
考察:依存・居直り・被害者意識 ~ロシア政治の聖なる三位一体~
近年、モスクワが頻繁にウクライナ軍のドローン攻撃を受けるようになりました。
これにより、モスクワでも戦争が日常生活に影を落とし始め、これまでどこか他人事として受け止めていた人々にも危機感が広がりつつあるようです。
時事系というわけではありませんが、ロシアの歴代指導者層の思考・行動様式を分析し、解説する記事を書こうと思います。
筆者としては単なるロシア批判のつもりで書いたわけではありませんが、ロシア指導者層にかなり批判的と捉えられかねない内容となるため、人によっては不快に思われるかもしれません。
ご注意ください。
ロシア政治の聖なる三位一体
過去の歴史を通して、ロシアの指導者層の政治姿勢に現れる特徴が3つあります。
それが、「依存」、「居直り」、「被害者意識」です。
「依存」というのは、強者に対する依存です。
当時の覇権国や列強国に自分を強く見せつつ、それに次ぐ存在だと売り込んで擦り寄り、援助を求めます。
そして、これに続くのが「居直り」です。
強国からの援助や借款を引き出しておきながら、土壇場では債務を踏み倒します。
それどころか、強国からの援助すら無かったことにして、「我が国は独力で成長した」、「我が国は独力で勝利した」という誇大妄想を喧伝します。
また、かつては油断できない勢力と見なした相手が弱体化したのを見ると、平気で条約を破り背後から攻撃するという行動様式も、この延長ではないかと思います。
最後に「被害者意識」です。
自国が狙われているという陰謀論じみたヒステリーに突き動かされて、過激な軍拡や粛清、他国への侵略を行うことを指します。
これはモスクワの地政学的条件や、国際関係に由来します。
モスクワ周辺には要害が存在しないため、常に西方からの侵略を警戒しなければなりませんでした。
そのため、国境線と仮想敵国の間に緩衝地帯を設けて、少しでも国土の縦深性を確保しようとします。
3つの特徴の中では特に顕著で、強い傾向にあります。
実際にナポレオンやWW1時のドイツ軍、WW2のナチスドイツ軍などが西から侵略してきていたので、これらの経験が侵略に対する恐怖を増幅させているのでしょう。
この傾向はロシア政治や軍事、国際関係理論に関する研究者からは「防衛的膨張主義」という言葉で表現されることもあります。
ロシアの為政者にとっては侵略は防衛の一環なのでしょう。
次からは、これら3つの特徴の具体的事例について列挙していこうと思います。

ChatGPTにより生成。
タタールへの依存と、居直り、そして被害者意識
非常に有名な話ですが、13世紀から15世紀まで、ルーシ諸国はモンゴルのジョチ・ウルスによる支配下にありました。
いわゆる「タタールのくびき」です。
この体制下で、モスクワ公国はモンゴルの「徴税請負人」として勢力を拡大していきます。
ルーシの多くの諸公国がジョチ・ウルスの支配に抵抗し、反攻しようとしましたが、この動きをジョチ・ウルスのハンに密告し、弾圧の先兵となったのはモスクワ公国でした。
ところが、後年にジョチ・ウルスが内乱で弱体化すると「ルーシの解放者」として兵を挙げ、ついにはモンゴルの支配体制を終わらせます。
そうなるとモスクワ公国は「反抗の力を蓄えるため心ならずもモンゴルに従った英雄」としてセルフプロデュースし始めます。
強大なモンゴルのハンに媚び諂い、その権力に寄生して勢力を強め、同胞たちを弾圧しておきながらの、この言い草です。
もちろん、当時のルーシ諸国同士で仲間意識が希薄だったのは確かでしょう。
当時は同じルーシの諸国と言っても油断のならないライバル同士でした。
モスクワだけが他の諸国を蹴落としたわけではありません。
しかし、ロシアの指導者層たちは、ここに「ルーシ」としての共同体意識を持ち込み、自らを「ルーシの解放者」として位置付けました。
トヴェリ公国などが抵抗して滅ぼされた際に、モンゴル側に立って同胞を虐殺した、弾圧者としての自身の側面は、いつの間にか消し去られていました。
「タタールのくびき」について語るとき、現在でもロシアでは「モンゴルの支配による被害者」としての側面が強調される傾向にあります。
こういった「語り継ぐべき歴史」の取捨選択を「選択的記憶」とか「歴史の神話化」と呼びます。
ここでは既に強者への依存、都合の悪い事実からの居直り、被害者意識による国内統制という、後の現代ロシアにも繋がる行動様式の萌芽が見られます。

