メインコンテンツへスキップ
見出し画像

母に奪われたものを、大人になってから全部取り返そうとした

    リリー・コリンズが摂食障害の女性を演じた映画に、忘れられない場面がある。
    大人になった主人公が、治療の一環として、もう一度赤ん坊のように母の胸を吸う場面だ。
    初めて観た時は少しぎょっとした。
    でも、なぜか目が離せなかった。

    あれは単に、食べられない人の話ではなかった気がする。
    食べ物では満たされない飢え。
    言葉では埋まらない欠落。

    大人になっても身体の奥に残る、「母にちゃんと抱きしめられたかった」という感覚。
    母親との関係は、思っている以上に長く身体に残る。

    1. 最近、母のことをよく考える

    銀座で働き始めたし、今の私が少し不安定だからだと思う。
    離婚、仕事、これからの人生、恋愛のこと。いろいろなことが同時に動いていて、
    前に進んでいるはずなのに、ふとした瞬間に昔のことばかり思い出す。

    昔住んでいたボストンにしばらく逃避したいし、台湾の親戚や友人にも会いたい。
    昔の空気に触れて、昔の自分の輪郭をもう一度確かめたいのだと思う。その流れで、母のこともよく思い出すのかな。

    私は、母に愛されていなかったとは思っていないが、同時に母からたくさんの傷を受けた。

    自信を持って言えるのは、私の人生における一番の悪性腫瘍は母である。
    でもだから嫌いとか、そんな単純な話でもない。それを今から書いていきます。

    2. 私の暗黒な幼少期

    幼少期、私は何かができないと母に暴力を受けた。
    母が不機嫌だと無視された。
    他の子との遊びは制限され、テレビも漫画もゲームも全部禁止。
    総じて、「私にとって何が良いのか」を私目線ではなく自分目線でしか考えていなかった。
    あの人にとっては私の発言や意見には全く価値がなく、いつも押さえつけられた。

    さらに、母は外国人で、高齢出産で、身なりをあまり気にしない人だった。私はそのことで、周りからからかわれた。もちろん、母が外国人であること自体が悪いわけではない。でも子どもの頃の私は、周りと違うことをうまく受け止められなかったし、周りの子どもたちも残酷だった。その時は、幼稚園でボストンに住んでいたことさえ、コンプレックであった。みんなと違うから。

    結果として、友達との共通の話題を持てず、コミュニケーションがうまく取れず、友達ができにくかった。
    そして、いじめられた。

    「ママのせいでいじめられている」と言えば、何か変わったのかなと今でも時々考える。でも、なぜか言えなかった。言っても変わらないことが分かっていた気もする。それに、いじめられている自分が恥ずかしかった。そもそも私は、自分がいじめられていたという事実を人に言えるようになったのも、ここ一年以内のことだ。今でも言いにくい。今でも少し恥ずかしい。

    さらに、母は私におしゃれもさせてくれなかった。いじめの中で、ブスと何度も言われたし、私は見た目のコンプレックスをどんどん拗らせていった。

    自分はブスで、周りの子と違う。愛される側の女の子ではない。そういう感覚が、長い時間をかけて私の中に染み込んでいった。

    今でも、私は人を信じることが苦手だと思う。

    3. 結果私がどういう人間に育ったのか

    この子ども時代の傷は、大人の私にも繋がっていた。

    結婚への執着。結果としての離婚。
    男への不信感。恋愛脳。
    人に舐められたくないという異常な思い。格への執着。
    集団に馴染めない感覚。
    いつか裏切られるのではないかという恐怖。

    でも、私はずっと、ちゃんと選ばれたかったし、ちゃんと愛されたかった。誰かの大切な唯一無二でありたかった。

    そんな矛盾を抱えたまま、大人になったし、今は少しマシになったとはいえ、いまだに矛盾は抱えている。

    4. 転機は大学の教育学の授業

    上記のような自分の異常さに自覚はあったし、それに自分が苦しめられているのも自分でわかっていた。でも性格は直せなかった。

    ちゃんと原因に気づいて向き合うようになったきっかけは大学の授業であった。
    教育心理学の授業で、母がいかにひどい母親であったかを思い知ったし、

    その影響で自分が今のような曲がった人間に育ち、毎日苦しい思いをしている、ということを思い知った。

    世界が崩れるような感覚だった。とてもショックで悲しくて、その瞬間、教室で涙が止まらなくなった。緊急で帰宅して、家でも夜中まで号泣した。帰宅して、母に訴えた。

    「お前は私を長年虐待してきた。母親として最低だ。」と。でも、母は聞く耳を持たず、酷い娘だと怒鳴り返してきた。

    母は私が大学生になっても、バイト禁止のくせにお小遣いは少額、門限はなんと22時、そして、門限を破ったら家から追い出すとかスマホ没収するとか、脅してきていた。それも理不尽だと思っていたので、併せて怒りが止まらなかった。

