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木漏れ日の中、老庭師が春にけつまずく   ―春は黄色から始まる―

    前書き


    いつも応援ありがとうございます。
    先週お伝えした通り、今後はここnoteを「エッセイの庭」として仕立てていくことに決めました。って偉そうに言うてますが、小説とエッセイの境が、40年前の私の、椿と山茶花ほど曖昧です。
    どうか皆様、そのあたりの加減もひっくるめて、温かなご助力をいただければ幸いです

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    老庭師の今、髭面

    その第一歩として、本日は特別公開をお届けします。
    テーマは、私の本職でもある「庭師の視点から見た春」。

    とはじまる過去のエッセイを創作大賞用に手を入れました。

    冬の眠りから覚めた植物たちが、一番最初に私たちに送ってくれる合図。
    それを皆さんと分かち合いたくて、筆を執りました。
    どうぞ、温かい飲み物でも片手に、春の木漏れ日を感じていただければ幸いです。

    第一章 「さあ!ぼちぼちいこか」

    絶望からの再生

    この時期、庭師は閑散期で、お金が入ってきません。
    だからといって遊んでいるわけではありません。遊んだらもっとお金が無くなります。植木畑はこの時期、落葉樹の「根回し」の時期であり、常緑樹はもう少し後になります。根回しとは、移植の何年も前から準備を始める工程です。木の周りに溝を掘り進め、あえて根を断つことで、代わりに細い吸水根をたくさん出させます。そうして、いざ新しい場所へ移ったときに、その木がしっかりと水を吸い、根付くことができるように整えるのです。運搬も楽になりますし、植木にとってもそれは同じです。「植木をなおす」などということもあり、直したその木を「なおれ」と呼んだりもします。

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    ジャングルと化した植木畑に挑む

    私が半年ほど入院している間に、一度「なおした」木も自然に還り、おまけに私自身がうまく歩けなくなったものですから、数年放置して、今はジャングルです。跡を継いでくれた三代目は、まだ丁稚に毛が生えた程度ですから、畑の世話まで手が回っていません。
    ですが、それほど枯れてはいませんでした。むしろ、完全な自然の姿へと戻っていたのです。

    たとえ明日、この星が燃え尽きるとしても、私は今日、ただ土を信じて深く深く。そうして私は、もう一度このジャングルに向き合い、土を掘ります。

    今日も植木畑の仕事です。植木畑に到着し、この時期には意外と注文が入る柊南天を探して歩いています。ここに植えたはずの柊南天(ヒイラギナンテン)が、一度強く剪定された影響か、先祖返りでもしたのか、細葉南天(ホソバナンテン)のような姿になっています。ですが、可愛い黄色い花はしっかりつけていました。

    ジャングルと化した植木畑で植木を掘る
    ジャングルと化した植木畑で植木を掘る



    「おっと」私は危うくその場に手をつきそうになりました。石に蹴躓(けつまず)いたのではありません。私の視線を奪い、歩みを唐突に止めたのは、ポツリと光を灯したフキタンポポでした。

    かなり歩けるようにはなりました。段差だって、四十センチくらいまでの高低差なら、なんとか対応できます。ですが、肝心の足首は、まだあの時のままなのです。

    細葉ナンテンとフキタンポポ

    自分の意思とは無関係に、つま先が重力に負けて下を向く。そのせいで、時々つまずく有り様です。細葉南天(ホソバナンテン)の黄色い花に気を取られて歩いたものですから、足元のフキタンポポに派手につまずいたというわけです。

    そのフキタンポポにも、黄色いコインのような花がついています。「金貨なら高く売れたのにね」と思いながらよく見たら、本来なら花が終わってから顔を出すはずの葉が、気が早いことに、もう数枚だけその瑞々しい緑を覗かせていました。

    ここで、「私が半年ほど入院している間に」だとか「私自身がうまく歩けなくなったものですから」という言葉が、何か引っかかった、あるいは何か気になった、そういう方がいらっしゃるかもしれないので、私の身の上話をさせてください。決して同情を引こうというわけではありません。ただ、このやりきれない思いを少しだけ和らげたいので、五分だけでもいいので聞いていただきたいのです。

