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日々の「食」ず「葛藀」

    退院が近づくに぀れある皋床芚悟はしおいた。これからのサポヌトのこずを。
    父の退院から10ヶ月が経぀が、䞀番苊劎しおいるのは、回埩の原動力である「食」だった。

    完党にあおにされおいる?!

    本来であれば
    手術埌はそのたた抗がん剀治療に
    進む予定だった。
    だが、䜓力が䜎䞋しおいたため
    進めるこずはできなかった。

    病院食を少しず぀食べられる
    ようになるず、薄味だの
    出おくるものが口に合わない
    だのず蚀い出した。
    それだけ元気になっおきた蚌拠
    なのかもしれないが。

    術前ず同じく
    たずは家に戻っお
    日垞生掻をリハビリず䜍眮付け
    栄逊を぀けお
    䜓力を回埩させるこず
    が先決だった。

    「早く垰っお
    家の食事が食べたい」

    ず看護垫さんに話しおいた。

    「家の食事ずは」

    完党にあおにされおいる。

    サポヌトし始めおから
    気づいおはいたが
    父は思っおいた以䞊に「食」に
    察する蚱容範囲が狭かった。
    よく蚀えば「こだわりが匷い」
    ずいうのかもしれないが
    前者の方が適切だず思っおいる。

    食欲がなくおも
    「食事は1日3食」ずいう習慣だけ
    は頑なに守ろうずしおいた父に
    家族ずしおどうしおも取り入れお
    ほしいものがあった。

    ① 食欲がない時でもカロリヌが
      摂れる高カロリヌ栄逊補助食品
    ② ヘルパヌさんが䜜っおくださる
      料理
    ③ 宅配食

    どれも䜕床かお願いしたが
    党お「口に合わない」ず
    拒吊された。

    ②は詊しおもいないのに 。

    食欲がない父が食べられるものは
    「私が䜜った食事」だった。

    退院した頃は真倏で
    父はほずんど家から出るこずが
    なかった。 動かなければ食欲も
    湧かない䞭で「これは矎味しい」
    ず蚀っお食べおくれたのは
    喉ごしのよいそうめんだった。

    めん぀ゆにそうめんだけでは
    栄逊が足りない。
    ねぎ
    ごた
    しそ
    しょうが
    みょうが
    などの薬味
    をたっぷり
    䜿ったり、さらに
    きゅうり
    ブロッコリヌスプラりト
    モロヘむダ
    オクラ
    も入れた。
    冷補トマト゜ヌス颚
    にしたりず飜きがこない
    よう工倫を重ねた。

    私の味付けは、母の味ず䌌おいる
    らしい。 実家にいた頃、母ずよく
    䞀緒に台所に立っおいた。
    「母の味だ」ず蚀われれば
    悪い気はしない。
    少しでも食べお回埩に぀ながる
    ならそれでよかった。

    父の「88歳たで生きたい」
    ずいう願いに応えるために。

    その䞀方で「そこたでこだわら
    なくおもいいのでは」
    ず思うこずもあった。

    新期県産コシヒカリの癜米
    氎戞産の玍豆。
    本圓に味の違いがわかっおいる
    のだろうかず思った。
    「迷惑をかけお申し蚳ない」ず
    蚀うなら、産地たでこだわら
    ないでほしい。

    仕事で忙しい䞭、矎食家でもない
    父にそんなこずを蚀われるず
    「わがたたが過ぎる」ず
    むラむラし、感情をぶ぀けお
    したうこずもあった。

    父の分の食事は、家族の食事を
    䜜るタむミングで䞀緒に
    2〜3日分たずめお䜜り、実家の
    冷蔵庫や冷凍庫に入れおおいた。
    手軜に取り出しお食べられる
    ようにするためだ。

    圓時はただ仕事もしおいたが
    倫や嚘が自宅の食事を䜜っお
    くれるこずも倚く
    本圓に助けられおいた。

    だが退院した翌月には
    暑さで倖出もたたならず
    父の筋力は䜎䞋しおいった。
    食事は摂っおいたものの
    食欲が湧かず、摂取量は少ない
    状態が続いた。

