
「在り方が整う」≠「在り方を整える」。キャッチフレーズに込めたもの
こんにちは、ひさねなです。
クリエイターページのトップ画像に「読むだけで在り方が整う」というフレーズを入れています。

noteを始めてひと月くらい経ったときにこのデザインにしたんだったかな。
細かい時期は忘れてしまいましたが、このフレーズにはささやかなこだわりがあってね。
あえて、「在り方を整える」ではなく、「在り方が整う」にしたんです。
◇
「在り方を整える」だと、「私が」という主語が隠れてるニュアンスを感じられませんか?
一方、「在り方が整う」の場合は、「私が」とか「私は」という主語が隠れてるニュアンスはないと思います。
この違いを大事にしたかったんです。
◇
noteのキャッチフレーズに限らずどんなものでも、「私が」という主語がある行動には、労力が必要な感じがするんですよね。
「私が」生み出す
「私が」整える
「私が」決める・・・
でも、「私が」っていう主語がない場合、その力みがない。
生まれる
整う
決まる・・・
「然るべきタイミングでその事象が起きた」という自然さ、軽やかさがある感じ、というかね。
その自然さを大切にしたくて、「在り方を整える」ではなく「在り方が整う」というフレーズを掲げているのです。
◇
でも、頭の中でおしゃべりが盛んなときは、「私が」っていう意識がすごく強いんですよね。
(私が)〇〇を決めなきゃ
(私が)〇〇をやらなきゃ・・・
って感じで、「私が」っていう主語がカッコの中に隠れてる。
だから、「自分が」という意識が強くて、力みがあって、「自然に起こる軽やかさ」がないんです。
◇
気づきのある在り方で生きることを知るまで、私はこの「頭の中でおしゃべりが盛ん」な状態を普通の状態として生きてきました。なので、気を抜くとすぐにこのモードに戻ってしまいます。
何をするにも「私がやってる」「私がやらなきゃ」という「私が私が!」モードになってしまい、目の前に起きることに信頼できず、自力で道を切り開いているような感じ。
「自分がやってる」というのは、やりがいもあると言えるけれど、いつも不安と疲労でヘトヘトな感じがあるんですよね。
◇
やっぱり私は、「在り方を整える」じゃなくて「在り方が整う」のモードでいるのをベースにしたいなぁ。
自分で切り開くのも楽しいから、「在り方を整える」モードを全否定するつもりではないんだけれど。
「整う」モードをベースとしつつ、「整える」モードの自分になっている時も、そこに気づきがある。そんな感じで、今日も目の前の出来事と出会っていきたいと思うのです。
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