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二元性を超える/”善”察”悪”の矛盟/第11ç«  䞖界を超越する

『I<わたし>真実ず䞻芳性』デノィッドRホヌキンズ著P224P240

二元性を超える”盞察するもの”ずいう極性

芋たずころ”察極”のものをうたく超越するには、ふた぀の違ったもの、あるいは盞反する抂念に芋えるものは単に可胜性のグラデヌションにすぎず、知芚のひず぀の基線に沿っお移動するにしたがっお、その特性を倉えおいくずいう事を理解すればよいのです。わたしたちはすでに、枩床をモデルにしお、䞀芋するず”熱い”、”冷たい”ずいう察極の抂念を打ち壊したした。

蚀葉を促すために、心(マむンド)は連続的なスケヌル䞊の点を遞び、あらゆる枬定倀や特性をふた぀の異なるグルヌプに仕分けしおしたいたす。そのため、わたしたちはそれらを、”察極”のものずしお二元的に知芚し、それが察立の皮ずなりたす。自然に目をやるず、”察極”のものなどどこにもありたせん。それは単なる粟神掻動によるものであっお、䜕の実䜓もないこずがわかりたす。

条件が倉化すれば、倖芳も倉わりたす。䜎枩では、氎は固たり、氷ず呌ばれるものになりたす。そしお枩たるにしたがっお、液状である氎になりたす。高枩では沞隰し、気䜓や蒞気になりたす。さらに高枩になるず氎は、氎玠ず酞玠ずいう分離した気䜓になりたす。しかしわたしたちは、氷ず気䜓は”察極”であるずか、氎玠ず酞玠が”察極”であるずは蚀いたせん。ラベル付けずは、せいぜい蚀語的な利䟿性を考えたもので、制限぀きの、実甚的で䜿い勝手のいい手法なのです。

䞊蚘の説明は明癜でありきたりに聞こえるかもしれたせんが、実際にはきわめお重芁な意味を持っおいたす。ずいうのも、それは基本原理を瀺しおおり、二元性を生み出す知芚的な過りを解明するこずができるからです。よく考察しおみるこずで、䞀芋するず瀟䌚的には察極に芋えるものが、行皋にすぎないこずがわかりたす。たずえば、貧富、持おる者ず持たざる者、教逊のある者ずない者、健康ず病、賢さず愚かさ、匷さず匱さ、リベラルず保守などもそうです。

アメリカでは”貧しい”ず芋なされる状態が。他囜では”非垞に裕犏”ずなるこずもありたす。所有物が増えおくるず、豊かさず貧しさの間に想像䞊の境界線が匕かれたす。これは、経枈状態や政治的傟向に巊右される恣意的な定矩です。しかしそれは、長さが短さの、匷さが匱さの察極ではないように、スケヌルのグラデヌション䞊のどこかの点を衚しおいるにすぎたせん。

感情はグラデヌションのもうひず぀の䟋であり、幞せは䞍幞せの察極ではありたせん。あらゆる感情にはさたざたなグラデヌションがありたす。愛は憎しみの察極ではなく、欲深さは寛容さの察極でもありたせん。感情を述べるには、その皋床や刀断基準を明らかにしなければなりたせん。たずえば、どの皋床の䞍条理性が正気ず狂気ずを分けるのかずいうようなこずです。

「真実」においおは、察極のものなど存圚したせん。立ち䜍眮は、単に恣意的な粟神掻動にすぎたせん。倪陜光線がプリズムを介するず、光は色のスペクトルに分散したす。赀倖線は玫倖線の「察極」であるず定矩するのは愚かなこずです。

わたしたちが日々䞻芳的に䜓隓する感情は、わたしたちのいわゆる快楜原則ずいう嗜奜性に反応したものです。快楜原則は、脳の機胜に生埗的に備わっおいるもので、わたしたちが日頃䜕気なく口にする蚀葉は、自分の奜き嫌いにかかわっおいたす。そしおそれらは、䞀芋するず察極のものずしお瀟䌚に組み蟌たれおいくのです。

”善”察”悪”の矛盟

善ず悪ずいう叀兞的な究極の察極を超越するためには、目に芋える察極のものはすべお、ひず぀のスケヌル䞊に沿った点の、恣意的なラベル付けの集たりから生じる幻想であるず認識するこずが有効です。たずえば、人間の行動やふるたいや出来事における”奜たしさ”のスケヌルを䜜るずすれば、最䞊点の「玠晎らしい」から始たり、「奜たしくない」、「嫌な」ぞず䞋降し、最終的には「恐ろしい」や「壊滅的」にたで行き着きたす。

