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芋出し画像

䞉十䞀歳のフィルム

       早瀬が緒方ず初めお話したのは、十䞀月の終わりだった。

       それ以前から顔は知っおいた。䌚瀟の近くの喫茶店に、お互い昌䌑みに来おいた。坂を少し䞋りたずころにある、叀いビルの䞀階の店だった。早瀬は窓際の垭を奜んで、緒方はカりンタヌにいるこずが倚かった。挚拶もしない、目が合えば䌚釈する皋床の関係が、半幎ほど続いた。

       名前も䌚瀟も知らなかった。ただ、よく芋かける人、ずいうだけだった。

       きっかけは些现なこずだった。その日、早瀬がい぀もの窓際に座るず、テヌブルに前の客の忘れ物があった。誰かの文庫本だった。どうしようか思っおいるず、カりンタヌから緒方が「それ、さっきの人のや぀ですね」ず蚀っお、店員に枡しに行った。戻っおきたずきに「よかった」ず早瀬に蚀った。早瀬も「よかったです」ず返した。

       その日から、䌚釈だけじゃなくなった。

       早瀬は䞉十䞀歳で、今幎の誕生日を初めお憂鬱に感じた。

       以前は幎霢の話をするずき、どこかに䜙裕があった。口では蚀いながら、本圓にはそう思っおいなかった。今幎は違った。䞉十䞀ずいう数字が、どこか重荷に感じた。

       最近は、倜䞭の䞉時くらいに目が芚める。眠れないわけじゃない。ただ目が芚める。

       眠ろうずしお、身䜓の向きを倉えるず、向かい偎のクロヌれットの䞊に、カメラがあったこずを思い出した。

       倧孊の頃から持っおいた。特別うたかったわけじゃない。ただ、撮るこずが奜きだった。この街は坂が倚い。少し高いずころに䞊るたびに景色が倉わった。枯が芋えたり、叀い石畳の路地が続いおいたり、曲がり角の向こうに海の色が差し蟌んできたり。そういうものを撮っおいた。

       気が぀いたら䜿わなくなっおいた。い぀やめたか、はっきり芚えおいない。忙しくなっお、持ち歩かなくなっお、そのうちケヌスに入れたたた棚の䞊に眮くようになった。やめた、ずいうより、そこに眮いおある、ずいう状態になった。

       取り出そうずしたこずは䜕床かある。でも取り出した埌を考えるず、疲れるからその手は止たった。撮った写真をどうするか。誰かに芋せる気にもなれなくお、かずいっおただ撮るだけなら䞀人でできるのに、できない。

       できない理由が、わからなかった。興味がなくなったのか。自分でもよくわからなかった。

        そしお、緒方ず少し話すようになっおから、䌚うたびに蚀葉が少しず぀増えた。

       名刺を亀換したのはずっず埌で、それで初めおお互いの名前ず䌚瀟を知った。印刷䌚瀟の営業で、早瀬の䌚瀟ずは仕事䞊の付き合いがあった。担圓者同士ではなかったけれど。

       「写真、やっおたんですか」

       カバンからカメラが芋えたずき、緒方が蚀った。早瀬はその日、久しぶりにカメラを持ち歩いおいた。なぜ持っおきたのか、自分でもよくわからなかった。

       「昔は。今はもう」

       「僕、写真集を䜜りたくお出版瀟を受けたずですよ、孊生の頃」

       「入れたんですか」

       「党郚萜ちお。結局印刷䌚瀟に入りたした」緒方はコヌヒヌを飲んだ。「写真集の印刷には関われたずですけど。撮る偎じゃなくお、刷る偎ずしお」

       「それで、よかったず思っおたす」

       緒方は少し間を眮いた。「時々わからんくなりたす」

       その答えが、早瀬には劙に正盎に聞こえた。

       高校からの友人、千晎が子どもを産んだのは去幎の秋だった。

       千晎は倧孊卒業埌にこの街を出お、関東に移っおいた。この街を出る人間は倚かった。坂が倚くお、䜏みにくくお、倧きな䌚瀟も倚くない。出おいく理由には事欠かなかった。早瀬は出なかった。出ようずしたこずが䜕床かあったけれど、結局出なかった。出れなかった。

       千晎が子どもを産んだこずは、SNSで知った。小さな手の写真ず、短い文章。早瀬はいいねを抌しお、スマヌトフォンを眮いた。

       おめでずう、ず思った。心の底から本圓に。

       でも同時に、䜕か締たるような感芚があった。嫉劬でも焊りでもない、たぶん。千晎がそっちに行った、ずいう感芚。行っおしたった、でもなく、遞んだ、でもなく、ただそっちに行った、ずいう事実がそこにあった。

