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Photo byhidemaro2005

文体に人柄は出ているのかな

    文体には人柄が出ていると言われる

    noteだと、コメント欄にも人柄へ触れる機会があり
    秩序が守られた、平和で優しい世界は
    気質を感じても「言わない」から安穏なんだと思う

    文体と人柄だと、ショートの神様、星新一氏は

    文体とは、あくまで人柄だ。ユーモアのないひとにユーモラスな文など書けるはずもなく、大まかな性格の人に神経質な文は書けない。文章技術より、自己発見のほうが先である。それだけでいい。あとは、辞書をそばに誤字を減らすよう努力し、文字を丁寧に書くように気を付ければ、文章は自然と、あなたの人柄のいい面が現れてくる。

    同じ作家の村上春樹氏は

    文体というのは、英語ではStyle、つまり「姿勢」と置換えてもいいのではないかと思います。でも僕はむしろ「生き方」のほうに近いと思います。歩いたり、息を吸ったり、そういう生きることすべての総体です。僕らはそういうものを使って文章を書き、その文章を使って小説家は小説を書く。生き方が変われば、文体も変わります。だから文体を見れば、多かれ少なかれ、大体その人の人柄はわかります。

    …と、記されている

    わたしは
    オブラートに包まないストレートな物言い
    『意地悪なお局』と見られている
    忌憚なき言葉で揶揄ばかりする愚者なんだなって

    だけど、気にしてない

    毒を孕んだ物言いのエッセイストは
    腰の低い、気弱なお婆ちゃんだと聞くし
    五千円札の作家が描いた「にごりえ」は意地悪
    太宰治を敵視し、切腹した作家の文学は耽美

    文から、その人が持つ思想や嗜好は分かれど
    人柄はいくらでも取り繕えるのが
    文体であり文章だと、わたしは思う

     
     
    人の淋しさは対象によって癒される、淋しさ わたしの淋しさは 万物でも癒されない定めの淋しさ 手に握る砂が指から零れてしまう 狂人には沈黙を、佳人には微笑みを わたしはわたしの道を歩んでいるだけなのに ©️ももまろうめこのnoteは私に著作権があります 無断転載禁止です

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