
不幸と感じている人への処方箋
前回の記事では、カントが幸福についてどのような問題を捉えたのかを考えました。
では、カントはそこから何を示したのでしょうか。
私たちはしばしば、「良い大学に入れば幸福になれる」「大企業に入れば幸福になれる」「お金があれば幸福になれる」と考えます。
しかし、カントにとって、こうした幸福の基準には問題があります。
なぜなら、それらはあくまで**人々の経験から導き出された「幸福になるための手段」**であって、誰にでも当てはまる普遍的な原則ではないからです。
大企業に入っても幸福になれない人はいます。お金を持っていても不幸な人はいます。
つまり、
「多くの人が幸福だと思っているもの」と「本当に幸福であること」は同じではありません。
そして、他人の経験を基準にして生きている限り、
「もっとお金が必要なのではないか」
「もっと評価されるべきではないか」
「もっと良い人生を送るべきではないか」
と、際限なく比較することになります。
カントは、こうした経験や欲望に振り回されるのではなく、理性によって普遍的に妥当する原則に従って生きることを重視しました。
有名な定言命法も、その考え方を表しています。
> 「あなたの意志の格率が常に同時に普遍的立法の原理として妥当しうるように行為せよ」
簡単に言えば、
「自分だけに都合のいいルールではなく、誰にでも当てはめられる原則に従って生きよ」
ということです。
この考え方は、カントだけに見られるものではありません。
西郷隆盛も「人を相手にせず、天を相手にせよ」と述べています。
周囲からどう評価されるかではなく、自分が正しいと考える道理に従う。
ここに、時代や文化を超えた共通の問題意識を見ることができます。
では、他人との比較や経験的な幸福から離れたとき、私たちは何を人生の基準にすればよいのでしょうか。
そして、このカントの思想は、資本主義の中で生きる私たちの幸福をどのように捉え直すことができるのでしょうか。
この問いをさらに掘り下げたのが、私の思想エッセイです。
『資本主義はなぜ不幸になるのか?
カントとマルクスが明かす幸福の処方箋』
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