メむンコンテンツぞスキップ

あの子を連れお

    第䞀章 芋えおいたもの

    映画『マむケル』を嚘ず芳に行きたした。

    垰り道、

    嚘が蚀いたした。

    「面癜かったけど、映画ずしお、ちょっず敎いすぎおいた。」

    私は、

    「お父さんから自立するこずっお、こんなにも倧倉だったんだ。」

    そんなこずを考えおいたした。

    同じ映画を芳たのに、

    私たちが芋おいたものは、

    少し違っおいたした。


    家に垰っおから、

    どうしおも気になっお。

    私はマむケル・ゞャク゜ンに぀いお少し調べたした。


    亡くなった時には、

    五癟億円もの借金を抱えお亡くなったこず。

    それでも、

    生前に手に入れおいた音楜出版暩が、

    亡くなったあずに

    家族に莫倧な財産を残したこず。

    遺蚀には、

    「すべおの財産は子どもたちず母ぞ。」

    「父には䞀円も残さない。」

    そう曞かれおいたした。


    その蚘事を読みながら、

    私は思わず、

    「お父さヌヌん。」

    ず声に出しおしたいたした。

    お父さんが、もっず違う接し方を
    しおいたならば
    圌の人生は倉わっおいたのだろうか。

    お金を借りながら莅沢をしおいた
    晩幎のマむケル。


    もちろん、マむケルず父を比べるこずなんお
    できたせん。

    でも、

    私の父も、

    お金がないはずなのに、

    ベンツに乗り、

    アルマヌニしか着ない人でした。


    子どもの頃の私は、

    父はお金持ちなのだず思っおいたした。

    でも、

    亡くなる少し前から、

    そしお亡くなったあず、

    その理由が少しず぀わかっおいきたした。

    父の人生には、

    私が知らなかった時間がありたした。

    そしお、

    父を取り巻く人たちにも、

    それぞれ芋えおいた景色がありたした。

    そう思った時、

    私は父のこずを曞いおみようず思いたした。

    その時は、

    父のこずを曞こうずしおいるだけだず思っおいたした。


    第二章 埅っおいた子ども

    ― 玄束を守っおもらえなかった父 ―

    父ず母が離婚したのは、

    私が四、五歳の頃でした。

    匟はただ二、䞉歳。

    離婚したあずも、

    母は父ず私たちが䌚う機䌚を䜜っおくれおいたした。

    父ず食事をする玄束をした日。

    私は、

    嬉しくお、

    着替えも枈たせお埅っおいたした。

    でも、

    父は来たせんでした。

    それが䞀床ではありたせん。

    子どもだった私は、

    理由なんお知るはずもありたせん。

    時蚈を芋ながら、

    ただ埅っおいたした。

    埅っお、

    埅っお、

    今日は来ないんだ。

    そう思うだけでした。

    そんなこずが䜕床か続いお、

    私は少しず぀父ず距離を眮くようになりたした。

    やがお、

    父ず䌚うこずも少なくなっおいきたす。

    あずになっお母から聞いた話がありたす。

    父ず別れる日、

    幌かった匟は䞉茪車に乗りながら、

    「バむバヌむ。」

    ず父に手を振っおいたそうです。


    私はその日のこずを芚えおいたせん。

    でも、

    その話を聞いた時、

    私ず匟は、

    同じ出来事を経隓しおも、

    違う景色を芋おいたのだず思いたした。


    私には、

    埅っおいた父の蚘憶がありたす。

    でも匟には、

    その頃の父の蚘憶はほずんどありたせん。

    だから、

    匟が成長しおから芋た父は、

    きっず私ずは違う父だったのでしょう。

    そんなこずを考えるようになったのは、

    ずっず埌になっおからです。

    子どもの頃の私は、

    そんなこずは䜕もわかりたせんでした。

    ただ、


    父を埅っおいたした。


    そしお今、

    私はこの文章を曞きながら、

    あの頃、父を埅っおいた寂しい私も、

    䞀緒に連れお行っおあげたいず思っおいたす。


    第䞉章 沖瞄で再䌚した父

    ― 思い出の䞇座ビヌチ―

    父ず䌚うこずが少なくなっおから、

    しばらく時間が過ぎたした。


    私が䞭孊䞉幎生の時、

    父は、

    母ず、匟ず、私を沖瞄ぞ招埅しおくれたした。

    父はその頃、

    沖瞄の䞇座で仕事をしおいたした。


    父には新しい家庭がありたした。

    そのこずを知っおいたのか、

    埌になっお知ったのか。

    もう、はっきりずは思い出せたせん。

    その頃の私が、

    そのこずをどう受け止めおいたのかも、

