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Photo byhidemaro2005

刺す言葉が刺さりすぎて、チクチクする件

     洗脳されているのは否めません。
    目に入る言葉を無意識に使ってしまう。
    ……おはようございます、ももまろうめこです。

     今朝はどっかのセミナーにありそうなテキスト形式で記事を書いちゃうよ。



     最近やたら見かけませんか?

     人の心を刺す言葉。胸を刺すようなセリフ。
    グサッと刺さる展開。
     って、それは包丁かナイフを突き立ててるのでしょうか。

     もともとは「心に響く」とか「感情を揺さぶる」の強調表現だったはずなのに、
    気づけば、全部“刺して”くる感じ。

    たとえば:

    • 「この一言が胸を刺した」

    • 「○○さんの投稿、心に刺さった」

    • 「読後、胸に鋭いトゲが残る作品」

    読者みんな、ハリネズミなるやん。笑

     こういう「刺す系表現」が増えてる理由、いくつかあると思う。

     ひとつは、インパクト至上主義。
    「響く」より「刺す」のほうが、痛みや鮮烈さがあり、SNS時代の強い言葉として好まれやすい。

     もうひとつは、語彙の単調化。
    「刺さる」で簡単に感情の動きをまとめられるから、言い換えを考える手間が省けてしまう。

     それから、「深読みできる自分」「感受性が強い自分」アピールとしても便利。
    ちょっとしたわかってる感を演出できちゃう。

     でも、わたしが言いたいのはね。
    全部「刺す」ばっかりじゃ、感情の繊細なグラデーションが死ぬやん。

     感情って、もっと多彩で複雑でやわらかい。

    • 優しい言葉がじんわり沁みる

    • 同情から声が出せずに、胸がチリチリ痛む

    • 問題点が鈍く重くのしかかる

    • 思わぬ言葉に、ふっと何かが抜ける

    • 「これ、好きだわ」と、かすかにうずく

     そういういろんな触れ方があるのに、
    全部「刺す」で片づけてしまうのは、やっぱりもったいない。


     
     とはいえ、「刺す」って言葉が悪いわけじゃない。場面を選べば、強烈な武器になる。

     たとえば、こんなふうに。

    言葉が喉元を過ぎた瞬間、奈々はそれが彼の心を刺すことを確信していた。
    けれど、それでも言わなければならなかった。

    ↑これは、“刺す”をあえて選んだニュアンス。

     使うか使わないかは、選択の問題。
    毒にも薬にもなる言葉。

     あとね。
    「刺すって、そもそも物理的に痛い道具でやる行為じゃん!」って思いません?

     包丁、針、押しピン📌。
    感動って、本来そんなに痛くないはずなのに……
    いつのまにか「刺さった」が感動の代名詞になってる。

     え、誰? 何持って来た?
    なんか尖ったやつで、私の心グサッてしてきたんだけど!?
    って気持ちになる笑

     もしかすると、
    現代人の感受性が「痛みでしか実感できない」方向に変質してるのかも。

    • 「泣いた」じゃなくて「えぐられた」

    • 「響いた」じゃなくて「刺さった」

    • 「沁みた」じゃなくて「抉られた」

    どんどん、アグレッシブになってない?

     発見や気づきすら、
    もはや痛みで叩き込むみたいな傾向がある。

     押しピン📌でぶっ刺すのなんて、むしろ平和でカワイイ方で、
    最近はもう、

    • 電動ドリル

    • スナイパーライフル

    • ガチのナイフ

    くらいの勢いを感じる。

     刺して、心から流れる血が見たいのか。
    ほんとは、じんわり沁みてほしいだけなのにね。

     わたしは自分の文章を刺すというより、切るイメージで書いている。
    紙で指先を切って、後からチカチカ痛みがあるような。小さいのにインパクトを残したい。

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    人の淋しさは対象によって癒される、淋しさ わたしの淋しさは 万物でも癒されない定めの淋しさ 手に握る砂が指から零れてしまう 狂人には沈黙を、佳人には微笑みを わたしはわたしの道を歩んでいるだけなのに ©️ももまろうめこのnoteは私に著作権があります 無断転載禁止です

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