
【5話】最愛の母の癌発覚から死まで、そして最後の晩餐「茶碗蒸し」
2022年の10月、ちょうどあたしの誕生日の頃だった。
母が突然「なんでなんやろう…足のむくみがすごくてさ」と言った。
見ると、両膝下がパンパンに浮腫んでいて、あまりにも象の足のようで、言葉が詰まった。
すぐに病院に行った方がいいと伝え、近くの病院へ受診した。
血液検査の結果、肝臓の数値が跳ね上がっていたため、大きい病院で精密検査を受けることになった。
結局、1ヶ月ぐらい入院して、体のあちこちを検査し、原因がわかった。
肝細胞癌と、肺転移。
肝臓なんてずっと気をつけていて、お酒も飲まないし、タバコも吸わない、痩せているし、暴飲暴食もしない。
サプリメントをとったりして、健康には特に気をつけていた母が…。
コロナ禍で面会はできず、家族への説明も主治医からの電話のみだった。
余命などは伝えられていなかったけど、結局一年もたなかったのだから、かなり酷かったんだと思う。
そこから入退院を繰り返し、抗がん剤治療、放射線治療などして、治すというよりは延命のための治療を受けた。
最後は緩和ケア病院へ転院して、ゆったりと3ヶ月ぐらい過ごし、2023年の9月25日に亡くなった。
享年66歳。
緩和ケアに入る前、母は2回救急車で運ばれている。
どちらも、あたしと父が対応した。
2回とも低血糖による昏睡状態だった。
癌細胞は糖をエネルギーにしているらしく、体の中の糖をどんどん奪っていく。
なので、すぐに低血糖状態になるため、血糖コントロールがすごく大変だった。
夜中、寝ている間に血糖値が下がると、意識がなくなって昏睡状態になっていてもわからない。
だから、寝る前にゼリーやアイスを食べ、夜中3時に目覚ましをかけて、母を起こしておにぎりや甘いものを食べさせ、朝起きたらすぐに何か食べさせるようにしていた。
でも、それでもやっぱり低血糖は起こる。
どんどん間隔も短くなって、とうとう家族の手には負えなくなった。
2回目に救急搬送された時は、「もうこのまま入院ですと、おそらく家には帰れることはないです」と言われた。
でも低血糖で亡くなってしまうより、入院して見てもらっていた方が本人も家族も安心だと思ったので、入院でお願いしますと言った。
そのまま緩和ケア病院に転院したので、結局家に帰ることはできなかったけど、でも母も家にいるよりも糖をずっと点滴で入れてもらってて、何かあったら看護師さんが来てくれる病院にいる方が安心だと言ってくれた。
家にいた最後の方は、たくさん介護もした。
まさか母の介護をこんなに早くすることになるとは思わなかった。
あたしたち家族は、もっと何かしてあげられることはなかっただろうかとか、色々やっぱり考えてしまう。
もっとお金があったら、できることもあったのかなとか、色々。
母が亡くなる少し前、数日間は全く食事がとれなくなった。
でも、亡くなる当日のお昼ご飯に、母の大好物の病院食「茶碗蒸し」があった。
「ここの病院の茶碗蒸しが美味しくてなぁ〜」
と、よく言っていて、ちょうどその日も偶然「茶碗蒸し」だった。
せっかくだけど、食べれないだろうな…と思っていたら、母が「食べる!」と言った。
少しだけスプーンに乗せて口へ運ぶと、目を大きくして「美味しい!!」と喜んでくれた。
それが母の最後の食事。
その1時間後ぐらいに、眠るように亡くなった。
あたしたちにはあまり弱音も吐かずに気丈に振る舞っていた母。
きっといっぱい1人で抱えて辛かったと思う。
でも、幸せだったとも思う。
そう思いたい。
詳しい病状も、母の最初に病名を告げられた時の気持ちも、癌がいつからあったのかも、原因も…
何も知らない。
でも、わからないままでいいこともある。
過去を知ったところで、あたしたちがこれからできることは特にない。
振り返って悔やみたくもない。
あたしは、少しだけでも介護という親孝行ができたことと、最後に茶碗蒸しを食べた時の、喜んだ母の顔が見れただけで十分。
それだけで、もう十分だ。