䞊蚘のスケヌルは、人々の奜む結果や䟡倀芳(ビゞネスの利益、蟲業生産、個人的な幞せ、品行など)に応じお、人間生掻のあらゆる分野に適応できたす。するずあらゆる出来事の結果は自動的に、どれほどこのたしいかによっお「 善」か「悪」にふるい分けられ、そのように名づけられたす。このこずから、”真理”ずされおいるものは、コンテクスト(文脈/状況)に䟝存しおいるこずが確認できたす。

䌝統的な歎史䞊の宗教的芖点を芋おみるず、神に背くこず(゚デンの園)が悪のリストのトップに立ち、次に兄効殺し(カむンずアベル)、それから父殺し、母殺し、甚事殺害や玔朔を汚すこずが続きたす。リストはさらに、拷問、残忍性、奎隷化、隒乱、故殺、レむプ、人に察する暎行や攻撃ぞず続きたす。次に、䞻暩や財産、金銭、貎金属品に察する䟵害、さらには、自由や尊厳、個人の遞択などの人間的䟡倀や、倫理芳、道埳芳、道埳的暩利に察する䟵害が続き、最埌に感情的な䟵害が来たす。

芏則や法埋や行動範芏範の䞍明瞭さは、コンテクスト(文脈/状況)の䞍確実性を反映しおいたす。コンテクスト(文脈/状況)そのものが非垞に耇雑で、しばしばあいたいで䞍特定的ですが、法孊では䟵害の重さのニュアンスを定矩するこずを䜙儀なくされおいたす。䞀芋するずシンプルな、”正”ず”䞍正”の定矩でさえ、埀々にしお人間の最高の知性をもっおも歯が立ちたせん。刀別は、教育や幎霢、IQ、成熟床ず共に倫理芳や地域、歎史的な芁因など、盞互に耇雑に絡たりあった芁玠の凊理結果を反映しおいたす。

結果ずしお、圹人はやすやすず職責を果たすこずができたせん。道埳芳や倫理芳は、立堎によっお移り倉わり、この立堎は歎史や文明の発展段階における、ある時点での瀟䌚の考え方を反映しおいたす。研究宀での小さな科孊的発芋が、䜙念なく調べ぀くした末の”有眪”刀決を”無眪”に芆すこずさえありたす(DNA鑑定など)。

コンテクスト(文脈/状況)を定矩するのがいかに耇雑であるかを知ったずき、智慧は、軜口や軜率な発蚀、批刀を避けるように忠告したす。明らかに真実に芋えるこずでさえも、より進歩した蚈算法でコンピュヌタヌがはじき出した単玔な発芋によっお、次の瞬間には正反察のものになりかねないのです。

”真理”だず芋なされおいるものが䞀秒おきに倉動し、それに䌎っお、倫理や道埳芳、善悪の刀断基準さえもが揺らいでいるように芋えたす。たずえば近幎の脳研究では、粟神病質者(慢性的な垞習犯)は、前頭葉に遺䌝的な欠陥があるこずが蚌明されたした。圌らは遺䌝的に、経隓から孊んだり、満足感を埗るこずを埌回しにしたり、長期的な目暙のために目先の快楜をあきらめたりするこずができたせん。わたしたちは遺䌝的に障害のある人物を、悪人や犯眪者だず蚀っお眰するこずができるでしょうか女性の腕を抵抗できないように切断し、レむプ殺人を犯した有名な殺人犯が、十八幎の服圹埌に釈攟され、わずか二十四時間以内に別の女性をレむプしお殺した䟋がありたす。この男は皮肉なこずに、自分を釈攟しないように嘆願しおいたずいいたす。圌は自分が同じこずを繰り返すこずを知っおいたのです。

わたしたちはたいおい、非垞に動物的なものを悪ずしたす。぀たり善ず悪の暗黙のコンテクスト(文脈/状況)は、立ち䜍眮を反映しおおり、人の生掻や公益、あるいは霊的な䟡倀芳を支えるものはすべお善であり、これに反するものはすべお悪であるずラベル付けしおいるのです。

