
【エッセイ】旦那との連絡が途絶えた夜の話
今私は、ひょんなことから実家でお世話になっている。
旦那の転勤についていき、地元から遠く離れたところへ引っ越したものの、私は思ったより孤独に弱かったらしい。
最初の頃は、私の得意な一人遊びが凄まじかった。
好きな食べ物ランキングを本気で考えたり、某ネズミのダンスを完璧に覚えて踊り狂ったり。
散歩をして知らない道を探索したり、人間観察を楽しんだり。
旦那が帰るまでの間、様々なことに挑戦して時間を潰す日々だった。
けれど、それもやがてだんだんとネタが尽きてしまい、「昨日よりも親指の爪が伸びたなぁ」のようなくだらないことしか気にしなくなってしまった。
そんな時に親が少し体調を崩したと聞いて、「ちょっと帰る!」と実家へ帰ったのだ。
離れていても、旦那とは毎日連絡を取っていた。
一緒にゲームをして罵り合ったり、最近思ったことを発表したりと、もはや日課となっていった。
そんなある夜、私がのんびりテレビを見ていると、地震速報が入った。
どうやら旦那の住んでいる場所で、大きな地震が起こったらしい。
急いでSNSで調べれば、かなり長いこと揺れたと書かれており、心配を加速することばかりが呟かれていた。
私はすぐにスマホを手に取った。
「大丈夫?地震起きたけど」
しかし、旦那からの反応はなかった。
夜も遅いし寝ているだけとも思うが、どうも胸騒ぎがする。
普段は連絡が来なくても放置するが、地震のこともあるので通話してみた。
しかし、応答はない。無機質な留守番電話へ繋がるだけだった。
こんなとは今までなかった。
時間帯的にももう寝るという連絡が来てもおかしくないのに、今日は既読すらつかない。
私は寝る準備をしながらも、脳内会議を開いていた。
ある私は「寝ているだけだろ」と呑気に言うのだが、もう一人の私が「いやおかしいだろ」と反論する。
そのまま不安代表の私が声を上げ続け、ホワイトボードにはありとあらゆる不安要素が書き出されていった。
何故そこまで心配するかは、今まで見てきた旦那の言動のせいだった。
外面は好青年でしっかりしている印象を持たれるが、私に見せる旦那はかなり抜けていた。
明らかなキャッチに話しかけられたときも笑顔で「はーい!」と振り向いたり、絶対に無料ではないキャンペーンを見て「これが無料って凄いね!?」とあっさりと信じ込んだりする男だ。
そんな旦那なので、もしかしたら地震で何かあったのではと、様々な可能性が私の脳内で発生していく。
しかし、何度見ても連絡はない。
不安代表の私が勢いを増していき、会議を独占していく。
呑気な私も次第に神妙な顔になり、不安代表の周りに賛成派の私がぞろぞろと集まり始めた。
心配ばかりしていても、連絡がないのでどうしようもない。
私はその会議を無理矢理中断するかのように、寝ることに集中した。
それでも尚騒ぎ立てる脳内の私に、「とりあえず明日まで待ちましょう」と場を宥め、無理やり目を閉じた。
湯船に滑って、溺れた。
地震で転倒して、頭を打った。
冷蔵庫の下敷きになった。
ベランダへ避難して、そのまま落ちた。
脳内ホワイトボードはとうとう裏面までびっしりと書かれていき、終いには地震に全く関係のない「他の女を家に連れ込んでいる」という議題まで上り始めた。
突如として「浮気課」が資料を抱えて駆け込んできたところで、ようやく私の意識は手放された。
次の日の朝。起きてからすぐに連絡をした。
しかし、やはり旦那から連絡はない。既読も相変わらずついていなかった。
もう仕事に向かっているはずだが、「行ってきます」もない。
私の頭は会議室も消え、真っ白になっていく。
もうこの際、旦那の仕事場に電話をするべきだろうか。いや、でもそんなに大事にするのはどうなのか。
