
【実話】🌸「おたすけ婆さん」の不思議⑤無信仰から信仰への道
「何とか生きなければ……」
そう思ったとき、ふと脳裏に浮かんだのは
6年前のあの出来事だった。
リンパ腺の手術のあと通院していた帰り道、
一人の婦人に声をかけられた。
「信仰を切っているから切られるのですよ。」
その言葉が、
ずっと心のどこかに引っかかっていた。
ーーーどこかに天理教の神様はいないだろうか……。
——参拝してみよう。
そう思いながら過ごしていると、
不思議なことに、
病院でも見放されていたトシの体調が
日増しに回復していった。
~前話の内容~
買い物に出られるほど元気になった頃、
ふと、裏道に天理教の看板があったことを思い出した。
それからというもの、
買い物のついでにその教会の前を通るようになった。
けれども、
なかなか門をくぐる勇気が出ない。。。
ある日は太鼓の音が聞こえ、塀の外からそっと覗き込んだ。
ーーーここに入れば、何かが変わるかもしれない……。
そして、昭和18年9月のある日。
意を決して門をくぐり、
「神様を拝ませてください」とお願いした。
そこが、天理教本鶯分教会だった。
それからは、たびたびこの教会で参拝し、
布教師の先生に「おさづけ」を取り次いでもらった。
そして、
神様の話や教えの話を
聞かせてもらっているうちに
身も心も、少しずつ軽くなっていくのを実感していた。
🌸「おさづけ」とは
天理教における「おさづけ」は、病気や悩みを抱える人々に対して、親神様のご守護を願い、病気平癒や問題解決を祈る宗教的な神儀です。
この神儀は、親神様の教えに基づき、取り次ぐ者と受ける者の双方の真実の「心定め」が重要とされています。この真実の「心定め」によって、御存命であられる「おやさま(教祖)」にお取り次ぎ、おたすけにつながると言われています。
そのため「おさづけをする」とは言わず、おやさまに「つなげる」意を込めて、「おさづけを取り次ぐ」「おさづけをお取り次ぎさせていただく」と言います。
🎈おさづけを拝戴するための資格
「おさづけのお許し」は、どなたでも拝戴することが出来ます。
おさづけを取り次ぐ資格を得るためには、「別席」と呼ばれる天理教教会本部での約90分間のお話を、九度、受ける必要があります。
9回目に満席となったあと、天理教教会本部の教祖殿にて「おさづけのお許し」を戴くことで、正式に「おさづけ」を取り次ぐ資格が与えられます。
おさづけは、天理教の信仰において中心的な役割を果たす神儀であり、教祖の教えに従い、人々の助けとなるよう努めることが求められています。
やがて、
トシも布教師と一緒に
「おぢば帰り」をするようになっていく。
🍀神様からの教え「陽気ぐらし」
天理教の創造説話「元初まりの話」は、こう始まります。
『この世の元初まりは、泥の海でした。神様は、そのさまを味気なく思われ、人間を造り、その陽気ぐらしするのを見て、ともに楽しもうと思いつかれました』
『月日には、人間創めかけたのは、陽気遊山がみたいゆえから』
人間は、そもそも仲良く陽気に暮らすために創造された存在で、人生の目的は「陽気ぐらし」にあると明かされています。
創造主である神様のお名前を、「天理王命(てんりおうのみこと)」と申します。
私たち人間を生み育ててくださった親なる神様という意味で、「親神(おやがみ)様」とお呼びします。
🌸おぢば帰り
そして人間創造の際に、
最初に宿し込まれた地点を「ぢば」と言います。
奈良県天理市にある
東西南北に広がる3,175畳の広大な拝殿。
その中心の「ぢば」には、
人間創造の元なる地点の証拠として
「かんろだい」が据えられ、
礼拝の目標としています。
その上は、天が開かれた空間が広がっています。
お社も仏像もなく、
ただ空間が広がっている「ぢば」。
親神様は、この「ぢば」にお鎮まりくださっています。
東西南北の礼拝場から「ぢば」に向かって、
拝み合うように参拝しています。
始めてみた方には、不思議な光景です。
「ぢば」は、
すべての人間の魂の故郷。
ですから「ぢば」を訪れることを、
ふるさとに帰る意味を込めて
「おぢば帰り」と言います。
「ぢば」の一帯は、もとは大和の国の庄屋敷村(しょやしきむら)(現在の天理市三島町)という小さな村でしたが、やがて多くの人々が寄り来るようになり、今では「親里(おやさと)」と呼び親しまれています。
人類創造のふるさと「ぢば」は、
どなたでも、いつでも、
自由にご参拝いただけるよう、
神殿は、365日24時間 開かれています。
トシは、繰り返し「おぢば帰り」をしながら、別席数を積み上げ、とうとう9回の別席を拝聴し、「おさづけ」を拝戴。
布教師として、歩み始めた。
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しかし、
布教は、門前払いの連続だった。。
「結構です!」
「うちは宗教はやりません!」
玄関の扉がピシャっと閉められるたびに、
心が折れそうになった。
それでも、
神様に助けていただいた恩を返したい一心で、何度断られても足を止めることはなかった。
時には、家の中に入ることすら許されず、門の外から、そっとおさづけを取り次いだこともあった。
「どうか、この家の娘さんが良くなりますように……」
雨の日も風の日も、
門の外から祈り続けた。
そんなある日、
脊椎カリエスで何年も寝込んでいた娘さんが、おさづけを受け続けたある朝、起き上がることが出来たと感謝の言葉を伝えてくれた。
「ありがとうございます。。。
全く起きることが出来なかったのに……。」
涙ながらに手を合わせる姿を見て、
トシの胸が熱くなった。
そして、
トシ自身の体調も「おさづけ」を取り次ぐたびに良くなっていく。
「人たすけたら、我が身たすかる。」
その言葉を、ようやく実感した瞬間だった。
ーーーもっと神様のことを学ばなければ!
(つづく。。)