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炭鉱町に住んだ人々~ヤマの一年

    炭鉱が開かれるとともに造られた炭鉱町。その第一の目的は、労働力の確保と労働意欲の増進でした。

    そこへ色々な場所からいろいろな人々が集まって生活をしていました。
    では、炭鉱町の住人達が、合理的に割り切って生活をしていたかと言うと、そうではありませんでした。

    次に示すのは、端島(軍艦島)の一年の中にあった、主な行事などです。

    *端島神社山神祭(神輿、奉納踊り、獅子舞、子ども神輿など)
    *メーデー前夜祭(「家族だ仲間だ歌合戦」「全島演芸大会」)
    *盆踊り~花火大会
    *海水浴(宝探し、砲丸投げ大会など)
    *運動会(地区・アパート対抗)
    *歩け歩け運動の会
    *みかん狩り
    *いも掘り
    *端島文化祭
    *中学校持久走大会
    *青空(屋上)農園収穫祭
    *相撲大会
    *職場対抗ソフトボール大会
    *野球大会
    *ペーロン競漕
    *忘年卓球大会
    *フットベースボール大会

    ・・・・資料上で確認できるだけでも、これだけあります。他にも、大晦日には、住人の方が歌う、紅白歌合戦が映画館(ホール)で開かれたということも聞いています。
    今の地域行事と比べてみて、どうでしょうか?
    少なくとも鉱員さん達の労働意欲を上げるため・・というレベルではなかったことは、おわかりだと思います。


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    ひとつは、「ヤマは、一家族」の言葉通り、とても温かいコミュニティであったということ。
    ふたつめは、普段心配をかけたり、寂しい思いをさせている奥さんや子ども達の生活に彩りを添えたい、という鉱員たちの思いがそこにあったということ。
    そして、これは推測ですが、炭鉱マン達は危険と背中合わせの職場で働いていたわけですから、「いつ自分に、もしものことがあっても、残された家族、とりわけ子ども達に、楽しい思い出がのこるように」という思い、更には「自分が亡くなったとしたら、お世話になるのはヤマの仲間。その仲間内の行事の為にはまず自分がすすんで参加して、顔をつないでおこう」という思いがあってのことだと思わずにはいられません・・・。

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    ***

    数年前、私は「街ネコ運動」を住民ぐるみで推進する為に、自治会長になることを本気で考えた。
    しかし、地元自治会が長年に渡って不正な裏金をつくっていたことが判明。
    即刻、自治会を抜けた。
    一緒に良識ある?4世帯も一緒に退会した。
    かつての軍艦島のコミュニティとの落差に今更ながら愕然とする。

    (元記事投稿:2010年11月19日19:43)

     
     
     
    長崎市生まれ&育ち。群馬で学生。初就職は東京。長崎で中学校教員を勤めた後、法廷絵師・軍艦島ガイド・日本語学校校長を兼任して現在はAmazon kindle出版サポート業の「アトリエはやぶさ」を経営。「対州屋」は馬搬便利屋業の屋号で、かつての相棒であった対州馬ひん太から。

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