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畳屋さんの早とちり ──泣いて、笑った日。



    人生でいちばん重い電話と、人生でいちばん間の抜けた勘違いは、同じ日にやってきた。

    その日、わたしは畳屋さんを待っていた。

    ある日突然、ひとり暮らしの父が末期がんと診断された。
    そしてある日突然、わたしは父を介護することになった。

    一ヶ月の入院を経て、自宅で緩和ケアをしながら過ごす。そう決まって、父を迎えるための準備を進めている、その最中だった。

    退院まで、あと数日──のはずだった。

    迎える家は、絨毯までもが朽ち果てたゴミ屋敷だった。


    父が入院してから、わたしはたったひとりで、その家を片付けてきた。

    床と同化した洋服。虫の湧いたキッチン。
    人型に汚れた壁。すさんだ街の公衆便所のようなトイレ。
    最初は父への当てつけのつもりで、その惨状をカメラに収めながら、来る日も来る日も、ゴミと格闘した。

    誰に頼ることもできず、ただ黙々と、ひとりで。

    途中からはハウスクリーニングの業者にも入ってもらった。けれど、その仕事はそっけないものだった。水漏れを理由にトイレの清掃は手つかず、コーティングは詐欺まがい。

    女がひとりで来ているからと、どこか足元を見られているような気もした。

    それでも、文句を言う気力も残っていなくて、「なんとなく綺麗に」なった家を、わたしは受け取るしかなかった。

    だから、最後に畳を張り替えると決めたとき、わたしは少しだけ、ワクワクしていた。


    片っ端から電話を掛けて、最短で来てくれる畳屋さんを選んだ。

    電話口で「父の退院までに、畳を張り替えたいんです」と事情を伝えると、その畳屋さんは、できる限りの日程を調整してくれた。見積もりと同時に古い畳を撤去して、後日、新しい畳を入れる。そういう段取りになった。

    ずっと絨毯が敷かれていたから、この家に畳があることすら、わたしは知らなかった。
    新しい畳の部屋に父を寝かせてあげられる。そう思うと、手持ち無沙汰な時間さえ、なんだか楽しかった。


    そして、見積もりの日が来た。

    畳屋さんを待つあいだ、間を持て余して、わたしは部屋を片付けていた。

    すると、電話が鳴った。

    父が入院している、病院からの着信だった。

    退院の日程だろうか──。

    その声には、聞き覚えがあった。

    最初に父を大きな病院へ連れて行った日、ポッケに手を突っ込んで、「糖尿かな」「ガンかもしれないね」なんて、軽々しく言ってのけた──あの若い医者だった。

    ちっとは気を使え、とあの日のわたしは心の中で毒づいた。

    それきり、コロナ禍で面会もできず、顔を合わせることもないままだった。

    その若造が、今日は、いやに重々しい口調で、言葉を選びながら、検査の結果を伝えてくれた。


    つまるところ、それは──余命三ヶ月、という知らせだった。

    覚悟なんて、何もできていなかった。

    する間も、なかった。

    泣きながら話を聞いて、泣きながら、電話を切った。

    そのときのことは、あまりよく覚えていない。
    ただ、退院が延びることだけは、確定した。


    畳を新調するワクワクは、砂の城のように一瞬で崩れ去り、わたしは床と一体化するように、へにゃへにゃと座り込んだ。

    そこへ、来客を知らせるインターホンが鳴った。

    ピン…………ポン…………。

    実家のインターホンは、インターホンと呼べるような代物ではない。
    これ、押していいのかな、と来訪者を迷わせるようなプラスチック製の突起を押すと、命を振り絞るように「ピン…………ポン…………」と、か細く鳴るのだ。

    そんな、今にも息絶えそうなチャイムの音だった。

    畳屋さんが、来た──。


    「こんちは!」

    仕事で鍛え上げられたであろう引き締まった体。
    お腹の底から繰り出されるハリのある声。

    活力とか太陽燦々とか、ポジティブな言葉を具現化したら、こんなふうになるのだろう。──そう思った。

    さっきまで握りしめていたスマートフォンの、あの重く冷たい感触、ひとりで黙々とゴミと向き合ってきた日々とは、何もかもが正反対だった。

    畳屋さんの無垢な明るさが、薄暗いゴミ屋敷に差し込んできた。


    畳屋さんは、傷んだ畳を見て、表替えではなく新調をすすめてくれた。
    四畳半と狭いうえに、元の畳に合わせると、いちばんグレードの低いものになるという。さんざん急かしておいて、なんだか安い客になってしまった。無理を聞いてもらったのに、申し訳ない。