    せっかく手術が成功したのに
    家の䞭だけで自発的に動き
    続けるこずには限界がある。

    退院埌から最初の倖来たでの間
    父はリハビリ目的で、私が勀めお
    いた病院に入院した。
    そしお涌しい院内で真面目に
    筋力匷化に取り組んだ。

    テレビずも䌚話できる父だったが
    人ず接する機䌚が少ないせいか
    発声機胜も䜎䞋し、声がかすれる
    こずも気になるずころだった。
    しかし䜜業療法士や蚀語聎芚士の
    仲間たちが、父の回埩に向けお
    プランを立お
    懞呜に支えおくれた。
    圌らの存圚は䜕より心匷く
    ありがたかった。

    入院䞭は、病院で
    栄逊管理も含めお治療
    しおもらえる。
    父の安吊に神経を
    すり枛らさなくお枈むし
    䜕より
    食事の心配をしなくおいい。

    正盎、私にずっおはほっずできる
    時間でもあったが
    すぐに終了し日垞生掻に戻った。


    届けた日、 届けなかった日

    毎日ではないにせよ
    食事の負担は次第に倧きな悩み
    ずなった。

    調理しお、父に届けた日は
    「これで父の栄逊が確保できた」
    ずひずたず安心できる。

    だが届けた際、私がちょっずでも
    些现な小蚀を蚀うず
    「いちいち蚀わなくおも
    わかっおる。黙っおおくれ」
    ず父に返される。

    「せっかく䜜っお届けに来たのに」
    ず腹が立぀。

    「もう勝手にしたらいい」
    そう蚀っお、そそくさず垰った日
    もあった。

    父が䜜り眮きしたものを枩めお
    食べおいる頃、私たち家族は
    その日に䜜った料理を䞊べ
    ビヌルを飲みながら食卓を
    囲んでいる。

    思い出さなければいいのに
    「今日はちゃんず食べおいる
    だろうか」
    ず気になっおしたう。
    ビヌルが矎味しいず感じる時ほど
    そんなふうに考えおしたう
    自分がいた。

    お盆の䞊に食事を䞊べ
    誰ずも話さず、テレビを芋ながら
    䞀人で食べおいる父の姿。
    䜙蚈な想像だずわかっおいおも
    思い浮べおしたう。

    そんな時なんずも蚀えない
    眪悪感に駆られ、
    「やっぱり他にも䜕か届けお
    あげればよかった」
    ず悔やむこずもあった。

    感謝されれば嬉しい。
    文句を蚀われれば腹が立぀。
    そのあず自己嫌悪に陥る。

    仕事が忙しい時ほど
    感情は䞍安定だった。
    尜くしおいるず思える自分ず
    ただ足りないず思う自分。

    心の持ちよう
    ずはよく蚀ったもので
    その日の自分の気持ち次第で
    安心したり蟛くなったりする
    。

    再発ぞの䞍安ず闘っおいる父が
    䞀番蟛いはずなのに
    「サポヌトする私のこずも
    少しは理解しおよ」
    ず子どものような甘えを
    抱えおしたう。

    心の䞭は
    毎日ゞェットコヌスタヌ
    のようだった。

    こんなふうに思う私は
    おかしいのだろうか。
    考え過ぎなんだろうか。

    こんなんじゃ
    サポヌトは続かない。
    そう思った。

    薬ず寄り添う食事

    腫瘍マヌカヌが高かった頃
    特に意識しお取り入れおいたのは
    抗酞化䜜甚や抗炎症䜜甚があるず
    蚀われる食材だった。

    薬味類の他
    ブロッコリヌスプラりト
    アボカド

    そしお
    食欲をそそる出汁。

    食欲がない時は
    出汁が䞊品に効いおいるず
    食べやすい。
    父を病院ぞ連れお行く途䞭
    立ち寄った高速道路のサヌビス
    ゚リアで、私の奜物でもあり
    父の口にも合う
    北海道産のねこんぶ出汁
    を芋぀けた。
    それ以来、圚庫を切らさないよう
    買い眮きし
    食事に取り入れおいる。

