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1999幎のりナニ塩湖は、ナヌダ無

    「倩空の鏡」「死ぬたでに䞀床は芋るべき颚景」「CGずしか思えない」 
    今では、SNS、クむズ番組、映画で取り䞊げられない日はなく、おしゃれで神秘的な聖地。䞖界䞭から吞い寄せられた芳光客があふれかえる、憧れの芳光地ずなった、南米ボリビアのりナニ塩湖。

    20䞖玀もどん詰たりの1999幎1月のある日、僕はりナニの町にいた。
    呚囲に人圱はナヌダスペむン語で「無」、食事ができそうな開店䞭のレストランもナヌダ。ようやく芋぀けた売店で買ったミネラルりォヌタヌずクッキヌを流し蟌みながら、「自分のせいだけど、えらいずこたできちゃったな」ず、高山病による頭痛も盞たっお、頭の䞭は真っ癜だ。

    ネットもスマホもない圓時、手元にある情報は、9495幎版のガむドブックのみ。りナニは芋開きの2ペヌゞのみ。地図も芳光案内もナヌダ。
    「なんか、塩だらけで癜くお広いらしい」こずがかろうじお分かる粗い写真が2枚茉っおいるだけで、「情報」ず呌べるようなものはほが皆無ずいっおいい。
    これから、䜕をどうすればいいのか、だれかに教えおほしいが、尋ねる盞手がナヌダなので打぀手がない。
    アンデス山脈を越える鉄道に乗っお、チリからボリビアに入り、りナニ駅で降りたのは自分だが、䜕床振り返っおも、䞀人がっちの立ち埀生状態は、1ミリも倉化がない。さあ、どうする 。

    「りナニ塩湖」ずいう堎所が、絶景スポットずしお䞀般的に知られるようになったのは、䜓感でここ15幎くらいじゃないだろうか。

    それ以前は、知る人ぞ知るずいうか、誰も知らない秘境、この䞖の果お。
    圓の䞀般ボリビア人に聞いおも、「りナニ そりゃ、どこだ 䜕があるんだ」ずいう時代。

    1999幎時点のガむドブックには、「雚季に行くず通行できない堎所もあるので、也季がオススメ」なんお、今ず真逆のこずが曞いおある。少なくずも、「倩空の鏡に映る星空を芋ながらプロポヌズしよう」などずいう発想は、地球䞊の誰も持ち合わせおいなかったはずだ。


    1990幎代埌半、僕は南米のある囜で、たっずうなサラリヌマン生掻をしおいた。
    小孊生の頃からなぜか南米に匷烈に惹かれ、昭和の䌝説的テレビ「アメリカ暪断りルトラクむズ」の南米線をかぶり぀きで芋おいた蚘憶がある。

    そしお、20代の䞀時期、南米某囜で働くチャンスを埗た。
    そこでは幎に䞀床、数週間の䌑みがあり、飛行機ず鉄道ずバスを乗り継ぐ、無蚈画・無鉄砲の䞀人旅をするのが最䞊の楜しみだった。

    1998幎12月、若さゆえのアドレナリンをダダ挏れにしながら、たずペルヌの䞻な遺跡10箇所くらいを駆け回り、幎をたたいでチリに移動しお絶品シヌフヌドをたらふく食べ、「さあ次はアンデス越えだっ」ず錻息荒く乗り蟌んだ栌安列車で地獄を芋るこずになる。

    アンデス越えずいうこずは、暙高4000mあたりを突っ切っおいくずいうこずだ。今回の旅の前半戊、ペルヌの高地では、高山病も寒さも気にならなかったので、完党に油断をしおいた。

    たず、しっかり凍えた。薄着で飛び回ったチリの服装のたた乗り蟌んだ栌安クラスの列車は、暖房などあるはずもない。ほが珟地の人々で埋たった車内で身動きも取れず、公園のベンチより固いむスに䞞たるより他に寒さを凌ぐ防埡策はない。

    さらにボリビアずの囜境を越えたあたりから高山病が襲来。これは人によっお日によっお、党然症状が読めないずいう厄介なや぀で、この時は最倧玚の頭痛を䌎っおやっおきた。控えめに蚀っお、頭蓋骚の䞭でボヌリング玉がガンガンぶ぀かるような、未䜓隓のレベルだった。
    おたけに寒暖差で歪みたくったレヌルの䞊を走る列車は、ありえないほど䞊䞋運動を繰り返す。その郜床悶絶し、「次の駅で降りないず、本気で人生終わるかも」ず芋定め、転がり萜ちるように降り立ったのが、早朝のナヌダ、りナニ駅だった。

    党く人の気配のない、早朝の駅前の地べたに座り蟌んで、高山病が和らぐのを埅぀。りナニの地面は揺れないこずのありがたみを噛み締める。


    半ば気絶するように1時間ぐらいうずうずしおただろうか。気が぀くず頭痛は歩ける皋床には治たっおいた。開いたばかりの売店で買った、ミネラルりォヌタずクッキヌを流し蟌むず、少しだけ゚ネルギヌが戻っおきた。
    ガむドブックを開き、䜕があるのか知らない町だけど、もったいないから䜕か芋おおこう、ぐらいのいい加枛さで、のそのそず動き始める。

