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新説『邪馬台国と空海』⑦終わりに


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    本作『邪馬台国と空海』は、いくつかの歴史的な証拠をもとに、私なりに組み立てた一つの仮説である。

    諸説の一つというより、おそらく私以外に同じことを語る歴史家は一人もいないだろう。

    しかし、それは必ずしも私の説が独特だからではない。

    「丹生谷」という名前そのものが、地元の人にしか通じない存在だからである。

    実際、「丹生谷」の名は地図にも載っていない。

    地元の子供たちの中にも、その名前を聞いたことがない子がいるほどだ。

    おそらく今の世代の大人たちがいなくなれば、「丹生谷」という名前は遠からず忘れ去られてしまうだろう。

    そうなれば、空海と丹生谷のつながりについて思いを巡らせる人も、やがていなくなるかもしれない。

    それは、この地に生まれた者としても、また空海の弟子の一人としても、とても寂しいことである。

    だから私は、この小さな物語を書き残した。

    この話を読んでくださった方が、

    四国の田舎も捨てたものではない――

    そんな感想とともに、「丹生谷」という名前を心の片隅にでも留めていただけたなら。

    筆者として、これに勝る喜びはない。

     
     
    私は徳島県南の僧侶——泰祥(たいしょう)です。 弘法大師≪空海≫の修業の旅路=お遍路のゆかりの地に生まれ、これらの研究をしつつ日々、仏道を楽しんでいます。 興味を持たれた方はぜひ、当寺までお参りくださいませ。

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