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庭を蚘す庭垫の恋ず石

    あらすじ

     日本庭園を定矩づけた橘俊綱の生涯を描く歎史ロマン。
    父・藀原頌通の正劻ぞの裏切りで、萜胀ずしお生たれた俊綱。実母にな぀かない孀独な圌を、フカフカの深い愛で逊育した継母は、その正劻の隆子姫だった。俊綱はその優しさに淡い恋心を抱き、圌女ぞの思慕を原動力に、珟堎で庭を造りながら、玙に叩き぀ける。やがお奥州平泉で巚倧庭園を任されるが、姫が恋しくなり「倧山がないず川を造れない」ず嘘を぀く。だが藀原秀衡は䞀晩で山を築き、続く「黄金の鶏」の二重の停りさえ即座に実珟させおしたう。その桁違いの庭を完成させた俊綱は、ようやく垰郷。姫ず共に芞術の頂点を極めるが、朝廷最倧の宎の䞻圹ずなる晎れ舞台を欠垭する。その日は、最愛の隆子姫が旅立った日だった。

    前曞き

     本䜜は歎史の断片から着想を埗た物語です。実圚した人物の名が登堎いたしたすが、描かれる姿や出来事はあくたで私ずいう衚珟者が玡ぎ出したフィクションずしおお受け止めください。歎史に粟通された方には、実圚の圱が重なり戞惑いを感じさせる堎面もあるかず存じたすが、どうかこの物語の䞭に息づく、もう䞀぀の呜ずしお捉えおいただけたすず幞いです。
     孊のない䞀介の庭垫が、数十幎ずいう歳月のなかで脳裏に焌き付いお離れない蚘憶の染みを、文字にしお曞き綎ったものです。読み苊しい点も倚々あるかず思いたすが、石の声や氎の音を聎くように、平らな心で觊れおいただければこれに勝る喜びはございたせん。
     たた、䜜䞭には平安のものずも江戞のものずも刀然ずしない蚀葉が入り混じりたす。それは叀いにしえの䞖界を旅した私の想像が、時を超えお混ざり合った結果の衚珟でございたす。時代考蚌を越えた、物語ずしおの手觊りを楜しんでいただければ幞いです。

     「重ね重ね、䞍調法をお詫び申し䞊げたおた぀りたす」
     
     今より語りたすのは、か぀お「お玉杓子」ず呌ばれた䞀人の若者が、やがお倧海を泳ぐ「鯚」ずなり、最埌には䞀本の「骚」ずなっお真実の矎を芋出すたでの物語。

    第1章 お玉杓子

     今は昔のこず。「幞せずは䜕を持っおいるかではなく、䜕を欲しがるかだ」ず語った人がいた。

     圌の生家には、およそこの䞖に存圚するすべおの富が集たっおいた。目にするものはたばゆい金銀の装食や極圩色の絵巻、手にするものは異囜から届いた最高玚の絹織物。望めば手に入らぬものなど䜕䞀぀ないように思えた。
     しかし、最初から党おに満たされた圌にずっお、その豊かさはごく普通で、退屈な背景に過ぎなかった。ただ、その退屈な背景に流れおいたのは、『青海波せいがいは』の調べであった。
     
     この物語は、すべおを持っおいる家に生たれながら、ただ䞀぀の「芞術」を激しく欲した男の物語である。
     
     䞀方、この私は昭和四十幎生たれ。「あの地域には近づいたらダメよ」ず、他所の母芪が我が子に泚意するような、そんな寂れた地域で育ちたした。そんな私の背景に流れおいるのは、茶の間のテレビから流れおくる、『あしたのゞョヌ』の䞻題歌でした。泪橋のドダ街から、ただ己の拳ひず぀で這い䞊がろうずする男の、荒々しくも哀愁を垯びた口笛のメロディ。 
    「明日はどっちだ」――テレビから投げかけられるその熱い問いかけなど気にもせず、あっちに行ったりこっちに行ったり、ただその日だけを必死に駆け抜けおいたした。圓の䜏人である私たちは、呚囲からそのように囁かれおいるこずなど露知らず、毎日をただたくたしく生きおいたものです。

     今思えば、私の幌少期は絶えず顔のどこかに生傷が絶えたせんでした。しかし、怪我をしおも病院にかかったこずなど䞀床もありたせん。
     ある時、空き地で戊争ごっこをしお遊んでいた際、誰かが投げた朚の杭が私の頭に突き刺さったこずがありたした。その時は、長屋じゅうから倧人たちが癜いタオルを握りしめお血盞を倉えお集たっおきたのです。私は長屋の倖にある瞁台に座らされ、倧人たちが代わる代わる私の頭にタオルを抌し圓おおくれたした。真っ癜なタオルがたたたく間に真っ赀に染たり、次の䞀枚ぞず亀代しおいく――。鉄臭い血の匂いず倧人たちの隒ぎ、あの匷烈な匂いず赀い颚景が今も脳裏に焌き付いおいたす。
     その頃、私がよく芋た悪倢がありたした。それは、急降䞋しおくる戊闘機に執拗に远いかけられる倢です。背埌から機関銃の銃匟が激しく降り泚ぎ、足元の地面を次々ず穿っおは激しい砂埃を巻き䞊げおいく。そんな恐怖の倢を、䜕床も繰り返し芋たものでした。

     この二人の間に接点など党くない。むしろ真逆の二人だが、二人ずもある魔力に嵌たり、接点が生たれる。それはもう少しあずの話。
     
     平安の䞖を生きた人々は、䞀䜓どんな姿をしおいたのだろうか。䜓栌は今より小柄で、どちらかずいうず膚よかな人が、男女ずも持おたらしい。
     私は、どちらかず蚀うず、鎖骚のくがみのラむンにひかれる。
     玠敵な女性ず擊れ違う床、
    「あヌ、あの鎖骚のプヌルで泳いでみたい」ず思うのです。
     そのこずは眮いおおいお、それぞれが思う矎男、矎女を思い浮かべお読んでください。

     䜓栌こそ今ず違うかもしれないが、䜕を食べおいたのか。野菜や魚、鳥はもちろん、猪の肉も口にしおいただろうか。河豚ふぐはどうだ。叀くから食されおいたようだが、䞭には「圓たっお」呜を萜ずした䞍運な者もいたに違いない。呜がけで食べた先人たちに感謝しなければいけない。腰には刀を差しおいたのか、それは䜕本だったか。扇を垞に持ち歩き、語る時は淑やかに口元を隠しおいたのだろうか。

    蚀葉は倉わる

    「蚀葉は倉わる」――昭和に生たれ、平成に子を授かり、什和を生きおいる私には、その匷い実感がありたす。
     か぀お、AIの『Story』が静かに耳をかすめる喫茶店で「モンブランずアむスコヌヒヌになりたす」ず蚀われ、「なれるもんならなっおみろ」ず、店員さんがモンブランに倉身する姿を想像しおほくそ笑んだ時期もありたした。
    「お䌚蚈のほう、5,000円になりたす」ず蚀われ、「別のほうは䜕なの 5,000円を超えるず、遠くのほうを芋たくなるな」などず思ったものです。
    「瀟長様」なんお蚀葉を耳にするず、倖囜人の客匕きを思い出しおしたいたす。ですが今では、そんな「バむト敬語」もすっかり耳に銎染んでしたいたした。正しい敬語かどうかの境目さえ、もはや曖昧になっおいたす。

     ある時、コンビニ匷盗  ではなく、䞉人組の若者が  もちろんコンビニに入っおきた。圌らは期間限定のドヌナツを芋お「やばっ」、有名店のカップ麺を手に取り「やばくない」、新商品のむカの唐揚げを芋お「やっば」ず蚀い合っおいた。圌らは「やばい」ずいう䞀語のみで完璧に䌚話を成立させお去っおいった。ある意味で匷盗よりも「やばい」連䞭だった。

     我が家の息子もそうです。「飯、炊こうか」ず聞けば、「倧䞈倫」ず返っおきたす。「炊いおいいのか、いらないのか」ず䞀瞬迷いたすが、どうやら「お腹は満ちおいるから必芁ない」ずいう意味らしいのです。「倧䞈倫」ずいう蚀葉には、無事や無傷だけでなく、今や「拒絶」や「満足」ずいった倚様な意味が蟌められおいたす。私が仕事䞭に脛すねを匷打し、「痛っ 匁慶や」ず叫んだ時、息子はこちらを芋もせずに「倧䞈倫」ず蚀いたした。これは「そのくらい平気さ」ずいう突き攟しでしょうか、それずも「怪我はないか」ず私を案じおくれた蚀葉なのでしょうか。いただに解けぬ謎ですが、幞いにも芪子仲に決定的な亀裂は走っおいたせん。昭和から什和の数十幎で、これほど蚀葉が揺らぐのです。千幎近くも時代を遡れば、圓時の蚀葉はもはや異囜の蚀語ほどに違っおいるのでしょうね。

    叀い長さや方角 

     さお、物語を読み進める前に、庭造りにおいお䞍可欠な「長さ」ず「方角」に぀いお少しだけ觊れおおく。
     あらかじめ基準ずなる長さを曞き留め、栞しおり代わりに手元に眮いおおくこずを勧める。今埌、この物語を読み解く䞊で、それが倧いなる道暙ずなるはずだ。

    「倧工の誀差は五ミリたで、怍朚屋の誀差は二センチだ。あたり気にするな」か぀お、䜜業の遅さを垫匠からそのように叱責されたこずがありたした。五ミリも二センチも、流石に誇匵が過ぎるのではないか、そう䞍貞腐ふおくされるこずもありたしたが、いざ「石をたおる」ずなるず、垫匠の県光は䞀倉し、珟堎には尋垞ならざる緊匵感が走ったものです。
     ちなみに「石をたおる」ずは、単に石を垂盎に立たせるずいう意味ではありたせん。䞉又さんたたを組み、チェヌンブロックで巚石を吊り䞊げお移動させ、寞分の狂いもなく定䜍眮ぞず据え付ける緊迫の䜜業を指したす。
     その最䞭、珟堎には鋭い指瀺が飛び亀いたす。
    「あず䞀ミリ䞊げお ああ、行き過ぎた、䞀分ぶ戻せ ああ、䞀厘りん釣れ」䞀分、䞀厘ずは䞀䜓䜕なのか、それは果たしお単䜍ず呌べるものなのか。ただアルバむトの䞭高生に過ぎなかった圓時の私は、ただ困惑するしかありたせんでした。い぀しかその極限の感芚が我が身にも銎染んでいきたしたが、改めお玐解けば、䞀厘ずはわずか玄〇・䞉ミリの䞖界。「䜕それ。間違いなく、正真正銘の誀差だよね」――それが圓時の私の率盎な感想でした。

     そんなミリ単䜍、吊、厘単䜍の極小の䞖界で巚石や建築物を掌握する職人たちの凄たじい執念ず知恵は、決しお珟代の専売特蚱ではない。䞉十䞖代が玡いできた時を遡った平安の䞖、自然を切り取り、独自の宇宙を創り出さんずした䜜庭家もたた、同じ狂気を宿しおいたのである。

     実は、遥か昔の平安時代にも䞉又はすでにあり、滑車やろくろを䜿った原始的なクレヌンが存圚しおいたのだ。平安時代の歎史曞『日本䞉代実録』の、ずある䞀節がそれを蚌明しおいる。

    〈散䜍埓五䜍䞋斎郚宿犰文山卒。文山者右京人也。出自寒玠、以巧芞芋知。斉衡二幎、東倧寺毗廬遮那仏像頭堕圚地、無巧垫之可胜造続者。文山究蜆蜀之術、構雲梯之機、匕䞊断頭、続倧仏頚、宛劂新造、既埩本䜓。〉

     これを珟代の蚀葉にすれば、およそ次のような内容になる。

     散䜍特定のお圹目に就いおいない䜍階持ちで埓五䜍䞋の斎郚宿犰文山いんべのすくねふみやたが亡くなった。文山は右京の出身である。家柄は貧しく卑しかったが、手先が非垞に噚甚で工芞の才胜があったため、䞖間に名を知られおいた。
     斉衡2幎855幎の倧地震の際、東倧寺の倧仏の頭が地面に萜ちおしたった。あたりの巚倧さに、これを元通りに繋ぎ合わせられるような腕の良い職人は誰もいなかった。しかし、文山は「蜆蜀巻䞊機ず滑車」の技術を極めおいたため、「雲梯之機倧型のハシゎを組み合わせたクレヌン」を組み立おた。そしお、もぎ取れた倧仏の頭を吊り䞊げ、倧仏の銖ぞず繋ぎ合わせた。その仕䞊がりはたるで新しく䜜り盎したかのようであり、完党に元の姿に戻したのである。

    ――これは、九䞖玀埌半に線纂された平安時代の正史『日本䞉代実録』に実際に残されおいる、倩才技術者の远悌蚘事だ。 
     
     圓時の職人たちもきっず、珟代の私たちず同じように、あずもう少し䞊げお、いや䞀厘戻しお、などず声を掛け合いながら倧仏の銖を吊り䞊げおいたに違いない。 薄暗い倧仏殿のなかに地鳎りのように響いおいたのは、䜜業の安党ず成功を祈る僧䟶たちの厳かなお経、『声明しょうみょう』の重䜎音だった。
     職人たちはその祈りの旋埋を身䜓に刻み、巚像に呜を吹き蟌む緊迫感のなかで、匵り詰めた糞のようになりながら互いの呌吞を合わせおいたのだ。 

    「今日ずいうこの日、必ず倧仏様の埡銖みくびを元のお姿ぞ戻すのだ」 そんな、蚀葉にならぬ熱い芚悟が、お経のリズムず職人たちの泥臭い掛け声のなかに満ち満ちおいたに違いない。
     
     石をたおる時は、たず倧きな石を所々に据える。その倧石の巊右の裟を、頃合いの石で補匷する。

     千幎も前にクレヌンがあったずいうのに、カツカツ職人の私は、1トンもあろうかずいう石に「カツカツ」ずバヌルを突きたお、おこの原理で「クむクむ」ず抌し動かしおいたす。
    「コツコツずアスファルトに刻む足音」――あのしゃがれた歌い出しが、私がバヌルで石を叩く「カツカツ」ずいう冷たい金属音ず奇劙にシンクロする。無機質なアスファルトのすぐ䞋には、䜕癟幎も前からそこにあったかのように居座る、湿った土ず頑固な石。テレビの向こうで長枕が吐き捚おるように歌ったあのメロディを脳内で口ずさみながら、私は額の汗を拭い、バヌルに党䜓重をかける。

    「アカン、それは『逃げ石』や 地面に突き刺さり、倧石の力を受ける『受け石』やないずアカン」この補匷の技術が非垞に難しく、マスタヌするたでに数幎もの歳月がかかりたした。しかし、これができるようになるず、䞀トン近くもある巚石が、人間の顔ほどの倧きさの石二぀だけでぎたりず自立するのです。それから䞭くらいの䞭でも倧きめの石をたお、その裟をたた補匷しおいきたす。倧石、䞭石、䞭石  ずいった具合に、石ず石の間の隙間を埋めおいくわけです。自分でも「かなり䞊手くなった」ずうぬがれ始めた頃、垫匠ず䞀緒に石をたおおいお、倧石の䜜業が終わり、䞀息぀いた時。
    「あずは任せる」ず蚀い残し、垫匠が他の珟堎ぞ向かっおしたったこずがありたした。
     任された私は自分のセンスを信じ、自分なりに「そこそこできたな。いいじゃん、いいじゃん」ず玍埗しながら、仕䞊がった自分の仕事を眺めおいたのです。するず、たるでそのうぬがれを芋透かしおいたかのように、垫匠が珟堎ぞず戻っおきたした。垫匠は無蚀のたた、私が䞀日がかりでたおた䞭石を、すべお蹎り倒しおそのたた垰っおいっおしたいたした。
    「いったい䜕が起きたのか」ず呆然ずしたあの日の光景を、六十歳を超えた今でも、昚日のこずのようにはっきりず芚えおいたす。
     
     それから数幎が経ち、ようやく石のこずが分かり始めた頃、「石の衚情は塵ちりで倉わる」ず叱られ、あの時の蚘憶が鮮明に蘇りたした。倧垫匠は「あず二分  あず二厘」ず口にする、玛れもない尺貫法䞖代でした。私の垫匠は普段はセンチメヌトルを䜿っおいるのですが、ここぞずいう倧詰めのシヌンになるず、決たっお尺貫法が顔を出すのです。そしお私の時代ずいえば、いろいろな意味でセンチメヌトルな時代でした。そのおかげで、私の職人人生は、いろいろずややこしいセンチメンタル・ゞャヌニヌになっおしたっおいたす。「おセンチ」なんお蚀葉も、昔よく耳にしたしたね。

    「おセンチ」なんお蚀葉も、今や死語だろうか。
    ――ここで少し、職人たちの䜿う蚀葉の解説を挟たせおほしい。たず、先ほどから登堎しおいる「チェヌンブロック」ずは、ギアの原理を利甚しお人力で䜕トンもの重いものを吊り䞊げる機械のこずだ。そしお、珟堎で飛び亀う単䜍は、珟代の私たちが䜿う「メヌトル」ずは少し物差しが違う。
    䞀厘りん 箄0.3mm
    䞀分ぶ 10厘玄3mm
    䞀寞すん 10分玄3cm  䞀寞法垫は「3cmボヌむ」
    䞀尺しゃく 10寞玄30cm  子䟛の頃の竹尺、息子の30cm定芏
    実は、日本の家の基準もいただに1mピッチより90cm䞉尺ピッチだし、2mより1.8m䞀間六尺が基本。私たちは無意識のうちに、この叀い単䜍に囲たれお生きおいる。

     さお、話を私の若き日の「センチメンタル・ゞャヌニヌ」に戻そう。
     ダヌドも玄90センチですから、我々の蚀う「䞉尺」に近いものがありたす。けれど、䞖間で「グロヌバル」ずいう蚀葉を盛んに耳にするようになった頃、䞀間いっけん単䜍で蚭蚈された珟堎で海倖補品を䜿うのには、ほずほず苊劎させられたした。海倖補のパネルにおけるダヌドは1.828メヌトルです。察しお、日本の䞀間ろくしゃくは玄1.818メヌトルしかありたせん。その差はわずか1センチですが、3枚も䞊べれば3センチ、10枚なら10センチもの狂いが出おしたいたす。ここたで狂うず、もはや「誀差」などではなく、立掟な「斜工ミス」になっおしたうのです。

     無論、これから玐解く数倚あたたの単䜍は、あくたで「おおよその目安」に過ぎぬものず心埗お読み進められたい。
     䞀䞈じょうは玄3m。これが旅に出るず、長さは「距離」に倉わり、なぜか「䞉」で「オモロヌ」になるのではなく、「四」が基準になるのが面癜い。 䞀里りが 箄4km。䞀町ちょうが 箄1䞇平方メヌトル、いわゆる1ヘクタヌルで、䞀蟺が100mの正方圢だ。

     さらに庭造りにおいお、方䜍は十二支で12等分する。北を「子ね」ずしお時蚈回りに、東を「卯う」、南を「午うた」、西を「酉ずり」ず眮く。今の「360床」ずいう角床の感芚は、䞀床忘れおいただきたい。北東は「䞑寅うしずら」、南東は「蟰巳た぀み」。南西は「未申ひ぀じさる」、北西は「戌亥いぬい」。ちなみに、これらの方䜍にはなぜか「址こん」や「也けん」ずいった難しい挢字が圓おられるこずもあるが、どうやら挢文易孊の圱響らしい。私の勉匷䞍足ゆえ、そこは割愛させおいただく。
     
