
名札代わりの俳句-実用的な風流-
実家暮らしかつズボラ。私・弟・妹をつなぐ悲しい共通点である。
ステンレス製の水筒を持ち歩くことも洗うこともしないので、日々、箱買いをしている「お〜いお茶」のペットボトルを持ち歩いて暮らしている。
朝、バラバラの時間にボトルを取って出かけるのだが、600mlのたっぷり容量なので夕飯や就寝前までかけて飲み切ることが多い。
大学生1人と社会人2人の兄弟構成なので、夜に共用部で過ごす時間もたいてい重ならないのだが、昨日はたまたま「3人」と「3本」がリビング・ダイニングに揃い踏みした。
テレビを見る者、やっと取れた運転免許に喜び「夜のドライブに行こう!着いてきて!」せがむ者と、各々の都合で行動をしている。
私は、「うぅ〜」という呻き声とともに帰宅して夕飯を食べながら自分の手元に置いてあったペットボトルを飲んだ。
ここでプチ事件が起こる。妹が、自分のペットボトルをどこに置いたか分からないと言い出したのだ。
食卓に2本、リビングに1本のお〜いお茶がある。
さっき、何も考えずに手元のボトルを飲んじゃったよ。
さてどうしようと思っていたら、妹が
「あ、でも私、お〜いお茶の俳句を読んでるから分かるよ。今日はAIの句だったの。」
お〜いお茶のペットボトルラベルには公募作品から選ばれた俳句が印刷されている。
そうか、その手があったか。
と思うと同時に、1日ずっと持ち歩いていたボトルに書いてある俳句を気に留めなかった自分に驚いた。
私は本来、この類の読み物を「読む派」の人間だったのに、ここ最近は「読まない派」の行動を無意識に取っていたことに気がついたからだ。
結局、私の手元に妹のAIボトルがあったことが分かって事件は落着した。(間違えて飲んだことは黙っておいた。)
私と一緒に1日を過ごしたボトルにはこんな句が書いてある。
図書室を湖底に変えた魚図鑑
天ぷらも拍手している妻の歌
本の世界への没入感や家族を見つめる優しい眼差しがずっと私の手元にあった。
なんだか心が明るくなった。