
『はまぐりと私の我慢比べ』
初めてハマグリを買った。
ハマグリは、
私にとって少し特別な貝だ。
アサリほど気軽ではなく、
牡蠣ほど強く主張もしない。
それでも、
どこか「ハレの日の食べ物」という
印象がある。
桃の節句のイメージが
強いのかもしれない。
3つ入り。
数もちょうどいい。
初ハマグリはどうやって食べよう。
焼いてバター醤油もいいな。
そんなことを考えながら、
とりあえず砂出しをする。
が……全然出ない。
あれ、生きてる?
私の超テキトーな塩分濃度の水が、
お気に召さないのだろうか。
まぁ、いい。
よし。
一番簡単に、でもしっかりと
ハマグリを味わえる酒蒸しにしよう。
鍋に並べてお酒を大さじ3ほどかけ、
フタをする。
ガラス蓋越しにじっと見つめる。
ハマグリは殻に厚みがあるから、
アサリのようにはいかない。
いつもより少し時間がかかる。
大丈夫かな……。
しばらくして、
パカッ。
一つ開いた。
おっ。
いそいそと鍋から引き上げる。
パカッ。
二つ目も開いた。
どちらもぷるぷるで、
とても美味しそうな身をしている。
残るは一つ。
……あれ?
なかなか開かない。
もしかして……。
とりあえず火力を上げてみた。
ふと、子供の頃の記憶が甦る。
週末の朝。
父親が朝ごはんにと
ハムを焼いている。
横で見ている私は、
幼稚園児くらいだろうか。
しばらくすると、パチッ、パチッとハムが跳ねて踊り始めた。
それに合わせて父親が言う。
「アチチッ! アチチッ!」
「豚が熱い熱いって言ってるわ」
……ふぅ。
何もこのタイミングで思い出さなくてもいいのに……。
頑なに口を閉ざしているハマグリを見ていると、なんとも微妙な気持ちになる。
すると今度は、別の風景が甦る。
これも、子供の頃に観た映画のワンシーンだ。
かつての日本。
煮えたぎる釜の中に、
罪人が沈められていく。
……ブルッ。
想像しただけで思考が停止する。
そして意識は、いまだに口を固く閉ざしているハマグリへと戻る。
ああ……
今きっと、
熱さに耐えているんだろうな。
なんだか……ごめんね。
パカッ。
あ、開いた。
……生きてたんだ。
ホッとしたような、
でも少し複雑な気分になる。
お皿に盛り付ける。
「いただきます」
いつもより神妙に言ってみる。
何も足さず、
ただハマグリを味わった。
身もスープも、
とても美味しかった。
食べ終えたあと、
厚みのある貝殻を手に取る。
不思議と心が落ち着く。
中も外も。
たった一つの存在が、
なんてすてきな貝なんだろう。
ご馳走様。
命をいただくって、
こういうことなんだ。
そんな当たり前のことを、
改めてハマグリに教わった。
やっぱり、
特別な貝だった。
弥谷宥翠(アマネヒスイ)のあま音の根-91