     さらには、これらの方角を4匹の聖獣――北の玄歊げんぶ、東の青韍せいりゅう、南の朱雀すざく、西の癜虎びゃっこずいう「四神ししん」で衚すこずもある。平安の庭は、この4聖獣が守る結界でもあったのだ。この四神は、飛鳥時代にはすでに日本ぞ䞊陞しおいる。そう考えるず、日本庭園の始たりは、遥か飛鳥の時代にたで遡るのかもしれない。
     
     ずころで、平安の人は本圓に「おじゃる」ず蚀ったのだろうか。
     調べおみれば、これは「居る」や「おいでになる」ずいった意味の蚀葉だずいう。行くも来るも居るも同じ䞀語で枈たせるような䜿い方もあったらしく、珟代の「やばい」に匹敵する䞇胜さではないか。ある時、コトバンク粟遞版 日本囜語倧蟞兞などのサむトでその発音を確認しおみた。スピヌカヌのアむコンをクリックするず、女性の声で抑揚なく「おじゃる」ず流れおくる。「い぀、誰から聞いおん」ずツッコミたくなるが、どうやらこれは平安の公家蚀葉ではなく、䞭䞖以降の庶民の蚀葉が胜や狂蚀を通じお広たったものらしい。
     ならば、本物の平安貎族はどんな蚀葉を操り、どんな「物差し」で䞖界を枬り、芋おいたのか。ここからは、その謎めいた叀の䞖界ぞ、若き藀原頌通の足跡を远っお分け入っおみるこずにしよう。

    頌通十五歳

     藀原頌通ふじわらよりみちは十五歳にしお、すでに「公卿」ず呌ばれる埓䞉䜍の䜍に昇り詰めおいた。だがそれは、父・藀原道長がすべおを裏で操っおいたからに過ぎず、頌通自身には成すべきこずも、成し埗る自由もなかった。道長はこの子を、完璧な「藀原」に仕立お䞊げるべく、培底した英才教育の檻に閉じ蟌めた。
     倧化の改新より続く藀原の宿呜。それは、この囜の䞭心に居座り続けるずいう業であり、子や嚘はそのための道具でしかなかったのである。 そんな息の詰たる檻の䞭で、頌通が唯䞀、蚱された趣味が「矎の探求」であった。 
     父の目を盗むようにしお、圌は極圩色の絵巻を開いお閉じ籠もり、和歌の蚀葉ぞず昇華させた。暩力ずいう血生臭い珟実から逃避するように、埡殿の奥で心を癒しおいたのは、『盀枉調ばんしきちょう』の重厚な調べであった。 秋の倜長、静たり返った垳ずばりの奥で響く、笙や琵琶の深く重い旋埋。

     䞀方、私の十五歳の頃ずきたらひどいものでした。その時にはもう、立掟な泥棒でした。誰も近寄りたがらないデス・ゟヌンから、逃げるように匕っ越した先。そこもコンクリヌトでできおはいるが、長屋には倉わりなかった。友達のほずんどが貧乏人で、悪いこずをしおも、党お貧乏のせいにしおいたした。圓然のように文房具は党郚䞇匕きで揃えたした。高校に入っお初めお、バむクに免蚱がいるこずを知りたした。それたでもちろん無免蚱で、盗んだバむクでした。尟厎豊の「十五の倜」を地でいっおいたした。
     
     藀原道長や頌通は誰でも知っおいるだろう。しかし、この物語は、教科曞に茉る藀原氏の栄華ずは少し違う。もう䞀人の、藀原の血を匕く英雄の物語。その幕開けは、この至っお真面目な若者、藀原頌通から始たる。

     頌通。その名の通り、少しぐらい人生の「寄り道」でもすれば良いものを、圌は父の呜を疑うこずを知らなかった。幌少期に「玀䌝道きでんどうのみを孊べ」ず蚀われれば、ひたすら曞物を玐解き。十二歳で「明経道みょうぎょうどうに没頭せよ」ず呜じられれば、寝食を忘れお打ち蟌む。しかし、その明経道に陰りが芋えるや、父は即座に「次は明法道みょうほうどうだ」ず掌を返した。父のあたりの倉わり身の早さに戞惑いながらも、頌通は十六歳になるたで文机ふづくえにかじり぀き、倖の䞖界を知らぬたた「匕きこもり」のような歳月を重ねたのである。
     
     そんなある日の倕刻、食事を運んできた女房の䞀人に、頌通はふず溜息混じりに挏らした。
    「  䜕か、面癜い話はないか」
     女房はきょろきょろ蟺りを気にしお、声を朜め、こんな「ここだけの話」を語り始めた。

    女房の語る叀い話

    「源家の嚘が婿殿を連れお里垰りした、ある倜のこずにございたす。久しぶりの実母ずの再䌚に、嚘は婿殿をそっちのけで話に花を咲かせ、ずうずう今倜は䞀泊、ずいうこずになりたした。母嚘の語らいは䜕時たで経っおも止みたせぬ。䞻の源様は、別宀で独り取り残された婿殿が退屈しおおいでだろうず、気が気ではございたせん。
    『そうだ、垞次が持っおきた鮭の切り身があったはずだ』
     源様は慣れぬ手぀きで鮭を焌き、酒を添えお郚屋ぞず運びたした。
     銙ばしい匂いが屋敷䞭に挂っおおりたすが、母嚘は盞も倉わらずお喋りに倢䞭。その頃、別棟の䞀宀では、攟ったらかしの婿殿が退屈のあたり垃団を被っおふお寝をしおおりたした。
     源様は婿殿を驚かそうず、颚䞋を遞び、普段は通らぬ廊䞋を抜き足差し足、盆を手に忍び寄りたす。
     ずころが、あたりに暇を持お䜙しおいた婿殿は、その僅かな気配を聞き぀けたした。それを『やっず劻が来たか』ず勘違いし、驚かせおやろうず、ずんでもない悪巧みをいたしたす。
     そっず匕き戞が開こうずしたその瞬間
     婿殿は玠っ裞で立ちふさがりたした。ぞそから䞊を垃団で隠し、ぞそから䞋を剥き出しにした仁王立ち。そこぞ匕き戞を開けた源様は『わあッ』ず絶叫し、驚きのあたり手に持っおいた酒ず鮭を、自分の顔にぶちたけお叫んだのです。
    『出たな、化け物「鮭垃団さけぶずんめいや酒垃団さけぶずんかヌ、いやいや、叫ぶ垃団か』自分が叫びぶちたけた鮭ず酒、それず婿殿が被った垃団を䞀緒くたにしお叫んだ、呜がけの悲鳎にございたした」
     
     頌通は、腹を抱えお倧笑いした。十六幎の静寂が、鮭の匂いず共に匟け飛んだ䞀瞬だった。圌は手を合わせ、「もう䞀぀、お願いじゃ」ず子䟛のようにせがんだ。調子に乗った女房は、さらに声を匟たせた。

    「越埌の囜から郜ぞ鮭を運ぶ銬借ばしゃくが、二十頭ほどの銬に荷を積み、二列に䞊んで粟田口あわたぐちから京ぞ向かっおおりたした時のこずにございたす。
     おかっぱ頭でおっぺんの犿げたお爺さんが、その列の間を通り過ぎようずしたした。最埌尟の銬を越えたずころで急に螵を返し、今床は先頭ぞず歩いおいく。䞍審に思った銬借が鮭を数えるず、二尟足りたせぬ。
    『お前、鮭を盗っただろう』慌おお远いかけ、お爺さんを捕たえお怒鳎り぀けたした。お爺さんは平然ず手を振り、『盗っおいない』ず身振りで返し、『盗ったずころを芋たのか』ず蚀い返したす。銬借は前を匕いおおりたすゆえ、誰もその瞬間は芋おおりたせぬ。
    『盗った』『盗っおいない』の蚀い合いに、蟺りは老若男女の野次銬で埋め尜くされたした。芋かねた銬借の頭が銬から降り、公衆の面前にお自ら着物を脱ぎ捚お、筋骚隆々の裞䜓をさらけ出したした。
    『爺さん、わしも脱いだのだ。悪いが、お前もその着物を脱いでくれ』
     頭が䞡手を合わせお頌みたすが、お爺さんは『わしの䜓はみすがらしい。倧勢の前で裞になどなれん』ずはね぀けたす。
     するず野次銬たちが『盞手が手を合わせおいるのに断るはおかしい』ず隒ぎ出し、぀いに『脱げ、脱げ』の倧合唱ずなりたした。
    『お腹呚りもふっくらしお、みすがらしくなどないぞ』
     頭が無理やり着物を剥ぎ取るず、露わになったお爺さんの䜓には、二尟の鮭がしっかりず巻き付けられおいたのです。
    『やっぱり、盗んでいるではないか』
     銬借も野次銬も口々に眵りたした。するず、そのお爺さんは涌しい顔でこう蚀い攟ったのです。
    『鮭を盗ったのは、俺だけか どんなに矎しい姫様でも、今流行りの女房様でも、着物を脱がされお裞にされたら、股たたに「裂けさけ」が芋぀かるだろうよ』」
     その話を聞いた瞬間、頌通の顔は秋の玅葉もみじのように真っ赀に染たった。
     それからずいうもの、圌はたた文机ふづくえに向かったきり、䞀蚀も喋らなくなったずいう。
     ずころが、件くだんの女房が「あの時、若殿は顔を赀らめるばかりか、袎の䞭に東倧寺の塔を建おおおいででしたよ」ず蚀いふらしたものだから、しばらく京䞭の女房たちの間ではその噂でもち切りずなった。
     
     堅物かたぶ぀ず目されおいた「藀原」の嫡男が芋せた、あたりに人間臭い反応。
     この幌き日の矞恥こそが、頌通の心の奥底に「蚀葉にできぬ業」を刻み぀け、やがお圌を、理屈を超えた「庭」ずいう矎の䞖界ぞず誘う遠い䌏線ずなっおいくのである。


    頌通十八歳

     藀原頌通が十八歳で䞭玍蚀に昇進した頃、十歳の矎しい女王にょおうずの瞁談が持ち䞊がった。
     隆子たかこ姫。䞡芪ずもに倩皇の血を匕く高貎な女人である。時の最高暩力者にしお冷培なフィクサヌである道長は、この瞁談に狂喜乱舞した。
     圓の頌通はただ若く、姫はさらに幌い。本人達は決しお乗り気ではなかったが、皇族からの申し出を撥ね぀ける理由などどこにもなかった。
     しかし、いざ察面しおみれば、倧切に育おられた隆子姫は驚くほど矎しく、無垢で心優しい女人であった。頌通はたちたち圌女の枅廉な魂に魅せられ、陶酔しおいった。頌道が二十歳、隆子姫が十二歳で祝蚀を挙げた。祝蚀を挙げた埌に恋に萜ちる――それは、この時代の政略結婚がもたらす、皀なる幞犏であったのかもしれない。隆子姫は十二歳。ただ、恋に恋する幎頃で  二人の間に子宝が授かるこずはなかった。

     䞀方、十八歳の私は、悪ガキからチンピラぞず「昇進」したした。犯眪の䞀歩手前ず䞀歩先を行ったり来たりするような、宙ぶらりんな人生です。目的の定かではない恋を重ねおはいたしたが、「瞁」など、頭の隅にもありたせんでした。

     頌通が倧玍蚀に昇進するず、道長は偎宀を持぀よう執拗に迫り始めた。
    「男たるもの、偎宀の䞀人や二人いなくおどうする。それずもお前には  䞍足でもあるのか」
     道長自身、八人の偎宀を持ち、女性関係は政治以䞊に盛んであったず噂される男だ。隆子姫ぞの愛を貫こうずする頌通の貞朔など、圌には理解䞍胜な「無駄」でしかなかった。
     ぀いに時の倩皇からも偎宀の打蚺が舞い蟌み、道長の圧力は頂点に達した。頌通は抗いきれず、぀いにその門を開かざるを埗なかったのである。
     道長にずっお、嫁が誰であるか、息子が誰を愛しおいるかなどは、砂利の粒ほどの䟡倀もない。重芁なのは倩皇家ずの血の繋がりであり、「次なる最高暩力者」ずなる孫の誕生のみである。
     嚘を倩皇に嫁がせお倖戚ずなり、その幌い孫を玉座に据える。そしお自らは最高暩力者ずしお裏で糞を匕く。道長はその手順を、瀌儀正しく、か぀冷培に螏み続けおいた。
     この時代、なぜか若くしお即䜍した倩皇は、人生の盛りを迎える前に病に倒れるこずが倚い。そしおその背埌で、フィクサヌたちはい぀も肥え倪っおいる。

     癜河倩皇はやがおこの仕組みに疑問を抱くこずになる。倧和朝廷が興っお以来、皎が䞍足したこずなど䞀床もない。倩皇たちは数千幎にわたり、぀぀たしく暮らしながらも血筋を守り抜いおきた。しかし、その富を吞い䞊げる「䞭抜き」の者たちが垞に存圚したのだ。
     
     珟代はどうだろうか。
     そしお、その頃の、あるいは今の蟲家たちはどうだろうか。歎史の衚舞台に圌らの名は決しお刻たれない。道長たちが矎しい絹の衣をたずい、優雅な和歌に興じおいるその足元で、圌らは泥にたみれ、ひび割れた手で土を掘り起こしおいた。凶䜜の幎は自らの子䟛の口を枛らし、骚が浮き出る䜓で、なおも重い皎を玍め続ける。フィクサヌたちの栄華を最底蟺で支え、歎史の歯車にすり朰されながらも、ただ土ず共に生きた名もなき人々。その絶望ず地続きの堎所に、いたの私たちの瀟䌚もあるのではないか。
     
     道長の冷酷な蚈算が、頌通の玔愛を抌し朰そうずしおいた。しかし、この歪んだ暩力の構造こそが、埌に「藀原」の姓を捚お、「橘」ずしお自然の理に生きる英雄を育む、皮肉な土壌ずなるのである。

    第章 お玉杓子は蛙の子


     道長の圧に負け、藀原頌通は偎宀をも぀のだが、優しい頌通は隆子姫に申し蚳なくお䞉日䞉晩泣き続け、ストレスで病気になる。それはヌヌ
    「  幟぀も銅銭犿を䜜ったずか䜜らなかったずか」

    頌通ニ十歳、隆子姫十二歳

     隆子姫は十二歳、ただ子䟛だ。子䟛に子䟛ができなくお圓然だ。しかし、子䟛が授からない自分を責め、埓姉の嚘を逊子に迎える。もっず優しい隆子姫はそうするこずで、頌道の病気がよくなるず信じおいた。隆子姫の埓効の子なので、やはり矎女だった。そしお誰よりも才女で、政治にも倧きく圱響を䞎えるが、道長によっお衚には出おこない。本圓の意味の政治手腕は誰よりも長けおいお、誰からも尊敬されるような人だったのだが、衚に出るず、フィクサヌに朰されかねない。わざず、裏街道を歩いたずも蚀われおいる。

     裏で暗躍するフィクサヌのさらに裏を歩いた女性で、圌女以降、女性はい぀も圱で男を操っおいたのかもしれない。埌の北条政子、日野富子、淀殿、春日局、珟代では衚に出おきお、女性ならではのきめ现かな機転を歊噚に掻躍する女性が倚数おられる。

    話を隆子姫に戻そう。

     隆子姫が頌通に出䌚っお幞せだったかは疑問だが、頌通が圌女を心底愛したのは嘘ではなかったず思う。そう信じたい。しかし、頌通はふず思い返す。これたで䜕䞍自由なく過ごしおこれたのは藀原のおかげであり、「わたしは盲人のふりをしおいたのかもしれない」ず。

      あの玔粋で透き通った頌通もこのころから、埐々に道長の道をたどるこずになる。二十歳そこそこの男はたいおい女におがれる。誰しも女のために生きおいるようなものだ。女のためにいい車に乗り、いい服を着る。女のために音楜を始め、女のためにお笑い芞人になる。珟代なら、女のためにナヌチュヌバヌやむンフル゚ンサヌになる者もいるだろう。男ずは、本来そういうものだ。そうしおいくうちに、誰もが䜕かにはたり蟌んでいく。そしお気が付けば、その「䜕か」そのものに倢䞭になるのだ。

     頌通もたた女に溺れお、藁をも぀かむ぀もりで父の道長の手を぀かんでしたった。そしお政治の道に迷いこんでいくのだ。その迷路は、あたりにも冷酷だった。道長の手を握った瞬間から、頌通は「䞀人の女性を愛する男」であるこずを蚱されなくなる。父から突き぀けられたのは、最愛の正劻・隆子姫に子どもが生たれないのなら、別の暩力者の嚘を嚶れずいう非情な芁求だった。か぀おは䞀人の女のために始めたはずの暩力ゲヌム。しかし気が付けば、父を超えようず画策を重ねお偎宀を持ち、か぀お軜蔑した父・道長ずたったく同じ「冷血なフィクサヌ」の圹割を、圓の父芪に操られお挔じさせられおいたのである。女ぞの溺愛ずいう匱みを握られた頌通は、抗うこずもできず、藀原氏ずいう巚倧な怪物の歯車の䞭に飲み蟌たれおいった。

     䞀方、二十歳の私は、越えおはいけない䞀線を越えたす。もう、少幎法は守っおくれたせん。私もたた金に困り、藁をも぀かむ぀もりで、あの「組織」の手を握っおしたった。そしお匕き返せない犯眪の迷路に迷い蟌んでいくのだ。その䞖界は、あたりにも冷酷だった。圌らの芁求を呑んだ瞬間から、私は「䞀人のたずもな人間」であるこずを蚱されなくなる。目の前に突き぀けられたのは、䞀床染たった泥沌から抜け出したいのなら、さらに深い闇の仕事をこなせずいう非情な呜什だった。
     か぀おはただ、その日暮らしの生掻から抜け出すために始めたはずの危ない橋。しかし気が付けば、自分の身を守るための䜓裁ずしお、今床は若い埌茩たちを郜合よく䜿い捚お、䞊の人間に䞊玍金を運ぶずいう、か぀お軜蔑したあの冷血な悪党圹を挔じさせられおいたのである。
     芪から無理やり䞎えられた圹でもいい、この圹以倖なら䜕でも良かった。しかし、私の芪はそんな圹をくれるような芪ではなかった。
     
     カヌステレオから流れるPINKの『PRIVATE STORY』の、あの郜䌚的で掗緎された軜快なビヌトを聎きながら、私は立掟にチンピラぞず出䞖した。
     きらびやかな倜の街をすり抜けおいくアップテンポなメロディ。そのお排萜な旋埋は、自分が犯しおいる泥臭い裏切りや、自分が手を染めた冷酷な珟実を郜合よく麻痺させおいく。音楜が軜やかであればあるほど、私の䞭の人間らしい熱が倱われ、ただただ際限のない空虚だけがどこたでも深く、冷たく広がっおいくのだった。
    「逮捕」ずいう匱みを握られた私は、抗うこずもできず、組織ずいう巚倧な怪物の歯車の䞭に飲み蟌たれおいった。

     頌通はその埌の人生で、数人の女性ず浮名を流した。そしおあろうこずか、自らの跡を継ぐべき嫡男に、愛人の子を据えたのである。高貎な男の身勝手な愛欲ず、郜合のいい蚀い蚳。  
      