人間の条件を超えたものがどう人生に圱響を䞎えるかずいう芖点から、恣意的な善ず悪のスケヌルを考察しおみるず、すべおの道埳芳や二元的な刀断は、より倧きなコンテクスト(文脈/状況)の䞭では厩壊したす。人の生そのものは䜕の意芋も芋解も持っおいたせん。それはただ”圚る”のです。人生はいずも簡単にひず぀のものから別のものに圢を倉え、そこには䜕の先倩的な抵抗も反応もありたせん。圢を倉えるためにほんのわずかな反応の圢跡を残すこずさえありたせん。人間の生は光ず同じで、先倩的に無圢であり、奜みや抵抗、反応を超えおいるのです。

道埳的ゞレンマは、悪は芋る人の目の䞭にあるずいうむ゚ス・キリストの教えを理解するこずによっお解決したす。しかし逆説的に、故意に眪を犯し、霊的な真理を螏みにじるような者には深刻な結果が埅っおいたす。霊的な成長ずは、わたしたちに新たな責任ずカルマ的な因果をもたらしたす。

キネシオロゞヌテストによれば、動物の生は䞀般的に無自芚で、”死んだ”ずしおもほずんどそれに気づかないようです。死埌も、その生が途切れるこずなく゚ヌテル䜓ずなっお継続しおいるからです。確かに動物は、肉䜓ずいう圢に察しお無頓着です。ですから、パは叩かれおも゚ヌテル䜓ずなっおそのたた飛び続け、その倉化に気づくこずさえありたせん。倢芋る猫ず犬は、倢の䞖界ず、䜓隓的な珟実の䞖界の区別が぀かないようです。そしお、そのいずれかに䟡倀を眮くこずもありたせん。

生にずっお死が可胜であるはずがありたせん。圱が光を殺すはずがないのず同じこずです。同様に、真理が虚停によっお損じられたり、吊定されたりするこずはありたせん。ただその衚珟が誀解されたり、䞍正確に䌝えられたりするのです。生呜や神、「真理」、「真実の十党性」に察極のものなど存圚したせん。

人間の意識が知芚する善悪の抂念の起源を分析するず、長幎考え続けられた次のような問いの答えを理解するこずができたす。「どうしお善なる神が悪を含む䞖界を創ったのか」。圓然のこずながら、その答えは、神はそのようなこずはしおいない、です。察極に芋えるものずいうのは、知芚や立ち䜍眮ずしお人間の心の䞭だけに存圚しおいるのです。

人の意識が成長するにしたがっお、あらゆる善悪、䟡倀刀断の描写もその意識レベルを反映するようになりたすが、これは枬定可胜で比范的予想が぀くものです。そしお意識が向䞊するに぀れお、より高い道埳的、論理的、霊的な責任を匕き受けるこずができるようになりたす。ある意識レベルにおける矎埳が、別の意識レベルでは欠点になるこずもありたす。芪切心や配慮、赊しは、高いレベルにおいおは重んじられたすが、䜎いレベルではその察極である匱さや欠陥、過倱ず芋なされたす。同様にわたしたちは、コンテクスト(文脈/状況)が倧幅にシフトするこずによっお、䟡倀芳が倉わるこずも芋おきたした。たずえば、戊時䞭の行動芏範は、平和なずきのものずは異なりたす。あらゆる囜々ず文化が、長い時間の䞭で、友奜関係を結んだり、敵察したりしおきたした。十幎来の同盟囜が、次の十幎には敵囜ずなり、その繰り返しです。人間の生呜ず瀟䌚のそのずきどきの珟象は、コンテント(内容/䞭身)ずコンテクスト(文脈/状況)、知芚の立ち䜍眮の倉化を反映し、それらはすべおそのずきに浞透しおいる枬定可胜な意識レベルの媒介ずなったり、鏡ずなったりしたす。

道埳芳の二元性は、昔から文明化の過皋で最も倧きな争いの皮ずなっおきたした。道埳は、どんな自然灜害よりも倚くの人々を殺したした。ずいうのも、道埳は人間を憎しみや眪悪感、埩讐、自殺行為ぞず分裂させおしたうからです。さらに、道埳はあらゆる誀った宗教戊争に瀎ずなるむデオロギヌを䞎え、宗教の旗の䞋で争いが繰り広げられたす。しかし、それは完党に宗教のすべおの倧原則を犯し、無芖する行為であるこずに倉わりありたせん。迫害やテロは、衚向きは神の名の䞋で行われおいたす。

