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【噛み合わない雫】 —二つの車輪— 第2話 閉じ込めたい過去


    第2話 閉じ込めたい過去

    清水啓明
    清水啓明
    2026年5月26日 20:20
    今日はちゃんと起きられた。
    久々に家族の朝食に間に合いそうだ。
    確か四日ぶりだ。

    『おはよう』


    おっという表情で父が新聞見てる上からチラッとこっちを見る。


    『今日は起きられたのね。やっと朝ごはん一緒に食べられるね。』


    母が言う。


    五分付き玄米のご飯。
    具沢山の味噌汁。
    納豆。
    漬け物。
    胡瓜と蛸の酢物。


    多少中身は変わってもだいたいこんな感じのザ和食だ。


    母は私と違い料理上手で管理栄養士の資格も持ってる。
    味噌、醤油、漬け物、納豆、パン、マヨネーズも自分で作る。蜜柑の皮からジャムも作り、私からしたらスーパー主婦だ。


    母の父が病気がちだったのを見て育ち、食に興味を持ったのがきっかけらしい。

    今は週に三回、スーパーの惣菜屋さんで働いてる。

    だから高校生になってお昼も母の料理が食べれるのはありがたい。
    小中と少し給食が足りなかった。
    小学生の頃は男子に混ざってお代わりしてたけど、流石に中学生になってからは出来なかった。


    だから夕ご飯は丼で三杯食べていた。
    その頃はスポーツもしてたから、よく食べてた記憶がある。


    父もよく食べるし昔は柔道をやっていたらしく身体も大きい。
    昔はサラリーマンだったが、北杜市に移住する少し前から、柔道整復師と鍼灸師を勉強して今は自宅の離れで開業している。


    『学校はどうだ』


    父が話しかけてきた。


    『うーん。特に変わった事はないよ。』


    『そっか、何か困った事あったら言えよ。』


    『うん、ありがとう。』


    最近はいつもこんな感じだ。


    『凛、あまり遅刻すると内申点に響くんじゃ無いの?』


    『えっそうなの?』


    私はそんな事も知らない。
    進学するかも決めて無いしなぁ。


    『もう、しっかりしなさい。
    そう言えば進路の三者面談って二年生はいつだったかしら』


    あっそんなのも確かあるんだった。
    私はつくづくポンコツだと思う。
    何にもなんか力が入らないというか、ふらふらしてる感じだ。


    そう、あの時までは違ったのに。


    * * *



    三年前の中学二年の時の全国中学校スキー大会。種目はジャイアントスラローム。

    一年生の時に二、三年生の中に混じって出場して三十位。
    小柄だったが県の連盟の人にも目に留まり強化選手になった。
    ただ周りの選手が学年が進み身長もどんどん伸びる中、私はそこまで大きくならなかった。
    体重も多少増えただけ。
    スキー競技のスピードは成人になるにつれ、ある程度体重が必要になる。


    そこで無理をする様になった。

    予選二本目の滑り。
    コース後半、最後のセクション。
    速度を保とうとして、無理なライン取り。
    ジャンプの着地、わずかにバランスを崩した。

    ーやばい。

    体は判っていた。
    コーチに何度も教わった。
    転ぶ時は、力を抜け。
    スキーを離せ。

    でも、その瞬間、私は離せなかった。
    板を残せば、まだ攻められる。
    そう思った。

    板が雪面に食い込んだ。
    膝が変な方向にねじれた。

    ーバキッ

    音は、自分の中で聞こえた。
    それから、雪面に転がった。

    体が止まった時、
    左の太ももから下が、どこにあるのか分からなかった。

    強烈な痛みが襲う。


    熱い。焼けてる。
    触れない。動かせない。
    息ができない。

    ー泣くな。
    ー泣くな。
    ー泣いたら、本当に終わる。


    涙は止まらなかった。
    コーチがゲレンデを走って来るのが、
    遠くに見えた。
    申し訳ない気持ちで、すぐに父の顔が頭に浮かんだ。



    リハビリ生活は過酷を極めた。
    スキーで鍛えた身体、精神をもいとも簡単に捻じ曲げた。


    程なくして私はスキーを諦めた。
    絶対嫌だったが、身体の大きさはどうにもならない。
    小学生の頃は小柄が有利だったのに皮肉なものだ。


    しばらくは何も出来ず、学校へも足が遠のいた。


    そんな私を見て父は北杜市に移住と転職を決めたのだ。
    スキーの時は常に私に付き添ってくれてたし、会社もよく休んでた。幸い理解のある会社でむしろ会社あげて応援してくれる良い会社だった。


    後から母から聞いた話だが、やはり世話になっていたのでやめる事を相当悩んでいたみたいだった。


    元々学校の友達は多く無かったが、スキーの厳しい練習をした仲間達は年齢性別を問わず、数少ない同志だったから、彼ら彼女らと会えなくなるのは辛かった。
    ただ骨折直後はそれどころでは無かったが。


    北杜市に移住して、とても住みやすい所だと分かった。田舎具合も同じくらい。

    私より父の方が大変だったろうと今は思う。
    サラリーマンからいきなり起業。
    しかも地元とはいえ長らく離れてたし、経験もないままの開業だからだ。
    お金の面では相当苦労した事は高校生の私でも理解出来る。その時の名残でそのまま母は働いてる。
    週に働く日数は半分になったけど。


    北杜市に来てから同居していた祖父が亡くなった時に家の片付けをしてる時に、今の自転車を見つけた。


    『えっまだあったんだ!』


    あまり感情を表に出さない父が珍しく声を高くした。


    父が若い時に少し背伸びして買ったロードバイクらしい。
    父が選んだにしては、なかなか明るい色合いだ。


    ちょうど高校進学で自転車が必要な為、自転車を買おうとしていた時だった。
    元々ママチャリは持っていたが、高校までかなりの距離とアップダウンがあるので、新調をしようとしてた時だった。


    間近でロードバイクを見たのは初めてだったが、カッコいいと思った。
    男性ぽい色合いも私には合ってる。


    私がこれ使いたい、というと父は


    『サイズが合うかな?
    調整は出来るけど、結構体格違うからなぁ』


    とブツブツ言いながら心なしか嬉しそうだったのを思い出す。


    * * *


    『凛、もうそろそろ行く時間だよ』


    母の声にハッとする。


    折角早く起きて朝ご飯も食べたのに遅刻してはいけない。


    慌てて支度して自転車に飛び乗る。
    今日は髪の毛も綺麗にしたし。
    といっても気になる男子がいるわけでも無い。
    私にそんな青春は来てないのだ。 



    放課後。
    いつものように料理研究部に顔だけ出して帰る。


    途中八ビー還の前を通りがかる。
    わぁ、今日もお客さん多いな。
    明日は絶対見てもらおう。
    気付いてるのに放置は気持ち悪い。


    いつものお気に入りの寄り道の場所での休憩。
    朝の父との会話を思い出す。


    お父さん、最近、少しだけ話しかけてくれる。
    私が避けてるのを、知ってるのに。


    進路の三者面談、もうすぐだ。
    お父さん、何て言うんだろう。

    何もしたい事ないのに私は、何て答えればいいんだろう。



    沈みゆく夕日に稜線が美しい。

     
     
    八ヶ岳南麓・北杜市。 ロードバイクに乗る女子高生と、寡黙な父。 噛み合わない父娘の、二つの車輪の物語を書いています。 自転車・青春・家族。 ペダルを回すように、少しずつ、物語を転がしていきます。  note創作大賞 エンタメ原作部門応募作品 富士山が見てる。

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