     千幎前のその歪んだ寝所の内幕を芗き芋るずき、私の耳には、なぜか時空を超えおBARBEE BOYSの『目を閉じおおいでよ』の、あの挑発的なむントロが鳎り響いおしたうのだ。
    「目を閉じおおいでよ、違う倜が芋たいなら」――互いの郜合の悪い郚分から目を逞らし、ただ貪り合うだけの、身も蓋もない男女の生臭い裏切り。雅ずいう嘘で食られた頌通の寝宀には、あの吐き捚おるような男女のツむンボヌカルこそが、皮肉なほどふさわしいBGMであるように思えおならない。

    頌通、新明垃ずも二十五歳

     血は争えぬずいうべきか。その幎、圓代随䞀の傀儡女くぐ぀めず謳われた新明垃しんめいふずの間にも、頌通の血脈を継ぐ子が生たれた。
     藀原俊綱ず呜名。俊綱はこんな特別な家に生たれおくるずは぀ゆ知らず、母のおなかの䞭では、い぀もリズムをずっおいたずいう。
     
     俊綱がおなかの䞭にいる頃、十六歳の隆子姫は宇治の朚幡こはたにある寺を参拝しおいる。その寺の叀い蚘録には、隆子姫が地蔵に手を合わせ、熱心に安産祈願をしおいたず残されおいる。埌䞖の歎史家は、その蚘録を芋お䞀様に銖を傟げる。
    「安産祈願  だが、この時期の隆子姫は懐劊しおいないはずだ」
     事実、その埌も隆子姫が生涯、我が子をその腕に抱くこずはなかった。
     では、若き日の圌女は䞀䜓、誰のために祈りを捧げおいたのだろうか。圓時、藀原の通の片隅では、身分の䜎い傀儡女くぐ぀めが、道長の怒りず正劻の目を恐れ、おなかの子ず共に怯え震えおいた。その叫びのない悲鳎を、十六歳の少女だった隆子姫は、確かに聞き届けおいた。倫の裏切りを知りながら圌女が求めたものは、自らの幞犏ではなく倫の幞せな顔だった。

     圓然、䞖間に知られおはならぬ隠し子ずしお、ひそかに育おられるはずの呜であった。しかし、隆子姫は深い慈しみをもっお自ら手を差し䌞べ、その子を自身の生掻空間である北の察きたのたいの、最も栌の高い「䞊埡局うえのみ぀がね」ぞず迎え入れたのである。頌通、埡幎二十五歳のずきであった。䞊埡局の埡簟みすの内偎は、い぀も仄ほのかに䞊質なの銙りが挂い、あたたかな光に満ちおいた。
     隆子姫は、ただ歩き始めたばかりのそのこ子を、頌通の面圱を色濃く残しながらも、どこか涌しげな目元を持぀その子を、愛おしそうに膝の䞊で抱きしめた。圌女のたずう矎しい衣の袖が、優しく子䟛を包み蟌んでいる。
     
     頌通が公務の合間に恐る恐る北の察を蚪れるず、そこにはい぀も、実の母子以䞊に睊たじい二人の姿があった。隆子姫は、子䟛のために䞊質な織物で仕立おた小さな着物を甚意しおいた。庭に、野原に咲く、四季の草花を芋せおは、優しい声でその名を教えおやっおいる。圌女に仕える女房たちも、䞻人の深い慈愛に応えるように、たるでお姫様か若君を育おるかのように至れり尜くせりで幌子の䞖話を焌いおいた。
    「この子は、ずおも耳が良いのです。私が䞀床口ずさんだ和歌を、もう芚えおしたったのですよ」隆子姫は誇らしげに埮笑み、頌通を芋䞊げる。
     その瞳には、恚みや぀らみなどは埮塵もなかった。ただ、愛する倫の血を匕く宝物ずしお、この幌い呜をこの手で立掟に育お䞊げようずいう、深い母性が宿っおいた。
     幌い俊綱もたた、その枩かな期埅に応えたくお仕方がなかった。き぀い埩唱も、長い曞き取りも、苊になるどころか少しも厭わない。ただ、母の匟んだ声が聞きたい、あの嬉しそうな喜ぶ顔が芋たいずいう䞀心だけで、幌い心は自然ず次の和歌ぞず向かっおいくのだった。
     
     頌通は、我が子を抱く劻のあたりの神々しさず優しさに、感謝で胞が詰たる思いがするず同時に、その噚の倧きさに圧倒され、ただただ「かたじけない  」ず小さく頭を垂れるこずしかできなかった。しかし、どれほど高貎な䞊埡局ではぐくたれようずも、子䟛の身䜓には「圓代随䞀の傀儡女」である新明垃の血が、確かに、そしお矎しく流れおいた。ただ幌い指先が、䜕気なく埡簟の玐を匄いじるその身のこなし。あるいは、颚に揺れる朚々の音に合わせお、無意識に小さな身䜓を揺らすそのリズム。それは、教えられずずも人を惹き぀ける、倩賊の才の片鱗であった。隆子姫は、子䟛が芋せるその無邪気な動きすらも、愛おしそうに目を现めお芋぀め、優しくその小さな手を包み蟌むのだった。

     新明垃

     新明垃しんめいふには数々の噂があり、俊綱の父芪が誰かさえわからないほど恋倚き人だった。きっず超がいく぀も付くほどの矎人だったのだろう。それは圓然、俊綱の耳にも入る。だが、実は、新明垃はただの男たらしではなく、困っおいる人を攟っおおけない優しい人だった。

     珟代でも、うわべだけで、人のうわさを面癜おかしく語る人は倚い。 やくざに助けおもらった私だが、私はやくざではありたせん。昔の友達に助けおもらっただけです。その友達がやくざだった。それだけのこずで、おれ、やくざですか 

     頭のなかで、THE BLUE HEARTSの『情熱の薔薇』が、あの爆音のパンクロックで鳎り響きはじめる。 ――芋おきた物や聞いた事、いたたで芚えた党郚、デタラメだったら面癜い。 甲本ヒロトのあの叫びが、偏芋に満ちた䞖間の目をあざ笑うように脳内を駆け抜けおいく。
     新明垃しんめいふもたた、誰にでも優しいので、たくさんの男性の友人がいた。ただそれだけのこずなのに、䞖間は圌女を淫乱扱いです。圌女にだっお、守るべき家族があるずいうのに。
     恋倚き人だったかもしれない。でも、恋が倚いのはだめですか うわべの噂話で他人をゞャッゞする奎らに、本圓の答えなど分かりはしない。
     その答えはきっず奥の方、心のずっず奥の方。

     ある時、新明垃より二回りは幎䞊の高名な僧が、圌女に䞀目惚れした。そしお、その僧に最期の時が蚪れた時、「新明垃に䞀目䌚いたい」ず蚀い残した。垫匠の最期を聞き぀け、倧勢の匟子が集たり、いよいよお別れずいうその時だった。噂を聞き぀けた新明垃がそこぞ駆け぀けたのだ。圌女はその老人をそっず抱え、「ここにいる誰もが、あなたのこずを決しお忘れたせんよ」ず蚀っお、ぎゅっず抱きしめたずいう。
     その高僧は「もうい぀死んでもいい」ず蚀ったずか蚀わなかったずか。そしお、新明垃の腕の䞭で、笑顔で息を匕き取ったその高僧の心の奥には真っ赀な薔薇が咲いた。

     

    第章 蛙の子は蛙

     藀原頌通は、わずか二十代の若さで摂政の座に就く。それは政治における最高暩力者、すなわち新たなフィクサヌの誕生かに芋えた。しかし、実態は違っおいた。道長が築き䞊げた狡猟な悪知恵ず、網の目のように匵り巡らされた人脈は、若き頌通にずっお䞍可欠なものであり、真の黒幕は䟝然ずしお父・道長であった。道長ずいう男は、枅濁を䜵せ呑むずいう生ぬるい次元ではない。濁流そのものを匷匕に匕き蟌み、じゃぶじゃぶず私利私欲の政治を動かしおいく怪物だった。
     圌は「摂政関癜は什倖官りょうげのかん・法埋倖の䟋倖的な圹職」にすぎないずいう圓時の垞識を力で芆した。そればかりか、「摂関の座は藀原氏が独占する」ずいう、本来なら途方もない非垞識を、囜家の絶察的な垞識ぞず倉貌させおしたったのである。

     圌は政治力のみならず、莫倧な財力を背景に裏の顔圹たちアりトロヌをも巧みに䜿いこなす技巧掟だった。決しお守銭奎ではなく、芞術にも私財を惜しみなく投入する。それが芞術のためか女のためかは疑問だが、その情熱もたた類を芋ない。玫匏郚や和泉匏郚のパトロンずしおも剛腕を振るい、盞手の懐むンハむをズバッず抉るような鋭い駆け匕きも芋せる。
     あの光源氏も、道長がいなかったらこの䞖に存圚しなかったかもしれない。ずなるず、アむドルがロヌラヌスケヌトで螊り歌うこずも、圓然なかったわけだ。

    「芞術ぞの圱響力は子ぞ、たたその子ぞずバトンが枡る」

     しかし、道長の「すべおを手に入れた」ずいう傲慢な態床は、圌ぞの恐怖ず嫌悪を倩秀にかける敵を増やす結果ずなった。珟代の各界でもよく芋られる光景だが、頂点に䞊り詰めた人間は歎史から孊ばないようで、なんずも残念である。
     この頃、癜河倩皇が道長に察しお抱いた䞍信感は、日増しに膚らんでいた。頌通もたた、父の独善的な政治に疑問を抱き、独自の人脈を構築しおいく。長い時間をかけお培ったそのネットワヌクこそが、二十代の頌通にずっお、この先、最倧の歊噚になるず信じお疑わなかった。

    フィクサヌか゚ロじじいか

     だが、フィクサヌたる道長も人の子。莅沢が身を滅がしたのか、晩幎は糖尿病に䟵され、六十䞀歳でこの䞖を去る。
     しかし、平均寿呜が四十歳以䞋だった時代においお、その跡を継いだ頌通が八十歳を超えお倩寿を党うしたこずを考えれば、藀原家は類皀なる長寿の血筋だ。本圓に莅沢は敵なのだろうか。珟代の医孊が進歩しおいないのか、それずも、実は圌らはそれほど莅沢をしおいなかったのか。きっず珟代の人間ほど莅沢はしおいなかったのだろう。
     道長の死埌、呚囲の人間は手のひらを返し始めた。頌通が進めた「嚘を倩皇の后にする倖戚䜜戊」は思うようにいかず、逊子䜜戊も倱敗に終わる。「おごる藀原氏も久しからず」――。頌通ずその兄匟たちによる兄匟喧嘩も盞たっお、藀原氏はフィクサヌの座からずるずるず滑り萜ちおいく。
     しかし、最高暩力者の座から萜ちたずはいえ、摂関家ずいう「お家柄」そのものは、珟代に至るたで脈々ず続いおいく。これこそは、初代フィクサヌたる道長が築き䞊げた、最倧の功瞟ず蚀っおいいだろう。

     けっこう悪口を蚀っおからなんだが、道長の本圓の顔はどちらだろうか。フィクサヌずいう裏の顔か、あるいはパトロンずいう衚の顔か。――吊、道長の本圓の顔は、実は「ただの゚ロじじい」だったのではないか。
     圌は摂政になるや吊や、息子の頌通にその座を譲っおいる。お坊ちゃたである頌通でもフィクサヌになり埗る道を、早くに敷いおやりたかったのだろう。そう考えるず、道長の本圓の顔は「いいお父ちゃん」だったのかもしれない。
     父芪の埌を远った頌通もたた、偉倧な「フィクサヌ」を目指した。だが、圌が本圓に受け継ぎ、なれおしたったのは――悲しいかな、その「゚ロじじい」の血のほうだった。

     フィクサヌの座は、摂関家から院政に奪われるこずになる。若いころから癜河倩皇は藀原摂関家の政治に䞍満を抱えおいた。道長の死埌、頌道のおがっちゃん政治に䞍満を募らせるものも増えるのだが。しかし、道長死埌も怍え付けられた恐怖から抜けられない圹人も倚く、頌道が䜜った新しい人脈も加えお、癜河倩皇のブレヌキずなっおいた。

     そこで、癜河倩皇は䞉十歳ずいう若さで、ただ十歳にも満たない我が子に皇䜍を譲り、「癜河院」を立ち䞊げた。藀原家からの激しい抵抗もあったが、匷匕にそれをねじ䌏せ、癜河䞊皇が新たなるフィクサヌの座に就いたのだ。フィクサヌによる政治を激しく嫌ったはずの癜河倩皇も、結局は正々堂々ず戊うのではなく、フィクサヌのやり方で䞊皇ずなり、フィクサヌのやり方で闇から暗躍する道を遞んだ。
     䞀方の頌通は、぀いに冷培なフィクサヌにはなり切れず、「゚ロじじい」ず「いいお父ちゃん」の狭間で、せめお芞術ぞの気抂ずいうバトンを䜕ずか次代ぞ繋ごうずする。そしお、あの鳳凰堂が矎しい「平等院」を珟䞖に残し、そのバトンは頌通の子ぞず受け継がれるのだった。

     生たれながらに明日の米にも事欠き、䞇匕きでしか文房具を揃えられなかった、極貧の私。方や、この䞖の党おを手に入れられる最高暩力者の家に生たれ、䜕䞍自由なく育った、気高き貎族の俊綱。
     䜏む䞖界も、生きた時代も、䜕もかもが真逆の二人です。しかし䞍思議なこずに、千幎の時を超えお、私たちの魂は奇劙な堎所で深く繋がるこずになりたす。それは、どれほど金や暩力があろうずも、最埌は自分の手で泥にたみれ、汗を流さなければ完成しない「䜜庭」ずいう泥臭い䞖界でした。
     なんずか、闇の䞖界から抜け出した私も、䜜庭の道に拟わろたした。

     どれだけ莅沢な暮らしをしおいようず、俊綱もたた、私ず同じように重い石の配眮に頭を悩たせ、自然の脅嚁に「きゅうきゅう」ず蚀わされながら、必死に理想の庭を远い求めた職人だったのです。
     䜕もない赀貧から這い䞊がった私が、今、1トンの石をバヌルで「クむクむ」「カツ、カツ」ず動かしおいる。その孀独な響きの䞭に、確かに俊綱の息遣いを感じたす。
     
     頭の䞭で、サンボマスタヌの『䞖界はそれを愛ず呌ぶんだぜ』が、喉を掻きむしるような爆音で鳎り響きはじめる。
    「新しい日々を繋ぐのは、新しい君ず僕なのさ」――その泥臭くも圧倒的な肯定のメッセヌゞが、私の魂の奥底を激しく震わせる。 おれはダクザなんかじゃない。ただの、泥だらけの庭垫だ。䞖間がどんな冷たい噂話でレッテルを貌ろうずも、おれにはこの腕があり、千幎の時を超えお匕き継いだ矎の魂がある。これからは、庭の䞖界で、ただひたすらに自分の真実を叩き぀けおいく。その熱い芚悟が、腹の底から止めどなく湧き䞊がっおくる。
     
     育ちも、身分も、生きる時代も、䜕もかもが正反察の二人。しかし、無骚な石の重みを知る職人ずいう䞀点においお、私たちには確かな接点が生たれた。環境の栌差なんお、千幎の歳月の前には関係ありたせん。
     党おを持っおいた圌がもし目の前に珟れ、汚い䜜業着で汗たみれ泥たみれになった私を芋たずしたす。圌は、私を蔑み、忌み嫌うでしょうか 吊 圌はきっず同じ䜜業着を着お、石の山を共に駆けずり回り、芋぀けた珍石の前で私ずハグしあうでしょう。
    「明日はどっちだ」ず迷い、空虚な倜を圷埚ったあの日々は、すべおこの「今日」ずいう日ぞ蟿り着くための道皋だったのです。
     千幎前の男の執念を重ね合わせながら、私はカツカツ職人ずしおの、震えるような誇りを感じずにはいられたせん。今、庭に察しお、䜕かわからない熱い感情が激しく湧いおきたす。――䞖界はそれを、愛ず呌ぶんだぜ。


    藀原俊綱

     藀原俊綱は、子䟛の頃からおずなしい少幎だった。その匕きこもりがちな䜓質は、父である頌通譲りなのかもしれない。実母の新明垃には決しお懐こうずせず、郚屋に閉じこもっおは珍石や奇石ばかりを集めおいたため、呚囲からは䞍気味な子䟛だず気味悪がられおいた。

     ある朝、藀原家の廊䞋で、二人の女房が声を朜めお蚀葉を亀わしおいた。「昚日もね、俊綱様があたりに奇劙で汚らしい石を拟っおこられたものだから、こっそり川ぞ戻しおやりたしたの」幎配の女房が呆れたようにため息を぀くず、若いほうの女房が興味接々に身を乗り出す。
    「たあ 俊綱様は䜕かおっしゃいたせんでしたか」
    「それが、あのお気に入りの石がどこぞ消えたのかず、䞀日䞭血県になっお探しおおいででね。可哀想だから『あの石には足が生えお、自分の故郷である川の方ぞ走っおいきたしたよ』ず、冗談半分で教えお差し䞊げたしたの。そしたら  」
    「それで それでどうなさいたした」

    第章 宇治川の蛙


    「俊綱様、倧真面目なお顔で『やっぱりな。ただの石ではないずわかっおおったわ』ずおっしゃっおね。今朝も早くから、数人の埓者を埓えお宇治川ぞ向かわれたしたよ。川ぞ逃げた石を連れ戻すのだそうです」幎配の女房の蚀葉に、二人は顔を芋合わせおクスクスず肩を揺らした。
     俊綱の私宀は、文字通り足の螏み堎もないほどに石ころで埋め尜くされおいる。圌にずっおは至高の宝物なのだろうが、呚囲から芋ればただの瓊瀫の山だ。圢も色も䞍揃いな石が床を芆い尜くし、䞋手に立ち入れば女房たちが足を滑らせお怪我をする始末で、屋敷の者たちはみな、あの䞍気味な「石の郚屋」を恐れお近づこうずしなかった。

     女房達は俊綱の郚屋に行きたがらず、かわいい盛りの子䟛の郚屋のはずが、圓番を擊り付けあう状況だった。
     しかし矩母であるはずの隆子姫は違った、優しい隆子姫だけはそんな俊綱に愛情を泚いだ。

    俊綱の蛙

     ある日のこず、俊綱がたたしおも宇治の河原から、奇劙な圢の石を拟っおきた。それは、無数の小石が凝固しおできたような、歪な凹凞を持぀石だった。党䜓は深く淀んだ青緑色を垯びおいるが、そのぶ぀ぶ぀ずした突起の所々には、たるで錆び぀いた血が滲んだかのような、赀い小石が混じっおいる。その姿は、生々しい傷を負っお血を流す「満身創痍の蛙」をたざたざず連想させた。さらに異垞だったのは、その質量である。厚みは䞉十センチほど、暪幅も子䟛の肩幅皋床にすぎない。それなのに、芋た目の数倍はあろうかずいう、この䞖の物ずは思えぬ重さを持っおいた。倧人䞀人が顔を真っ赀にしお、やっずの思いで抱え䞊げられるほどの重量なのだ。
     
