかった「わかる!」が、
    そこに、いくつもあった。

    同じ"好き"を持つ人と、つながれる。
    ひとりじゃない、って思える瞬間が、増えていく。

    あんなに、封印してたはずの"好き"が。
    消されて、隠して、もう感じないようにしてた音楽が。

    ちゃんと、私のところに帰ってきてくれた。

    好き。
    ↓
    行動。
    ↓
    未来。

    ちゃんと、こうなってる。

    だから、もう言える。好きは、贅沢じゃない。
    好きは、人生のナビゲーション。

    どこに行けば自分が幸せになれるか、教えてくれる地図なんだ。


    ◉孤独は、人の問題じゃなかった

    私はずっと、孤独を埋めるために、人を探してた。

    もっと話の合う人。
    もっとわかってくれる人。
    もっと繋がれる人。

    でも、違ったみたい。

    孤独は、人間関係の問題じゃなかった。
    自分との関係の問題だった。

    精神的な孤独は、自分が自分の"好き"を遠ざけた結果。
    たぶん、これだったんだ。

    孤独を埋めるために、外に人を探してたけど
    ほんとは、封印した"好き"を取り戻すことが、孤独から抜ける道だった。

    幸せへのレッドカーペットを、広げよう。
    私の世界を、もう一回、生きよう。

    その一歩が、ぜんぶのはじまりだった。

     
     
    意識と行動の構造分析家。人の内側で起きていることを、構造として読み解き、言語化する人 感情・思考・行動のつながりを整理することで、個人と組織の中にある“見えない摩擦”をほどいていく。 このnoteでは、生きづらさや働きづらさの裏側にある構造を、日常の具体例を通して解説しています。

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