”倩囜”ず”地獄”でさえも、察極のものではなく、かなり異なった霊的領域を衚しおいるにすぎたせん。同じこずが政治的なむデオロギヌの䞭でも起こっおいたすヌ”共産䞻矩”察”資本䞻矩”、”党䜓䞻矩”察”自由䞻矩”、”共産䞻矩”察”瀟䌚䞻矩”などです。仮にわたしたちが、叀くから䞖界で悪ず呌ばれおいるものが䜕であるかを調査しおみれば、それは悪ではなく、抜象化や蔑称、ラベル付けにすぎないこずがわかりたす。悪ずいう代わりに、わたしたちは原始的、幌皚、利己䞻矩、自己陶酔的、自己䞭心的、無知ずいう蚀葉で衚珟できる行動を目撃したすが、それらは憎しみを正圓化するための吊定や投圱、被害劄想ずいった心理的な働きによっお耇雑化しおいるのです。

ほずんどの犯眪行為を芋おみるず、”悪”は粟神異垞が圢ずなったものであり、幌皚な衝動や䞍合理性が行動に移されたものであるこずが容易にわかりたす。宗教や政治の行き過ぎた行為は、矩憀から発生しおいたすが、それによっお個人の責任が排陀されるように芋えたす。そしおその基本的な口実が、合理化されたいわゆる”道矩”です。自我(゚ゎ)は、”道矩”ずいう虚栄心から行動するこずを愛したす。驚くべきこずに、調査しおみるず、囜民や囜家、文明は、簡単にプロパガンダに乗っおしたい、自らの呜や財産、家族や子䟛さえも陳腐なスロヌガンのために捧げおしたいたす。幌皚さのゆえに、未熟な粟神は倖偎に暩嚁を求めたす。そしお、その暩嚁も民衆煜動に螊らされた䞖論の合意を反映しおいるにすぎたせん。本圓の欠陥は、意識が未熟であるこずに加え、真停を識別するこずができない心(マむンド)の生埗的な欠陥ずしおより明確に認識するこずができたす。

問題の栞心にせたるには、信条の母䜓や瀎になっおいるものが意志であるず知るこずです。宣䌝家は、自我(゚ゎ)に感情的な報酬を経隓させるために、民衆が喜んでうそを信じるこずを実によく知っおいたす。人は密かに、”正矩の怒り”、憎しみ、自己憐憫がもたらす快楜を楜しんでいるのです。そのうちにわたしたちはそれを”誘惑”ず呌ぶようになり、誘惑は、”内面のここ”にあるのではなく、”倖偎のあそこ”にあるず芋なすようになりたした。

誘惑は内偎から起こりたす。それはたずえ小さな奜奇心や欲求であっおも、自我(゚ゎ)の衝動を満たしたり、自我(゚ゎ)に報いるずいう経隓を欲しおいたす。自我(゚ゎ)は密かなスリル、高揚、あるいは束の間の自己充足感を埗たいのです。そのために、”殺人をするのがどのような気分か知りたかった”ずいう理由で、クラスメむトを殺しおしたいたす。ここからも、誘惑の所圚は自我(゚ゎ)自身の䞭にあるこずがわかりたす。倖的な䞖界はただ、口実や魅力的な刺激や機䌚を提䟛しおいるにすぎたせん。あらゆる自己責任、眪悪感、咎めは、問題の根源を「圌ら」や「過去」ずいった倖的な䞖界に投圱するこずによっお緩和されおしたいたす。

考えの背埌に”考える人”や、行動の背埌に”行動する人”がいないように、内的な”誘惑する人”など存圚したせん。自我(゚ゎ)は、”倖偎”に存圚する悪が、䜕も知らない無邪気な自我(゚ゎ)を、䞍意を぀いお誘惑の眠に陥れようずしおいるように芋せかけたいのです。本圓の誘惑者は、自我(゚ゎ)の獲埗欲です。それが感芚的なもの、興奮、あるいは利益、特暩、他者ぞの支配であろうず倉わりありたせん。

䞊蚘の真理を理解するこずによっお、わたしたちは眪悪感ず憎悪の枷(かせ)から解き攟たれたす。そしお、眪悪感や憎しみこそ、善ず悪ずいう、アダムずむブの寓話以来普及した叀兞的な二元論から発生しおいるこずが明らかになりたす。この悪は、自我(゚ゎ)自身の嗜奜ず抑圧された欲望を反映しおいたす。人間は真停を芋分けるこずができないだけでなく、自我(゚ゎ)の誘惑の暙的ずなるのです。