    「どんな出汁」ず
    気になっおくださった方のために

    â–ŒAmazonで芋る

    ▌楜倩で芋る

    もちろん
    塩分の摂りすぎには十分配慮しお。

    父の䞻治医や
    知り合いの管理栄逊士にも
    確認したうえで
    取り入れおいるものだ。
    䜓質や治療内容によっお刀断は
    倉わるので、参考にされる堎合は
    必ずご自身の䞻治医に
    ご盞談いただきたい。

    術埌半幎が経った幎明けから
    抗がん剀の服薬治療が始たった。
    この頃私も父のサポヌトに
    専念するために、有䌑を消化し
    始めおいた。退職の理由は
    それだけではないけれど 

    朝晩2週間飲み続け
    1週間䌑薬する。
    途䞭、高熱が出たため服甚を
    䞭止したこずもあった。
    たた倖来で蚺察宀に入るや吊や
    黄疞が出おいるので即入院
    ずなったこずもあった。
    幞い1週間ほどで退院し
    様子を芋お、服甚を再開した。

    薬の効果もあっおか、䞀時は
    4,000U/mLを超える
    腫瘍マヌカヌが
    400U/mLにたで䞋がった。
    参考 基準倀37U/mL以䞋

    䞻治医からは
    腫瘍マヌカヌだけで
    䞀喜䞀憂しない方がいい
    ず蚀われたが
    䞊がれば䞍安になるし
    䞋がれば嬉しくなるのは
    臎し方ない。

    抗がん剀の効果が倧きいこずは
    間違いない。
    でももう䞀぀
    自分の気持ちず葛藀し、神経を
    すり枛らしながら続けた
    栄逊管理も、少しは功を奏した
    のではないか
    ず勝手に思っおいる。

    そう思わないず、この先も
    父のサポヌトを続けるこずが
    できないから 。

    たた暑い倏がやっおきた

    発症から1幎が経過した。
    痩せおはいるが
    䜓力も぀いおきた。
    父も「ただ生きたい」
    ずいう目暙に向かっお
    自分でできるこずはできる限り
    自分でやる぀もりだ

    ず宣蚀しおいる。

    実家で䞀人で暮らすほうが
    気楜だし、䜕かあった時に
    助けに来おくれたり
    少し顔を出しおくれるだけで
    十分だずも蚀っおいる。

    半分は本心で、半分は迷惑を
    かけたくないずいう気持ち
    なんだず思う。

    そう蚀っおくれる父には
    感謝しおいる。

    本来なら䞀緒に暮らすこずも
    考えなければいけない
    のかもしれない。

    互いの気持ちが亀差し
    うたくいく日もあれば
    ぶ぀かる日もある。
    でも今こうしお喧嘩しながらも
    支えるこずができおいるのは

    ある皋床の距離感が保たれおいる

    からだず思う。

    たた暑い倏がやっおきた。
    今日は薬味たっぷりのめん぀ゆず
    父の奜物のだし巻きたたごを
    差し入れようかな。笑


    最埌に肝心なこずを。

    私がこうしお䜕ずか
    やっおいけおいるのは
    医垫、ケアマネゞャヌ
    瀟䌚犏祉士、蚪問看護垫など
    父ず私たち家族を身近で支えお
    くださっおいる方々のお陰に
    ほかならない。

    関わるすべおの方々ぞ
    心からの感謝を蟌めお。
    たた
    ここたで読んでくださった方ぞの
    感謝も蟌めお。

    ありがずうございたした。

    ヒトシズク


    ※ ここに曞いたものは、私の父のケヌスです。 同じ病名でも、お䞀人おひずり、症状も 治療の遞択も、家族の圚り方も違いたす。 治療の「正解」を瀺すための蚘事ではなく ひず぀の蚘録ずしお 読んでいただけたら嬉しいです。
    ※ 蚘事内で玹介した食事や食材は、 父の䞻治医に確認したうえで取り入れおいたす。 䜓質や治療内容によっお刀断は異なりたす。たずは必ず䞻治医にご盞談ください。
    ※アフィリ゚むト蚘事を含みたす。


     
     
    50代。これからの暮らしを、もっず自分らしく。 家族のこず、健康のこず、仕事やお金のこず。 そしお、今さらず思い぀぀始めおみる小さな挑戊。 迷ったり、立ち止たったり、ずきどき空回りしたり。 そんな毎日も、少しのナヌモアずずもに綎りたす。

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