    こう見えても私、大阪ではそこそこ知られた庭師でした。
    毎日放送(MBS)で漫才師のお二人と庭を造るコーナーを立ち上げから三年半にわたり、必死に走りました。読売テレビでも、人気のアナウンサーと共に庭を造りました。ありがたいことに「となりの人間国宝さん」の認定もいただいております。

    隣の人間国宝に認定
    隣の人間国宝に認定

    かつての私は、縦横無尽に庭を駆け回っていました。ですが、今は違います。あれは四年ほど前、脳内出血に襲われ、走馬灯を見ました。救急病院の蘇生でかろうじて命はとりとめましたが、左半身の自由を失ったのです。
    意識が戻ったのか、まだ夢の中にいるのか、そんな朦朧(もうろう)とした中で味わったあの恐ろしい感覚は、一生忘れないでしょう。私の左側が、全く動きませんでした。指一本はおろか、叫ぼうとしても口すら開きません。自分の半分が石にでもなったかのような絶望でした。

    医者は息子に「一生、車いす生活になる」と宣告したらしいのです。ですが、担当の理学療法士だけは違いました。「リハビリ次第で、何とか歩けるようになります」と言ってくれたのです。

    「せめて息子の世話にならぬまでには」と、私は必死で動きました。その療法士は、関西では名の通った体育会系レスリング部出身の、オリンピック候補にまでなった男でした。彼が本当に親身になってくれたのです。

    最初は看護師数人がかりでやっと車いすに座れる状態でしたが、すぐに自分一人で座れるようになりました。リハビリ室へ一人で行けた初日のことを、今でも鮮明に覚えています。

    彼はバランスボールを持って待っていました。何に使うかと思いきや、壁際に立った私の背中と壁の間にそのボールを挟み、「スクワットをやれ」と言います。しかも、できる限りゆっくり。当然、ボールを落とすことは許されません。

    その夜は、男泣きするほど全身が痛みました。しかし、その痛みこそが回復の証だったのです。このあたりの話は、また後日ゆっくりとお話しさせてください。

    そうして杖(つえ)をついて半年で退院し、さらに半年後には杖を捨てて現場復帰を果たしました。障害者年金は月に六万円ほど。食っていくためには、この体を動かすしかありませんでした。

    数々の壁をクリアしてきましたが、左の手足の先にはまだ麻痺(まひ)が残っています。手は何とか脚立を握るところまでは来ましたが、しばらく作業をして降りようとすると、手が脚立を離してくれません。
    「まったく、困ったやつだ」と思います。足首も、つま先が重力に負けて垂れ下がったままです。

    「なおれ(直れ)」

    かつて私が木々にかけ続けてきたその言葉を、今は自分自身の手足に言い聞かせながら、リハビリという名の「根回し」を続けているのです。

    第二章 「いっぷくしよか」

    老庭師の冒険

    タバコを持った手を口に当てるジェスチャー。それが、私たちの休憩の合図です。

    私は四十の時に、子供のためにタバコを止めました。ですが皮肉なことに、その息子は今、私の前で旨そうに薄紫の煙を上げています。
    もう一人の弟子は、休みません。タバコも吸わず、いつも何かしら動いています。私が取った弟子の中で、初めての女性です。彼女の立ち働く姿があるからこそ、半分「幽霊」のような今の私でも、なんとか庭仕事に向き合えているのです。


    草を刈る女庭師
    草を刈る女庭師
    重機を操る女庭師
    重機を操る女庭師

    大昔の庭師は、日の出とともに始業し、疲れたら休み、腹が減ったら飯を食いました。暗くなり始めれば、手元が見えなくなる前に道具を片付けます。
    「秋はつるべ落とし」と言われ、日の暮れの早さには格別の注意を払ったものです。私が丁稚(でっち)の頃は、朝七時に集合するのが当たり前でした。決まった喫茶店で「モーニング」を頼み、コーヒーを流し込みパンをくわえて、現場には八時前に到着します。八時に仕事を始め、十時に小休止、十二時から一時間の昼飯と昼寝。三十分以内の昼寝は、午後の仕事に驚くほど効くのです。そして十五時の小休止を経て、十七時に仕事を「置く」のがお決まりでした。