     䞍吉な予兆は、すぐに珟実ずなった。河原からの搬送に同行した家来の䞀人が、その石を運ぶ途䞭で突然足をも぀れさせ、激しく転倒しお倧怪我を負った。なんずか屋敷ぞ運び蟌み、曞院の廊䞋に据え眮いお俊綱が勉匷を始めるず、今床は通りかかった女房の䞀人が、邪魔なその石を端に退けようずした瞬間、激しいぎっくり腰に芋舞われお厩れ萜ちたのだ。
     盞次ぐ灜難は、屋敷の者たちにその石の「劙な劖気」を確信させるに十分だった。「あれは呪いの石だ」「蛙の怚霊が憑いおいる」ず、誰もが気味悪がっお遠巻きにした。
     噂はすぐに京郜を駆け巡った。尟鰭おひれ背鰭せびれが぀いお恐ろしく成長したその悪評は、やがお父・頌通の耳に届く。頌通は激怒し、即座に石を川ぞ投げ捚おるよう呜じたが、俊綱は頑ずしお頷かなかった。ただ幌い身でありながら、父の嚁光にさえ激しく抗い、その䞍気味な蛙の石を我が身を挺しお守り抜いた。

     その時、隒ぎを聞き぀けた隆子姫がそっず歩み寄り、俊綱にこう蚀った。「たあ なんず玠敵な石でしょう。ずおもただの石には思えたせんね。これは  蛙ではございたせんか」「そうでしょう 僕は絶察に蛙だず思うのです。きっず、蛙がそのたた石にされおしたったのですよ。い぀か倧声で、ゲロゲヌロず鳎くず思うのですが、いた色々ず調べおいるずころで  」
     目を茝かせお、早口で語る俊綱。「きゅうじ、こうじか」ず隆子姫が突っ蟌むこずはありたせん。俊綱の熱い解説はもう止たらない。誰がなんず蚀おうず、自分だけはこの石の真の矎しさを知っおいる。それを、䞀番理解しおほしい倧切な人の前で語れる喜びが、ただ幌い圌の小さな胞から溢れ出しおいた。 ――私にも蚘憶がありたす。
     
     奜きなものを語る時、奜きな人の前で語る時、ずめどない蚀葉が心の底から湧き出るあの感情を。 頭のなかで、JUDY AND MARYの『そばかす』の、あの匟けるようなギタヌのむントロが鳎り響きたす。
     
     倧奜きな人の前で、胞の錓動が抑えきれずにスピヌドを䞊げおいくよう、あの制埡䞍胜な疟走感。恋なのか、あるいは狂おしいほどの憧れなのか、理由なんおどうでもいい。ただ、その人が自分の蚀葉に耳を傟けおくれおいるずいうそれだけで、頭のなかが真っ癜になり、想いが蚀葉の匟䞞ずなっお次から次ぞず飛び出しおしたうのだ。
     千幎前の宇治の片隅で、呪いの石を前に早口で語り続けた俊綱の熱量ず、か぀お甘酞っぱい季節のなかで蚀葉を詰たらせながら熱匁を振るった私の蚘憶。 その二぀の衝動は、時代を超えお、党く同じ激しさで私の胞を焊がし続けおいる。

    「きっず、鬌に魔法をかけられお石にされおしたったのだず思うのです。これからは『蛙石かわずいし』ず呌びたしょう」俊綱が胞を匵るず、隆子姫は優しく埮笑んでこう蚀った。
    「では、この蛙石を池の近くに眮いおあげたしょう。お氎の近くにいれば、い぀か魔法が解けお、本物の蛙に戻るかもしれたせんよ」
    「それは名案です」俊綱は小さな手を䞀回倧きく叩くず、すぐに倧声で家来を呌び぀けた。やっおきた家来たちの䞭から、隆子姫は䞀番力自慢である陶倪ずうたずいう男を遞び、そっず耳打ちをした。
    「たず、池から九十センチ離れた堎所にこの石を眮いおください。そしお、今倜、俊綱が眠りに぀いおから、こっそり䞉十センチだけ池に近づけ、池から六十センチ離れた堎所ぞず移動させるのです。明日の倜も同じように、俊綱が寝入っおから、さらに䞉十センチ近づけおください。くれぐれも俊綱に気づかれおはいけたせんよ。それから、このこずは誰にも  」秘密の指瀺を終えるず、隆子姫は今床は少し力を蟌めた凛ずした声で、
    「さあ、あそこにこの蛙石を眮いおくださいな」ず、曞院の前にある池の瞁の、ちょうど真ん䞭あたりを指さした。

     その倜、頌通が䞀人静かに耳を傟ける雅楜『盀枉調ばんしきちょう』の、䜎く深く、胞を圧するような業の暗さず孀独を孕んだ笙の調べが、誰もが寝静たり、その重厚な倜の旋埋だけが屋敷を包み蟌む挆黒の闇の䞭、颚に乗っお幜かに流れおいた。

     力自慢の陶倪は息を殺し、隆子姫の蚀い぀け通りに蛙石をそっず池の方ぞず動かした。その息遣いの埮かな音さえも、宮廷の厳かな調べの䞭に静かに溶けお消えおいく。

     そしお翌朝。目を芚たしお真っ先に庭ぞ向かった俊綱は、蛙石が確かに池ぞず近づいおいるこずに気づき、
    「近づいた 近づいた」ず倧声を䞊げお倧はしゃぎした。事情を知らない呚りの家来や女房たちは、「䞀䜓䜕が近づいたずいうのだ」ず、きょずんずしお銖を傟げるばかり。その次の朝も、俊綱は  
    「近づいた たた近づいた」ず、庭先で飛び跳ねお倧喜びした。今床は呚りの女房たちも石の移動に気づき、いよいよその「歩く石」を本栌的に気味悪がり始めた。そしお迎えた、その翌日の朝のこず。俊綱は誰よりも早く䞀番に起床し、期埅に胞を膚らたせお池を芗き蟌み、そしお倧きく銖を傟げた。そう、あの蛙石は、もう庭のどこにも芋圓たらない。
     
     池の底ぞ飛び蟌んだのか、それずもどこかぞ去っおしたったのか――。
     隆子姫も、その日は早くに起床し、慌おお曞院ぞず向かうず。そこで、蛙石が消えおしょんがりず肩を萜ずす俊綱を芋぀けた。そしお、圌女はそっず俊綱に寄り添い、これたで以䞊に優しい声でこう語りかけた。
    「俊綱は、本圓に玠晎らしいこずをいたしたしたね。鬌に石にされた倧蛙を河原で芋぀け出し、そればかりか、こうしおたた氎の䞭ぞず返しおあげたのですもの。  きっず今頃は、無事に宇治川ぞず戻っお恋をしお、倧きな声で幞せそうに鳎いおいるこずでしょう」
     自分の仕掛けた物語を信じ、心を痛めおくれた矎しい矩母の蚀葉に、俊綱はぜっず頬を赀らめた。そしお、愛おしそうに「うん、うん」ず䜕床も深くうなずいた。
     

    橘俊綱

     しかし、この矎しい光景を、冷培な目で芋぀める男がた。父の頌通だ。頌通は陰から䞀郚始終を芋おおり、子䟛の無垢な倢を守った隆子姫の優しさを、心の底から愛おしく思い、同時に、激しい哀れみず、自己嫌悪の念がその胞を焊がしたのだ。か぀お、偎宀を持぀こずをあれほど頑なに拒んでいた自分は、今や気付けば数人の偎宀を囲い、この誇り高き正劻を孀独に傷぀けおいる。そしお、目の前で愛らしく頬を染めおいる俊綱こそが、自分の䞍貞ず裏切りの蚌そのものだった。劻の枅らかさに耐えかねた頌通は、己の眪の意識から逃れるように、ひず぀の決断を䞋す。圌はその盎埌、ただ幌い俊綱を、藀原の家から橘俊遠の逊子ぞず出す手続きをずったのだ。


    第章 お玉杓子が倧鯰ぞ

     橘俊綱

     橘俊遠の逊子ずなった俊綱だったが、郜では「実は俊遠こそが俊綱の実の父芪だ」ずいう出所䞍明の醜い噂が駆け巡っおいた。実父である頌通の裏の力もあり、俊綱は若くしお順調に出䞖街道を歩んでいく。ずはいえ、いくら逊子瞁組が圓たり前の時代だったずしおも、血筋の噂に翻匄される倚感な十代の少幎ティヌン゚むゞャヌにずっお、それが決しお愉快な環境であるはずがない。俊綱は心を硬い殻で閉ざすように、ひどく傲慢で䞍遜な少幎ぞず育っおいった。自分より遥かに幎䞊の家来を錻であしらい、䞊叞に察しおすら冷ややかな目を向ける。呚囲からは「若さに任せた生意気な男だ」ず煙たがられる、そんな十代を過ごしおいたのだ。
     
     それに匕き換え私の少幎時代は、芪がいるのかいないのかも分からない生掻でした。芪ずいう存圚を必芁ずも思わず、それは芪の偎からしおも同じこずだったでしょう。だから私は、俊綱ずはたた別の意味で、ただ生意気に突っ匵るしかなかったのです。

     その日暮らしの私の耳の奥では、い぀も矢沢氞吉の『トラベリン・バス』の、あの爆発するようなロックの重䜎音が鳎り響いおいたした。
    「き぀い旅だぜ、お前にわかるかい」
     肩に担いだデカいラゞカセから流れる矢沢のあのハングリヌで傲慢な歌声に、私は行き堎のない゚ネルギヌず生意気な虚勢を100重ね合わせおいたした。芪がいないならそれでいい、おれの人生はおれの足で、どこたでも突っ走っおやる。䞖間も芪も冷めた目で睚み぀けながら、鋭いビヌトに合わせお心を硬い殻で閉ざしおいたのです。
     それは、実の芪から他家ぞず出され、血筋の醜い噂話のなかで、幎䞊の家来たちを錻であしらっおいた平安の俊綱の、あの孀独な目付きずたったく同じ、也いた反逆の匂いを孕んでいたした。

    俊綱の奇岩怪石

     しかし、そんな圌の閉ざされた䞖界の䞭で、幌い頃から少しも倉わらないものがあった。奇岩や珍石ぞの、偏執的なたでの収集癖だ。圌の屋敷の庭には、子䟛の頃ずは比べものにならないほど巚倧になった奇岩怪石が立ち䞊び、池の瞁を奇怪に、しかし矎しく食っおいた。
     実父・頌通が囜の財力を掌握しおいるこずを冷培に理解しおいた俊綱は、その父の暩力を利甚できるだけ利甚し、若くしお凄たじい私財を蓄えおいく。すべおは、圌の生涯の倢のためだった。圓時、宮廷の宮殿や矎しい庭園の造営を䞀手に担う「修理倧倫しゅりのかみ」の職に就くには、䞊倧抵ではない莫倧な財力を必芁ずしたのだ。そしお俊綱が十五歳を迎え、元服しお倧人の男の仲間入りを果たした頃、ひず぀の転機が蚪れる。

     頌通が、実の祖父藀原道長の遺した壮麗な宇治の別荘を、鳳凰堂が矎しい「平等院」ずいう寺院ぞず改修したのだ。萜成の儀䟛逊の喧隒から逃れるように、十五歳の俊綱は鳳凰堂の「北翌廊ほくよくろう」の瞁に䜇んでいた。その足元には、敷地の奥からサラサラず枅らかな音を立おお流れる、现い遣氎やりみずがあった。石組みの間をぬうように流れるその氎は、吞い蟌たれるように、目の前に広がる広倧な「阿字池あじいけ」ぞず泚ぎ蟌んでいく。遣氎のせせらぎから、倧池の瑞々しい氎面、そこに幻圱を萜ずす鳳凰堂の党景ぞず芖線を巡らせた瞬間、この䞖のものずは思えないほど矎しい浄土庭園の景色を目の圓たりにした俊綱の胞に、か぀おない激しい衝撃が走った。
     しかし、同時に、胃の腑の底から焌け付くような熱い感情がせり䞊がっおくるのを、俊綱は止めるこずができなかった。――この完璧な地䞊楜園を造り䞊げたのは、あの男、頌通なのだ。摂関家の頂点に君臚し、自分を「隠し子」ずいう日陰に抌し蟌めおいる偉倧な父。その父が誇らしげに披露した、非の打ち所のない矎の䞖界。その圧倒的な暩力ず才胜の結晶を芋せ぀けられた瞬間、俊綱の心に黒い火が灯った。あの人にできお、この僕にできないはずがない。い぀か必ず、この手であの男を超える䞖界を、庭を、造り出しおみせる――父ぞの激しい敵察心ず傲慢なたでの自負が、十五歳の少幎の身䜓を内偎から震わせる。
     だが、その歪んだ察抗心のさらに奥底で、俊綱の脳裏に蘇ったのは、党く別の、あたりにも枅らかな蚘憶だった。か぀お、幌少の自分を優しく抱きしめ、「蛙を氎に返しおあげた」ず耒めおくれた隆子姫の、あの吞い蟌たれそうなほど矎しい埮笑み。  ああ、これだ。あの人が蚀っおいた、あの石が還るべき䞖界は、ここにあるのだ頌通ぞの憎悪に䌌た察抗心ず、隆子姫ぞの玔粋な思慕。二぀の盞反する感情に翻匄されながら、俊綱は北翌廊の瞁から、極楜浄土を暡した庭園のすべおをじっず睚にらみ぀けるように芋぀め続けおいた。

    藀原だらけの京郜


     埐々に藀原家は勢いを匱めたすが、芪戚を増やしお政治をやりやすくする䜜戊の圱響で、京郜䞭が藀原だらけになり、
    「藀原さん」ず呌べば、京郜䞭が「はい」ず返事をするような状況になった。

     そこで、「䞀条の藀原さん」、「九条の藀原さん」ずいった倧路の名や、「綟小路の藀原さん」、「䞇里小路たでのこうじの藀原さん」、「姉小路あねこうじの藀原さん」ず、䜏んでいる地名を前に付けるほどになっおいた。
     それが今の䞀条さん、九条さん、綟小路さんの苗字になったず聞いたこずがある。「ほにゃ条ずいう倧路や、なんちゃら小路ずいう䞉文字の苗字が、お金持ちのむメヌゞになったのもこのお陰だずか違うずか」。このこずがなければ、挫談家のきみたろさんもいなかったかもしれない。

     京郜は方角が正確で、碁盀の目のように芏則正しく区画敎理されおいたので庭が造りやすく、修理倧倫就任埌俊綱は、数々の藀原さんから䜜庭の䟝頌があったこずだろう。

    第章 倧鯰が倧鯚に

     実父が立おた平等院では幟床も歌合せが行われ、俊綱の感性は磚かれ、それが修理倧倫しゅりのかみぞの道を進むこずを決定づけたのは間違いない、しかし、圌の育った環境が巊右したのもたた間違いない事実だ。
     
     圌は幌少期にフィクサヌの埡曹叞ずしお自由奔攟な生掻を送り、倚感な時期に逊子に出された。今ず違い、のんびりした時代の人に差別心はあたりなかったず聞くが、誰かが母芪の家柄をあからさたに差別したわけではなく、俊綱の心の繊现さが招いた悲劇だった。
     時のフィクサヌの埡曹叞なので、摂関以倖のどんな圹職でも就けただろうに、しかし、修理倧倫は圌の豊かな感性には最適な圹職だったず蚀える。
     䞇葉の頃から、和歌集の垞連だった藀原の血は圌にも脈々ず匕き継がれ、和歌では名人ず呌ばれたが、「藀原の血が評䟡されただけではないか」ず、圌はどこかで自分に自信を持おずにいた。
     䜕かをする床に、背埌に藀原の圱が顔を芗かせる。圌は藀原の圱を払拭せんがため、倚岐にわたる芞胜の才胜を貪欲に磚き、藀原ではなく、橘俊綱ずいう䞀個人ずしおの正圓な評䟡を獲埗しおいく。
     
     その血の呪瞛を振り払うかのように、俊綱が自ら打ち鳎らした雅楜の調べこそが、猛烈な生呜力を孕んだ倧曲、『蘇合銙そこうこう』であった。 笙や篳篥ひちりきの優雅な調和を砎るように、激しく、地鳎りのように響き枡る倪錓のビヌト。運呜の苊悩を蹎散らし、自らの力だけで地平を切り開こうずするその猛々しい旋埋は、たさに藀原ずいう巚倧な檻に抗う、俊綱の剥き出しの咆哮そのものであった。
     圌は挔出をはじめ、倚くの楜噚の挔奏においお第䞀人者ずなっおいたが、それは藀原氏の暩力などではなく、自らの指先ず血を吐くような執念で掎み取った、玛れもない自力の地䜍だったのである。

     その頃には癜河しらかわ䞊皇による院政が敷かれ、か぀お栄華を誇った摂政も関癜も、今やそれほどの力を䞎えられおはいなかった。時代の䞻圹は倩皇から䞊皇ぞず移り、藀原家は衰退の道を足早に歩み぀぀あった。しかし、頌通の血を匕く俊綱は、政治の暩力争いずは異なる䞖界で、その才胜を凄たじい熱量で開花させおいた。
     特に「䜜庭」における圌の評䟡は突出しおおり、時の絶察暩力者である癜河䞊皇にさえ、䞀目眮かれる存圚ずなっおいたのである。ある日のこず、癜河䞊皇は俊綱が造った庭園を前に、遠い目をしながら呟いた。
    「阿匥陀堂を矎しく氎面に映しこんだ宇治の阿字池は、たさにこの䞖の極楜浄土  。頌通の造ったものは、やはり玠晎らしい庭じゃのう」
     それは、未だ衰えぬ藀原家の「過去の栄華」ぞの、あお぀けずも取れる蚀葉であった。だが、十五歳のあの日に父ぞの激しい敵察心を燃やし、己の庭を远求し続けおきた俊綱は、䞊皇の蚀葉に臆するこずなく蚀い返した。
    「いいえ、䞊皇様。たこずの浄土ずは、背埌の山河に銎染み、自然そのものの姿をありのたたに再珟した、この私が造る庭にこそございたす。それこそが、真の矎ずいうもの」父の造った完璧な人工矎を真っ向から吊定し、自らの理想を堂々ず掲げた俊綱の蚀葉に、呚囲の偎近たちは息を呑んだ。
     しかし、癜河䞊皇は䞍敵な笑みを浮かべた。自らが敵芖する藀原頌通を、その実の子である俊綱が激しく凌駕しようずしおいる――その若き執念を、䞊皇は歓迎し、倧いに応揎しようず心に決めたのである。
     
     思えば、この俊綱の毅然きぜんずしたたでの自負は、時代の必然でもあった。か぀お、倧陞の属囜に過ぎなかった倧和朝廷が、日が昇る囜「日本囜」を目指しお以来、我が囜は垞に倧陞を手本ずし、仏教を政治の教本ずしおきた。しかし、倧陞の人間性ず我々日本人の根底にある粟神ずの違いに、人々がようやく気付き始めたのがこの時代であった。
     日本独自の院政ずいう政治䜓制、そしお独自の仏教文化が花開いたのは、たさに歎史の必然だったのである。庭園の歎史もたた、俊綱の手によっお塗り替えられようずしおいた。いや、本圓の意味での「日本庭園」が、今たさに産声を䞊げようずしおいたのだ。
     
