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Photo byhidemaro2005

表現の自由があって、ない国の今

    たまにレオ氏と時間を合わせ、同じ放送を見ている
    遠距離になるとこういうもの
    放送後のツイートを見ながら、わたし達は語る

    「いつの間にか、この国は幼稚になった」

    批判は代替案が必要なものと、そうじゃないもの
    無視して良いものがある
    論拠の乏しい感情的な批判に、代案はない
    だから一概に「批判→代替案」ではないと思う

    そして、批判=敵・反対・誹謗中傷ばかりではない
    昨今はネットの影響なのか
    「一連の流れ」が出来ており、モノが言いづらい 

    批判は、相手が憎いからする行為ではなく
    相対的、比較と判断での精査なのだから
    建設的な批判なら、敵や反対、中傷と看做さない
    問題を解決したいと、同じ目的なのだから

    誰もが納得できる答えがあればいいけど
    時に複雑な難題を目指す議論のとき
    より多くが納得できる妥協を目標にする中で
    最適解の選択なのに、批判があるのは当然で

    気に食わないと、敵とか反対とか中傷とか
    ときに差別などを生んでいる

    悪意のある批判を見かける
    著名人が寄付やボランティアをしたとき
    「売名」だの「偽善」だの

    カッとなって反論すると、相手は揚げ足を取り
    論点のすり替えや無根拠の個人攻撃をしている

    twitterなどネットは
    反論しなくても、他の人は理解しているもの
    だからさ、悪意を無視していいんだよ

    ああ、あのドラマも今週で最終回か…

     
     
    人の淋しさは対象によって癒される、淋しさ わたしの淋しさは 万物でも癒されない定めの淋しさ 手に握る砂が指から零れてしまう 狂人には沈黙を、佳人には微笑みを わたしはわたしの道を歩んでいるだけなのに ©️ももまろうめこのnoteは私に著作権があります 無断転載禁止です

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