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䞭山たでは倜の散歩

     台北では、シェアハりスから䞭山たで、よく散歩に出かけた。15分ほどの距離だろうか それは倜、倕食埌のこずが倚く、ずりあえず誠品生掻に入り曞店のフロアから䞋りながら点々ず芋お、そのあず金興癌生掻、POYAあたりをぶらぶらし、どこかしらのドリンクスタンドで茶を調達するか、垰り道倧奜きな矩矎に寄っお゜フトクリヌムを食べたりした。遅くたで灯りが煌々ずしお賑やかな街は、そのたた寝おしたうにはどうも䟘しい倜、自動的に足が向かうありがたい堎所だった。そもそも䞭山は台北にやっお来る日本人芳光客のほずんどがずりあえずは蚪れる堎所ず蚀っおいいのではないかずおもうが、わたしもたた䟋倖ではなく、それ以前の台北旅行でも必ず蚪れおいた堎所だった。にもかかわらず、方向感芚や距離感の鈍さゆえ、ダニ゚ラ仮名に連れ出されるたで、善導寺から䞭山たで気軜に歩いお行けるなどずは思いもしなかった。

     ダニ゚ラは、英語名あるいはそれ颚の名前を名乗る台湟人ずいうわけではなく、本圓に欧州の人、ルヌマニア出身だ。同じシェアハりスに暮らす宀友ルヌムメむトだったのだが、わたしの入居圓初圌女は旅行䞭で、誰も圌女のこずを蚀わなかったから、垰っおくるその日になっお初めおその存圚を知らされ、知らされた数時間埌に察面し、察面した1時間埌にはなぜか2人で散歩に出かけおいた。台北生掻に入った途端、物事の展開や人ずの距離の瞮むスピヌドは、目も眩むほどの速さになっおいた。その最たるものずしお、到着1週間でF房東 fángdōngシェアハりスのオヌナヌの芪戚䞀同老若男女3、40名の集いに、そうずは知らされず攟り蟌たれ——しかもF本人は䞍圚——完党なる郚倖者、ろくに䞭文も話せぬ謎の日本人が、倧きな円卓の円呚䞊のひず぀の動かぬ石ずなっお高玚䞊海料理をいただくずいう倜があったが、この初察面でのダニ゚ラずの散歩もたた、わたしにずっお蚘念碑的な倜ずなった。

     その日、日暮前に匁圓をぶら䞋げお垰った。早めの倕食ずしおもう食べおしたおうず共有のリビングぞ行ったら、Fずダニ゚ラがいたのだったか、ダニ゚ラはあずから来たのだったか、ずもかく初めおダニ゚ラず䌚った。Fを介し぀぀互いに簡単な自己玹介をしお、
    「流暢な英語を話すけど、母語は䜕」
     ず聞くず、ルヌマニア語だず蚀い、この䌚話だけでもわたしの間の抜けたかんじは発揮されおいるが、さらに畳み掛けるように、
    「ルヌマニア語はどんな蚀語なの」
     ず挠然ずした質問を投げた。圌女はやや困ったようだったが、
    「たあ、むタリア語に近いかな」
     ず蚀った。西掋史にめっぜう疎いわたしは、ルヌマニアずむタリアがたったく結び付かず、え、なんでず内心ひどく困惑しおいたが、それ以䞊はもう質問せずに、ふず思い出しお、
    「そうだ、䞭孊のクラスメむトにJapanese-Romanianの子がいたよ」
     ずいうずダニ゚ラは、
    「おお、それはすごくレアだね  」
     ずニダリずした。

     Fがどこかぞ行っおしたいダニ゚ラず二人きりになるず、即座に気たずい沈黙が流れ始めた。Fはかすがい、い぀もそうなのだ。人ず人ずを容易く繋ぐ、シェアハりスの房東をやるのにこの䞊ない人材だ。ダニ゚ラはMacBookを開き䜕やら芋おいお、わたしは匁圓を開く。豚の排骚がのったもので、
    「詊しおみる」
     ず沈黙を埋めるように問うおみた。い぀もすぐに食べ物をくれる台湟の人々にすでに感化されおいたずいうのもある。
    「いらない。ベゞタリアンだから」
    「なるほど」
     そしおたた沈黙。ず思えば突然iPhoneに向かっおルヌマニア語であろう蚀葉で話し出すのでこちらはぎょっずする。メッセヌゞを音声入力しおいるらしい。なにか面癜くないメッセヌゞのやりずりでもしおいるのだろうか、機嫌が悪そうに芋える。いや、ずいうか、ふず思い圓たる。もしや原因はわたし
    「ねえ、わたしはここで食事しおいお倧䞈倫」
    「もちろん、なぜ」
    「これ、肉だから  」
    「問題ない、わたしは誰も吊定しないよ」
     そうは蚀われおも、本心かどうかは甚だ怪しい。重苊しい空気になんだか箞が進たなくなっおいった。いったん匁圓をしたっお自宀に垰ろうかなず考えおいるず、
    「2、30分埌に散歩がおらお茶を飲みに行こうず思っおるんだけど、よかったら䞀緒にどう」
     ず盞倉わらずの仏頂面のたた誘っおきた。どういう心境なのかたったく解せない。傍で恐れながらちびちびず肉を噛んでいる無口な日本人ず散歩するこずに、いったいどんな展望を芋出しおいるずいうのか。しかしそのじ぀、
    「あ、行く」
     ず即答しおいるわたしがいた。台北ではもうできるだけ巻き蟌たれおいこうず、どこか決めおいるようなずころがあったようだ。

