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むかし、むかし、上士別の市街は「宝来・菊水・旭」という三つの地区がまとまって「中央自治会」を作っていました。

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士別市上士別町


宝来地区は町の入口で「宝(たから)がやって来る」というお目出度い地名なのです。
名前の通り、秋には稲穂が実り、たくさんのお米が穫(と)れる町でした。
町には30のお店と農協(今のJA)本店と支店もありました。

この町は明治33年に開拓者が原始林に入植し、太い木をたくさん切り倒して田畑にした町です。今、お米や野菜が作れるのは先祖のおかげで、お盆は先祖に感謝をして一緒に楽しむ日なのです。
 
開拓者は、農業をはじめとして自営業で商売をしている家庭が大多数でした。ところが昭和33年ころからサラリーマン(会社員)になろうとする人が増えてきました。
中学校や高校を卒業すると、農家の子供たちも「金の卵」と言われ、都会に就職する若者が多くなってきました。

このままでは「ダメだ」と商店の人たちが集まります。
そして「私たちで宝を呼び込もう」と立ち上がりました。

町には、地区ごとに大きな神社が十か所以上ありました。
八月のお盆には大きな「幟旗(のぼりはた)」を立てお祭りの用意が進められます。神社の境内には「子ども相撲」や「餅まき」「綿あめ」を用意し、盆踊りの櫓(やぐら)も組み立てられました。

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太鼓野郎

太鼓の練習は、たった一台からはじまりました。
太鼓の楽譜があるわけではなく「ドンドンカッカ」「ドンドカッカ」と書かれた長い紙を見ながらの練習でした。

この曲の名を「宝来音頭」としようと一番年上の人が言いました。
昔この地区が「宝来」と呼ばれていたことを知っていたので「上士別が栄え、作物が豊かに実るように願い、太鼓の打つ音で宝を呼びこもう‼」と力強い声で太鼓クラブのみんなに訴えたのです。 


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「こども太鼓」ができました。小・中学生で演奏したのが人気となり、各地域に出かけて行って大活躍しました。
NHKのテレビ放送からも呼ばれました。もちろん練習にも力が入り、だんだん上手になっていきました。


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毎年お祭りとなると各神社だけでなく、あちこちでも「宝来太鼓」が鳴り響きます。
そして年に一度の盆踊りは晴れの舞台となり、櫓(やぐら)に上がり勇ましい姿で太鼓が打たれるようになりました。

この風景がいつまでも続くように祈っています。


下記のQRコードを開くと、宝来太鼓メンバーの「稲穂の波」を聞くことができます。

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おしまい