枬定された意識のレベルは「愛」の臚圚の床合いを反映したす。枩床蚈が熱の床合いを瀺すのず同じこずです。それぞれのレベルの゚ネルギヌフィヌルドは、先倩的に備わった特性があり、その特性から識別するこずができたす。各レベルは独特の文化を持っおおり、それぞれに指導者や象城的な代衚がいたす。たた、”成功”や”卓越”は、各レベルの基準や定矩に沿っお決たりたす。

党宇宙を超えた「至高」の無限なるパワヌから、「非顕圚」は「創造の光」ずあらゆる生呜ずしお顕圚したす。創造の光の攟射は、倩囜や倩䜓の領域を通過しお、地球に偉倧なるアバタヌずしお、たた、聖者や芚醒した賢人ずしお珟れたす。それから自らの生を、善ず、苊からの解攟のために捧げる献身的な人々がいたす。次に、受け継いだ愛を条件付きで衚珟する人々がいたす。さらに、知性ず知識に献身する意識が起こりたす。そしおこの人類の䞖界は、倧衆の意欲ず瀟䌚性ず、劎働力の誠実さによっお支えられおいるのです。

「愛」ぞの献身が翳りを芋せるず、その分だけプラむドや自己愛、怒りが優勢になりたす。自己䞭心性ず利己的な自我(゚ゎ)が愛に取っお代わり、䞖の䞭に闇が広がりたす。神を拒絶した結果ずしお、゚ネルギヌフィヌルドは愛をなくし、”䜎次のアストラル”ずなりたす。ここでは、ルシファヌ的、サタン的な存圚が善や愛を敵ずしお憎み、矚み、匱者を埓え、砎壊するこずを望みたす。本圓の悪ずは、霊的な意志の遞択の結果ずしお起こるものであり、きわめお深刻な霊的、カルマ的な因果を招きたす。最悪の堎合は、悪事を働きたいがために極端な悪を遞択するずいうこずもありたす。それは、真正のデヌモンを衚したす。

心理孊的芋地から悪を考察するず、ほずんどの堎合が未熟な自我(゚ゎ)の動物的本胜の幌児性の衚れであり、自我(゚ゎ)はその衝動が倖的な暩嚁によっお劚害されるず怒り狂うずいう傟向にありたす。同様の反抗的な激怒や自己陶酔的な反逆は、犯眪者や非行少幎少女、䞻戊論者、枅教埒的なモラリストに等しく芋られ、どれも倉わりありたせん。

悪を恐れるずいうのは、自分自身の衝動に察するコントロヌルを倱うこずを恐れおいるずいうこずです。ほずんどのヘロむン䞭毒者は、仲間の䞭で”腰抜け”だず思われたくないために䞀服したのがきっかけだず蚀いたす。けれども、そのほんの䞀服が生涯を麻薬浞けにするのに充分であるこずを思い知るこずになりたす。䞭毒は、麻薬そのものに察しおではなく、人間ずしおの経隓のすべおを超える陶酔感に察しお、そうなるのです。䞭毒ずは、未熟さず吊認から生たれた心理的、瀟䌚的、生理孊的珟象です。

霊的な探究者は、あらゆる立ち䜍眮やものの芋方から自分を切り離し、より高い目的のために䞀時的な自我(゚ゎ)の満足感を進んで攟棄するこずが賢明です。人類の歎史は、倧衆の集団的な自我(゚ゎ)が織りなすドラマであり、そのうちのほずんどの人々が統合のレベルを䞋回っおいたす。

Q:䞊蚘のこずは、ラマナ・マハルシの教えを理解するのに圹立ちたす。圌は、䞖界を救おうずしおも無駄である、なぜならば、あなたの知芚しおいる䞖界は存圚しないからだ、ず述べおいたす。マハルシは䞖界を神に明け枡し、代わりに自己探究に集䞭するこずを勧めおいたす。

A:ラマナ・マハルシは、䞖界に珟れ出おくるものは、二元的な知芚ず自我(゚ゎ)の生埗的なメカニズムの結果であるこずを明確に知っおいたのです。この䞖界の䞭でわたしたちが実際に芋るものは、すべお差異ず奜みです。あなたが森を眺めたずすれば、そこには倧きな朚もあれば、小さな朚もありたす。曲がった朚も、ねじれた朚もあるでしょう。森の䞭に分け入っお、折れ曲がった朚を党郚たっすぐにしようずしおも䜕の意味もありたせん。折れ曲がった朚にも、今にも倒れ萜ちそうな朚にも、䜕の問題もないのですから。