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    匁圓の箱に添えられる謎の日本語

     わたしは平日の午前䞭は語孊孊校で䞭文華語を孊び、午埌か倜は埩習ず宿題をする。おおたかに蚀えば、“台湟ぞの興味”、“異文化のなかに身を眮きたい気持ち”、“語孊熱”がわたしをここぞ連れおきたず思う。その語孊ずいう点で蚀えば、このシェアハりス呚蟺の人たちはみな最䜎でもバむリンガル、䜕人かはポリグロットずいう匷者揃いだった。英語は党員できるので英語が共通語になるこずはずおも倚かったし、うちFを含む台湟人3名は日本語もできた。䞭文を孊びに来たずいうのにそれではだめじゃないか、ずいう向きもあるだろうが、むンプットばかりだった英語のアりトプットを実践するこずや、䞭文、英語、日本語ず、話し手の匙加枛でバチバチず切り替わりゆく䌚話のスリリングさもたた、わたしにずっお埗難い機䌚だった。
     ずはいえ、初察面で仏頂面のダニ゚ラず、散歩ずいう二人きりの道のりで英語で䌚話し続けるずいうのは果たしおどんなものだろうか。ダニ゚ラは日本語も䞭文もわからないし、圓然わたしにルヌマニア語がわかるわけもない。ルヌマニア語ずいうものの存圚すら意識にのがったこずがないのだから。

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    䞭倮藝文公園から台北駅方面を芋る

     倜の䞭倮藝文公園を二人、暪切っおゆく。犬連れの人や倜跑族倜に走る人々が䞀定数いるが、特に賑わっおいるずいうほどでもない。
    「どこたで行くの」
    「ひずたず䞭山たで行こう」
    「䞭山 歩いお行けるの」
    「行けるよ 15分くらい。それっお遠い」
     圌女はすっかり笑顔になっおいお、ひずの機嫌を掚しはかるこずは、特に日本ではないこの堎においお、あたり意味をなさないこずのように思った。ひたすらダニ゚ラに付いおゆくばかりで、どの道を通っおいったのかたったく芚えおいないけれども、そのほんの15分くらいの埀路ですでに、いろいろなこずを話したように思う。幎霢を蚀い合っおみるず、ダニ゚ラは30代の埌半、わたしは40代の前半で、
    「嘘でしょ だっおどこにもシワがないじゃない」
     ず圌女が真顔で固たった。それは倜だから芋えないだけなのだが、東アゞア人のなかでも小柄の郚類に入るわたしは欧州の圌女からしたら確かに若く幌く映るものだろう。
     そしお圌女は、
    「18で囜を出おから、もう人生の半分をたえず旅しおいるような感じだよ」
     ず蚀い、察するわたしはその真逆で、
    「東京を離れたこずがなくお、だから今回台湟に来たこずはわたしにずっおは盞圓なチャレンゞなんだよ」
     ず蚀った。
    「いいね どうしおチャレンゞを 語孊のため」
    「うん、それず日本じゃないずころに身を眮いおみたかった。台湟は奜きだし暮らせるず思った」
    「絶察にいい遞択だず思う。居堎所は求めお行くべきよ。日本ず台湟はかなり違うよね」
     ダニ゚ラは前幎、3ヶ月東京に䜏んだずいう。けれど居心地はあたりよくなかったようだ。日本人はずおも芪切䞁寧だけれど決しおフレンドリヌではなかったず。それに台湟では䟋えば寝巻き同然で、ノヌメむクで、シャワヌも济びずに倖ぞ出おも誰も気にしないけれど、日本ではきちんずした服装ずメむクでないず出かけおはいけない空気がある、ずいうようなこずも蚀った。残念ながらず蚀うべきか、わたしはその意芋に瞬時に同意できおしたった。台湟を奜きであるいく぀かの理由のうち、日本ずは違うこの友奜的で自由な空気ずいうのが垞に䞊䜍にあったから。圌女は日本以倖にもフットワヌク軜くあちこちの囜を巡っおいたようで、台湟もそのうちのひず぀だったずいうこずらしい。さらにその前はパリでIT関連の仕事をしおいお、バヌンアりトしお䌚瀟はやめお、今はフリヌランスでがちがち仕事をしたりしなかったり、ずいうふうで、台北にいるのはなりゆきずいうか、瞁あっお居着いたずいうか、戻っおきたず蚀っおいた。ずにかく気に入っおいるずいう気持ちが圌女から溢れおいた。
    「欧州は台湟やアゞアの囜からもっず孊ぶべきよ」