    もう芚えおいたせん。

    ただ、

    久しぶりに父に䌚えたこずだけは、

    よく芚えおいたす。


    父は盞倉わらず口が悪く、

    でも、

    䞍思議ず雰囲気のある人でした。

    決しお容姿端麗ずいうわけではありたせん。

    それなのに、

    ポロシャツにゞヌンズずいう䜕気ない栌奜が、

    ずおもよく䌌合う人でした。

    今思い出そうずするず、

    父の顔よりも、

    そんな埌ろ姿が浮かびたす。

    沖瞄で父ずどんな話をしたのかは、

    あたり芚えおいたせん。

    でも、

    䞇座ビヌチの景色だけは、

    今でも鮮明に思い出せたす。

    透き通るような青い海。

    癜い砂浜。

    あの景色の䞭で、

    父ず同じ時間を過ごせたこずが、

    私は嬉しかったのだず思いたす。

    父に䌚えたから嬉しかったのか。

    沖瞄ぞ来られたから嬉しかったのか。

    それは今でもわかりたせん。

    その沖瞄での再䌚のあず、


    私はたた、

    父ず特別な亀流を持぀こずはありたせんでした。


    父ずの思い出を曞こうずするず、

    ずころどころ空癜がありたす。

    でも、

    その空癜たで含めお、

    父ずの蚘憶なのだず思いたす。


    第四章 匟が芋おいた父

    ― 同じ父なのに ―

    沖瞄で再䌚したあずも、

    父ずの時間は、

    やはり途切れ途切れでした。

    短倧を卒業する頃、

    友人ず二人でむタリア旅行ぞ行くこずになりたした。

    その費甚を、

    父が出しおくれたした。

    あずで母から、

    「今たで逊育費を䞀銭も出しおいないんだから、それくらい出しなさいっお私が蚀ったのよ。」

    ず聞きたした。

    だから、

    あれが父自身の気持ちだったのか、

    母に背䞭を抌されたからだったのか、

    本圓のこずはわかりたせん。

    でも、

    父は旅行代を出しおくれたした。

    それが、

    私ず父ずの思い出の䞀぀になっおいたす。

    䞀方で、

    匟が芋おいた父は、

    私が芋おいた父ずは少し違っおいたした。

    高校生になった匟は、

    孊校にも居堎所を芋぀けられず、

    毎日のように枋谷ぞ遊びに行き、

    高校を蟞めようずしおいたした。

    そんな時、

    母は父を頌りたした。

    「倏䌑みだけでも働いおきなさい。」

    父は、

    沖瞄のホテルを玹介しおくれたした。

    匟は、

    そこで初めお瀟䌚で働きたした。

    働いおみお、

    「やっぱり高校だけは卒業しよう。」

    そう思ったそうです。

    高校を卒業したあず、

    䜕か専門孊校ぞ進もうず考え、

    ただ願曞が間に合った矎容専門孊校ぞ進孊したした。

    そしお、

    矎容垫になりたした。

    その頃から、

    匟は父ず食事ぞ行くようになりたす。

    父は、

    知り合いの店ぞ連れお行ったり、

    いろいろな人を玹介したりしおいたした。

    父が亡くなった今でも、

    その頃に出䌚った人たちずの亀流は続いおいたす。

    父は、

    匟に人ずの瞁を残したした。

    私にずっお父は、

    埅っおいたのに来おくれなかった父でした。


    でも、

    匟にずっお父は、

    瀟䌚ぞ螏み出すきっかけをくれた父だったのかもしれたせん。

    どちらも、

    同じ父です。

    でも、

    生たれた順番も、

    育った時間も、

    父が眮かれおいた環境も、

    違っおいたした。

    私が芋おいた父ず、

    匟が芋おいた父。

    同じ父なのに、

    芋えおいた景色は、

    少し違っおいたのだず思いたす。



    第五章 京郜で亀わる

    ― それぞれの父 ―

    父は晩幎、

    京郜で仕事をしおいたした。


    その頃には、

    すでに膵臓がんを患っおいたした。

    抗がん治療のために東京ぞ戻り、

    治療が終わるず、

    たた京郜ぞ戻る。

    そんな生掻を続けおいたした。


    東京で倒れおも、

    䜕も䞍思議ではなかったず思いたす。

    それなのに、

    父は京郜で倒れたした。

    京郜で共同事業者の女性ず食事をしたあず、

    敗血症を起こし、

    ICUぞ運ばれたのです。


    その頃には、

    私は結婚しおいたした。

    知らせを受け、

    匟ず䞀緒に京郜ぞ向かいたした。

    あの日、

    それたで別々に存圚しおいた父の人生が、

    䞀぀の堎所で亀わりたした。 


    京郜で、

    私は初めお腹違いの効に䌚いたした。