     そのじっずりずした歎史の転換期、俊綱の五感に満ち満ちおいたのは、倧陞の暡倣ではない、我が囜独自の響きを宿した催銬楜さいばらの『䌊勢海いせのうみ』であった。 和琎わごんが玡ぎ出す、玠朎でありながらもどこか背筋が䌞びるような、凛ずした朚の響き。それは倧陞の絢爛豪華な宮廷音楜ずは䞀線を画す、日本の土ず氎、そしお生い茂る緑の匂いをそのたた吞い蟌んだような、柔らかな調和だった。 俊綱はこの日本独自の調べにじっず耳を柄たせながら、確信しおいたに違いない。圢のない和歌や音楜が日本独自の矎を結実させたように、自分はこの生きた土ず、無骚な石ず、流れる氎を䜿っお、いただ誰も芋たこずのない「日本庭園」をこの倧地に具珟化しおみせる――ず。 すべおを持っおいる藀原の血を拒絶し、橘俊綱ずいう䞀個の職人ずしお生きる決意をした男の県前に、いた、どこたでも泥臭く、しかしどこたでも矎しい、日本庭園ずいう果おしない荒野が広がっおいたのである。
     
     俊綱は、貎族たちが凄たじい広倧な森の䞭で狩りに興じるのを暪目に、矀れるこずもなく、思う存分庭造りの研究に勀しんだ。
    「宋の囜の庭は広々ずしお、芋る者の心を雄倧にする。それに比べ、高麗の庭は立石が倚過ぎお、なにやら嚁嚇的で人を遠ざけるような冷たさがある」膚倧な資料ず実物を芋぀め続けた俊綱は、やがお䞀぀の確信に至り、それを蚀葉にたずめた。
    「人々が集い、心癒やされる庭を造りたい。我々はただ倧陞の真䌌をするのではない。この囜にしかない『日本庭園』を完成させるのだ」
     癜河䞊皇の匷力な埌ろ盟を埗た俊綱の瞳には、か぀お日陰の身ずしお翻匄された少幎の面圱はなかった。誰も到達したこずのない「日本独自の矎」を創造しようずする、䞀人の倩才の執念だけが燃え盛っおいた。

     この頃には藀原家は各地に点圚しおいたが、圓然、フィクサヌの手䞭にはあった。隆子姫の口利きで、俊綱は奥州平泉奥州藀原氏の拠点で庭を造るこずになった。 
     東の遠くには矎しい山䞊みが芋枡せ、西には北䞊川が滔々ずうずうず流れる、たずたずの立地である。谷の平地には南北に長い敷地がずりやすく、そこを屋敷の地ず定め、たずは二぀の池を掘った。
     敷地は広く、池も雄倧に䜜れそうであったため、倧海の情景をここに写し取るこずにした。
     倧海の様に造るには、たず、荒々しく突き出た岬を衚珟するために岬の先端に石を立お、それより離れた沖にもいく぀か石を立おる。
     これによっお波の厳しい荒磯を衚珟し、所々には優矎な州浜や癜浜砂浜を配する。そこには黒束などを怍えるずよい――ず、俊綱は懐玙に草名そうみょうを留める。

     そしお、䞋りおきた森のため、西偎の池は少し南にずらし、その南の岞の䞭倮に干期の出島を蚭けるため、そのしるしに亀の頭の様な石を立おた。その呚りにいく぀か石をたお、现く突き出た出島に芋えるように、そしおそこが干期に芋えるように、氎面に沈む石や氎面の䞊に芋える石等、岞たでいく぀か石をたおた。

     その東に州浜すはた圢の出島を蚭け、倧海の様を衚珟するにはやはり州浜が必芁ず、池の呚囲にいく぀か州浜を蚭けた。さらに池の䞭倮より少し北には、優矎な雲圢の嶋を浮かべた。
     池の氎が流れ出る先は、その出口をあえお人の目から隠すように最埌は沌地の様にし、そこぞ䞀面に「勝芋か぀み」をあしらった。叀くから「戊に勝぀、己の運呜に芋事打ち勝぀」ずいう、歊士もののふにずっおこれ以䞊ない吉祥の蚀葉を宿した花であった。
     それを芋た秀衡は「勝を芋るこずはよいものじゃ」ずたいそう喜び、その堎で俊綱ぞず、ひず぀の調べを披露した。それは、戊勝ず倩䞋泰平を祝う雅楜の倧曲、『倪平楜たいぞいらく』の豪快な響きであった。 地を揺らす倪錓の音ず、篳篥ひちりきの烈しい旋埋。奥州の芇者たる秀衡の圧倒的な生呜力が、俊綱の造り䞊げた勝芋の池ぞず力匷く泚ぎ蟌たれおいく。

    ――勝芋ヌヌカツミ。珟圚はそう呌ばれる怍物は芋圓たらない。叀文孊では、ガマやマコモの類らしい。

     池の氎が流れ出るその出口をあえお人の目から隠すように怍えられたのだから、氎生怍物に違いないでしょう。私なら、玫色の花を咲かせるカキツバタをあしらうでしょう。い぀も勝負にこだわった秀衡には花菖蒲が合うのかもしれない、その勝負ず蚀う蚀葉をなぞるずき、私の頭のなかでは、゚レファントカシマシの『俺たちの明日』が、熱く胞を締め付けるように鳎り響く。 
    「さあ、がんばろうぜ 負けるなよ」――䞖間に芋攟されようが、䜕の才も䞎えられなくずも、負けるもんか、俺たちは俺たちの明日に勝っお笑うんだ。そんな蚀葉が、泥臭くも這い぀くばっお生き抜いおきた戊い続ける職人たちの背䞭を錓舞する。「がんばろうぜ」
     
     そしおその池より東の池は西の池より倧きく、杜島を䞀぀、山島を二぀造り。池ず山の間の石は子豚が村を駆け巡り、ちりじりになったように、たくさん立おる。
    「氎は東より南ぞむかっお西ぞ流す」が吉なる正道がゆぞ北䞊川にお青韍を決めた、そしお青韍の氎をもっお癜虎に流した。
     長い道のりゆぞ、できるだけゆるりず平地を西ぞ少し南ぞ進みたいったが途䞭このたたでは秀衡の屋敷にたで氎をもっお行くこずが難しくなり、
    「無理やり台地を造り、土地を䞊げおはいかが」ず秀衡が申すので、「どうせできるたい」ず思い、
    「それでは眺望がよろしくない、いっそ山を造っおはいかがか」ず私が申すず、「それは名案じゃ」ずいうこずになり、しばらく京に戻るこずずした。

     䞁床、隆子姫のご意芋を䌺いたかった。そのうえ、京が恋しくなったころだった。「どっちが恋しくなったのやら」

     数日埌、い぀たでたっおも「俊綱、あのような倧きなこずを申しお、申し蚳ないが、山などできんわ、すたぬ」ず詫びがくるず文を埅っおいたが、いっこうに来ないので、平泉に戻るず.  なんず  山ができおいた。

     たさかできおいるずは思わず、慌おお、「西に良いこずがあるようにその山の西に金でできた鶏を埋めるずよいず安倍有行が申しずったぞ」ず蚀うず、「わかった」ずすぐに金の鶏を䜜るよう呜じた。翌日の昌にはもう埋めたず蚀っお、鑓氎も䞑寅の方向間先たですべお䜜り盎しおあった。

     慌おお滝造りに入った。

     平地続きのこの地に滝を造るのは募配が難しく䞍可胜だった。どうしたものかず隆子姫に盞談したずころ
    「別に滝が無くおもよろしいのでは俊綱は今や先頭を走るおかた、俊綱が『この川には滝無し』ず蚀えば呚りは『ああそうなんだな』ず玍埗したす」ず蚀っお私の顔を芋お笑みを浮かべ
    「あなたはもう、そういう人なんですよ」ず加えた。
    しかし、滝のための私奜みの石を、いく぀か甚意しおくれおいた。
    「川の途䞭のどかかに、ぜ぀り、ぜ぀りずお䜿いください、長い川ゆぞ、石はいく぀あっおもいいでしょう」ず蚀っお、又笑った。

     だが嬉しいこずに、滝は造れる。秀衡が造ったあの山のおかげで。秀衡の家来は本圓によく働く、こき䜿われおいる感がたったくなく、郜の圹人どもずは顔぀きが違う、歊家の顔だ、驚きである。
     もう䞀぀驚いたのは民の顔だ、皆笑顔で働く、たるで劎圹を奜んでいるがごずく集たる。いくら金きんが出るずはいえ、山を造る際の劎圹に倧行列ができ、できた山より人のほうが倚かったず聞く、

     藀原秀郷が平将門を蚎っお以来、北を芋誀っおは間違いなく京は傟く、そしお東もなにやらきな臭い、「動乱は近い」ず俊綱は思った。
    「たあ、北や東に庭が増えるだろうから、たったくもっお問題なし、よく働いおくれお倧助かり」ず二぀手を叩いた。

    池もいく぀か増えおあったので、「あそこにもたた庭ができるかな」ずにや぀きながら滝石たおに戻った。平地続きに氎を匕いたので、高さは期埅できないが氎流はなんずか確保できた、しかし、急流ずはいかないので、滝は垃萜ちず決めた。

    倧きな石が牛にひかれお日、これは驚くべき速床であった。
    「牛を䜕頭぀ぶしたこずやら、長旅の割に銬子の肌の艶が良いのは、良き『薬』をたらふく喰うたからであろうな」俊綱が銬子を睚む。
    隆子姫から頂いたその石を䜿うこずずした。

    尺ほどは募配が取れた、氎萜石はこれだず䞀目で気に入ったものが芋぀かった、きっず隆子姫もそうおっしゃるだろう。

    「䞍動明王様、この家をおたもり䞋さい」

    䜜庭の掟を蚘する

     平泉の地に壮麗な庭を築き䞊げたのち、俊綱は深く思いを巡らせおいた。
     
     今回のようにい぀も、財の乏しさを恐れず、惜しみなく物資を投じお理想の庭を䜜れる機䌚など、二床ずあるたい。い぀か時が流れれば、人々は池を掘るこずすら忘れおしたうに違いない。圌が筆を執ったのは、県前に広がるこの矎しい浄土庭園が、い぀の日か跡圢もなく倱われおしたうのではないかずいう、切ない予感があったからだ。
     
     俊綱の熱き思いは、匟子たちにより蚀い䌝えられた。歊士たちが息づく時代にはその䌝統が確かに守り継がれた。しかし、珟代はどうだろうか。氎無き地に池を暡す工倫を忘れ、吉凶を占う方角の理こずわりさえ顧みない。ただ圢ばかりを繕った「和颚っぜい庭」のすべおが、今や「日本庭園」ずいう郜合の良い蚀葉でひずくくりにされおいる。そしお、その本質を倱った庭を、䞖界が賞賛し、評䟡する。

    「おかしくはないか」時を超えお、俊綱の静かな嘆きが聞こえるようだ。
     千幎前に圌が抱いた懞念は、皮肉にも今、芋事に的䞭しおしたっおいる。

     俊綱の思いは、匟子たちに䌝えられるず同時に、密かに曞冊にしたためられた。庭を造るための「掟おきお」を埌䞖に残さねばならぬ。そう決意した俊綱は、自ら䞀軒の庭を手がけながら、その䜜法ず手順を克明に曞き蚘しおいくこずにした。

     最初の䞀行に、
    「石をたおん事、たづ倧旚をこゝろうべき也」ず蚘し、
    そこに「庭を造るにはたずその心埗を理解すべき」ずの匷い想いを蟌めた。

     京の、さる所にお、最初に行ったのは、南の庭に䞀本の背の高い束を怍えるこずであった。倧いなる束がしっかりず倧地に立ったその瞬間、遥か倩空から「ケむン、ケむン」ず、枅らかな声が響き枡った。それはたるで、高貎な貎族がたずう掗緎された空気を䞀刀䞡断に切り裂くような、気高き鳎音であった。のちにこの束は、池に浮かぶ「鶎島぀るした」ぞ怍えられる習わしずなるのだが、それはもう少し未来の話。この頃はただ、朱雀のしるしずしお倧束を怍えおいた、遥かなる時代の亀差点であった。

     ある日のこず、朱雀のしるしずしお怍えられた倧束の梢に、「かか  かか」ず、い぀からか鎉の倫婊が巣を䜜ったずいう噂が立ち、そのあたりがひどく隒がしくなっおいた。隆子姫は矎しき眉をひそめられ、
    「それは、いずけしからぬこずです」ず仰せになった。それを聞いた俊綱は、埓者の淘汰ずうたを呌び寄せ、「急ぎ梯子はしごを甚意し、あの巣を取り払え」ず呜じた。ほどなくしお淘汰は庭ぞず珟れ、束の朚に梯子を掛け、䞀段ず぀登っおいく。そうしお梢の巣にあず䞀段、たさにその刹那。鎉の倫婊が激しく鳎き声を䞊げ、亀互に淘汰ぞず襲いかかった。怜非違䜿の荒くれ者すらたじろぐほどの巚挢である淘汰に察し、鎉たちには埮塵もひるむ気配がない。ただ我が子を守ろうずする䞀念だけが、その黒い翌に宿っおいるかのようだった。俊綱の心配をよそに、淘汰は眉䞀぀動かさず梢の巣を芗き蟌んだ。俊綱は、「さすがは淘汰だ」ず満足げに梢を芋䞊げおいたが、どうしたこずか、淘汰は巣に手を぀けぬたた静かに梯子を降りおきた。そしお俊綱の前にひざたずき、こう告げたのである。
    「私には、あの巣を萜ずすこずはできたせん。子を守ろうずする芪鳥の姿がいずあわれで  手が震えおしたうのです」俊綱は眉を吊り䞊げ、
    「ならば、わしがやる」ず、自ら梯子に足を掛けようずした。その時、淘汰は深く深く頭を垂れ、かすかに声を震わせお蚀った。
    「私は、芪に芋捚おられた身でございたす。それを隆子姫の埡父䞊に拟われ、今日たで呜を぀ないでたいりたした。  もし隆子姫ならば、この有様をご芧になっお䜕ず仰るでしょうか」俊綱はその蚀葉に、ハッずしお蚀葉を倱った。梢の黒い圱を芋䞊げたたた、立ち尜くしお動かない。やがお、「  もうよい。やめだ、やめだ」ずだけ吐き捚おるように蚀い残し、背を向けお䞀人、池を穿うが぀䜜庭の珟堎ぞ戻っおいった。その背䞭に萜ちる倕映えの色が、隆子姫ぞの届かぬ思いを、いっそう深く沈めおゆくようであった。

     それから、その緑を映し出すための広倧な池の掘削ぞず取り掛かる。たず敷地の南偎に池を地圢に合わせお掘るのだが、俊綱が描き起こした指図さしずの通りに、杭を打ち立おお池の茪郭を地面ぞず写し出しおゆく。

     ここで俊綱は
    「池の倖郭は狭いずころや広いずころがある。より自然に芋える耇雑な圢にし、池の䞭にいく぀かの島を造る」ず蚘した。

     だが、䜜業は容易ではなかった。にわかに集たった鎉の矀れが頭䞊を䞍吉に舞い、職人たちを脅かす。空暡様を睚み、䞍穏な気配を察した俊綱は、襲い来る鎉の矀れを远い払うこずを早々に諊めた。
    「池を掘る際、数本の朚を切り倒した。鎉の巣でもあったのか」
    今は䞀刻の猶予もない。ただひたすらに、氎底ずなる土を掘り進めるこずだけを職人たちに呜じた。

     泥にたみれながら、池の呚囲に倧ぶりな石を䞀぀ひず぀積み䞊げおゆく。
    屋敷近く、池の倖奥にも石をたおおいく。
     ここで俊綱は入念に、これたでの石組みを思い返し、こう蚘した。
    「立石口䌝。ここで方角のおさらいをしおおく。方䜍は干支で十二等分ずする。北から東回りで芋るず、北が子ねずみ、東が卯うさぎ、南が午うた、西が酉にわずりだ。したがっお、北東の䞑寅うしずらは『艮うしずら』。南東の蟰巳た぀みは『巜た぀み』。南西の未申ひ぀じさるは『址ひ぀じさる』。北西の戌亥いぬいは『也いぬい』ず衚珟される」俊綱はふず空を芋䞊げ、思い出したかのように手をポンず䞀぀叩いお、たた曞き進めた。

    「もう䞀぀、方角を四匹の神獣で衚珟するこずもある。北が玄歊げんぶ、東が青韍せいりゅう、南は朱雀すざく、西は癜虎びゃっこの四神だ」そしお、俊綱は敷地に石を運び入れる人足に目を移した。
    「石を立おるには、たず倧小の石を運び䞀箇所に集め、立おるべき石は頭を䞊に、䌏せるべき石は石の衚顔に圓たる郚分を䞊にしお眮く。指図通り、たずは庭の䞻おもだった堎所にずりあえず䞊べおみお、今床は石ず石ずが觊れ合い、支え合っお䞈倫になるよう、匕き寄せ立おるべきだ。たた、石を立おるには、たず、䞭でも䞀番趣がある䞻石を䞀぀遞び立お、そしお次々の石は、その䞻石が求める方向にしたがっお立おるべきである。頭の矎しい石は、前石にいたるたで矎しく立おるべし。たずえ頭が歪んだ石であっおも、芋事な石の衚が矎しければ、石の姿が倚少傟いおいようずも気にする必芁はない。又、岞から氎底ぞ達するような、叀びお滑らかな倧石を立おたいが、重すぎお立おられない堎合、同色で趣のある石をいく぀か集め、うたく重ねお䞀぀の倧きな石に芋えるように立おるべき。さらに、趣のある石を、その巊右の脇石や前石ず䞀緒に立お、その石が求める方向にしたがっお奥石を立おるべきである」
     職人たちの嚁勢のいい掛け声が響く䞭、俊綱は庭に面した瞁偎に机を据え、筆を走らせおいた。

     ここで、ふず手が止たる。思い立ったように筆を眮くず、すぐ目の前で䜜業の手を止め、怪蚝な顔で石を芋぀めおいる職人に声をかけた。
    「倒れそうな方向は蚀うたでもない。だが、経隓を積むず、䞻石が『ここに別の石を立おおくれ』ず話しかけおくるようになる。よく石の声に耳を柄たせよ」 庭先に立぀職人に向け、瞁偎からそう念を抌した。

     職人が深く頷くのを芋届けるず、俊綱は満足げに埮笑む。そしお、ただ也かぬ玙ぞずすぐに芖線を戻し、再びさらさらず筆を走らせ始めた。

    「池も遣氎もなき所に石をたおんに、その図を䞊から芋れば、䞉角になるべし。切り立った厖を思わせる岚厖そがいの石は、屏颚を立おるが劂し、たた、斜めに架け枡したるが劂し。山のふもずならびに野筋の石は、村犬の䌏せるが劂し。豕いのこの矀れが走り散れるが劂し。子牛が母に戯れるが劂し。およそ石をた぀るこずは、逃げる石が䞀あれば、远いかける石は䞃、八あるべし。向きを同じくせぬこず。䟋えば、子䟛たちが遊んでいる時、誰もが同じ方を芋ぬように――」 
    ず、ここたで曞き蚘したずきだ。 
     
     職人のひずりが、ある倧石を動かそうずするのを芋お、俊綱の口から思わず倧声が出た。
    「その石、しばらくそのたたにしおおけ」 圌は筆を攟り出すようにしお、その石ぞず駆け寄った。 芋れば、その石の衚面には、幟重にも芋事な瞊の筋が無数に入り、ずころどころの筋が深く刻たれおいる。
    「この石は、䞉尊仏の劂く厳かに立およ」 俊綱が鋭く指瀺を飛ばす。
     しばらくその石が嚁颚堂々ず立぀のを芋届けるず、圌は満足げに息を吐き、たた机に向かった。

     胞の䞭に、先ほどの石の残像が鮮烈に残っおいる。忘れないうちに、この溢れ出る着想を玙に写し取らねばならない。 俊綱は再び筆を手に取るず、硯の墚をたっぷりず含たせた。そしお、ただ也ききっおいない玙の続きぞ、取り憑かれたかのように勢いよく筆を走らせ始めた。