画像はChatGPTにより生成。
クリミア戦争での被害者意識
19世紀半ば、帝政ロシア時代のことでした。
当時、バルカン半島ではオスマン帝国の統治に反対する内戦が発生していました。
このオスマン帝国の窮状と弱体化に目をつけたロシア帝国は、南下する好機とばかりに積極的に介入し、ついには軍事侵攻を開始しました。
当初のロシア皇帝ニコライの思惑では、西欧諸国が反対しても、オスマン帝国を分割して利権を分け合えば決定的対立は避けられる筈でした。
しかしながら、このような楽観を正面から粉砕する国がありました。
それは大英帝国です。
当時のイギリスはスエズ運河に権益を持っており、インド植民地への交通路としても重視していました。
オスマン帝国が混乱すれば、そのスエズにも悪影響が及ぶと考えたのです。
イギリスは、当時のフランス皇帝で名誉欲の強かったナポレオン三世を仲間に引き入れ、オスマン帝国側で参戦しました。
こうして1853年に有名な「クリミア戦争」が勃発します。
当然ながら技術的後進国であったロシアは、英仏伊の加担したオスマン帝国軍に敗北します。
この時、ロシア側は「ロシアは正教の守護者としてオスマン領内の正教徒と聖地エルサレムの守護のために出兵した」というプロパガンダを展開しました。
おまけに「西欧がオスマン帝国と組んでロシアを包囲し、黒海に封じ込めようとしている」という陰謀論じみた被害妄想も付加されていました。
皇帝ニコライ自身は終戦の前年に死去しましたが、後任の皇帝たちは、このプロパガンダにより国民にパラノイアと西欧への敵意を植え付けることで、責任追及を一部有耶無耶にすることに成功しました。

ChatGPTにより生成。
ロマノフ朝時代のフランス資本への依存と居直り
ロシア帝国の末期、過去の戦争などから工業化の遅れを痛感していたロシアは、フランスから莫大な融資を受けることで、鉄道や工場を建設しました。
当然のことながら、そんな事実は国内向けには発表されません。
フランス資本が無ければ国家運営が立ちいかない状況でありながら、国内には「神聖なロシアによる独自の工業化」として喧伝されました。
そうして第一次世界大戦時にロシアでは革命が起き、ボリシェビキ政権が誕生すると「帝政時代の借金は全て無効」と宣言して莫大な債務を踏み倒しました。
当然ながら、ソ連時代に工業化を進められたのは、帝政時代にフランス資本による工業化があったからです。
しかし、これはソ連時代には綺麗さっぱり無かったことにされました。
この成功体験が、後にWW2のレンドリースでアメリカから莫大な援助を受けつつも、債務を踏み倒すことに繋がったものと思われます。

この影に債務を踏み倒されて泣いたフランス資本家たちがいた事実を忘れてはいけない。
歴史上最大の居直り、レンドリース踏み倒し
これは非常に有名な話です。
第二次世界大戦中の1941年6月、西方からナチスドイツによる侵攻を受けたソ連は、工業設備を東方に移転させ、また東部に展開されていた戦力を素早く西方に移動させることで対抗しました。
さらには1944年になると反攻作戦であるバグラチオン作戦を展開し、ナチスドイツに逆侵攻を行うほどまで、戦況を有利に進めました。
この反攻作戦を支えたのは、アメリカのレンドリース法により大量に供与されたアメリカ製物資と運送車両でした。
ソ連軍の縦深戦術を実現するには、砲兵の牽引と歩兵の素早い移動、弾薬の迅速な補給が不可欠でした。
しかし、ソ連では民生車両の生産力は脆弱であったため、砲兵や歩兵の機械化が進みません。
そこで活躍したのが、アメリカから供与された40万台のトラックと5万台のジープ、2000両の機関車でした。
おまけにアメリカは450万トンもの食糧を供給しました。
これは前線の戦闘員や、ロジスティクスを支える鉄道作業員などに優先的に供給され、反攻作戦の胃袋を支えました。
縦深戦術の主役とも言える大量の砲兵が使用した弾薬、その材料を供給したのもアメリカでした。
完成品の銃弾や砲弾こそ殆ど供与されませんでしたが、アルミは30万トン、銅は40万トン、TNTや火薬に至っては数えきれないほどの膨大な量が供与されました。
事実上、アメリカの支援なしのソ連が独力でナチスドイツに勝利することは極めて困難でした。
ところが現在のロシアでは、この一大援助は無かったことにされ、「神聖なるロシアの大祖国戦争(独ソ戦)の勝利」として毎年、戦勝記念式典が催されています。
また、レンドリースで供与された物資の内、消耗品を除いた船舶、車両、工作機械などの代金は戦後にアメリカに支払う事となっていました。
この取り決めに基づき、アメリカは26億ドルを請求しましたが、その代金は当然のように踏み倒されています。
本来ならイデオロギー的に相容れない筈のアメリカ資本に依存し、戦後は独力で勝ったかの様に振る舞い居直る。
ここでも依存と居直りが遺憾なく発揮されています。