    私の代で、あの忌まわしいモーニングコーヒーの制度は廃止しました。おかげで朝には少し余裕が出ました。

    今では九時に仕事をスタートできれば御の字で、十五時には片付けを始め、十六時には仕事を置いてしまいます。だから休憩は水入り程度です。便利になった世の中で、人間は確実に「退化」しているのではないか、とふと思うこともあります。

    「いっぷく」の煙を背に、私は再びジャングルの奥へと足を踏み入れました。

    向かう先には、四十年来の長いお付き合いをさせていただいているお客様の庭があります。「八造園さんに任せるよ」その一言をいただいているからこそ、中途半端な木は出せません。私の頭の中には、すでにその庭の景色が鮮明に浮かんでいました。

    玄関への階段を十段ほど上ると、目の前に青石で組まれた苔(こけ)むした蹲(つくばい)が現れます。右に曲がって数十歩歩けば玄関で、玄関の子屋根の下に左右のシーサーが鎮座しているのですが、そのシーサーの前を左に曲がると、皐月(さつき)と平戸(ひらど)のツツジが織りなす「間の小道」へと続きます。そこを進めば、視界がぱっと開けるのです。

    その庭の左端で、一本の白樫(しらかし)が枯れました。四十年の歴史の中で、年々生気が抜けていくのを肌で感じていましたが、ついにこの庭で初めての「欠員」が出たのです。

    オオデマリとサンシュウとマフォニア

    そこに植えるべき木は、もう決まっています。私の記憶にあるのは、二・五メートルほどのオオデマリです。咲き始めの淡いグリーンがかったピンクから、徐々に白へと移ろいます。あの庭の景色に、これほど相応(ふさわ)しい木はありません。

    シダが茂り、蔦(つる)が絡み合うジャングル。かつて私が丹精込めて「なおした」木々が、数年の月日を経て野生の力強さを取り戻し、迷宮のように立ちはだかります。

    病を得てから、私の歩幅は狭くなりました。それでも、あの一本を探す時だけは、不思議と足が動くのです。不自由な左足を引きずりながら、地面を這(は)う根を跨(また)ぎ、一歩ずつ。あとで弟子が言うには、この時の私はここ数年で一番の笑顔だったそうです。何やら鼻歌まで歌いながら、藪を掻き分けていたらしいのです。自分では無我夢中でしたが、良い木に出会える予感に、体が勝手に躍っていたのかもしれません。すると、視界を遮っていた藪の向こう側から、パッと光が差し込んできました。まだ葉もない
    「オオデマリ」が、目の前にそびえ立っていたのです。


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    オオデマリ


    彼女が呼んでいたのです。鼻歌が大きくなった理由が、自分でも分かりました。ただ、記憶の中の姿とは違っていました。その背丈は四メートルを超えています。少し見ない間に、彼女はぐんと背を伸ばし、驚くほどグラマラスな立ち姿に成長していたのです。「おーい、ここや! 掘る準備してくれ!」

    私は興奮気味に、弟子たちを大声で呼びました。真っ先に駆け寄ってきた弟子が、私の肩のあたりをひょいと払います。

    「師匠、何かついてますよ」

    彼女は私を「師匠」と呼びます。見れば、私の作業着の肩や、すっかり白くなった「おぐし」に、小さな黄色い花弁がいくつもぶら下がっていました。

    「……ん?」

    思わず、さっき通り抜けてきたジャングルのトンネルの上空を見上げました。そこには、まるで私の来訪を祝福するように黄金の火を灯した「マホニア・チャリティ」が、誇らしげにそびえ立っていました。大きくなったのはオオデマリだけではありません。彼もまたがっちりと成長し、空を突き刺すように黄色い花穂をぴんと伸ばしていたのです。