    それ以来、1年に1回は母にかつてされた仕打ちを思い出し、丸一日涙が止まらない、という発作が起こった。

    もう我慢しないと誓い、以下の荒療法を使う作戦に出た。

    5. 夜職、パパ活、整形、豊胸で母の性格を矯正した

    私は、母が一番嫌がることをあえてやって、母に衝撃を与え、目を覚ましてもらおうとした。夜職、パパ活、整形、豊胸をした。

    パパ活をして知らないおじさんに股を開いて身体を売っている時、「ああ、これを母が見たら最高だろうな。」と思っていたほどだ。滑稽である。

    母には、なぜ私がこんな曲がった娘に育ったのか、自分の頭で考えてほしいかった。

    だからある日、それを母に全部話した。
    私はなぜそういう選択をしてきたのか、なぜこんなに苦しんできたのか、母に考えてほしくて。
    いつもは大声で怒鳴り返してくる母が、その日だけは静かにショックを受けていた。

    作戦は大成功で、その日以降母は少しずつ私の意見を尊重してくれるようになった。

    でも煮えくり返っていた私の腑は、それだけでは治らなかった。私にしてきた酷いことを、全部リストアップして、全部謝ってほしかった。
    さらに絶望したのが、私が代わりにリストアップしてあげても、母はなぜかすぐには謝らなかったことである。

    殴ってきたことを虐待だと認めてもらうことさえ5年かかった。言い訳ばかりだった。
    最終的に謝ってもらった後も、母の言葉の節々から、どこかズレている気がした。完全には私の気持ちを分かっていないと確信した。だからこそ、反省しているようにも思えなかったし、謝罪が本当の意味で謝罪になっていないように感じた。

    6. 衝撃エピソード; 成人式のやり直し。

    私は自分の失ったものを大人になってから取り返したがったタイプである。もちろん母に奪われたものもそう。
    その中でも1番のハイライトは、忘れもしない、成人式のやり直しであろう。

    みんなは両親に祝福されて、幸せな成人式を迎えていた。
    でも私は、母に罵倒されながら写真を撮った。そもそも写真を撮ることも、私が自分で考えたことだった。
    おめでとうもなかった。プレゼントもなかった。

    私はずっと、そのことが悲しかった。
    だから結婚直前、もう振袖を着られなくなる前に、私は両親に成人式をやり直してほしいと迫った。

    90万円のヴァンクリのブレスレットをもらった。
    家族3人で写真も20枚撮り直した。
    豪華なレストランでお祝いしてもらった。
    私の生まれ年の赤ワインも開けてもらった。
    おめでとう、と言ってもらった。

    その時に親に使ってもらった金額は200万を超えたであろう。
    もちろんインスタにも投稿した。

    でも本当は、20歳の時に普通に祝ってほしかった。
    後から豪華にやり直したかったわけではなく、
    ただ、20歳の当日に普通におめでとうと言ってほしかった。
    豪華なブレスレットよりも、心のこもった言葉や行動が欲しかった。

    だから、その時言い放った。
    「元々の前撮りから5年経ったでしょう。今回200万かかったよね?5年前に心を込めてお祝いしてくれれば、50万とかで済んだかもしれないのに。この150万を5年分の利子って言うんだよ。一生忘れないで。」と。
    我ながらよく言ったと思う。今でも後悔はしていない。

    (そのヴァンクリは現在銀座で毎日身につけており、お客様の前では高いものを身につけることができる女であるというセルフブランディングは非常に大事なので、役立っております。)

    7. 母自身の家庭環境

    ここで母側の背景を少し書く。母を許す理由にはならないが、理解は少しできる助けになるからだ。
    母の育った家庭は、両親の言うことが絶対。

    母の出身である台湾とか中国の儒教の文化の影響もあるのだろう。
    殴られても、理不尽でも、親に従うのが当たり前。

    だから母は、自分が私にしていることのおかしさに気づけなかったのだろう。でも、母には兄弟が4人いた。
    理不尽な親のもとで育っても、兄弟同士で助け合えた。

    私は一人っ子だった。話が違う。家の中で、私は一人だった。
    しかも外でもいじめられていた。

    誰かと分かち合うことも、逃げることもできなかった。
    少し話がずれてしまったが、このことも母と話して、お互い号泣した内容である。

    8. 束の間の和解

    その後も私は、カウンセリングに通った。
    何度も泣いたし、何度も母に怒った。時間はかかったけれど、少しずつ変化もあった。

    1年に1回母からの仕打ちを思い出して丸一日泣くという、例の発作は起こらなくなった。

    そして、結婚して、一番孤独で辛かった時期に、両親に支えてもらったことも大きかった。その時は、実家に帰るたびに暖かかった。感謝する思いも出てきた。何かあったら母は絶対私の支えになってくれる、ありがたい存在だと思った。