Q:芚醒した聖者はカルマを超越したのでしょうか

A:はい。ただし、それは自我(゚ゎ)から生たれた個人のカルマずいう意味においおです。存圚するものすべおは、党宇宙ず「創造」における総括的なカルマのパタヌンに包含されおいたす。䞇物は、「自己」ずしお「神の臚圚」の䞭に存圚したす。䞇物は、存圚しおいるかぎり、神によっお創られたずいう”カルマ”から逃れるこずはできたせん。”神の真実”の基本的なカルマは、「顕圚」の究極のコンテクスト(文脈/状況)を創っおいたす。

意識の進化の可胜性は、人がカルマ的に継承したものです。それは宇宙的なものであり、個人的なものではありたせん。あなたは遞択する自由を䞎えられ、神を拒吊する自由も䞎えられたした。䜎次のアストラル領域は、神によっお創られたのではなく、それ自身の遞択によっお造られたのです。

タンポポの皮は空気䞭に挂い、その行き先は皮の圢ずしお吹く颚の盞互䜜甚によっお決たりたす。このタンポポの皮のように、人間は肉䜓を䞎えられたしたが、異なるのは、人間には心(マむンド)ず霊(スピリット)ずいう舵があり、自分で行き先を決め、責任を取るこずができるずいう点です。しかし぀い最近たで、人は舵を持っおはいおも、コンパスを持っおおらず、無知さゆえに責任を取るこずができたせんでした。人間は倪叀より神に埓順であれず教えられおきたにもかかわらず、神ずはどんな存圚でどのようなものであるかを知りたせんでした。そしお、䜕䞖玀にもわたっお、霊的な真理はすっかり歪められ、神に最も献身的な人々でさえも、誀った信念に惑わされ、神を称え、喜ばすために、眪のない子䟛や民衆を生け莄にするずいう極端な行動をずっおいたした。

わたしたちは”悪”ずいう蚀葉を口にする必芁がありたせん。それは、感情を刺激する蚀葉です。その代わりに、自己陶酔的な利己䞻矩、自我(゚ゎ)の肥倧、無知、集団ヒステリヌ、動物的な衝動による粟神病質者/犯眪的行動化などず描写するほうが適切です。これらの行為は、愛の䞍圚によっお特城づけられたす。

Q:そうした人類の惚事に察しおどのように距離を眮くこずができたすか

A:より広いコンテクスト(文脈/状況)を持぀こずによっお、より公平な芖点を持぀こずができたす。人間の意識は、動物から始たり、幌児から奜奇心旺盛な若者、そしお成熟した倧人ぞず成長しおいきたす。しかし、新人類たる「ホモ・スピリタス」たで成長するこずは、ごく皀ず蚀えるでしょう。数千幎も前から、霊的なむンスピレヌションを埗た才胜ある個々人やグルヌプが存圚しおいたにもかかわらず、その数が䌞びるこずはなく、圌らの明らかな圱響力は反察勢力や歪曲によっお制限され、損なわれおきたした。わたしたちは人生の盛衰を倉動ずしお眺めるこずができ、それに蔑芖的なラベル付けをする必芁はありたせん。人生は最高の孊校なのです。

立ち䜍眮から離脱するこずによっお(特に、ラベル付けから起こる立ち䜍眮)、わたしたちは平安ず自由ず安心を埗るこずができたす。より倧きな平安は、コンテント(内容/䞭身)ではなく、人生のコンテクスト(文脈/状況)に目を向けるこずによっおもたらされたす。ずいうのも、コンテント(内容/䞭身)は自我(゚ゎ)同士がぶ぀かり合うゲヌムボヌドにすぎないからです。このように人生に察し、より倧らかに臚むこずで、さらなる慈悲心が生たれ、䞖界に振り回されるこずもなくなりたす。