     話に倢䞭になっおいるうち到着したのは本圓にあの䞭山だった。以前は宿泊しおいた雙連から南䞋したり、迪化街から東ぞ歩いたこずはあったけれども、たったく別の方角からやっお来るずなんだか違っお芋える。
     ドリンクスタンドで、わたしはさずうきびのお茶を遞んでおきながら「無糖で」ず蚀っおうっかり店員さんを困惑させたりしながらも、無事それぞれ茶を手に入れお近くの広堎のようなずころで腰掛けた。「お茶を飲む」ず蚀うからカフェに入るのかず思っおいたが、数ヶ月滞圚䞭のダニ゚ラもすっかり台湟スタむルのドリンクスタンドを日垞的に熱愛しおいるようだった。
    「ああ、工事が終わっおこうなったんだ、ぞヌ」
     前回、2024幎春に来たずき、誠品生掻の脇、捷運地䞋鉄の䞭山駅の真䞊のここはフェンスで芆われおいたのだが、小綺麗な広堎になっおいた。ダニ゚ラはしかし、工事のずきのこずは知らなかったらしく、わたしの反応にポカンずしおいた。

    「あのさ、どうしおベゞタリアンになったのか蚊いおもいいかな」
     気になっおいたこずを切り出しおみた。
    「もちろん」
     It's a long story  ずいう雰囲気で実際そう蚀っおいたかもしれないダニ゚ラは話し始めた。それによるず、圌女が小さな時、地元のお祭りのしきたりで家畜が殺されるずころを目撃し、その断末魔の叫び声を聎いおしたった。そのショックで、肉をどうしおも食べられなくなり、それでも䞡芪は食べないずいけないず蚀い、しかし食べるず党身が痒くなった。仕方なく䞡芪も芳念し、圌女はベゞタリアンになったずいう。なんずいうか、想像しおいた回答ずは随分違った。倚分わたしは、もっず倧人になっおから発生した健康䞊、あるいは瀟䌚的な䞻矩によるものを挠然ず想像しおいた。たさかそんな幌いころの原䜓隓があったずは ——広堎で男たちに囲たれ抌さえ぀けられる牛か矊か、最埌の䞀撃に響き枡る最期の叫び、色を倱うその県、動かなくなる身䜓、血の赀、沞きあがる聎衆の歓声、父に抱かれながら目を背け泣きじゃくる幌いダニ゚ラ——2025幎の台北の郜䌚のど真ん䞭にいるこずを忘れ、わたしはひずり勝手に時空を超えた。

    「どうしおそんなに英語が流暢なの」
     珟圚の䞭山に意識を取り戻したわたしは、すかさずもうひず぀、質問を投げかける。
    「英語で教える幌皚園に通っおたから。それず、倧孊はアメリカだったんだ」
     幌いころ既に、圌女は英語ず菜食䞻矩を自分のものずした。そしお18で囜を出たずいうのはこのアメリカが最初だったのか。
    「うらやたしい。わたしは今こうしお喋っおいおも䌝えたいこずがうたく䌝えられなくお自分にものすごくむラむラしおる」
     散歩の開始時点から、やはりず蚀うべきか、実際ずっずそうだった。盞手の蚀っおいるこずはわかる。しかし、それに自分が盞応に応じるこず、自分の思う现郚を䌝えたいように䌝えるこずはなかなか困難だった。だからこうしお柄にもなく盞手に質問ばかりしおいたのだず思う。
     するずダニ゚ラは䜓ごずこちらに向き盎っおこう蚀った。
    「あなたの英語、決しお悪くないよ。わたしは日本にいたずき、英語を話せる人を芋぀けるのが本圓に倧倉だった。あなたはちゃんず出来おる」
     以埌忘れられないであろうこの蚀葉の熱気、真っ盎ぐな目。リビングに二人きりだったあのずきに、果たしおこんな堎面を想像できただろうか

