
株式会社おっちょこちょい #5「エピローグ 再会」|創作大賞2026
#5「エピローグ 再会」
戸塚茜が喫茶店の扉を開けると、桜の花びらが茜の脇をすり抜けて店内に舞い込んだ。充満するコーヒーの香りを胸いっぱいに吸い込むと、二年前、大学四年生の時に初めてここに来た時の記憶が呼び覚まされた。
「いらっしゃいませ。茜ちゃん、今日は一人かい?」
マスターのヤスさんが、カップを拭きながら声をかけてくれた。
「こんにちは。今日は、友達と待ち合わせで……」
ヤスさんは頷き、奥のほうに目を向ける。ヤスさんの視線を辿って店内を見渡すと、窓際の席で中西佳代子が右手を挙げていた。
佳代子の向かいに腰を下ろすと、すぐにヤスさんがメニューを持って来た。「ごゆっくり」と言い残して、すぐにカウンターの向こうに戻っていく。
「久しぶり。元気にしてた?」
茜はメニューを開きながら訊いた。佳代子は、学生時代からの希望通り、中学校の教師になっていた。科目は英語だ。卒業からおよそ一年ぶりの再会だった。
「うん、元気。学校は大変だけど、生徒たちはかわいい」
学生時代と変わらない口ぶりに、茜はホッと息をついた。
「ここ、黒ゴマバナナシェイクが美味しいんだけど、お昼ごはんまだだよね?」
茜はメニューをめくった。就活の時に何度かこの店には訪れたが、食事をするのは初めてだった。
「あ、私、これ。カツカレー」と佳代子がメニューを指さす。
「またカツカレー? 佳代子、変わらないね」
茜が笑うと、佳代子は肩をすくめた。
「たった一年じゃ、人は変わりませんよ」
佳代子が先生らしい口調で言うので、茜はにやりとした。茜は「じゃあ、私はナポリタンにしよ」と呟き、ヤスさんに合図を送る。
「……それじゃあ、株式会社おっちょこちょいはいい会社なんだ?」
注文を聞いたヤスさんがカウンターに戻っていく背中を見つめていた茜は、思わず飲みかけのお冷をこぼしそうになった。佳代子が真剣な目で茜の顔を覗き込んでくる。
「え? どうして?」
「第一に、表情が明るい――」と佳代子は茜の顔を指さす。
「第二に、足取りが軽い――」と今度は喫茶店の扉のほうを振り返った。
「そして何より、私に釣られずに注文した」
佳代子の顔は確信に満ちている。
「学食で私がカツカレーの時は、茜も必ずカレーにしてたでしょ?」
思い返せば、佳代子の言う通りだった。しかし、それと会社の話は別だ。そう反論しようとした矢先、佳代子が先に口を開いた。
「茜が人に惑わされず、自分の意見を持てるようになって、私は嬉しいよ」
「……カレーぐらいで、大袈裟だなぁ」
茜は苦笑いを浮かべた。先生になって、なんだか変なことを言うようになった。
「一年でも、人はちゃんと成長できるってことよ」
佳代子は真面目な顔で呟いた。
「はい、お待ちどおさま」
ヤスさんが湯気をまとったカツカレーと、鉄板で焼けたナポリタンを運んできた。スパイスの香りとケチャップの匂いが、茜の胃を刺激した。
「ナポリタン、美味しそうじゃん」
佳代子が大きな口を開けて、カツカレーを頬張りながら言った。
「うん、美味しいよ」
ナポリタンをフォークで巻きながら、茜は答えた。
窓の外には、昨日までの花曇りが嘘のような青空が広がっている。桜はその青を映すように、淡い花を枝いっぱいに咲かせていた。
〈了〉