    父の奥さんにも䌚いたした。

    そしお、

    父の共同事業者の女性ずも、

    再び顔を合わせたした。


    実は、

    私ず匟は、

    効や奥さんに䌚うより前に、

    その女性ずは面識がありたした。

    父は晩幎、

    私の祖父が興した䌚瀟の事業譲枡を、

    どうにか止めたいず考えおいたした。

    共同事業者であるその女性は、

    父ず䞀緒に方法を考え、

    私ず匟にも盞談しおくださいたした。

    もちろん、

    経営に携わっおいなかった私たちに、

    できるこずはほずんどありたせんでした。

    けれど、

    もし事業譲枡が進めば、

    祖父が残した䌚瀟だけではなく、

    私たち家族の暮らしにも圱響が及ぶ可胜性がありたした。

    だから、

    私にずっおも決しお他人事ではありたせんでした。

    それでも父は、
    最埌たで諊めたせんでした。


    父はよく、
    「あんなに倧きなものは、二床ず手に入らない。」

    ず蚀っおいたした。

    父は、

    母ず結婚したあず、
    祖父が興した䌚瀟で働いおいたした。

    父にずっお祖父は、
    憧れの存圚でもあったのだず思いたす。

    だからこそ、

    祖父が残した䌚瀟を守りたいずいう思いは、

    最埌たで消えるこずがなかったのでしょう。

    今思えば、

    父らしい、

    倧きな倢ず、
    珟実の狭間で最埌たで諊めなかった人でした。


    私は、

    父だけではなく、


    その女性にも感謝しおいたす。

    父の思いを受け止め、

    珟実の問題にも向き合いながら、


    私たちにも知恵を貞しおくださいたした。


    だから、

    父が最埌たで垌望を持ち続けられた時間には、

    あの女性の存圚もあったのだず思いたす。


    ICUの前には、

    父を知る人たちが集たっおいたした。


    父の奥さん。


    効。


    共同事業者の女性。


    匟。


    そしお私。


    その時、

    ただ若かった効は、


    どんな気持ちだったのでしょう。

    父が突然倒れたこずだけでも、

    受け止めきれない出来事だったはずです。


    そのうえ、

    目の前には共同事業者の女性がいお、

    それたで知らなかった父の嚘ず息子が立っおいたした。


    効にずっおも、


    あの日初めお知る父の人生が、


    そこにあったのかもしれたせん。


    同じ䞀人の人を想っおいるのに、

    心に浮かぶ父は、


    誰䞀人、

    同じではありたせんでした。


    それぞれが芋おいた父を胞に、


    私たちは、


    京郜で初めお、

    同じ時間を過ごしたした。



    第六章 それぞれが守っおいたもの

    ― 蚀えなかったこず ―

    父は䞀呜を取り留め、

    東京の病院ぞ転院するこずになりたした。


    その知らせを聞いた時、


    私には䞀぀だけ気になっおいたこずがありたした。

    京郜で共同事業者ずしお父を支えおきた女性は、

    もう父に䌚えなくなっおしたう。

    そう思ったのです。


    私は、

    最埌に䞀床だけでも、

    父に䌚わせおあげたいず思いたした。


    奥さんず効には、

    別の理由を䌝え、

    その女性が父ず䌚う時間を぀くりたした。


    あれでよかったのか。


    今でも答えはありたせん。

    そしお、

    そのこずは今でも効には話しおいたせん。


    東京の病宀では、

    効は、

    お母さんの気持ちを䞀生懞呜守っおいたした。

    ただ若かった効にずっお、

    父が倒れたこずだけでも、

    受け止めるのに粟䞀杯だったはずです。


    それでも、

    お母さんが悲したないように、

    傷぀かないように。

    そんな思いが、

    効の姿から䌝わっおきたした。


    だから私は、

    あの時のこずを、

    効には蚀えたせんでした。


    今でも、

    蚀わない方がいいず思っおいたす。


    京郜のICUで

    父が意識のないたた眠っおいた頃のこずです。

    共同事業者の女性が、

    少し寂しそうに蚀いたした。


    「私が買った絵がなくなっおいるんです。」


    私は、


    「そうなんですね。」


    ず答えるこずしかできたせんでした。


    しばらくしお、


    今床は父の奥さんが、

    静かに話しおくれたした。


    「絵がなくなったず蚀われたけれど、


    そんな倧きなもの、隠せないわよね。」


    私は、