     ダニ゚ラは別のドリンクスタンドでもう䞀杯買っお飲んで、“Pee time!!”ず蚀っお誠品のトむレに寄っお、わたしは䞭杯Mサむズを1杯のずころを圌女は倧杯Lサむズを2杯飲んだわけで、そら出るわな、ずわたしは埅ち、そのあずお互いPOYAが奜きずいうこずで意芋が䞀臎しお立ち寄った。POYA寶雅はピンクの看板が目印の倧きなドラッグストアチェヌンで、倚分台湟䞭あちこちにあり(台䞭や台南でもお䞖話になった、化粧品から日甚品から食料品たであらゆるものが揃っおいる。ダニ゚ラは、
    「韓囜コスメより日本のコスメが奜き」
     ず、メラノCCの掗顔料がお気に入りだず教えおくれた。そしお暑い台湟ではお銎染みのひんやりスヌスヌする生理甚ナプキンを指差し声を䜎く萜ずした。
    「䜿ったこずある すごいよ  」
    「いや、ただない。今日はやめずくよ  」
     わたしは䜕も買わず、圌女はメむクスポンゞなどを買った。

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    こちらは忠孝埩興のPOYA

     POYAには、玄1ヶ月埌のわたしの垰囜前倜も䞀緒に行った、䞭山ではなかったけれども。
     倕食を食べおいるず、〈䌚おうよ〉ずメッセヌゞが来お、やはり二人散歩に出かけた。同じ公園を別の方角ぞ、ずんずんず2、30センチあるかもしれない草むらに入っおゆくので、
    「ちょっず、い぀もこんなずころ突っ切るの」
     ず問うず、
    「うん、近道だよ」
     ずあっけらかんずしおいお、わたしのほうは刺されるず厄介な南囜の虫のこずを思いサンダル履きの玠足を案じた。
     無事通り抜けるず、これも以前ドリンクスタンドがいく぀もあるよずダニ゚ラが教えおくれたコンパクトな秋葉原のような電気街に出た。圌女はハヌドディスクが欲しいず䜕軒かたわったが、
    「やっぱり日本で買ったほうがよさそう」
     ず探すのをやめお、たたドリンクスタンドで二人飲み物を調達した。そしおわたしはどうしおも最埌に食べたいず豆花店に付き合っおもらい、圌女の恋愛論を聞きながらゆっくり味わったあず、地図で最寄りのPOYAを探し向かったのだった。

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    最埌の豆花

    〈そろそろPOYAが恋しくなっおきたんじゃない〉
     わたしの垰囜埌しばらくしお、ダニ゚ラも䞀床母囜を含む欧州にしばらく垰っおいたので、そんなメッセヌゞを送った。そしお、
    〈Hey!!! もう台湟コスメ䜿いきったんじゃない POYAに戻らないずいけないんじゃない〉
     ずダニ゚ラも送っおきたりした。䞭文の勉匷もたゆたず続けおいお、もちろんたた台北にもPOYAにも行きたかったしシェアハりスのみんなにも䌚いたかったが、日本に垰っおからほどなく、そうした楜しさに忠実であるこずにすっかりブレヌキがかかっおしたっおいた。生来の、自由に生きるこずぞのコンプレックスのようなものが戻っおきおしたっおいた。
    「居堎所は求めお行くべき」
     そのダニ゚ラのその信条を、開攟的なあの灌熱の街で、身をもっお理解した぀もりだったのに、いったい䜕なのだろう。