    だから私はやっと、母を母として受け入れられるようになった気がした。あの人も、そういう育ちをしてきたのだから仕方ないのだと。

    母のことを完全に許せていたかどうかはわからないが。

    9. 離婚でまた疎遠に

    私が離婚を切り出した時、私は両親に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。両親を結婚式に呼んだ時は、心を込めて結婚式を挙げた。だから、両親を悲しませるのが辛かった。
    その後、両親と夫と、何度も話し合いを重ねた。

    でも、どう考えても私が悪くない事実があっても、母は私を責めた。夫は、周囲から好かれやすいタイプの人だった。明るく、饒舌で、母にも好かれやすい雰囲気を持っていた。母は、事実を見ずに夫側を100%信じ、夫側につき、私を責め続けた。

    父も当初は夫に洗脳されていたが、夫の洗脳から目を覚まし始めたのに、母はそんな父をも責めて、なんと私の両親まで離婚危機に陥った。

    母親の行動とは思えなかった。悲しかった。せっかく母の愛を信じ始めていたのに、夫に取られたような気がしたし、徹底的に絶望の淵に落とされた。

    10. 母と縁を切る決心をした

    私はその時、もう一人で生きていくと誓った。
    母からもらった株式や資産は全部売却して現金化し、銀座や人生の初期投資として使った。海外旅行、整形、豊胸、ドレス、着物。
    これも母への復讐なんだろうな。

    私は一人で稼ぐ。自分で自分を立て直す。誰にも頼らない。と誓った。

    ちなみに、母はメンツを大事にする人で、私が東大に受かったことは、親戚みんなに自慢した。でも、私の離婚のことは言いたがらなかった。
    だから私は、自分で言いふらした。

    母の顔に泥を塗りたかったし、私が、私の人生をなかったことにされたくなかったからだ。
    私は、成功した娘としてだけ存在したかったわけではない。傷ついている娘としても、見てほしかった。

    親戚から聞いた話によると、私が例の矯正作戦を行った後、母の性格は親戚たちにとっても目に見えて理不尽になったらしい。
    親戚との衝突が増え、叔母と母は縁を切り、いとこも母と喧嘩した。
    かつては母の味方だった従兄弟が、この前「やっとあなたの気持ちが分かった。昔は分からなくてごめんね。」と話してくれた。その時、少し救われた。私はずっと、自分が繊細すぎるのではないかと思っていた。母にもそう言われたことがあるし。でも、やっと少しだけ、自分の感覚を信じてもいいのかもしれないと思えた。

    (話は逸れますが、私は謝罪する時に「不快な思いをさせてすみません。」と言う人がとても嫌いです。謝罪される人の受け止め方にも非があるように感じさせるから。「不快にさせるような行動をして申し訳ございません。」だろ、と思う。@母)

    11. 現在の気持ち

    このノートを書きながら涙が何度も止まらなくなった。心情としては、怒りというよりも、愛と悲しみと失望の混在だろう。

    私は今でも、母に愛してほしいし、母を愛したい。今までも母なりに、私を愛してくれているし、私も母を愛している。でも、悲しい。なぜこんなに悲しいのか、、、

    母の頑固な考えや行動は変えられないし、それは自分を傷つけ続ける、と知っているからであろう。

    母が私のために行動を改めてくれた時期、私の気持ちに耳を傾けてくれた時期、私の心の支えになってくれた時期、それが懐かしくて、時々思い出すんだろうな。

    そして現実的に、そのような関係には二度と戻れないから、寂しいんだろうな。

    そして、私はカウンセリングでも治せなかったこの曲がった価値観や自己肯定感の低さに、引き続き苦しめられながら生きていかなければならない。いつか完全に解脱して、かつての苦労として、同じようなことで苦しめられている人に勇気を与えられるような活動をしたいな、なんて思ったり。

     
     

    余白

     
     
    20代、東大卒。離婚経験。 商社➡️銀座ホステス➡️現在は起業。 自分の内面や人生を整理するために、徒然なるままに書いていきます。 ※フィクション含みます。

    あなたへのおすすめ