
天命は、人生のかけらがつながった時に見えてくる:完全版
先日、耀盌の会でこんな話を聞きました。
「耀盌の水を飲むと天命がわかる」
最初は不思議な話だなと思いました。
けれど最近、その意味が少しわかる気がしています。
天命というのは、ある日突然空から降ってくるものではないのかもしれません。
若い頃の私は、とにかく頑張っていました。
家族のこと。
仕事のこと。
人との関わり。
目の前のことに必死で、自分の人生を振り返る余裕などありませんでした。
だから当時の私は、「天命」なんて考えたこともありませんでした。
毎日をこなすだけで精一杯だったからです。
でも人生を重ねる中で、少しずつ見えてきたものがあります。
もし最初から軽やかに生きていたら、私は「軽さ」の価値を知らなかったかもしれない。
重い荷物を抱えてきたからこそ、
「ああ、もう少し肩の力を抜いていいんだ」
とわかる。
遠回りしたからこそ、
「あの出来事にも意味があったんだ」
と気づける。
重さを知った人だけが、本当の軽さを知る。
最近、私はこんなことを思うようになりました。
軽薄ではなく、軽さが人生を軽くする。
若い頃は、
真面目であること。
頑張ること。
責任を果たすこと。
それが大切だと思っていました。
もちろん今でも大切です。
でも年齢を重ねてわかったことがあります。
必要以上に背負わなくていい。
必要以上に深刻にならなくていい。
同じ人生なら、少し軽やかに歩いてもいい。
軽さとは無責任さではありません。
重さを知った人だけがたどり着ける、生き方の知恵なのかもしれません。
以前の私は、天命というものは人生の後半になってから見えてくるものだと思っていました。
けれど最近は少し考えが変わりました。
今の若い人たちを見ていると、私たちの世代よりずっと早く自分らしさに気づく人もいます。
まるで生まれた時から、その時代に合った最新版のOSを積んでいるように感じることがあります。
だから天命は年齢で決まるものではないのでしょう。
では何が必要なのか?
私は、
人生のかけらがつながること
なのではないかと思っています。
あの出会い。
あの失敗。
あの遠回り。
あの時の悩み。
その時は意味がわからなかった出来事も、振り返ってみると一本の線になっていることがあります。
「だからあの経験が必要だったんだ」
「だから私はここにいるんだ」
そんな瞬間があります。
天命とは、新しく見つけるものではなく、
人生の中に散らばっていたかけらがつながった時に見えてくるものなのかもしれません。
そして、そのためには人生を整理する時間が必要です。
実は私は、数秘術や石を使った鑑定をしています。
でも最近、自分が本当にやっていることは別のところにあるのではないかと思うようになりました。
人は意外と、自分のことが一番見えません。当たり前すぎて気づかないことがあります。繰り返しているパターンに気づかないこともあります。
だから人生の中でふと立ち止まり、
自分の歩いてきた道を振り返る時間が必要になります。
私はそれを「人生整理」と呼んでいます。
人生整理というと難しく聞こえるかもしれません。
でも実際は、
あの出来事は何だったのだろう。
なぜ私はあそこで悩んだのだろう。
なぜ同じような出来事を繰り返しているのだろう。
そんなことを少しずつ見つめ直していく作業です。
すると、バラバラだった人生のかけらが少しずつつながり始めます。
先日、私の鑑定を受けてくださった方が、
「これ、すごいです」
と言ってくださいました。
その言葉を聞いた時、私の中でひとつの答えが見つかりました。
私は未来を当てたいわけではない。
答えを与えたいわけでもない。
その人の人生のかけらを拾い集めるお手伝いがしたいのだ、と。
人生の点と点がつながった時、
人は初めて、
「だから私はこの人生を歩いてきたんだ」
と感じられるのかもしれません。
耀盌の水を飲むと天命がわかる。
あの日聞いた言葉の意味を、今の私はそんなふうに受け取っています。
天命とは遠くにあるものではなく、
人生の中に散らばっていたかけらがつながった時に見えてくるもの。
そして、そのかけらを拾い集める時間こそが、
人生整理なのだと思っています。