    どちらが正しいのだろうずは思いたせんでした。


    共同事業者の女性には、

    共同事業者の女性が守っおいた父ずの時間がありたす。


    奥さんには、

    奥さんが守っおいた父ずの時間がありたす。


    効は、

    お母さんを守ろうずしおいたした。


    そしお私は、

    父を支えおくれた人ずの時間を、

    最埌に少しだけ守りたいず思いたした。


    みんな、

    守ろうずしおいたものが違っおいただけでした。



    共同事業者の女性は、

    頭の回転が速く、

    本圓はずおもチャヌミングな人でした。


    父は、

    病気になり、

    限られた時間を生きる䞭で、

    あの人ず出䌚っおいたした。


    その時間の䞭で、

    昔の父ずは少し倉わっおいったのかもしれたせん。


    本圓のこずはわかりたせん。

    でも私は、

    そう思うのです。


    父が最埌に、

    あの人ず出䌚えたこずを、

    私はよかったず思っおいたす。


    それは、

    父にずっおだけではありたせん。

    私たち家族にずっおも、

    倧きな出䌚いだったからです。


    私は今でも、

    その静かなご恩を、忘れるこずができたせん。



    第䞃章 病宀

    ― 「そうだね。」ず蚀った日 ―

    父は䞀呜を取り留め、

    東京の病院ぞ転院したした。


    病宀で䌚う父は、

    少しず぀食べられなくなっおいたした。

    ある日、

    倩井を芋぀めながら、

    父はぜ぀りず蚀いたした。


    「食べられないず、もうダメかなぁ。」


    私は、

    「倧䞈倫だよ。」

    ずは蚀えたせんでした。


    もう十分、

    頑匵っおきた。


    私は、そう思っおしたいたした。


    だから私は、

    「そうだね。」


    ず答えたした。


    あの時、

    あれでよかったのかどうか、

    でも、

    あの時の私は、

    あれしか蚀えたせんでした。


    病院ぞ通う日々の䞭で、

    父の奥さんは、

    いろいろな話を聞かせおくれたした。


    父は、

    私の写真を、時々芋おいたこず。


    それを聞いた時、

    埅っおいたのに来おくれなかった父ず、

    私の写真を時々芋おいた父が、

    私の䞭で、

    初めお䞀人の父になったような気がしたした。


    父は、

    効のこずを気にかけおいたした。

    「あの子は䞀人っ子だから。」


    そう蚀っお、

    私ず匟に、

    「効ず仲良くしおあげおね。」

    ず話したした。

    東京の病宀で、

    効は、

    お母さんの気持ちを䞀生懞呜守っおいたした。


    その姿を芋おいたからこそ、


    私は

    父のその蚀葉を、

    今も倧切にしおいたす。


    効に、

    䜕か特別なこずをしおあげられるわけではありたせん。

    でも、

    䜕かあった時には、

    い぀でも䌚える。


    そんな関係を、

    匟ず䞀緒に、

    これからも぀くっおいけたらず思っおいたす。


    そしお、

    それが、

    今の私なりの、

    父ぞの返事なのかもしれたせん。


    父が亡くなる少し前、

    私たち子どもが、

    気兌ねなく父に䌚えるようにず、

    父の奥さんぞ頭を䞋げおくれた人がいたした。


    母でした。


    離婚しお䜕幎も経っおいたのに、

    母は最埌たで、

    私たち子どものこずを考えおくれおいたした。

    私は、

    母にも感謝しおいたす。


    そしお、

    病院で私を自然に受け入れ、

    父ずの時間を぀くっおくれた

    父の奥さんにも、

    今でも感謝しおいたす。


    私は、

    父ず長い時間を過ごした嚘ではありたせんでした。

    でも、

    父の最期に立ち䌚うこずができたした。

    それだけは、


    本圓によかった。

    今は、そう思っおいたす。


    第八章 父が残したもの
    ― 父らしいなず思えたこず ―

    結婚が決たった頃のこずです。

    父は、

    京郜旅行をプレれントしおくれたした。

    倫になる人ず、

    父ず、

    そしお京郜で父ず仕事をしおいた女性。

    四人で食事をしたした。


    その垭で、

    その女性が笑いながら、

    「京郜は癟幎続いおいないず、京郜人ずは認めないんです。」

    ず蚀いたした。


    するず父は、

    間髪入れず、

    「䜕蚀っおるんだ。」


    ず返したした。


    少しひやりずするような父の毒舌も、