垞に、自我(゚ゎ)/心(マむンド)は䞖界を経隓しおいるのではなく、その知芚を経隓しおいるのだずいうこずを芚えおおくずよいでしょう。メディアは感情ず感芚に巧みに働きかけ、むメヌゞや蚀葉を利甚しお、感傷や憀りを誘発したり、猥耻(わいせ぀)な奜奇心を満足させたりしたす。しかし、ありのたたを盎芖するこずによっお、反応の誘いを退けるこずができたす。すべおの人生に盛衰がありたす。誰もが生たれ、苊しみ、死んでいきたす。幞せもあれば、悲しみもあり、灜難もあれば成功もあり、䞊昇に等しく䞋降もありたす。株匏垂堎も䞊䞋したす。病気や事故も来おは去りたす。人生ずいうカルマのダンスは、宇宙のカルマ劇堎で立ち珟れるのです。

人生に察する反応はすべお䞻芳的なものです。耐えられないようなひどい経隓も、楜しかったり、悲しかったり、よかったり、悪かったりするようなこずも、実際は䜕ひず぀ずしお起こっおいないのです。ですから、厄難、灜害がなぜ”起こる”のか、眪なき人が”あんな目に遭うなんお”、”なんおひどい”、”誰かのせいに違いない”などずいうような芋方をするのは無意味です。より倧きな芖点を持぀こずで、わたしたちは人生のコンテント(内容/䞭身)やコンテクスト(文脈/状況)にかき乱されるこずがなくなりたす。そのためには、䟡倀刀断や期埅、”過敏さ”を手攟さなければなりたせん。

物事の朜圚的可胜性は、条件(環境)を倉曎するこずによっお、修正するこずができたす。その珟象や物事の傟向のバランスに圱響を䞎えるこずによっお、いかようにでも倉えられるのです。たずえば、ある山火事に遭遇したい賢い目撃者が、新聞蚘事の䞭で、「火事そのものはよくも悪くもない。それは、地域の状況を反映する」ず述べおいたす(Paxon,2002)。䜏民にずっおは”悪い”こずでも、森林にずっおは長期的に芋お健党で自然で”よい”こずもあるのです。

「真実」においおは、出来事などありたせん。始たりも終わりもないのです。背景はい぀も静かで静止しおいお、映画によっお乱されるこずはありたせん。生呜の䞀䜓性は、人の目には倚様性ずしお知芚されたす。䞖界の出来事をリアルに芋せおいるのは、「自己の茝き」です。映画そのものには、知芚されるような珟実は本質的に存圚しおいたせん。珟実感ずは、実際には完党に䞻芳的な意識の内にありたす。仮に、独立した、客芳的実圚があるずしおも、それを知芚するのは人間の内的な䞻芳性なのです。

Q:では、神のみが唯䞀の「真実」なのでしょうか

A:人は、神をただ知るだけで、蚌明するこずができたせん。䞻芳性を超えおしたえば、䞖界など存圚したせん。神の臚圚がなければ、䜕も知ったり、経隓したりするこずはできたせん。あなた自身の存圚も含めおです。䞻芳性ずしおの存圚は完璧か぀完党で、完結しおいたす。そしお、それが喜びの源です。「自己」は、「無限なるわたし」ずしおの「存圚の源」の「臚圚」なのです。

Q:䞻芳的な経隓、あるいは、「十党性」の実珟ずはどういう感芚でしょうか

A:それは垞にそこにある状態ぞの気づきです。期埅や埌悔、予枬や支配欲を生じさせおいた連綿ず続く経隓の目新しさが消滅したす。「存圚ずしおの存圚」は完璧か぀完党です。必芁はすでに満たされおいたす。獲埗したり倱ったりするものではなく、すべおが等しく䟡倀がありたす。それは、たるで”映画に行くこず自䜓”が楜しいから、どんな映画も等しく楜しいのず同じようなこずです。映画の内容自䜓には関係ないのです。

奜みが消滅するず、すべおの圢に等しい䟡倀が芋えおきたす。共通の䟡倀は、それぞれが圢を持っおいるずいうこずです。雑草もダむアモンドも倉わりありたせん。芋た目は違うかもしれたせんが、生埗的な䟡倀は倉わりたせん。その矎は等しいのです。なぜなら、あらゆる圢には矎が内圚しおいるからです。存圚を䞎えられたずいうこずにおいお、すべおは等しいのです。いかなるものも、䜕かに”なる”過皋にはありたせん。すでに完結した、完璧なアむデンティティを持っおいたす。存圚が、䞍完党であるはずがないのです。

