
「つまらない」という言葉はどんなに「つまらない」言葉だろうかと考察してみる #389
「つまらない」
この言葉は人々が一番安易に「価値下げ」できる言葉として用いられる。
「価値下げ」のためにこの言葉を使っているといっていい。
この「つまらない」という言葉自体が「つまらない」言葉であることにどれほどの人が気づいているのだろうか?
この言葉は安易に人やモノの価値下げをできる。
最近の人々はいつでも誰でも嘲笑っていたい。
なぜならこういうことをしていないと「自分の存在価値が保てない! どうしよう!」 「他者の価値を自分で低くしないと自分が浮かばれない!」と思ってしまうからだ。
つまりは自分の価値を低くしないための「自己防衛」として「つまらない」という「つまらない下劣な言葉」を発しているのである。
はっきりと言ってこの行動自体が「つまらない」のである。
「つまらない」という言葉を発する人はエンタメなどの創作物にリスペクトがない。
ただ単に価値下げをして生きているから、エンタメを創ってくれている方々への価値下げもする。
さも自分の行為に価値があるかのように。
その行為には価値がなく、ただ自分の価値も相手の価値も不当に落としているだけである。
「つまらない」という人は「自分の価値は相対的に上がっている」と思いがちだが、実際は自分の価値を自分から下げていっているのである。
自分の価値を下げる発言を堂々とすることは私には出来ない。
そういう人たちのことを私は「愚かだな」と思いながら見ている。
そのような人たちは言葉の知識も乏しい。
特定の言葉を多用したり、低俗な言葉を浅い理解度の状態で使ったりする。
私からすると「知識不足をさらけ出していて、恥ずかしくないのかな?」と思う。
私は言葉を浅い理解で使う人については「この人とは関係を築けそうにないな」と思ってしまう。
日本語という日常で話す言葉の理解が乏しいのに、素晴らしい人間であるはずがない。
日本語への理解が著しい人間こそが素晴らしい人間であると思う。
理解力が乏しい人間が理解力の乏しい状態で「低俗な言葉」という「武器」を手に入れると、「武器」を乱用しかねない。
「武器」は適切な時に、適切な量をもって使うべきである。
「つまらない」という言葉がどれだけ「つまらない」かを考察してみた。
つまらないという言葉の考察から「言葉の理解力が乏しい人」についての論を立ててみた。
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