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【日本人の残り物】 フィリピンと日本の混血として生きる記録 #13

    母には、昔日本へ出稼ぎに来ていたフィリピン人の友人がいる。

    現在彼女は、フィリピンで暮らしている。

    彼女は1980年代、タレントビザで来日した。

    宿泊施設やフィリピンクラブで歌う仕事をしていたそうだ。

    歌がとても上手く、容姿も美しく、日本では人気があったらしい。

    アグネス・チャン似のとてもきれいな女性だ。

    50代後半になった今でも、彼女の美貌は衰えていない。

    彼女は、客の隣に座り、接客や会話の相手をすることはあったが、
    決して体を売ったりしていたわけではない。

    母によると、彼女は結婚するまでヴァージンだったそうだ。

    それでも、日本でエンターテイナーとして働いていたフィリピン人女性は皆漏れなく「ジャパゆき」と呼ばれていた。

    「ジャパゆき」という言葉を知らない人もいるかもしれない。

    これは1980年代以降、フィリピンやタイなどアジア各国から日本へ出稼ぎに来た女性たちを指す言葉だ。

    「ジャパン」+「行く(ゆく)」を組み合わせてできた複合語だ。

    もともとは、明治〜昭和初期に海外で売春を強いられた日本人女性たちを指す「からゆきさん」をもじって作られた言葉らしい。

    つまり最初から、かなり侮蔑的なニュアンスを含んでいる。

    ジャパゆきと呼ばれた彼女たちは、日本では

    「どうせ体を売っているんでしょ」

    という目で見られることがあった。

    でも、傷つけられたのは日本だけではなかった。

    その母の友人は、後にフィリピンに帰国し、フィリピン人男性と結婚することになった。

    そのとき、相手の母親は彼女の目の前で息子に、こう言ったらしい。

    「なんでわざわざ日本人の残り物を選ぶんだい」

    母からこの話を聞いたとき、言葉を失った。

    日本では性的なイメージを押し付けられ、
    フィリピンでは汚れた女性のように扱われる。

    彼女はただ、自分にできる仕事をしていただけだったのに。

    家族のために海を渡って働いた女性たちが、母国でも蔑まれる経験をしていたことに胸が締め付けられた。

    正直に言えば、少し前までの私は

    「そう見られても仕方ないんじゃないか」

    と思っていた。

    そんな仕事を選んだのだから、と。

    でも、見方を変えた今はそう思わない。

    彼女たちは、貧困から抜け出すために、
    家族を支えるために、
    自分にあるものを使って必死に働いた。

    歌える人は歌った。
    踊れる人は踊った。
    接客ができる人は接客をした。
    男たちのいやらしい目にさらされながらも。
    遠く離れた家族のために、日本まで来た。

    それは、簡単にできることじゃない。

     望まない視線にさらされながら働くことが、どれだけしんどいか。

    私は昔、彼女たちと自分が結びつけられることを恐れていた。

    でも今は違う。

    もし誰かが彼女たちを笑うなら、
    私は以前よりずっと強く、その声に反論できる気がしている。


     
     
    フィリピンと日本の混血です。 自分の内にある差別感情と、外から受ける差別について考えています。 マイノリティ / アイデンティティ / 日記

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