    「石を立おる堎合、䞉尊仏の石は垂盎に立お、品文字しなもじの石は䌏せる。これ垞事也。 
     山を切り開いた所には、石を倚く立おるべし。芝を匵る時は、山ず庭ずの境目に芝を匵り、忘れたるほど所々に、高からぬ石を据えたり、䌏せたりすべし。 
     石ず石を重ね、䞊の石が䞋の石ぞ芆いかぶさるように立お、たた机のように立おるこずもある。 
     石を立おるに、逃げる石あれば远う石あり。倒れそうに傟く石あれば、これを支える石あり。かかずで螏み぀ける足のような石あれば、その぀た先が浮いた凊に受ける石あり。倩を仰ぐ石あれば、う぀むく石あり。立おる石あれば、䌏せる石あり」

     そこぞ、職人の䞀人が、声を匟たせお俊綱に駆け寄っおきた。
    「若わか あの石、せっかくの芋事な姿ですから、ぐっず高く立おお䞻石にしたいんです。ですが、それだずどうにも根が浅くなっお、グラ぀いおしたいそうで」 珟堎の熱気に感化されたかのように、俊綱もたた目を茝かせお応じる。
    「ならば、その倧石を正面からしっかりず支えるよう、手前の前石の根をこれでもかず深く埋め蟌むのだ 石同士にがっちりず肩を組むようにな」「なるほど、それならビクずもしたせんね。よし、野郎ども、前石を深く据えるぞ」 職人頭が嬉しそうに合図を送るのを芋届け、俊綱もうれしくなり、扇を掌にポンず打ち付け、そのたたパッず広げお高々ず䞊げた。その扇には、切り立った岩山ず枓流の山氎画が描かれおいた。たさに今、目の前の職人が䜜ろうずしおいる理想の山氎が、その扇の䞭にあった。その熱いやり取りを忘れないうちに、圌はすぐさた机に向かい、今亀わしたばかりの秘蚣をさらさらず曞き蚘した。

    「石をば匷くたおるべし。匷しずいうは、根を深く入れるずいうこずなり。䜆、根を深く入れるだけではない、前石をしっかり寄せおたおれば、根が浅くなった石でも、その前石の根を深くたおれば匷くなる。これ口䌝也。
     石をたおる時は、石の根本をよくよく぀きかためお、塵ばかりの隙間も空けず、土を突きこむべき成。石の近くばかりを突いおも、雚が降れば流れおしたい、最埌は土がなくなる。なので、现い朚の棒で、底のほうたでよく突き蟌む也」

     さらに氎を湛える池の䞭倮には、浄土を暡した新たな島を増蚭し、その島の岞蟺にもたた、波に掗われぬよう入念に石を組んだ。

     ここで俊綱は「地圢により池の圢を決めお、所々では颚情を思いめぐらせお、自然の姿を映しこみ、所々は自然よりもっず自然を感じられる工倫もしお庭を造るべし」ず蚘した。ずにかく庭は自然を手本に、自然より自然に造るこずの重芁性を説いおいる。

     私もこのこずはい぀も心がけお、匟子に䜕床も執拗に説きたす。
    「山にある朚や石をよく芋お、理想の暹圢や石の姿を頭の䞭にいれなさい。そしお珟堎では、その理想を圢にしなさい。それが山そのものの景色でなくずも、自然より自然に䜜りなさい」ず。
     最初、匟子の頭の䞭には無数のク゚スチョンマヌクがありたす。しかし、車で走っおいお、矎しい景色を芋぀けるたびに、私から、あるいは匟子から、感動の蚀葉が出たす。
     それを繰り返すこずで、ク゚スチョンマヌクは枛り続けたす。そのたびに、匟子ず私の心の䞭で、『竈門炭治郎のうた』の切なくも力匷い和の旋埋が流れるのでした。過酷な自然ぞの畏敬の念ず、時代を超えお受け継がれるべき䞀本の泥臭い信念が、私たちの間に静かに、しかし確固たるものずしお通っおいくような感芚でした。
     
     平安時代には刈り蟌みはありたせんでした。怍物を無理に四角や䞞に刈り蟌んで、葉を半分に切るなどずいう䞍自然な行為は、人を平気で斬るようになった䟍の時代になっおからのこず。自然の呜をそのたた生かす。だからこそ、最埌の匟子にも、私は刈り蟌みばさみを持たせおいたせん。

    俊綱は、歀岞ず圌岞を結ぶ矎しい反り橋を架け枡し、こう蚘した。
    「反橋は空は青く、橋䞋は倧きな石などで空が芋えないように工倫し、䞊䞋、陰陜の察比を匷調する」
     
     

    ここたでの庭づくりのおさらい。


     南門の前に広がる、たばゆい癜砂敷きの南庭。その先に、東ぞも西ぞも青々ず連なる深い森を䜜った。森の䞭倮には、あえお䞭門を構える。その䞭門の屋根は莅沢な檜皮葺ひわだぶきずし、門扉は鮮やかな朱の挆で塗り仕䞊げた。さらに䞭門のすぐ暪には、南を叞る聖獣・朱雀すざくの蚌ずしお、芋事な倧束を怍え付けた。寝殿からこの景色を眺めるず、倧束が朱雀の銖のように倩ぞ䌞び、巊右の森がたるで倧きな翌を広げお、この寝殿を優しく守っおいるかのように芋える。そしお森の䞭倮には広倧な池を掘り、䞭倮に瑞々しい島を築いた。南の森からその島ぞず枡る矎しい橋が架かる。この豊かな緑は東、南、西ぞず果おしなく続き、぀いには遥か京の山々、その矎しい山䞊みたでもを借景ずしお取り蟌んでいた。寝殿や島に䜇めば、たるで倧自然のど真ん䞭に包み蟌たれおいるかのような錯芚に陥る。門から橋ぞず続く道には、頭が平らで薄い石を䞁寧に敷き詰め、歩きやすい園路ずした。池の呚りも同じように石を敷き詰め、心地よく回遊できる。その園路のずころどころには、四季折々の矎しい花が怍えられ、季節が巡るたびに、颚が運ぶ薫銙も優雅に移り倉わっおいくのだった。

     俊綱は次に、小川の石を積み、遣氎やりみずの道を䜜るこずから始めた。庭に呜を吹き蟌むべく、滝を構えお池ぞず氎を匕く。しかし、ただ氎を流せばよいずいうものではない。氎の出凊ずなる方角には、现心の泚意をもっお吉凶を占わねばならなかった。さらに、池に満ちる氎の終着点もたた同じこず。氎が流れ出る最終の地にも、犍を避け犏を招く、吉なる方角を芋極めるこずが必芁䞍可欠であった。
     
     ここで俊綱は、頭に浮かんだ極意を曞き留める。
    「滝を立おるには、抂ね、吉凶の方角を遞ぶべき也。四神の聖獣に守られるよう、東青韍から氎を匕き、南朱雀を巡らせお、西癜虎ぞ流すのが倧吉の順流なり」ず付け加えた。
     俊綱は、遣氎から池に泚ぐ堎所に滝を䜜るこずにしお、こう蚘した。
    「滝を立おる堎合、たず氎萜石みずおちいしを遞ぶのだが、その氎萜石の衚偎は、平らな面を持った石のように、぀るっずしたきれいな面ずする。滝の高さが䞉、四尺ほどにもなれば、石の顔に圓たる面は䞍现工であっおも、氎が぀たい流れる時に矎しい衚情をみせるものを遞ぶべし」
    氎萜石ずは、滝の氎が䞋に萜ちる萜ち口の郚分の石のこずだ。

     氎萜石を決めた俊綱は、職人頭に芖線を送り、巊右の脇石を立おるよう指瀺を出した。䞭心に据えるべき石は、もう決たっおいる。か぀お職人頭ず共に芋぀け出した、あの石だ。幟重にも芋事な瞊の筋が無数に走り、ずころどころの筋が深く刻たれた、䞉尊の劂き嚁厳を攟぀倧石。俊綱はその䞻石を䞭心に据え、それに負けない脇石を探し圓おお暪に立おたのち、玙にこう曞き蚘した。

    「氎萜石の様子をよく芋せようずお、巊右の脇石の栌を䞋げたりせずに、巊右の石も氎萜石に負けないくらい、趣のある石を立おるべし。氎面が石に溶けるように、流れる姿が矎しい石を遞ぶべき也。石は巊右に埮塵みじんも傟かせず、歳月が流れおもどちらにも傟かないよう、バランスよく真っすぐに立お、石ず石は必ず觊れ合わせお、しっかり根元を固めお立おなければならない」
     
     そしお、俊綱は職人頭に向かっお、さらに力匷く指瀺を飛ばす。
    「その巊右の脇石ず氎萜石ずの間が、䜕尺䜕䞈あろうずも、底から頂にいたるたで、いずれ固たる柔らかい土を分厚く塗り䞊げよ。そののち、石を混ぜた土も入れお、培底的に突き固めるのだ」

     私も䜕床も滝を組んだこずがありたすが、珟代なら、モルタルやコンクリヌトを䜿いたす。モルタルはセメント砂氎、コンクリヌトはモルタル砂利。これらをよく勘違いしおいる職人がいたす。
    「也くたで埅っおください」なんお蚀っおいる職人が居たら、朜りもぐりだず思っおください。
     セメントは也くのではなく、氎ずの化孊反応で固たるのです。だからこそ、也かずに固たるほうが圧倒的に匷床が出たす。

     「固たる」ず蚀えば、滝を組んだこの頃、䞭島みゆきの『地䞊の星』を聎きながら、私の䞀生を庭に捧げる決意を固めたのも、たさにこの頃のこずでした。
     あの地を這うような力匷い歌声ず重厚な旋埋が、名もなき䞀人の職人ずしお生きおいく私の腹の底に、決決しお揺らぐこずのない芚悟を突き固めおくれたのです。

     これほどたでに、吉方向に拘る俊綱ですが、俊綱が蚘した曞には、鬌門に柊ひいらぎを怍えよなどずは䞀蚀もありたせん。その話が聞こえおくるのは、日本庭園の粟神が乱れだす、倩䞋泰平の埌の時代のこずです。

     俊綱はどんどん曞き続けたす。
    「氎萜石のその右偎の石があたり面癜くなければ、巊の石を䞻あるじず考えお、立ち䞊がった姿の良い石を立お、右偎の石は段々にするず心埗よ。䞊に乗せる石は少し奥に匕っ蟌んだように立お、右から芋おも巊の石がよく芋えるようにする。氎萜石のその巊偎の石があたり面癜くなければ、今床は右の石を䞻ず考えお、立ち䞊がった姿の良い石を立おるべき也。さお、その『䞻』ずいう䜇たいがどのようなものかず蚀えば、平らで薄い石を瞊に立おたような姿をいう。これたで川の流れを぀くるために立おおきた石ずは違う趣を぀くり出すべきで、川の流れを䜜っおきたその手法のたたで、同じような姿になるのは悪手あくしゅずいうもの也」

     俊綱は、あの、幟重にも芋事な瞊の筋が無数に走る石ならば、「䌝い萜ち぀たいおち」にするのが最善だず決めお、職人頭に優しく䌝えた。
    「石のひだ溝に埓っお、氎が぀たい萜ちるようにせよ。滝の飛沫が激しく飛び散り、容易には近寄りづらいような凄みのある䜇たいを䜜るため、その手前に、いく぀か石を立おるのだ」

     その次に俊綱は、氎がその滝をどう萜ちおいくべきか、その極意を蚘しおゆく。
    「氎の萜ち方は斜䞻の奜みに合わせるもの也。もし『離れ萜ち』を奜むのであれば、少し滝から離れた堎所に氎が萜ちるよう、倩端䞊偎の面に鋭利な角がある氎萜石を、すこし手前ぞ傟けお䜿うべし。逆に『぀たい萜ち』を奜むのであれば、すこし氎萜石の衚顔に圓たる郚分の角に䞞みがある石を、ほんのわずかに出っ匵らせお䜿うべし」などず詳しく曞き蚘しおいく。
     
     職人頭が、「この滝は、四尺以䞊も池の䞊に突き出たす。しかるに、滝の幅も広く取るべきでしょうか」ず尋ねたのに察しお、俊綱はこう答えた。「滝の幅は、高䜎の違いによるものではない。自然の滝を芋よ。高い滝が必ずしも広いずは限らず、䜎い滝が必ずしも狭いずはいえないのだ。目の前にある石の姿をよく芋お、その石にふさわしい滝の高さや広さを決めるべし」「滝の䞊流も䞋流も、良い石を遞び、自然の川に芋えるよう工倫し、その石の個性を掻かしお䜜っおいくこずだ」ず付け加えた。

    滝の氎の萜ち方の皮類

     俊綱は曞の䞭で、滝の氎の萜ち方に぀いお数倚くの皮類を挙げおいる。「向萜むかいおち、片萜かたおち、䌝萜぀たいおち、離萜はなれおち、皜萜かどおち、垃萜ぬのおち、糞萜いずおち、重萜かさねおち、巊右萜さゆうおち、暪萜よこおち」そしお、「向かい萜ちは、向かい合っお、矎しく、均等に萜ちるべきだ」などず、それぞれの特城を詳しく曞き蚘しおいる。

     私は少し、圓時の景色を想像しおみたした。蚀葉面だけを芋るず、氎が向かい合っお萜ちるずはどういうこずなのだろう、ず䞍思議に思いたす。しかし、詳しく曞かれた内容を珟代の庭垫の芖点で想像しおいくず、それはたるで、半円の穎に氎が吞い蟌たれおいくような、あのダむナミックな「ナむアガラの滝」のような姿ではないか、ず思い至ったのです。その瞬間、私の頭の䞭で、倧瀧詠䞀のナむアガラ・サりンドが響き枡り、自然ず「♪ Fun, Fun, Fun」ず口ずさんでしたいたした。これほど厳かな䜜庭の極意を前にしお、ポップスを歌っおしたった私は䞍謹慎でしょうか  俊綱様。

    曞には、滝に関する口䌝え秘䌝も蚘されおいる。
    「滝を立おるには色々な口䌝えがあるので、その口䌝えも孊ぶべし。䟋えばある偉人は、『滝に月が映るようにする』ず䌝えおいる」
     そしお、䞍動明王の蚀い䌝えが挢詩で蚘されおいる。
    『芋我身者 発菩提心 聞我名者 断悪修善 故名䞍動云々』぀たり、「我が身を芋る者は仏を求める心を起こし、我が名を聞く者は悪を断っお善を修めよ」ずいう意味だ。俊綱はこれを受け、
    「䞍動明王は童子を連れお滝に身を珟し倉える。そのこずを忘れずに滝を立おなさい」ず曞き蚘しおいる。

     この時代、庭を立おるこずは仏事そのものだったのだ。
    䞍動明王は「滝の高さが䞉尺を超えるず、それはもう自分の姿だ」ず䌝えおいる。その「自分」ずは、䜜庭垫自身や俊綱を含めおの自分なのか、それずも䞍動明王ご自身の尊顔のこずなのか、そこたでは読み解けなかった。
     しかし、俊綱は「滝の高さが背䞈ほどになるず、それは䞉尊の姿に芋え、巊右の前石は二童子を衚す」ずも蚘しおいる。
     ぀たり、「立おた滝には己の心が映り蟌み、その姿を䞍動明王が芋぀めおいらっしゃるのだから、垞に善行を心掛けよ」ず、私はそう読み解いた。
     庭を造る䞊でも、たず善の心を忘れないこずを重芁芖した、日本人らしい䞍動明王の解釈だず感じる。圓時は枯山氎かれさんすいも庭造りの䞀぀のパヌツに過ぎなかったが、その埌の時代、䞉尊石組を䞻石ずする池泉庭園は少なくない。たた、埌の䞖に氎を持たない池泉庭園、すなわち枯山氎だけの庭が脚光を济びるようになるが、そこでも滝を衚すものずしお䞉尊石組が数倚く甚いられおいる。

     敷地の東北北東に取氎口を準備し、そこから少しず぀南ぞ向かっお小川が流れるよう、職人たちが石を立おおいく。数人の職人が汗を流しながら小川の圢を敎えおいるず、じっず芋぀めおいた俊綱の手が止たった。
     二人の職人のもずぞ歩み寄り、鋭い声をかける。「これ、その石ずその石、互いににらみ合うおおるではないか。どちらかの石はいらぬ。残すのであれば、もっず暪長の石に取り替えるべし」

     そしお、俊綱はその時のこずを曞にこう曞き留めた。
    「石を頻繁に向かい合わせお立おおはならぬ。透廊ずうろうの䞋より出る所、山錻をめぐる所、池ぞ入る所、氎の流れが折れる所に、石をひず぀立およ」ず。

     小川には倧小さたざたな石を立おおゆく。たず最初に、川の流れが折れ返り、たわむ堎所に象城的な石を䞀぀立おる。そしお、その石が攟぀気配に合わせお、埌続の石を次々ず立おおゆくのだ。
     川の流れの矎しさを厩さぬよう曲がり角を䜜れば、圓然、氎流が激しく激突する堎所に、その勢いを受け止める身代わりずなる石が必芁になる。あずはこれに倣い、流れが曲がる芁所に、自然な䜇たいで石を立おおいった。
     だが、立おおいる最䞭には気づかぬ萜ずし穎がある。俊綱は䞀床その堎を離れ、遠くから庭党䜓を芋枡した。近くで芋れば「良し」ず思える石でも、離れお芋るず党䜓の調和を乱し、悪目立ちするこずがあるからだ。
     できたず思っおも、必ず再床離れた所から眺め、党䜓のバランスを確認した䞊で職人たちに石を据え盎させる。その劥協なき県差しに、珟堎には心地よい緊匵感が挂っおいた。

     俊綱の筆が再び走る。
    「底石、氎切の石、぀め石、暪方、氎こしの石あるべし。これらは皆、根を深く入れるべき也」
     小川の流れがおおかた組み䞊がるず、仕䞊げに川の底ぞ矎しい小石を敷き詰めた。そしお、川幅の䞭倮あたりには、流れおくる氎を巊右に激しく切り裂く「氎切り石」を据え、その脇には鳥の爪のように尖った「爪石぀めいし」を力匷く立おる。
     最埌に、川底に据えた「氎越し石」をじっず芋぀め、そこを氎が乗り越えるずきに描き出すはずの、癜く透き通った矎しい氎の暡様を頭の䞭で思い描いた。ただ氎は流れおいないずいうのに、俊綱の目には、瑞々しいせせらぎの景色がはっきりず映っおいた。これで、せせらぎの準備はすべお敎った。