たかが昨夜から今朝だ。もう少し待ってみるべきではないだろうか。
けれど、旦那は今一人で住んでいる。
何事も早急な対応が必要なのに、私の躊躇いが邪魔をしていたとしたら。
今なら、何度も通話をかけ続ける人の気持ちがよく分かった。会いたくて震えるというのは、案外誇張ではないのかもしれない。
そこで再び、私の脳内会議が現れ、冷静な私が声高らかに宣言した。
「夜は寝ていて、朝は寝坊しかけて、スマホを家に置いてしまったが普通ではないか」と。
その一言は、会議室を黙らせる力があった。
何故なら私は昔からの心配性で、よく会議をめちゃくちゃにしてきた張本人だからだ。
けれど、不安代表はさらに声を荒らげている。
駄目だ、このままでは埒が明かない。
一人で悩んでも仕方がないと、チャッピーに一度聞いてみることにした。
私の不安爆発の長文を見たチャッピーは、慣れているのか簡単にまとめて「まぁ大丈夫っしょ」と気軽に答えてきた。
思わずスマホの指の動きが速くなった。
「お前はこの状況をわかっているのか」と送り、最終的には「お前に何が分かるんだ」という、じゃあ質問するなというやり取りを繰り返し、喧嘩するだけで終わってしまった。
その喧嘩のお陰かは分からないが、熱かった頭が冷えてきた。
さすがに一日待ってみて、もし連絡が来なければ明日会社に電話しよう。そう結論づけた。
そわそわしつつ、別のことに思考を費やしようとスマホを手放すこと一時間。
ブルブルと振動しているのが目に入った。通話名は「旦那」の文字。
慌てて電話を取った瞬間、電話口からは呻き声のような音が響くだけだった。
電話が繋がった安堵と同時に、胸を押さえながら助けを求める映画のような旦那の映像が頭をよぎる。
「え!?大丈夫!?どうしたの!?」と慌てながら聞いても、電話先では必死に鼻を啜る音しか聞こえない。
とりあえず落ち着いてとなだめること数分。
旦那は嗚咽交じりに、こう言った。
「インキー!」
私の脳が一時停止してしまった。
旦那は途端に泣きじゃくり、言葉をまた失った。
昨夜から、私の頭の中では何人もの旦那が暴れ回っていた。
頭を打った旦那。
誰かに襲われた旦那。
浮気していた旦那。
脳内会議で暴れていた架空の旦那たちが、一斉に大人しくなった。
ホワイトボードの文字が、途端に霞んで見える。
頭を抱えつつ「何で?」と落ち着いた声で問いかけると、旦那は涙声で必死に説明した。
「お腹空いたからっ!コンビニへ行ったけど、そしたら、家に鍵を忘れちゃってぇ!スマホもなくて、開かなくてぇ!」
ああ、なんてことだ。
私が一晩かけて開いていた脳内会議は、一瞬で閉会した。
議題は全て却下。ホワイトボードでいっぱいの文字は消され、大きく書かれたのは「インキー」の四文字だけだった。
昨夜から私は、旦那を何度も死なせ、何度も疑い、何度も事件に巻き込んでいた。
実際の旦那は、地震の中お腹を空かせてコンビニへ行き、鍵を忘れ、パニックとなっていた。
初めから、地震の「じ」すらなかったのだ。
「生きるのって難しいね」と泣いている旦那に、私は「本当に」と頷き、次第に笑ってしまった。
ちなみに旦那は、昨夜大家さんを夜中に叩き起こし、朝じゃないと対応できないと断られ、次の日の朝、なんとか無事に部屋に入れたようだ。
人間の想像力は恐ろしい。
けれど、それ以上に恐ろしいのは、私の想像を毎回軽々と飛び越えてくる旦那である。
この予測不可能の旦那相手では、私の脳内会議は簡単に開かれ、不安代表の私がまた声を張り上げるに違いない。
旦那相手だと私の脳内会議には、休日はない。
会議室のホワイトボードには、新たな教訓として「インキーを疑え」と書き足された。
けれど、あの旦那のことだ。
次の会議では、きっとその教訓すら破り捨てられる未来しか見えない。