メインコンテンツへスキップ
見出し画像

他人の言動にイラっとしちゃう自分に罪悪感。このパターンから脱するためにある試みをしてみます♡

    こんにちは、ひさねなです。

    昨日カフェでコーヒーを飲んでいたときに、ソファ席に並んで座るカップルの女性が、靴を脱いでソファに足を乗せていましてね。それを見た瞬間、「お行儀が悪いなぁ」ってイヤな気持ちになっちゃったんです。

    これに限らず、外出してるときに、他人の言動に対して「うわ…(嫌悪感)」って思っちゃうことが時々あるんです。

    そして、それって他人を裁いてるわけなので、そんな自分にも嫌悪感が湧くんですよね。「いちいちジャッジしてイライラするなんて、自分、器が小さいなぁ」って。

    可能な限り、その瞬間に「あ、いま相手にも自分にも嫌悪感が湧いてるな」って気づくようにはしています。嫌悪感が湧いたら、「嫌悪感が湧いたな」と気づいて、嫌悪感が湧いた自分をジャッジはしない。

    気づいて、ジャッジせず、湧いた感情をただ味わう。

    でも昨日は「気づいても気づいても同じようなことが起きるよなぁ」って思ってね。で、「気づく→味わう」以外に何かできることはないかな?ってちょっと考えてみました。

    基本的には気づいて感情を味わえば過ぎ去っていくものなのですが、何度も繰り返してパターン化しているようなことは、少し掘り下げて取り組んでみるのも一つの手だと思ってね。

    で、ここで思い出したのが「慈悲の瞑想」でした。

    数年前に何冊も読みこんでいたアルボムッレ・スマナサーラ長老の本で知ったもので、詳しくはこちらのサイトをご参照いただきたいのだけれど↓

    この慈悲の瞑想の中で、一番好きな文言、

    「生きとし生けるものが幸せでありますように」

    これを、「気づく→味わう」の次のステップとして、心の中で唱えてみようと思ったんです。

    そう思ったのが昨日で、まだ同じシチュエーションでの実践はできていないのだけれど(笑)、「やってみるよ!」という宣言を兼ねて、今回記事でご紹介してみました。

    後日、報告記事が書けたらいいなぁ。

    ちなみに、イライラするような出来事が起きていないときでも、この文言を唱えるのは心が鎮まる効果があると思っています。

    今回せっかく思い出した慈悲の瞑想。これもご縁だと思うので、生活の中に組み込んでみようかな。

    ◇

    スキやコメント、フォローで
    リアクションや応援していただけると
    とてもうれしいです。

    また遊びにきてくださいね。


    ▼【連載】私がnoteに辿りつくまでの道のり(初回全文無料で読めます)

    ▼【読むだけで整うマガジン】始めました


    ◆◇より深い体験を求めるあなたに◇◆
    Kindle本を出版しています。
    あなたの静かな時間のおともに、ぜひどうぞ。

    静けさをめぐる短編集『音のない午後』(Kindle Unlimited対応)
    ▶Amazonで読む




     
     
    書いて手放す人|noteは素に戻るための場所|日々の気づきで本当の「わたし」へ|非二元的な視点で考える|素で生きてる人の言葉が好き|ゆるやかな共同運営マガジンやって〼

    あなたへのおすすめ