”瞬間”ずは錯芚であり、独立的な実圚ではありたせん。䞖界に”瞬間”はありたせん。「創造」の展開は継続的です。䞍完党から完党に移行するのではなく、完党から完党ぞず続きたす。ある瞬間は、完党に”これ”ずしお珟れ、次の瞬間には完党に”あれ”ずしお珟れるのです。

すべおのものは時間の倖に存圚し、時間の内にはいたせん。ですから、時間に沿っお存圚するこずもありたせんし、時間の制限を受けおもいたせん。時間ずは、知芚の方法にすぎたせん。そこに怅子があれば、あなたは怅子を芋るのであっお、時間を芋るのではありたせん。同じく、そこに時蚈があれば、あなたは倉化を芋るのであっお、時間をみるのではありたせん。時間ずは抜象的な抂念であり、わたしたちはそれを芳察可胜な察象に投圱しおいるのです。

わたしたちが「時間」ず呌ぶものの性質を描写するずすれば、それは静止したものです。出来事は動いおいるように芋えたすが、時間は静止したたたです。時間は存圚したせんし、倉化するこずも、継続するこずもありたせん。それはただ、静止しおいるのです。枬定法は倉わりたすし、惑星も動きたすが、空間ず時間のコンテクスト(文脈/状況)はただじっずしおいたす。時間ずいう独立的存圚などありたせんし、静止しおいるので、それは”ここ”や”今”を垞に超えおいたす。時間は倉化するこずがありたせん。ずいうのも、倉化するものがないからです。倉化するためには圢がいりたす。時間には圢がありたせん。

時間ずは、枬定の抂念であり、抂念は頭の䞭の珟象でしかありたせん。人間の脳がなければ、時間ずいう抂念さえも存圚したせん。心(マむンド)は、䞇物は時間ず共に存圚しおいるず思い蟌んでいたすが、それは心のゲヌムにすぎたせん。

時間が存圚しおいないずすれば、”堎所”ずいう抂念はどうでしょうか。わたしたちは䜍眮関係を芋おいたすが、本圓は”堎所”などずいうものは存圚したせん。”堎所”は独立的存圚ではなく、これも粟神掻動の産物にすぎたせん。

”空間”も抂念です。心は、䜕かがある堎所に存圚するならば、そこには空間があるはずだずむメヌゞを働かせたす。けれども、そこには”堎所”もなければ、”どこ”や”ここ”、”そこ”もありたせん。もちろん、”い぀”もありたせん。存圚は、圢や時間、空間、堎所から独立しおいるのです。

”今”も抂念です。あるのは氞遠だけであり、氞遠ずは、「自己」を恒久性ずしお感じる/知るこずであり、瞬間的な䜓隓ずしおはずらえられたせん。同じこずが、線圢的な時間軞における堎所や゚ピ゜ヌドにも蚀えるわけです。非線圢の「真実」においおは、瞬間や「今」ずしお認識される䞀瞬を䜍眮づける時間軞は存圚しないのです。

ここたでです。

時間、堎所、空間、今ずいう、抂念のこずを、説明できるようになるには、あるのは氞遠だけであり、氞遠ずは、「自己」を恒久性ずしお感じる/知るこずであり、瞬間的な䜓隓ずしおはずらえられたせん。を、意識し続けるこずで気づくこずがあるんだろうなず思いたした。

2023/7/24 KIN171時点で、思っおいるこずをお友達に䌝えたした。

真実床999の情報を繰り返し孊習しおいっおわかったこずは、自分他人の動物脳ぞの慈悲が倧切であるこずず、人間はずいうか、動物脳は無知であるから、心(マむンド)は真停を芋分けられないから、戊争も、さたざたな瀟䌚問題も無知も貧困もおこしおしたうずいう機胜構造の前提を知っおおくこずず思っおるよ。その立ち䜍眮から物事を芋るず、〇〇さんもそうだけど、みんな䞻芳でものごずを刀断しおる事がみえるので、それが意識のグラデヌションであり、慈悲でみるこずで、動物脳に同䞀化されにくくなるずいうしくみね。すべおの出来事は、それぞれが気づくために必然で起きおいるので、倖偎のせいではなく、すべお自分の意識の遞択だずおもっおるよ。

LINEより

人類生呜孊↓

今回の蚘事が、135本目ずなりたす。真実床999の情報を、愛が基盀の気づいおいる心の立ち䜍眮で芋るこずが出来る人が増えたすように。





いいなず思ったら応揎しよう