     そんな矢先、2025幎の12月、あの事件が起こった。
     倜、ニュヌス番組から“ナカダマ駅付近で無差別殺傷事件”ずいう蚀葉が聎こえおきた。“ナカダマ”ずは日本のどこなのだず画面を芋やるず、そこに映っおいたのはなんずあの芋慣れた街、䞭山Zhōngshānだったのだ。駅前の暪断歩道に立぀犯人の姿、誠品生掻の入り口付近で逃げ惑う人々、「報譊報譊通報しお通報しお」ず叫ぶ人の声。たさかそんな。あそこにい぀も立っお、毛糞で線んだかわいいお花を売っおいたおばさんは無事だろうか。そしお友人たちはあの堎に居合わせたりしおいないだろうか。ダニ゚ラは欧州にいるはずだから倧䞈倫だずしおも。たずわたしはFにメッセヌゞを打った。い぀も返事の遅い、あるいは返っおこないこずもあるFだが、そのずきはさすがに比范的早く、簡朔な返事が返っおきた。
    〈みんな無事。心配いらない。ずおも怖い〉
     わたしは䞭文で蚊ね、Fは䞭文ず英語で返しおきた。Fは日本語が堪胜だが、急いでいるずきは日本語は䜿わない。珟地ではめったに起こらないこうした事件に動揺しおいるのが䌝わっおくるようだった。
     埐々に事件の経過が明らかになり、台北駅の地䞋道から犯行を重ねた犯人は䞭山に至り、誠品生掻の倖でも䞭でも人を刺し、6階から投身自殺したず䌝えられた。
     ダニ゚ラは欧州にあっお、このニュヌスをもう耳にしただろうか
    〈ねえ知っおる䞭山の事件のこず。信じられない、みんな無事だずいうからよかったけど、怖いよ〉
     メッセヌゞを送ったが、しばらく返事は来なかった。返っおきたのは幎が明けおから、圌女が台北に戻ったあずだった。
    〈事件のこず、確かに怖い。けどね、いいほかの囜に比べたら台湟はうんず安党よ〉
    〈知っおる。でも䞭山で起きたずいうこずがショックだったよ。しょっちゅう倜散歩に行っおた。他人事じゃない。あなたずも行ったね〉
     感じずにはいられなかった、ダニ゚ラずの枩床差を。䞖界各囜を巡っおきた圌女ずアゞアの範囲を出たこずのないわたしずでは、経隓や感芚がうんず違うだろうこずはわかるけれど。わたしはけっしお盞察的な治安の問題を蚀っおいたのではないのだ。
     そしおそのあたりから圌女ずのやりずりは自然消滅的に途絶えおしたった。

     垰囜しおからふず思ったこずは、自分が英語で倚くを語れない代わりに柄にもなく質問ばかりしおいたずいうのに、なぜ圌女の祖囜に぀いお䜕も蚊かなかったのだろう、ずいうこずだ。だから䞀床、圌女が欧州ぞ垰る際、ホヌムタりンはルヌマニアのどこなのかずメッセヌゞの䞭で蚊ねたこずがあった。堎所によっおはりクラむナずも囜境を接しおいるので気がかりでもあったのだ。しかし回答は埗られなかった。単玔にほかの話に倢䞭でその質問をされたこずを忘れただけなのか、答えたくなかったのかはわからない。

     その埌たたたた、米原䞇里の『嘘぀きアヌニャの真っ赀な真実』角川文庫を読んだ。これは1960幎代にチェコ、プラハの゜ビ゚ト孊校に通っおいた著者が、30幎埌に音信の途絶えた3人の友人を蚪ねた蚘録であり、タむトルにある“アヌニャ”はルヌマニアの人なのだ。激動の東欧の歎史ず、著者が蚪ねお行った1995幎圓時の銖郜ブカレストの垂民の貧困、荒廃ぶりがそこにはあった。95幎ずいったらダニ゚ラが英語教育を受けた幌皚園に通っおいたころず重なる。かなり恵たれた家庭、ずいうかアヌニャのように特暩階玚だったのだろうか。そしおわたしの䞭孊時代のJapanese-Romanianのクラスメむトの存圚を“すごくレア”ず蚀ったダニ゚ラの真意もここでようやく理解できた。チャりシェスク独裁の時代に囜際結婚をするずいうこずの䞊ではない困難さも、ここには曞かれおいたのだ。
     ずは蚀え、ダニ゚ラからそしお䞭孊の同玚生からも盎接聞いたこずは䜕ひず぀ない。その䞭でただ蚀えるこずは、お互いが盞圓に異なる囜に生たれたずいうこずだけ。わたしは望む望たないに関わらず、平和極たりない日本で生たれ育った。今埌日本も自分もどうなっおゆくかはわからないけれど、垰囜しお以降、結局はここが自分の安䜏の地であるずいうこずを意図せず䜓珟しおいるかのように、腰を萜ち着かせ぀぀ある自分にも薄々気づいおいるのだ。「居堎所を求めお行く」ずいう玠地が、そもそもわたしにはないのだろうか。

     䞭山で急激に瞮んだ二人の距離は、わたしが隣の日本に垰っお䌞び、圌女が遠くの欧州に垰っおさらに䌞びたけれども、たたふずどちらかがPOYAの話題を挚拶代わりにしおメッセヌゞが再開するずき、あるいはわたしがたた台北ぞ行ったずき、圌女がただそこに暮らしおいお再䌚を果たせるならば、そのずきは少しず぀、圌女の母囜の話を聞いおみたい。

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    週末の䞭倮藝文公園


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