       連絡はたたに来る。早瀬も返す。でも䌚おうずいう話を、お互いに出さなくなった。

       䌚えば䜕かが蚀語化されおしたう。そんな感芚があっお、今のたた宙吊りにしおおく方が、二人にずっお優しい。そういうこずを、蚀葉にしないたた合意しおいる。

       子どもが欲しいのか、欲しくないのか。

       ある本で読んだ蚀葉が残っおいる。子どものこずは愛しおいるが、母芪にはなりたくなかった、ずいう話だった。

       その文章を読んだずき、早瀬はなぜかカメラのこずを思いだしおいた。

       写真を撮るこずは奜きだった。でも、写真を撮る人間であるこずを、ずっず背負えるかどうかは別の話だ。䜜品ぞの気持ちず、䜜り手ずいう肩曞きは、切り離せる。そう気づいたずき、それは少し遅かった。

       幎が明けおから、緒方ず話す時間が少し長くなった。

       どちらかが先に垰るでも、長居しようずするでもなく、気が぀くず話しおいた。それでも昌䌑みが終われば、それぞれの午埌に戻った。お互いの仕事も、家のこずも、ほずんど知らないたただった。その距離感が、早瀬には実に心地よかった。

       ある日、早瀬は千晎のこずを話した。子どもを産んだ友人のこず、䌚えなくなっおいるこず、でもそれを誰かに話せずにいたこず。蚀葉にしながら、自分でも少し驚いた。なぜ緒方に話しおいるのか、うたく説明できなかった。たぶん、深く知らない盞手だからだ。

       「そん人ず、たた䌚えるず思いたす」ず緒方は蚀った。

       「わからないです。䌚えるずは思うけど、䜕かが倉わっおしたう気がしお」

       「倉わるずの怖かずですか」

       早瀬は少し考えた。「倉わるこずより、倉わったこずを確認するのが怖いのかもしれないです」

       緒方は黙っお聞いおいた。

       「なんか、匕き返せない感じがしお」

       「なんか将棋のごたっですね」ず緒方が蚀った。

       「将棋」

       「䞀手指したら取り消せんじゃなかですか。でも将棋だず、そいのおもしろか。なんでかずいうず、わからんずですけど、倚分、盀の芋えずるけんでしょうね」

       窓の倖を、路面電車がゆっくり通り過ぎた。深い緑色の叀い車䜓が、通りを曲がっおいくのが芋えた。

       「そいけど」ず緒方は続けた。「友達で、十幎写真を撮り続けずる人のおっお、そん人の蚀うずったんですけど。写真はシャッタヌば切った瞬間に終わる、っお。珟像しおも、食っおも、そいは党郚おたけで、芁はシャッタヌの瞬間だ、ず。そいけん珟像せんでよか、誰かに芋せずうもなかっお」

       䞃月の倜、クロヌれットを開けた。

       カメラを取り出す぀もりじゃなかった。ただ開けた。ケヌスが目に入っお、しばらく芋おいた。

       䞭を開けるず、フィルムが䞀本入ったたただった。い぀入れたか芚えおいない。撮り途䞭かもしれないし、䞀枚も撮っおいないかもしれない。

       倖に出た。

       倜の坂道を、カメラを持っお歩いた。どこかぞ行こうずしたわけじゃない。ただ歩いた。湿った空気が肌に觊れた。この街の倜は、海の匂いず湿っぜさが混ざっおいた。昌間ずは別の街みたいだった。この町の倜景は十䞇ドルずやららしい。

       路面電車の停留所の前を通ったずき、その電灯が䞀぀だけ点いおいお、その光が叀いベンチの䞊に萜ちおいた。時刻衚の端が錆びおいた。䜕幎も替えられおいないのが芋おわかった。壊れおいないから替えない。そういう論理で、この街にはたくさんのものが残っおいた。

       シャッタヌを切った。

       うたく撮れたかどうかわからない。珟像しないずわからない。珟像するかどうかも、ただ決めおいない。

       久しぶりだった。

       わからないけど、日々を進んでいる気はした。わからないけど。

       翌朝、千晎からメッセヌゞが来た。

       「久しぶりにご飯でも行かん。そっちに行くけん」

       早瀬は少し考えお、「行こっか」ず返した。

       早瀬はスマヌトフォンを眮いお、フィルムを取り出した。珟像に出しおみようず思った。䜕が撮れおいるかは、開けおみるたでわからないけど。

       窓からは、朝の枯が海に反射しお光っおいた。それだけが、その朝に倚分、早瀬にずっおは確かなこずだった。


     
     
    アラサヌのラッパヌ。 地元ず仕事ず音楜、そのあいだの生掻。 ここに曞いたものは、たぶんい぀か曲になりたす。 リリヌスしおいる曲はこちら https://linktr.ee/Hitsu_theapart

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