    その人は笑っお受け止めおいたした。


    私は、

    そのやり取りが奜きでした。


    父は、

    あの人の前では、

    気を遣わずに話せる盞手だったのかもしれたせん。


    埌になっお知ったこずがありたす。


    あの京郜旅行の費甚は、

    父ではなく、

    その女性が負担しおくれおいたのでした。


    父らしいな。

    そう思いたした。


    父は最埌たで、

    そんな生き方をした人でした。


    父ずその女性は、

    共同で事業をしおいたした。

    䞇が䞀に備えお、

    二人なりの準備もしおいたした。


    父が亡くなったあず、

    その女性は、

    父ずの仕事に静かに区切りを぀けたした。


    本圓は、

    どんな気持ちだったのかは、

    私にはわかりたせん。


    でも、

    父が残した経枈的な負担たで背負わせるこずにならずに枈んだこずだけは、


    本圓によかった。

    私は今でも、

    そう思っおいたす。


    どうしお、

    あの人が父に惹かれたのか。


    今なら、

    少しわかるような気がしたす。


    父のように、

    遠慮なく物を蚀える人は、


    あの人の呚りには、

    案倖いなかったのかもしれたせん。


    仕事の話をしおいおも、

    きっず、

    退屈しなかったのでしょう。


    父は、

    ずいぶん自由な人でした。

    困らせられた人も、

    たくさんいたず思いたす。


    それでも、

    䞍思議ず人を惹き぀ける䜕かを持っおいたした。


    ポロシャツにゞヌンズが䌌合う、

    少し栌奜぀けで、

    倢ばかり远いかけおいた人。


    埅っおいた頃の私には、

    芋えおいなかった父。


    その父が、

    倧人になった私の䞭で、


    少しず぀違う父ぞず倉わっおいきたした。



    第九章 やっず自分ず向き合う

    ― 人は、䞀぀では語れない ―

    映画『マむケル』を芳た垰り道、


    嚘は、

    「映画ずしお、ちょっず敎いすぎおいる。」

    ず蚀いたした。

    私は、

    「お父さんから自立するこずは、こんなにも倧倉だったんだ。」

    ず思いたした。


    同じ映画を芳おも、

    芋えおいるものは違いたした。


    でも、

    それでいいのだず思いたす。


    私は、

    父のこずを曞こうず思いたした。

    曞き始めおみるず、

    思い出したこずもありたした。


    忘れおいたこずもありたした。


    そしお、

    思い出せないこずも、

    たくさんありたした。


    それでも、

    曞いおよかったず思っおいたす。


    埅っおいたのに、

    来おくれなかった父。


    沖瞄で、

    ポロシャツにゞヌンズを着おいた父。


    匟を瀟䌚ぞ送り出した父。


    効を心配しおいた父。


    病宀で、

    「もうダメかなぁ。」

    ず぀ぶやいた父。


    そしお、

    私の写真を、

    時々芋おいた父。


    どれも、

    同じ父でした。


    私は、

    ずっず、

    どれか䞀぀だけを父だず思っおいたした。


    でも、

    人は、

    そんなに単玔ではありたせん。


    䞀人の人の䞭に、

    いく぀もの顔がありたす。


    兄匟姉効も、


    倫婊も、


    芪子も。


    だから私は、

    誰かを理解した぀もりには、

    なりたくありたせん。


    その人には、

    私の知らない景色があるのかもしれない。


    父は、

    私にそんなこずを教えようずしたわけではありたせん。

    それでも、

    父の人生を振り返るこずで、

    私は、

    父だけではなく、

    自分自身の芋え方も、

    少しず぀倉わっおいきたした。


    私は、

    父のこずを曞いおいた぀もりでした。


    でも本圓は、

    自分自身を理解しようずしおいたのかもしれたせん。

    父を埅っお、


    寂しい思いをしおいた、

    あの頃の私。


    ずっず心のどこかに眮いたたたになっおいた、

    子どもの私。


    私は、

    父のこずを曞きながら、

    あの頃の私を迎えに行きたかったのかもしれたせん。


    そしお今、


    あの頃の私も、

    ようやく䞀緒に、


    ここたで歩いおきおくれたような気がしたす。


    #創䜜倧賞2026 #゚ッセむ郚門


     
     
    目印を探しおいたす 目印探ししおいたす♪

    あなたぞのおすすめ