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アスカ|18. アスカ

    水曜日ではなかった。

    沙織は、いつもの店のカウンター席に、一人で座っていた。仕事帰りだった。

    本を、開いていた。だが、文字は、頭に入ってこなかった。

    コーヒーは、半分残っていた。冷めかけていた。

    ふと、思い出した。

    アスカは、中学のとき、隣の席だった。

          *

    中学二年の春、新しいクラスで、沙織は窓側の前から二番目に座った。隣の席に、アスカが座った。

    「名前、なんて読むの?」

    アスカが聞いた。

    「さおり」

    「綺麗な字だね」

    それだけだった。

    その日から、何となく、一緒に帰るようになった。

          *

    高校も同じだった。クラスは違ったが、毎日のように、一緒に帰った。

    アスカは、本を読む人だった。沙織もそうだった。本の話を、よくした。

    「私、大人になっても、こうしてたいな」

    アスカが言った。

    「うん」

    沙織は答えた。

    その「こうしてたい」が、何を指していたのか、沙織は今でも、分からない。

          *

    大学で離れた。アスカは、東京の私立大学に行った。沙織は、関西の国立大学だった。

    会う頻度が、少しずつ減っていった。

    最初の年は、月に一度くらい、帰省したときに会っていた。次の年は、季節に一度。それから、年に一度。

    連絡だけが、続いた。

          *

    二十代の半ばのある日、アスカからメッセージが届いた。

    「結婚することになった」

    それだけだった。

    沙織は「おめでとう」と返した。

    それから、半年後、「子どもが生まれた」と、写真が届いた。

    「おめでとう」

    沙織は返した。

          *

    それから、メッセージは、来なくなった。

    沙織も、送らなくなった。

    最後にいつ、メッセージを送ったのか、沙織は思い出せなかった。

          *

    沙織は、本を、また開いた。

    ページの上に、文字が並んでいた。

    「アスカ」という名前は、目の前には、なかった。

    だが、その音は、ずっと、沙織の中にあった。

          *

    ドアベルが鳴った。

    新しい客が入ってきた。沙織は、顔を上げなかった。

    ただ、本のページに、目を落としていた。


     
     
    小説を書いています。普段の生活の中で感じたことを、静かな文章で表現したいなと思っています。1作目「線」、2作目「一メートルの凪」、今は3作目「アスカ」という作品を書いています。

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