    ましてや、今となっては退院まで延びてしまって。──そんなことを考えていたら、涙があふれてきた。

    ──この畳の上に、父は、帰ってこられるのだろうか。

    涙がとまらなかった。

    初めて会う人の前で、こんなに泣いたのは、四十余年の人生で初めてだった。畳屋さんも、さぞ困惑しただろう。

    そして、止まらないわたしの涙を見て、畳屋さんは言った。

    『え、まさかお父さん死んじゃったの?!』

    “父の退院までに畳を張り替えたい”と伝えてあったから、無理もない。

    『いやいやいやいや。死んでない。死んでないです!』

    そう訂正しながら、心の中で「初めて会う人に、そんなこと言うかね!」と突っ込みを入れる。

    けれど、次の瞬間には、もう涙は消えていた。

    あまりにも早とちりな畳屋さんの言葉に、思わず、笑ってしまったのだ。


    ──畳屋さんに、救われた。


    その夜、わたしは姉に電話をかけた。

    遠くに住む姉には、父の入院のことは伝えてあったけれど、まさかこんなに悪いとは話していなかった。すぐに退院できるものと、思っていたから。

    気が重かった。でも、伝えねばなるまい。

    わたしは忘れっぽいから、主治医の先生から聞いたとおりにメモを読みながら話すことにした。

    しかし、「もしもし」と切り出して、姉の声を聞いたら涙が溢れてきてしまった。

    言葉が、出てこない。
    黙り込んでしまったわたしに、姉が言った。

    『パパ、死んだの?!』

    ──また、それか。
    みんな、せっかちだなぁ。

    一日のうちに、二度も亡き人にされてしまった父が聞いたら、何と言うだろう。畳屋さんから始まったこの早とちりは、どうやらわたしの語り草になりそうだ。

    それから、メモを見ながら、ゆっくりと伝えた。
    いちばん重い症状は胃がんだったこと。ほかにも転移していて、もう手の施しようがないこと。治療できる体力も残されていないこと。

    電話の向こうで、姉は泣きながら、「ごめん……」と声を詰まらせていた。

    その「ごめん」が、何への謝罪なのか、わたしにはわかった。

    早とちりしてしまったことへの「ごめん」。

    それだけじゃない。遠くにいて、何も知らずにいたことへの。

    そして、たったひとりで、余命の告知を受け取らせてしまった、わたしへの──「ごめん」だった。

    泣いて、笑った、一日だった。


    それから数日して、いよいよ畳を入れる日が来た。

    見積もりの日に古い畳は撤去してもらったので、あとは新しいものを敷くだけだ。

    畳屋さんの仕事は、惚れ惚れするほど早かった。団地の階段を、ご近所さんが気づく間もないほどの速さで、新しい畳を運び上げてくる。
    そして、はめ込む場所は一枚一枚決まっているらしく、迷うことなく、バフッ、バフッと、畳をはめ込んでいく。

    高さを合わせるように、ヘリのあたりを踏み、踏み…。
    そして次の畳を、また踏み、踏み……。

    畳屋さんは、爽やかな汗をぬぐって、請求書だけを残して、帰っていった。

    新しい畳は、"青い"と表現するのが、いちばんしっくりくる。部屋には、いぐさの青い色と、青い香りが満ちていた。壁は古いままだから、その対比が、畳の青を、いっそう際立たせる。

    気づけば、あのゴミ屋敷は、すっかり綺麗になっていた。

    ひとりで泣きながら片付けた日々も、そっけない業者に足元を見られた悔しさも、余命を告げられたあの電話も──。

    何もかもが、この青いいぐさの匂いの中に、包まれていくようだった。


    それから三ヶ月、わたしは新しい畳の部屋で、父を介護した。

    文句ばかりの食道楽で、末期がんなのに夜中にビールを飲んで、アイスまんじゅうを食べてしまう、口数は少ないけれど、ずいぶんチャーミングな父だった。

    そして父は、ちょうど三ヶ月後、まだ青いいぐさの香りの残る部屋で、眠るように逝った。孫に手を握られて、枯れるように、静かに。


    あとになって、知ったことがある。

    あの畳屋さんも、ほんの数ヶ月前に、お母様を亡くされたばかりだったそうだ。

    それを知ったとき、まっさきに「死んじゃったの?!」と口にしたのは、失礼な早とちりなんかじゃなくて──喪ったばかりの人にしかわからない速さで、誰かの涙の意味を、読んでしまったのかもしれない。

    いつか会うことがあったら、あの日のお礼を、ちゃんと伝えたい。

    余命を告げられた、あの日のことを、わたしは時々思い出す。

    人生でいちばん重い知らせを受け取った日に、人生でいちばん間の抜けた勘違いが、二つも重なった。
    どん底まで落ちたわたしの心を、名前も知らない畳屋さんの一言と、泣きながら謝る姉の声が、すくい上げてくれた。


    あの日、わたしは確かに、泣いて、笑った。

    そういう日が、人生には、ある。


    編集後記:最後まで読んでくださってありがとうございます。父を看取ってから、四年あまり。当時の記事を読み返すことがずっとできずにいましたが、このたび、介護の最中に書き残した連載「ゴミ屋敷からのSOS」の二篇をもとに、あらためてこの日のことを書き直しました。乱筆乱文の整理と、心の整理をこれから少しずつ始めたいと思います。


     
     
    ある日突然、末期がんと診断された独り暮らしの父と、ある日突然、介護することになったわたしの介護録です。1ヶ月の入院を経て自宅で緩和ケアをしながら生活していましたが、余命宣告どおり3か月めに息を引き取りました。現在はわたしの視点で介護の記録や遺品整理の日々を綴っています。

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