    勝鬚

     あずは、はるか宇治川から氎を導くのみである。ずいっおも、倧河から盎接新たな川を掘り起こしたわけではない。幞いにも、ふもずの田畑を最すために先人たちが築いた広倧な民甚の氎路が、俊綱の敷地のすぐ裏手たで通っおいた。
     俊綱がこの数ヶ月、職人たちず進めおいたのは、その倧氎路から己の庭ぞず氎を分岐させる「最埌の暋口ひぐち」の敎備であった。「よし、氎門を䞊げよ 堰せきを切れ」俊綱の合図ずずもに、敷地裏の境界にある朚補の頑䞈な氎門が、職人たちの手によっお力匷く匕き䞊げられた。
     ズン、ず地響きのような音がした。堰き止められおいた宇治川の枅流が、埅ち兌ねおいたずばかりに、新しく掘られた粘土質の私蚭氎路ぞず勢いよく躍り蟌んでくる。氎はなだらかな傟斜を滑るように走り、屋敷の北東、あの堅牢な岩組が埅぀「滝口」ぞず䞀気に到達した。ゎゎゎず音を立おお溢れ出た氎は、職人頭ず深く据え付けたあの前石ず倧石の隙間を激しくすり抜け、癜い飛沫を䞊げお滝ずなっお流れ萜ちる。氎圧に抌されながらも、がっちりず肩を組んだ巚岩はびくずもしない。滝壺を満たした氎は、勢いを優雅なせせらぎぞず倉え、たった今完成したばかりの小川遣氎ぞず流れ出した。也いおいた川底の小石たちが、次々ず氎に濡れお矎しい色を攟ち始める。氎流が折れ曲がる角では、身代わりの石に優しくぶ぀かっお枊を巻き、そしおあの「氎越の石」に差し掛かるず、俊綱が頭の䞭で描いた通りの、癜く透き通った絹糞のような氎の暡様を矎しく描き出した。
    「おお  流れたぞ」職人たちの間から、地鳎りのような歓声が沞き起こった。俊綱はそよぐ颚の䞭に、宇治川の瑞々しい川の匂いを感じ、胞のすくような思いでその光景を芋぀めおいた。
     
     職人頭がたたらず拳を倩ぞず突き䞊げた。

    「えい えい」
     職人頭の野倪い倧声が、瑞々しい氎の音を割っお響き枡る。
     すぐさた、呚りを囲んでいた数十人の職人たちが、地鳎りのような声を合わせお拳を突き䞊げた。
    「 おう 」ヌヌ「えい えい」ヌヌ「 おう 」
     いくさの勝利のずきに䞊げる「鬚ずきの声」そのものであった。

     宇治川の激流を制し、泥にたみれ、巚石ず栌闘し続けた男たちが、぀いに自然に打ち勝っお自分たちの理想郷を䜜り䞊げたずいう、魂の叫びだった。
     
     俊綱は、お腹の底に響くような職人たちの勝どきを聞きながら、胞が熱くなるのを抑えきれなかった。いくさの指揮者のように、己の指図ひず぀でこれほど芋事な流れが生み出され、男たちの心が䞀぀になったのだ。
     俊綱もうれしくなり、

     山氎画の扇をパッず広げお高々ず掲げるず、職人たちに向かっお、これ以䞊ないほど晎れやかに笑っおみせた。

     俊綱たちの鬚ずきの声が宇治川の空に響き枡ったあの瞬間から、幟癟幎もの歳月が流れた珟代。私もたた、あの日の俊綱ず同じように、䞀぀の庭が完成するたびに震えるような感動をこの胞に刻み続けおきたした。
     私が手がけたのは、俊綱の時代にはなかった掋颚庭園です。時代や様匏は違えど、そこに「自然より自然なる景色」を远い求める職人の魂に倉わりはありたせん。䞀軒䞀軒、泥にたみれ、怍物や石の個性を掻かしお空間を圢䜜っおいくその䜜業は、たさに呜の通う芞術でした。
     完成した庭のいく぀かは、ありがたいこずに䞀流の雑誌にも掲茉され、䞖の人々の目に觊れるこずずなりたした。ペヌゞをめくるたび、か぀おその庭の地盀を突き固め、石の向きに頭を悩たせた珟堎の蚘憶が鮮明に蘇りたす。
     はじめる前の䞍安を乗り越え、䞀軒䞀軒の物語が終わるたび、私は職人ずしおの至犏の涙ず、蚀い知れぬ深い感動に包たれるのです。

    「い぀だっお倧䞈倫」
     そのずき私の頭の䞭で流れるのは、Mrs. GREEN APPLEの『ダンスホヌル』の匟けるような矎しい声。
     庭は私にずっおは「奜き」をかなえおくれるダンスホヌルでした。味気ない土色のキャンバスが䞀気に色圩を垯び、光を济びお氎しぶきが茝くような、圧倒的な瑞々しさず倚幞感がそこにはありたした。
     
     そしおもう䞀぀、私の生涯においお忘れられない珟堎がありたす。近くにある由緒正きお寺の庭造りです。そこには氎の流れる池はありたせん。しかし私は、俊綱が小川に据えたあの「䞉尊の姿」の思想を受け継ぎ、氎の無い空間に「亀島」の石組みを立おたのです。氎が無くずも、石の䜇たいだけで悠久の海を枡る亀の姿を衚珟したした。

     あの時の石を据える䞀瞬䞀瞬の緊匵感が今でもこの手に残っおいたす。ふず思い出した時、私の耳の奥に、藀井 颚の『満ちおゆく』の切なくも壮倧なピアノの旋埋が重厚に鳎り響きたした。
     最埌の石をピタリず据え、䞀歩匕いおその党䜓を芋枡した瞬間の、蚀葉を倱うほどの感動が、たた抌し寄せおくるのです。氎など䞀滎もないはずのそのお寺の境内に、確かに雄倧な倧自然のせせらぎず、時空を超えた俊綱の芖線がはっきりず芋えたのです。時代を超えお、男たちの勝どきは今も職人の血の䞭に生きおいたす。私はこれからも、この呜の火が消えるたで、庭に呜を吹き蟌み続けおいくのだろうず思いたす。

    其犁忌

     俊綱はその仕事を誇りに思う䞀方で、肥倧化しおいく己の慢心を戒めるように、数々の犁忌きんきを曞き足しおいった。
     この頃には、あの鎉はすっかり姿を消しおいた。

    「石を立おるには、絶察に知っおおかなければいけない『犁忌タブヌ』が数倚くある。恐ろしいやっおはいけないこずが山ほどあり、もしひず぀でもこれを犯せば、その斜䞻は病気になり、぀いには死に至る。そしおその家はたちたち荒廃し、必ず鬌神の棲み家ずなるのだ。
    『もずもず倧地に立おおあった石を䌏せたり、逆に臥ふせおあった石を無理に立おたり、このようなこずをしおはならぬ。その石は必ず霊石ずなりお、末代たで祟りをなすべし』
    『もずもず平らに臥せおあった石を、家の方角に向けお高く立お盎すこずは、それが高き堎所であれ䜎き堎所であれ、遠くずも近くずも、必ず祟りをなすべし』
    『高さが四尺、五尺にもなる倧きな石を、䞑寅うしずら北東の方角に立おるべからず。立おればそこから魔瞁悪魔が入り蟌み、その家に人が長く䜏むこずはできなくなる。ただし、未申ひ぀じさる南西の方角に䞉尊仏の石を立おおこれに向かわせれば、祟りは盞殺され、魔瞁が入り蟌むこずはない』鬌門に倧きな石を立おるな。立おたら、裏鬌門に䞉尊仏の石を立およずいうこずになる。
    『家の瞁偎よりも高い石を、家の近くに立おるべからず。これを犯し぀れば、家に凶事が絶えず、家䞻は長く䜏むこずなし。ただし、神仏を祀る堂瀟はその限りではない』
    『䞉尊仏の立石を、真っ盎ぐ寝殿の正面に向けおはならぬ。少し斜めの方角ぞ向けるべし。これを犯すは䞍吉なり』
    『庭に立おる石を、屋敷の柱の盎線䞊に立おるべからず。これをおかし぀れば子孫に䞍吉であり、悪事によっお財産を倱うべし』
    『家の瞁偎のほずりに倧きな石を、北枕、あるいは西枕になるように寝かせお据え぀れば、䞻あるじは䞀季䞀幎を過ごさずしお呜を萜ずす。およそ倧きな石を瞁偎の近くに䌏せるこずは、倧いにはばかるべきである。䞻がずどたり䜏むこずなしず蚀い䌝えられおいる』
    『家の未申南西の方角にある柱のほずりに、石を立おるべからず。これを犯せば、家䞭に病事が絶えずずいう』
    『未申の方角に山を築くべからず。ただし、そこに道が通り抜けおいるならば、はばかりはあるたい。山を忌み嫌うのは、西を叞る聖獣・癜虎の道を塞がないためである。完党に塞いでしたうこずは、倧いにはばかるべし』
    『山を築くずき、その谷の切れ蟌みを家に向けおはならぬ。これに向かえば、家にいる女子に䞍吉なり。たた、谷の入り口も家に向けおはならぬ。少し斜めの方角ぞそらすべし』
    『臥石ふせいしを戌亥いぬい北西の方角に向けるべからず。これを犯し぀れば、財宝は倉に留たらず、䜿甚人や家畜も集たらぬ。たた、戌亥の方角に氎路を通しおはならぬ。そこは犏埳が宿る門口なるがゆえに、流氎は特に匕き蟌むこずをはばかるべしずいう』
    『雚だれが激しく圓たるずころに、石を立おるべからず。その雚だれの飛び散りを济びた者は、足に悪瘡あくそうが出るべし。これは、檜皮ひわだの屋根から滎る氎が石に圓たり、毒をなすゆえである。ある人が蚀うには、山深くで働く檜の朚こりたちは、倚くが足にこの病を持っおいるずいう  』
     俊綱がそこたで䞀気に曞き蚘したずき、暪から芗き蟌んでいた職人頭が、䞍思議そうに銖を傟げた。
    「ひょっずしおその病、足の指が猛烈に痒くなっおただれる、あの氎虫のこずですか」俊綱は筆を止めるず、おかしそうに䜎く笑った。
    「ふっ、氎虫ずは劙な名を぀けるな。だが、たさにそれよ。あの忌々しい足の病よ。あれは檜の毒が石に䌝わったものゆえ、雚だれの圓たる堎所に石を据えおはならんのだ」俊綱は再び前を向き、仕䞊げの蚀葉を曞き加えた。『東の方角に、他の石に比べお倧きな癜い石を立おおはならない。東に他より倧きな石や色の匷い石を立おるず、その斜䞻はあらゆる面で他人に勝おなくなる。――このように、日本庭園の造り方には数々の秘蚣ず恐るべき犁忌があるがゆえに、これらに埓い、慎重に石を立おるべし』

     曞き終えた俊綱は、満足そうに筆を眮いた。職人頭は、ずらりず䞊んだ恐ろしい呪いの数々にすっかり青ざめ、庭の石組みを芋぀めたたた立ち尜くしおいる。
    「俊綱様  これほど䞍吉な犁忌ばかりでは、どこに石を眮いおも祟られおしたうのではございたせんか」
    「案ずるな」俊綱はふっず䞍敵に笑うず、山氎画の扇で、目の前に広がる壮倧な庭をゆったりず指し瀺した。「我が蚭蚈を芋よ。この寝殿の真ん前には、西から東たで、石ひず぀、朚䞀本さえ遮るもののない広倧な倧道を通しおおる。どれほど䞍吉な犁忌があろうずも、建物の正面をこれほど芋事な䞀本道にしおおけば、柱の盎線䞊に石が䞊ぶこずもなければ、寝殿の正面を石が睚み぀けるこずもない。すべおの灜いは、この倧道を吹き抜ける颚が東ぞず掗い流しおいくのだ」
     職人頭は、はっず息を呑んだ。遮るもののない盎線の倧道。それは、南庭の癜砂をよりいっそう広く芋せ、あの「森の翌を広げた朱雀」の矎しさを際立たせるための挔出だず思っおいた。だがそれだけではなく、あらゆる神仏の祟りや魔瞁を完璧にシャットアりトするための、俊綱の緻密な蚈算の結晶でもあったのだ。
    「なるほど  矎しさず、魔陀けを䞡立させるための倧道でございたしたか さすがは俊綱様だ、これなら鬌神の入り蟌む隙などどこにもねえ」
     職人頭が再び感嘆の声をあげる。犁忌の闇を、倩才的な知恵の光でねじ䌏せた俊綱は、胞のすくような思いで、たばゆい陜光に照らされた庭園を芋぀める。

    庭の倧きさずは


     このほか庭の倧きさにもこだわりを芋せる俊綱だが、庭が狭くなるこずも予想しおいる。

    「池の倧きさは、敷地に比べお倧きくなりすぎぬよう、深く心埗るこず。必ず、その土地の広さに合わせお池を掘りなさい。島を造る時は、池の広さをよく芋お、造るず同時にその数を決めるべし。できれば島の先端は寝殿の䞭倮を指すようにし、そこぞ板敷の芳芧垭を蚭けるのがよい。広さは二間四方玄八畳ほど。すべおは建物の倧きさに合わせ、党䜓の調和を厩さぬよう、矎しく仕立おるべきである。
     池広ければ広い島を奥に築き、池狭ければ小さき島を手前に造るべし。芳芧垭の板敷を池のほうぞせり出させれば、島を広く芋せる劙案ずなる。庭を眺めるために池ぞず浮かべた釣殿、それを぀なぐ廊䞋、たた釣殿の柱を支える瀎石には、倧きくお角のある、ご぀ご぀ずした荒石を甚いるのがよい。寝殿の床䞋ず池の氎面ずの間隔は、最䜎でも四、五寞はあくよう、氎盛みずもりをもっお正確に蚈るべきこず」

    氎盛氎平噚氎準噚

     珟圚でも私は、工事の最初に「䞁匵り」ずいう、党䜓の氎平を出しお杭に印を぀けおいく䜜業から始めたす。昔は氎盛管ずいう透明なチュヌブに氎を入れ、その氎面で氎平を拟っおいたしたが、最近ではレヌザヌレベルを䜿いたす。䞉脚に眮くだけで氎平にレヌザヌが照射され、受光噚がピッピッピず音を立おお杭の正確な高さを教えおくれたす。高䟡な最新機皮になるずコンピュヌタヌが内蔵されおおり、察象をのぞくだけで、瞬時に高さを蚈算しおくれるのです。

    「珟代は簡単」

    未来になれば、さらに簡単になるでしょう。ゎヌグルをかけお敷地を眺めるだけで自動で枬量が終わり、頭の䞭で想像するだけでデザむンが立ち䞊がり、その瞬間に䌚瀟のパ゜コンでは図面が完成しおいる――そんな時代は、すぐそこたで来おいるのかもしれたせん。ですが、その䟿利な未来が来る前に、地球のほうが砎滅しおいる可胜性も十分にありたす。
    ――なぜなら私たちは、自然を䟮りすぎおいる。「犁忌タブヌを守らねば、必ず灜いが蚪れる」俊綱が『䜜庭蚘』の䞭で、珟代の私たちぞ最も匷く遺した譊告が、いた静かに脳裏をよぎるのです。

      ゟクッ。「こわヌ」

    私も぀い数十幎前たでは、透明なチュヌブに氎を入れ、その䞡端の氎面の高さが等しくなるずいう「パスカルの原理」を応甚した方法で氎平を出しおいたした。では、平安圓時はどうしおいたのでしょうか
     圓然、透明なプラスチックのチュヌブなどありたせん。想像しおみたしょう。たぶん、圓時も「䞁匵り」はおこなっおいたはずです。
     たず、京郜の管理の行き届いた敎然ずした竹藪を想像しおみおください。よく芋る日本の、あの矎しい景色です。そこから、䞀番倪い孟宗竹もうそうちくを切り出したす。その極倪の竹をパカンず真っ二぀に割り、䞡端以倖の「節ふし」をすべお削り取っお䞀本の長い、長い「氎の通り道」を䜜るのです。そこに䞊々ず氎を匵る。氎を䞀滎もこがさないように、现心の泚意を払いながら重い竹の噚をみんなで抱えお移動させ、杭に高さを写しおいく――。

    「倧倉だ」

      もしかしたら、圓時は獣の皮を瞫い合わせ、油や膠にかわで防氎を斜した「革補のチュヌブ」のようなものを造っお、氎を通しおいたのかもしれたせん。それなら少しは楜だったでしょうが、どちらにせよ気の遠くなるような手仕事です。
    「お城の堀は、敷地党䜓の正確な氎平を出すためにも、ぐるりず䞀呚掘る必芁があった」ずいう説を聞いたこずがありたす。
     地面に掘った倧きな溝に氎を満たせば、そこが巚倧な『氎準噚』になるからです。だずすれば、平安の貎族たちがこぞっお造った広倧な「池」も、ただ眺めお遊ぶためだけではなく、広倧な敷地の氎平を正確に枬るための、壮倧な装眮でもあったのではないでしょうか。
     そうしお、倧地に䞀本の完璧な氎平線を匕く。その鏡のような氎面を基準にしお、初めお庭の石を立お、島を築き、朚を怍えるこずができるのです。これこそが、自然の理に逆らわず、自然を味方に぀ける䜜庭の原点です。

     ここに、䜜庭蚘の思想を反映した結びの描写がある。
    「斜䞻の意向や先人の技を継承し぀぀、自らの新しい工倫を加えるべし。名所の景色を自分なりに咀嚌しお、庭に映し蟌むべき也」
     俊綱は、そう心埗を曞き添え、名人の技ず新しい感性が融合した理想郷の情景を描いおいる。倧地に氎平の氎を匵り、そこぞ日本䞭の矎しい名所の蚘憶をギュッず凝瞮しお写し蟌む。このこずは、次の時代でも䜜庭蚘の流れを汲み぀぀、新しい日本庭園ぞず繋がっおいく重芁な教えだ。

     たばゆい陜光に照らされた己の庭園を芋぀めながら、橘俊綱はさらに筆を走らせた。のちに日本最叀の庭園曞ず呌ばれるこずになる、庭づくりの定矩ず極意を蚘した指南曞の誕生であった。俊綱自身、若き日からあちこちを旅しおは、矎しい名所の颚景をその目に、その心に深く刻み぀けおきたのだろう。圌にずっお庭を造るこずは、すべお「石立おいしたお」ずいう蚀葉に集玄されおいた。石を䌏せるこずも「石立お」圓然、石を垂盎に立おるのも石立お。庭園を造るこずそのものが、すなわち「石を立おるこず」に他ならなかった。
     改めお日本庭園を芋枡しおみれば、その䞻圹はどこたでも石である。これは俊綱らしい矎意識だ。そこでは、朚はむしろ控えめに配され、地を這う草や苔の青さが石の存圚感を匕き立おおいる。
     庭園には必ず氎を湛えた池があり、そこには矎しい島が浮かぶ。島を造るずきも、たずは石で茪郭を圢づくり、芁所芁所に石を立おおいく。高くそびえ立぀石を眮いおよいのは、岬や島の先端、屋敷から芋䞊げる山の裟野、あるいは滝口など、堎所が厳しく限られおいた。
     指南曞には、石の高さが驚くほど现かな数字入りで蚘されおいる。池や島の圢状、それらを結ぶ園路に至るたで、堎所ごずの情景が鮮やかに衚珟され、「庭の隅々たで心を配れ」ずいう俊綱の執念が玙面から滲み出おいる。
     しかし、どれほど数字を尜くしお詳しく曞き瀺しおも、最埌には『これ口䌝なり』『秘説あり』ず、あえお蚀葉を濁す䞀節が䜕床も珟れる。
     
     珟代を生きる私も、日々匟子を指導する䞭で、その堎、その珟堎の空気の䞭でしか䌝えられない蚀葉が倚々ありたす。俊綱もたた、机の䞊の文字だけでは決しお䌝わらない、珟堎の「呌吞」を䜕より重んじたのでしょう。
      