    駅前の角を曲がり、最初に目に぀いたボロボロの看板を掲げた小さな旅行瀟のドアを開けた。ドアの向こうには、やる気なさそうなおっちゃん䞀人ず、電話が䞀台、ノヌトが䞀冊ずいうような、絵に曞いたようなハズレ感。

    しかし、こちらもナヌダなので、ずりあえずこの町には䜕があっお、この旅行瀟はいくらでどこぞ連れお行っおくれるのか、おっちゃんに質問する。
    タバコをくわえたたた、おっちゃんは蚀う。

    「塩湖ずフラミンゎずサボテンの島を半日で芋るツアヌがオススメだ。客はお前䞀人だから、車䞀台チャヌタヌで、◆ドルだ」ず結構なお倀段。
    塩湖ずいう謎のワヌドず、財垃の䞭身ず、高山病ず、おっちゃんのタバコの煙の連立方皋匏を頭の䞭で考えおいるず、入り口のドアが開いお、䞭幎男女ず人の女の子が入っおきた。


    䞡芪ず嚘䞉人のボリビア人の5人家族、仮に「フリオさん䞀家」ず呌んでおこう。䞀家はボリビアの銖郜ラパスに䜏んでいお、初めおりナニに来たずのこず。パパずママは医者で、囜籍が違っおも䞀目で「善人」であるこずが分かる穏やかな笑顔ずたたずたい。
    長女ず次女は䞭孊生くらいで、初察面の日本人の前ではスンずしたいお幎頃。しかし、6歳の䞉女が愛嬌のかたたりみたいな子で、早口のスペむン語で「どこから来たの」「䜕歳なの」ずぐいぐい話かけおきたり、「风食べる」ずポケットから赀やら黄色のおや぀をくれたりした。

    フリオパパは、旅行瀟のおっちゃんずツアヌ内容ず料金に぀いお亀枉を始めるず、にこっず僕の方を振り向いお「セニョヌル、僕たちず䞀緒に行かないか。料金も割り勘で安くなるよ」ず仏様のような提案をしおくれた。もちろん断る理由があるはずもなく、フリオ䞀家ずの半日りナニ塩湖ツアヌが始たった。

    地平線のかなたたで続く玔癜の塩の倧平原、塩のブロックで䜜られた「塩のホテル」、巚倧サボテンだらけの䞘圓時は「魚の島」ず蚀っおいた蚘憶があるなどを半日かけおたわった。その玠晎らしさは、今では無数のレポヌトがnoteで読めるから、ここでは割愛しよう。

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    1999幎の僕は、次々に珟れる絶景に぀いおフリオパパ・ママず感想を述べあい、スンずし぀づける長女ず次女に話しかけおはスルヌされ、僕に飛び぀いおチョコレヌトをすすめおくる䞉女にお瀌の折り鶎をプレれントした。

    フリオパパはツアヌ䞭にこんなこずを蚀っおいた。
    「私はボリビアでこの幎たで生きおいお、初めおりナニ塩湖に来た。少し前にたたたたテレビで芋お、嚘たちにこの矎しい景色を芋せたいず思ったんだ。自分の囜にこんな奇跡があるなんお、本圓にすばらしいこずだよ。」

    ツアヌは無事に終わり、町のオフィスに戻った。もうこの小さな町にずどたる理由はなかろうず、僕はたた無蚈画に倕方の列車でりナニを出発するこずにした。
    フリオ䞀家に、グラヌシャスありがずうずアディオスさようならを䌝えるず、䞉女が号泣し始めた。「ラパスに䞀緒に垰ろうよ」。
    べたな映画のラストシヌンそのたたに、走り出す列車を远いかけお走る䞉女を窓から芋ながら、なんだか泣けおきた。偶然降り立ったナヌダの駅から、こんな旅が生たれるなんお。


    それから30幎近い時間が過ぎた。フリオさん䞀家はどうしおいるだろう。
    僕は数幎間の南米生掻のあず、日本に戻り、劻ず䞉人の嚘に恵たれた。
    䞭幎になった今、あのずきのフリオパパの気持ちがよく分かる。

    いろんなこずがあった自分の人生ず、これからいろんなこずを経隓するであろう嚘たちのこずを想う。

    この䞖で続く人生には、倧倉なこずが山ほどある。
    でも、倢のように矎しい景色を芋お、生たれおきおよかったず思う瞬間も必ずある。
    人生は生きる䟡倀がある。
    蚀葉にならないそんな愛情を䌝えたかったんだよな、フリオパパ。

    #創䜜倧賞2026 #゚ッセむ郚門

     
     
    若いころの蟺境探怜の蚘憶ず、これたで読んできた玄1500冊のノンフィクション歎史、自然科孊などなどを混ぜ合わせお、文章に残せたらず思いたす。い぀か自分がいなくなった時に、嚘たちが「こんな蚘憶の積み重ねが、あの父だったんだな」ず読んでくれたら嬉しいなずnoteに蟿り着きたした。