    大きすぎますが、一応オオデマリもなおして(掘って)写真を撮り、あのお客様に見てもらおうと思いました。その時、ふと気づいたのです。「私は、木をなおしているのではない。命の『きげん』をなおしているのだ」と。木が健やかに育つ「機嫌」を整え、限られた命の「期限」を慈しむ。それが、庭師である私の本当の仕事ではないでしょうか。

    「……そうか。ならば、あの背丈ほどだった『山茱萸(サンシュユ)の木』、あいつも」

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    サンシュウ

    ふと思い立ち、私は再びジャングルのトンネルを戻り始めました。同時に、自分の記憶のトンネルも深くくぐり抜けていきます。
    たどり着いたサンシュユの樹形は、私の理想にぴったりでした。まだ葉もない枯れ木のような姿ですが、私の目には、まもなく咲き誇る黄色い花と、その後に実る鮮やかな赤い実がはっきりと見えていたのです。

    「よし、お前に決めた」

    そう心に決めたとき、隣にいた万作(マンサク)が、黄色いポンポンを振って応援してくれているのが目に入りました。その老木は、あの日、あの頃のまんまの姿でそこにいたのです。

    「元気にしてたか、じいさん」

    思わずそう声をかけたら、「お前もな」と返ってきた気がしました。
    そうか、私も今では、立派なじいさんなんですよね。

    第三章 「昼にしよか」

    ジャングルの奥の「きげん」をなおす

    サンシュユを掘り終えて、ふと思いました。春という季節は、こうして「黄色」のリレーで進んでいくのだな、と。新春の陽光を透かす蝋梅(ロウバイ)に始まり、早春に「まず咲く」万作(マンサク)。そして、足元を照らすフキタンポポの豆電球に、柊南天(ヒイラギナンテン)やその仲間たち。 

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    レンギョウ


    あの道端でもよく見かける連翹(レンギョウ)の鮮やかさ。控えめに咲くが、しなやかで強い日向水木(ヒュウガミズキ)や土佐水木(トサミズキ)。


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    ミモザ

    さらには、オーストラリア代表のミモザ。あいつの亭号は「アカシア」です。やがて、今まさに目の前にある山茱萸(サンシュユ)が、木漏れ日をいっそう濃い黄色に染め上げていきます……。春は、こうして幾重にも黄色を重ねながら、静かに、けれど確実に深まっていくのです。

    かつて、自分の左側が石のように動かなくなった絶望の淵で、私は春を恨んだこともありました。けれど今、こうして土の匂いを嗅ぎ、木漏れ日を仰いでいます。不自由な足で「けつまずいた」からこそ、見つけられた春の色があるのです。

    「元気にしてたか、じいさん」

    万作の老木にかけた言葉は、そのまま自分自身への労いでもありました。さあ、新しい「根回し」を始めましょう。この「木漏日出版」という屋号を掲げて、私はこれからも、この庭に落ちる小さな光を拾い集めていきたいと考えています。

    庭師の視点が、あなたの日常に小さな「木漏れ日」を落としますように。

    老庭師の想いを一歩進めるために、昨日、noteで新しいメンバーシップ
    庭多楽「ていたらく」を立ち上げました。

    一般的には「体たらく(情けない様)」と書く言葉ですが、私はここに、「庭に、多くの、楽しいが在る」という想いを重ねました。

    「庭多楽」

    完璧な庭を目指すのではなく、ままならない日常の中にある、小さな「楽しい」を拾い集めていく。そんな不器用で愛おしい時間を、皆さんと共有できればと思っています。

    ここでは、表に出さない庭師の裏話や、日々の小さな発見をそっと綴っていきます。よろしければ、あなたも一緒に光を拾い集めませんか。

     
     
    庭師歴40数年。毎日放送、読売テレビ出演。よ〜いドン!でとなりの人間国宝さん認定。学研ムック等掲載多数。脳卒中で体の自由を失い、絶望の淵で「言葉」を授る。 2026年立春、まずは形からと、木漏日出版を旗揚げ。こんな体で毎日、植物と一緒に汗を流し、拾い上げた言葉をお届けします。

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