パラノイアの帝国とウクライナ侵攻
これらの歴史的傾向は全てが現代のウクライナ侵攻に繋がっています。
ソ連崩壊後、ロシアは一時期は欧米のパートナーとして、現行の国際秩序を受け入れたかのように振る舞い、経済を再建してきました。
そうしてある程度、国力が回復してくると今度は次のようなパラノイア的言説をばら撒き始めます。
①NATOが東方拡大してロシアを包囲している。
②ネオナチがウクライナに浸透している。
③ペレストロイカ以降の経済的混乱はアメリカの陰謀だ。
④ソ連は世界平和のために敗北を受け入れて誇り高き敗者となったのに、欧米は執拗にロシアを貶めその矜持を奪おうとしてくる。
この内、①に対してだけは一理あるかもしれません。
NATOの拡大に関してだけは、ロシアに対する配慮が欠けていた面もあったと強弁することは可能でしょう。
しかし、②~④は被害妄想に近いです。
②について、ウクライナの準軍事組織であるアゾフ連隊の初期メンバーに極右思想を持った人物が居たのは事実ですが、決して多数派ではありません。
これは明確に誇張された主張であると断言できます。
また、ロシア側は単に反ロシア的な人物を指してネオナチと呼称しているフシがあります。
その時々に応じてロシア側の使う「ネオナチ」という言葉の語義が変わるので、正直よくわかりませんが・・・・・・。
③について、ロシア経済はソ連時代で既に行き詰っていて、ペレストロイカでそれが可視化・加速されただけです。
④のソ連が自ら敗北を受け入れたというのも、後付けの自己正当化です。どうもロシア人はロシア国家を悲劇の英雄と見なしている感があります。
ロシア指導者層は、ウクライナ侵攻後の国内での不満について、これらの陰謀論で抑え込もうとしました。
その思惑は一時的には上手くいくかと思われましたが、最近のドローンによるモスクワ攻撃により、モスクワ市民の不満が噴出し、失敗に終わりつつあります。

歴史を拭うスポンジ
2023年以降、ロシアではメジンスキー元文化相らが編纂した新しい歴史教科書が導入されました。
ここでは、以下のような歴史の連続性が強調されています。
①モンゴルの支配に耐えてルーシを再建した解放者としてのモスクワ公国。
②ナチスの侵攻を受けつつも、反攻作戦でこれを打倒したロシア
③そして現在、西側の包囲網に立ち向かうプーチンのロシア
これらは全て、「外部の敵に脅かされながらも自らを犠牲にして正義を貫くロシア」という歴史観が一貫しています。
当たり前の話ですが、本来の歴史とはこのように単純なものではありません。
もっと猥雑で一貫性がなく、混沌としたものです。
ところがロシア指導者層は、そういった歴史観の「ノイズ」や不都合な事実を拭い去ってしまう強力なスポンジを持っているようです。
ただし、このスポンジはロシア指導者層だけが持っているわけではありません。
多かれ少なかれ、どこの民族や国家でも「選択的記憶」の編纂が行われています。
当記事では現代ロシアまで続く、ロシア指導者層の行動様式を「依存」「居直り」「被害者意識」の3要素で解説しています。
しかし、これも過度に歴史を単純化しているとの謗りは免れないでしょう。
歴史はもっと混沌としていますし、先の3要素にしてもロシア以外の国にも広く見られます。
ただ、ロシア指導者層の行動様式にはその3要素が顕著に表れ易いという程度です。

画像はChatGPTにより生成。
歴史の洪水に呑まれた男
恐らくプーチン大統領は今後、世紀の大悪党にしてヒトラーに並ぶ独裁者として語り継がれていくと思います。
しかし、それは非常に一面的な見方です。
プーチン大統領は独力でウクライナ侵攻や独裁を成し遂げたわけではありません。
その周りには必ず、彼に協力することで利益や感情的充足を得てきた側近や助言者、支援者が存在したでしょう。
ウクライナ侵攻に関する意思決定についても、プーチン大統領に届けられる情報には強いバイアスがかかっていたものと推察されます。
昨今の侵攻にまつわる悪事の全てがプーチン大統領に帰するかのような歴史記述は公平とは言えないと思います。
もし筆者がプーチン列伝や現代ロシア史を書くのであれば、そのような記述は決してしないでしょう。
プーチン大統領は良いことも悪いこともした。
ロシアの地で長い年月をかけて選択されてきた「ロシア人としての歴史」、その文化や精神性、そして官僚や軍民一丸となって紡がれた神話と思考様式に突き動かされてウクライナに侵攻することになった。
そのような記述が妥当なのではないかと思います。
決して彼を免責したいわけではありません。
ただ、現実の刑罰や処罰とは別に、歴史的評価は公平に下すべきだという思いがあります。
ウラジーミル・プーチンは彼単独で「プーチン大統領」になったわけではないのです。
終わり。
#歴史解説 #ウクライナ侵攻 #タタールのくびき #プーチン大統領 #ロシア #歴史 #モスクワ公国 #ロシア帝国 #依存 #居直り #被害者意識 #レンドリース