
北海道の失われていく風景20・にしん番屋

旧白鳥家鰊番屋前から厚田方面の風景

石狩市の一番北に厚田区・浜益区があります。更に北は増毛町です。
江戸時代にはハママシケと呼ばれた千石場所でした。
明治32年に建てられた「旧白鳥家鰊番屋」が残っており、今は浜益区の歴史資料館になっています。
漁場を仕切る網元は、主に東北地方から集めたヤン衆を「鰊番屋」に寝泊まりさせ鰊を待ちました。

鰊番屋が浜の近くにそのまま残されており、玄関を入ると土間に暖をとった跡が残っています。
明治に入ると北海道の日本海漁場は鰊(にしん)と共に北上し留萌管内の小平(おびら)にまで達します。

小樽駅から海岸線を西に20分ほど走ると高島岬の灯台が見えてきます。
おたる水族館や岬の一角に鰊御殿が建つ祝津観光施設のエリアです。
絵に描いた高島岬に赤い屋根の鰊御殿があります。
これは西積丹の泊村に明治30年に建てられたもので、昭和33年、創立70周年の北海道炭鉱汽船(株)が移築復元し小樽市に寄贈しました。
しかし、鰊御殿という建物は浜辺にあるものです。
かつて、この一帯は高島郡と言われ江差追分に登場する高島は小樽市街地から西一帯を指していました。
現在は、祝津漁港と高島漁港は茅柴岬を境に分かれています。

ニシン漁で栄えたこの高島は、漁村集落の面影を今も残すところで、鰊漁家の住宅や番屋、石造りの倉庫が当時のままで現存しています。
特に、祝津地区には1863年に建てられた恵比須神社があり、ニシン漁で巨万の富を築いた3大漁家、青山家・白鳥家・茨木家の建物が今も存在します。
江差追分
-前 唄-
松前江差の 津花の浜で ヤンサノェー
すいた同志の なき別れ
ついていく気は やまやまなれどネ~
女通さぬ 場所がある
(女通さぬは積丹町神威岬のことです)
-本 唄-
忍路(おしょろ)高島 およびもないが
せめて歌棄 磯谷まで
(忍路・高島は小樽のことで、歌棄・磯谷は寿都町のことです)


番屋親方の部屋

江戸時代の松前藩は、アイヌと交易する区域を「場所」とよび、1706年に石狩・厚田・マシケの三箇所を設けました。
その後、マシケを二分してマシケ場所(現在の増毛)、ハママシケ場所(現在の浜益)となりました。
今日もこの三箇所は漁港として残り、石狩市の朝市としてその日に水揚げされた魚貝類が販売されています。

厚田区の朝市は人気があり札幌や近郊からも行きます
おしまい