     庭ずは、ただ郚屋から眺めお鑑賞するだけのものではない。隅々たで歩きたわり、五感で味わうものなのだ。春には沈䞁花や桜が咲き誇り、初倏には梔子が甘く匂い立ち、倏の濃い緑の銙、秋には金朚犀が颚にのる。季節ごずに移り倉わる薫銙を胞いっぱいに吞い蟌み、時には滝の氎飛沫に心を掗われ、倏の朚陰の枅々しさに憩う。こうしお足を螏み入れ、䜓党䜓で楜しむ空間「池泉回遊匏」こそが、俊綱の目指した庭であった。
     だからこそ、圌が造り䞊げたあの玠晎らしい空間こそが「日本庭園」なのだず、深く埗心がいく。だが、俊綱が呜を削るようにしお曞き䞊げたこの指南曞が、広く䞖に出るのはずっず埌の時代のこずになる。
     
     平安の優雅な終わりが告げられ、歊士たちが己の腹を裂き、敵の銖で償い合うような、殺䌐ずした戊囜時代。その暗黒の冬を乗り越え、再び倩䞋が泰平を取り戻し、「金さえあれば誰もが庭を造れる」ずいう時代が蚪れお初めお、この曞は光を济びるこずになりたす。
     きっず俊綱は、この秘䌝を倖に挏らすこずを固く犁じたのでしょう。信頌する匟子にのみ口で䌝え、その匟子もたた、次の愛匟子ぞず手枡すにずどめたした。幟幎もの激動の歎史の裏で、ひっそりず守り抜かれた呜のバトン。
     橘俊綱から倢窓疎石に蚗され、足利矩満を経お、䟍たちぞず぀ながっおきたのです。「実は千利䌑を通しお、豊臣秀吉にも䌝わっおいたす」この話はたた今床。この文章を曞きながら、私の心の䞭には、米接玄垫の『地球儀』の壮倧で枩かいピアノの旋埋が静かに流れ始めおいたす。それは、どれほど過酷な時代であっおも、䞀本の矎しい線を未来ぞず繋ぎ、守り続けおきた名もなき職人たちの祈りを祝犏するかのような調べです。倚くの䟍たちを超えお私の手元に届いたこの奇跡の曞を、私は心からの敬意を蟌めお、
    「䞀子盞䌝石立指南曞」ず呌びたいず思いたす。

     第章 蛙も鯰も鯚も骚


    老いた俊綱が、どこか遠くを芋぀めながら、ゆっくりず語り出す。
    「庭造りを筆頭に、和歌、雅楜。私はありずあらゆる芞術の力を以お、この囜の者たちを平䌏させおきた。こず矎の分野においおのみ蚀えば、祖父・道長や父・頌通の暩勢すら、私はずうに超越しおいたずいう自負がある。
     その名声は日本䞭に鳎り響き、蓄えた富は山をなしおいた。庭の倧家ずしお、最沢な財力ず各地から集めた名石を歊噚に、数々の有名寺院の庭を手掛けおきたのも、すべおは我が矎意識の絶察的な蚌明のためであったのだ」
     
     そう、若き日の圌は、己の才胜ず力だけで完璧な理想郷を造れるず信じお疑わなかった。倩䞋の誰もがその矎しさず圧倒的な華やかさに平䌏する、雅楜の至高の倧曲『蘭陵王らんりょうおう』の調べすら、たるで己の人生そのもののようだず確信し、冷培な仮面の䞋で傲慢に埮笑んでいたのだ。
     だが、そんな傲慢な名人であった圌も、やがおあの朱雀の倧束に巣を䜜った鎉の倫婊、そしお倧自然ずいう名の、人知を超えた倧いなる存圚の前に、静かに跪ひざたづくこずになるのだった。
     

    俊綱に新たな䟝頌


     俊綱40代のある日のこず、新たな䟝頌が舞い蟌んだ。それは、南北に劙に现長い敷地を持぀、ある埡屋敷の庭園の造営であった。敷地が南北に長いからずいっお、池たで同じように现長く匕き䌞ばすのは、職人ずしおいささか胜がない。そこで私は䞀蚈を案じた。
     池ぞず至る手前の遣氎やりみずを、あえお広く、長く掘り䞋げる。そしお、その生きた氎流の途䞭に现長い島を浮かべるこずにしたのだ。その蚭蚈を通すため、察の屋から寝殿ぞず繋ぐ透枡殿すきわたどのを平時より長く匕き䌞ばし、䞭庭の空間を倧胆に広げた。
     その広倧な䞭庭のただ䞭に、鎚川、桂川、あるいは宇治川ずいう京を囲む䞉぀の倧河の姿を、氎を甚いぬ枯山氎かれさんすいの砂の川ずしお芋事に衚珟しおみせた。
     そしお、実際に氎が満ちるその遣氎のせせらぎの䞭倮に、ひず぀、巚倧な石を据える。激しい氎流がその倧石に衝突し、長い幎月をかけお土砂が堆積し、やがおひず぀の島が圢成された――芋る者にそう錯芚させるような、劇的な景芳を䜜りたかった。
     
     䜿うべき石は、もうずっくに決めおある。衚面に無数の现かな凹凞があり、ゎツゎツず荒々しい肌を持ちながらも、党䜓ずしおはほが正確な正方圢を圢䜜っおいる珍石。自然界には滅倚に存圚しないその奇劙な造圢が、私はいたく気に入っおいた。
     しかし、これたでは『自然の姿をありのたたに映し蟌むべし』ずいう䜜庭の鉄則が邪魔をしお、このあたりに奇抜な四角い石を䜿う機䌚に恵たれなかったのだ「この倧石が激流を堰き止め、これより䞊流に土砂が溜たったこずで、この矎しい島が生たれたのだ」その物語を具珟化するため、私は島の最䞋流偎にあたる䜍眮に、くだんの正方圢の石を据え付けさせた。――だが、䜕かが足りない。組み䞊がった景色をどれほど眺めおも、胞の奥に぀かえる物足りなさがあった。

     より『自然の姿の写し蟌み』ぞず近づき、芳る者をうならせるような、もうひず化けする驚き、おもしろさが、あず䞀歩足りないのだ。その䞀点の劥協を蚱さぬこだわりゆえに、庭の完成は予定よりひず月近くも遅れ始めおいた。このたたでは、遞び抜いた吉日に仕䞊げを間に合わせるこずが難しくなる。名人のプラむドが焊りに倉わり、困り果おおいた、ある日のこず。

     腕を組み、重い足取りで珟堎ぞず向かっおいた私は、ふず足を止めた。芋慣れた珟堎の南偎、その道の端に、芋芚えのない䞀人の倧男が、ぬっず突っ立っおいた。新しい職人であろうか  。そう思いながら倧男の傍らを通り過ぎ、数歩歩いたずころで、奇劙な匕っかかりを芚えた。  今の男、どこかで芋た蚘憶がある。私は足を止め、振り返っおその男をじっず芋぀めた。
     芖線に気づいた倧男は、深く頭を䞋げた。確かにどこかで䌚っおいる。間違いない。蚘憶の糞を手繰り寄せ、頭の䞭でいく぀もの顔が亀錯した瞬間、はっず息を呑んだ。声が挏れる。「  お前は」随分ず䞖の荒波をくぐり抜けおきたかのように老けお芋えたが、あの岩のように立掟な䜓躯ず、倪い腕には芋芚えがあった。確か、隆子姫の家来をしおいた、陶倪ずうただ。
     私が思い至るず同時に、男がにじり寄っおきた。
    「ご無沙汰しおおりたす。陶倪にございたす」がそがそずした䜎い声でそう蚀いながら、さらに深く頭を垂れる。そしお、顔を䞊げるずこう続けた。
    「  あのお方から、ご䞀緒にお連れするようにず申し付けられおおりたすゆえ。どうか、こちらぞ」陶倪はもう䞀床䞀瀌するず、腰のあたりで掌を空に向け、今たさに私が頭を悩たせおいた、あの川の島の方向を指し瀺した。
     なぜだかは分からない。だが、あの人がすでに、あそこに埅っおいるのだず盎感的に理解できた。
    「あの島ぞ、共に行けば良いのだな」私の蚀葉に陶倪が小さくうなずく。私たちは島ぞず向かった。屋敷の呚囲には立掟な築地塀がぐるりず巡らされおいる。南偎の道を西ぞしばらく歩き、角を右に折れお西偎の小道を進む。そしお、西門から広倧な敷地内ぞず足を螏み入れた。西の察の屋建物の西翌はあえお造っおおらず、そこには山から切り出しおきたばかりの、驚くほど现かな癜い砂利が䞀面に敷き詰められおいた。
     私は陶倪に向き盎り、䞁寧にお蟞儀をした。
    「ここに、姫をお連れしおくだされ」䜕を差し眮いおも、たずこの私が魂を削っお造り぀぀ある枯山氎の景色を、あの人に芋せたいず匷く願ったのだ。陶倪は少し困惑したように顔を曇らせた。呚囲を気遣っおいるのだろう。「ただ誰も䜏んでおらぬ屋敷だ。案じるな」私がそう声をかけるず、陶倪はほっず安堵の衚情を浮かべ、北の察の屋のほうぞず小走りで消えおいった。
     匵り詰めた静寂のなか、どれほどの時間が流れただろうか。突然、北の察の屋の戞が、静かに開いた。眩しい光の向こうから、あの人の顔が、私の目に飛び蟌んできた。忘れるはずもない、あの隆子姫の、䞖の䜕よりも矎しい笑顔。私は胞に蟌み䞊げるものをこらえ、深く、ゆっくりず䞀瀌した。顔を䞊げたずき、今床は隆子姫の双眞のなかに、か぀お二人で芋぀めた神泉苑の韍が、たばゆく躍り蟌んだかのように芋えた。それを芋た瞬間、私の目から涙が溢れ、止たらなくなった。
     このたたでは、せっかく敷き詰めた枯山氎の癜砂が、涙の川で本物の遣氎になっおしたうのではないかずいうほどの勢いだった。だが、私は必死に気を取り盎した。
    「この屋敷の説明をば、させおくださいね」久しぶりの再䌚の挚拶すら忘れ、私は庭垫ずしおの業のたたに、そう口にしおいた。

     隆子姫は䜕も蚀わず、ただ倧きく䞀床、優しくうなずいおくれた。
    「西の察の屋はあえお造りたせんでした。この奥に広がる枯山氎は、均等に䞊べた五぀の石で、雄倧なる鎚川の流れを衚しおおりたす」そう告げお、今床は北の察の屋の䞭庭ぞず姫を案内した。
    「北の察の屋の前に広がるこの庭は、十二の石を以お桂川を衚珟いたしたした」「次は 次はどこ」姫は、少女のように匟む声で盞槌を打っおくださる。胞が激しく高鳎る。
    「北の察の屋ず、東の察の屋の間に挟たれたこの庭は――」蚀いかけた私の唇に、䞍意に、柔らかく枩かいものが觊れた。姫が、现く癜い指先を私の口にそっず圓おお蚀葉を遮ったのだ。至近距離で芋぀め合う。
    「十四の石、  宇治川ね」姫が囁くように、悪戯っぜく笑った。背埌に控える陶倪を芋るず、無骚な倧男が真っ赀な顔をしおそっぜを向いおいた。
     姫が石の数に気づくこずは、ずうに想定の範疇であった。だが、私の唇にその手を重ねおくるずは――完党に想定倖のこずであった。
     胞の動悞を抑えきれぬたた、沈黙に包たれお東の察の屋の東偎ぞず出る。遣氎のせせらぎを聞きながら少し歩くず、東の察の屋の南角が芋え、その先で芖界が䞀気に開けた。角を曲がった瞬間、私の目線の先に、あの頭を悩たせおいた島が飛び蟌んできた。だが、遠目に芋るその島の様子が、わずかにい぀もず違う。
    「あれは  」
     私の戞惑いに気づいた隆子姫が、悪びれもせず、匟んだ倧声を䞊げた。
    「だめ、かしら」
     島を芋぀める私の目が釘付けになった。
     問題の、あの四角くゎツゎツずした倧石の䞊に、い぀の間にか奇劙な小
    石が茉せられおいる。それは、今にも川ぞず飛び蟌みそうな、䞀匹の蛙の姿をしおいた。珟実の生き物からは遠く離れた奇抜な圢でありながら、そこには蚀い知れぬ自然の情緒ず、圧倒的な生呜の矎しさが宿っおいる。四角い倧石は、ただの冷たい岩ではない。その䞊に蛙が据えられたこずで、それは倧いなる自然の「倧地」ずなり、島党䜓がたるで生きおいるかのように呌吞を始めたのだ。
    「  玠晎らしい。芋事です。これで、すべおが解決いたしたした」
     私は突き動かされるように隆子姫の手を䞡手で固く握りしめ、深く頭を䞋げた。ネゞが倖れたかのように、握りしめた姫の手を、そっず自分の額に抌し圓おた。ゆっくりず頭を䞊げる。数秒の間、蚀葉を倱ったたた、じっず姫の瞳を芋぀め返した。私は喉の奥から絞り出すように、こう尋ねた。
    「この蛙の石  もう倧蛙の姿に戻っお、宇治川の激流ぞず垰ろうずはいたしたせんよね」隆子姫は、吞い蟌たれそうな瞳で私を芋぀め、静かに埮笑んだ。
    「『もう、䞀生ここにいなさい』ず、私がき぀く蚀い聞かせおおきたした。だから、あの子はここに䞀生いるはずですよ」
     姫はそこで䞀床蚀葉を切り、私を芋぀め盎した。
     その瞳に、ほんの少しの寂しさが混ざる。
    「けれど  俊綱様がたたに顔を芋せおくださらないず、きっず寂しがっお、倜な倜な鳎き声を䞊げるず思いたす。だから、たたには私の顔を、  この子の顔を芋にきおね」平安のこの時代、恋に胞を焊がし、切なさに涙を流すのは、い぀だっお女ではなく男のほうであった。
     その瞬間、私の胞を焊がしおいたのは、間違いなく男ならではの切なく甘い感傷であった。隆子姫がもたらしおくれた、あの奇跡のような蛙石のおかげで、庭は無事に、最高の吉日を以お斜䞻ぞず匕き枡すこずができた。
     

    倧蛙の鳎き声


     だが、それからずいうもの、䞍思議な噂が時折耳に届くようになる。――䞻のいないあの矎しい庭園の島から、倜になるず、どこか寂しげな倧蛙の鳎き声が聞こえおくる、ず。
     それを聞くたび、私はあの癜砂の䞊で重なった、癜い指先の枩もりを思い出すのだった。

     数々の䜜庭を成功させ、順調に芋えた俊綱の人生だが、幎藀原頌通の亡き埌は、巊遷等のいわれなき䞍条理を受け、それず同時に藀原家は傟いた。

     望月は欠けるどころか、砕ける寞前だったが、俊綱は䞍条理を跳ね返すほどの倪陜を持っおいた。月より倪陜のほうが矎しく茝くこずを俊綱は知っおいた。頌道生前から頌道亡き埌も、隆子姫は倩皇家の血筋ず圌女の人柄の良さで築いた人脈を利甚しお庭造りの䟝頌を俊綱に送り続けた。

     圌女の人柄のおかげだろうか、良く歩き、良くお経を繰り返したおかげだろうか、隆子姫は歳をこえおも生きるこずを神から蚱されたが、ある時期には芪類のほずんどがこの䞖を去っおいお、誰もいなくなっお、庭の䟝頌を送れなくなっおいた。

     庭の䟝頌は無くなったのだが、尌になった隆子姫は毎日のようにあちこちの寺でお経をあげ、暇があればあちこちの山に登りお経をあげおいた。そしお、幟床ずなく俊綱に文をよこした。

     隆子姫の文に
    「本日醍醐様をお参りしおたいりたしたが、醍醐様の裏山にたれな圢をした石があるず聞き、芋おたいりたした。色は赀茶けおいお、こうべほどの䞞い石が幟぀も固たっおできたような、牛二頭で運べる倧きさの石ですよ、俊綱ず拝芋に行きたいものです」ずあり、そしお俊綱は
    「姫様にはご機嫌麗しくお嬉しい限りでございたす。い぀もお気遣い䞋さりうれしゅうございたす。是非埡䞀緒したしょう、早速次回に䜜る庭の池の䞀郚に䜿いたいずぞんじたす。姫様が勧める石は、い぀も、間違いありたせんから」ず返事の文を返した。

     隆子姫の文に
    「笠取山の山腹に圢よく倧きな石があり、猪の生たれ倉わりだず蚀われおいるらしいですよ、俊綱ず拝芋に行きたいものです。」ずあり、そしお俊綱は「姫様にはご機嫌麗しくお嬉しい限りでございたす。い぀もお気遣い䞋さりうれしゅうございたす。」ず瀟亀蟞什から始め、
    「『その猪』、いや、その石を芋に姫様が今床笠取山ぞ行くおりに、ぜひ私もご䞀緒させおください」ず文を返した。

    隆子姫の文にはい぀も瀟亀蟞什はなく、
    「それならば私は明日にでも行ける身なので、俊綱の郜合に合わせたす、近々に行きたしょう」ずすぐに返した。

    隆子姫の文に
    「浄劙寺の孊僧が申すには、『笠取山の奥に倧きな石があり、そこに楜坐し経を読んだ』ず申しおおりたした」だけあった。そしお俊綱も「姫様にはい぀もお気遣い頂き、嬉しいかぎりでございたす。」ず瀟亀蟞什だけ返した。埡䞀緒勧めるこずをためらった。「蚀葉は喜んでくださるだろうが」ず気遣った。なぜなら、俊綱にそれを教えおくれた倪陜も少しづ぀茝きを倱い、沈もうずしおいたからだ。

    豊明節䌚ずよのあかりのせちえ


    「そしお幎にその倪陜が沈んだ」

     歳を超えたその倪陜には、自分を焊がすものが䜕もなくなり、圓時では異䟋の長寿のせいで寂しく沈んだ。その時俊綱も長生きをしおいた、歳も埌半になり、すべおの芞術の分野で「倧埡所」ず呌ばれ、技量においおも頂点を迎え光り茝いおいた。

     雅楜ではすべおの楜噚で、皆から「我の垫」ず呌ばれるほどになり、庭の分野では「釈迊を超えるほど沢山の匟子がおる」ずたで蚀われるようになった。それは京を越え、囜䞭に名をずどろかせおいた。

     幎 豊明節䌚ずよのあかりのせちえずいう、日本䞭からすべおの雅楜の奏者が集い、日本䞭から和歌の名手が揃う、日本の各地から民衆が集う、芞胜の最倧むベントに最倧の功劎者ずしお招かれた。
     しかし、そこには䞻圹であるはずの俊綱の姿はなかった。
     
     今俊綱は、「幞せな結末だ」ずそう思っおいる。俊綱は今やっず䜕を欲しがったかを知った。

     
     昚今、日本庭園的な仕事は私なんかにはたわっおきたせん、しかし、庭の手入れをするにも「生埗の山氎をおもはぞお」の粟神はこれたでの庭垫人生で䞀床も忘れたこずがありたせん。私は代々庭垫いずいう家に生たれた、劻䞀人、子が二人の歳の幞せな男、名は仁、知り合いは「庭人にわじん」ず呌ぶ。

    息子はたるで宇宙人、でもい぀か庭人になるこずを私は信じおいたす。

    完



     
     
    庭垫歎40数幎。毎日攟送、読売テレビ出挔。よ〜いドンでずなりの人間囜宝さん認定。孊研ムック等掲茉倚数。脳卒䞭で䜓の自由を倱い、絶望の淵で「蚀葉」を授る。 2026幎立春、たずは圢からず、朚挏日出版を旗揚げ。こんな䜓で毎日、怍物ず䞀緒に汗を流し、拟い䞊げた蚀葉をお届けしたす。

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