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詠うことと飛ぶことを学ぶ

    ◆ はじめに
    このエッセイは今までの自由律俳句と新しい句(太字で表記)を、それにまつわる記憶と共に編み直したものです。
    病と共に生きる、私の言葉を巡る長旅となります。
    よろしければお付き合いください。



    1. 病が訪れた

    面接でもし簡単な経歴を聞かれたら、私はまずこう答えるだろう。
    「大学を卒業後、病院に薬剤師として勤めました。」と。

    医療従事者として、そして社会人として、手探りながらもその時やれる精一杯をやってきたつもりだった。しかしながら、いい仕事をしてきたとは口が裂けても言えない。

    ただただ働いて、数年が過ぎてどうなったかというと、私は適応障害と診断された。

    どこで、どこから間違えてしまったんだろう?
    もしかして、ずっと間違えたまま生きてきたんだろうか?
    仕事だけでなく、生き方、人生を含めて。

    適応障害と診断された頃には、仕事は船旅で湿気を吸った荷物のように、耐え難い重さになっていた。

    立派な職業じゃないですか。手堅い仕事だから。
    薬揃えてりゃいいんじゃないの。薬剤師がいないから薬を間違えた。
    良くも悪くも他者から向けられる言葉に、胃のあたりが重くなった。

    どんな仕事でもそうであるように、ただ資格があるだけで仕事ができるようになるわけではない。知識、技術、経験、関係性。それらに関わる時間の蓄積。肩書きで食えるように見えて、仕事の中身はいつも他者から問われているものだ。

    そして私は、まともに仕事ができる気がもうしなかった。
    仕事だけでなく、人間関係も円滑にできない自分を、昔より輪をかけて恥ずかしく思うようになった。

    臨床現場から逃げ出したいのに逃げ出せず、わずかな友人以外とは分かち合えないまま転職を焦った。
    焦って現場に戻ったのち、去年の暮れ、朝いつものように仕事へ行く準備を始めたが、とうとう玄関から先へ出られなくなった。

    どうしようもなかった。
    4ヶ月半の休職に突入した。

    現在は紆余曲折あってパートとして再就職している。
    語りづらい紆余曲折を、私は自由律俳句に託す。

    手を動かしていて、偶然それらは生まれた。まるで心の断片を写真のように切り取ってくれた気がして、長い文章の途中に入れ込んだ。

    今まで仕事の詳細や経緯を書くことを、私は意識的に避けてきた。
    個人を特定されそうで怖かったのと、痛みが強くて書けなかったからだ。
    それでもこの文章を書いたのは、ビートルズの「Blackbird」がラジオからたまたま流れてきたから。

    きっかけなんていつも、よくわからないところから始まるものだ。
    この曲が好きだったことをすっかり忘れていた。
    ようやく私の中に、好きなものが少しずつ帰ってきているように感じた。
    ならば、痛みだけに内面の広大な場所を占めさせるのではなく、書くことで少しでも土地を整え、治水を試みたかった。
    できるかどうかは別として、書けるだけ書こうと思えた。

    自分の輪郭さえぼんやりとする真夜中でも、詠うことと飛ぶことを学ぶ。
    たとえ翼はなくとも。


    2. 働いてきた記憶

    新人として就職したあと、半年も過ぎると仕事の日は毎朝憂鬱になった。
    体裁を整えているつもりだったが、新しい服が次第に擦り切れ、替えたいのに替えられないぼろ切れを纏っている感覚だった。

    ボタンは千切れほつれは中途半端なままつぎはぎだらけの朝が来る

    やっとの思いで仕事に行って、帰ってきたら食べて寝る生活。

    もちろん友人達と遊んだりはしていたけれど、しばらくの間どうやって日常を過ごしていたのか、うまく思い出せない。慣れない仕事に加えて人間関係でいくつも問題が生じ、私の内面は疲弊していった。

    院内製剤でガスバーナーを使用することがあった。炎を調整するように、溜め込んだ疲労も怒りも悲しみも、調整できたら良かったのだが。

    ガスバーナーで青白い怒りへと調整す

    そして礫のような言葉に、ひっそりと家で悪態をついた。

    よく知らないくせに安全な場所から石を投げてもいいのかよ

    正面切って相手に礫を投げ返すことはできなかった。
    横面を張られるような出来事が不意に起こるたび、痛みだけが残った。

    心の中で打たれた頬はまだ痛みけり労働のあと

    自分にとって仕事は、つらかった記憶の方が多くなってしまった。もちろんいい記憶もある。頑張れた、と思えた記憶も。でも、それらも次第に掠れて、うまく読めない文字のようになった。

    当時はまだ、自分をすり減らしてでも働くことができた。ふらつきながらもどこか希望を失ってはいなかったし、自分を慰めるために美味しいものを買ったりした。

    コンビニのシュークリームで救われし明日

    途中で自炊を諦めた。遅い時間だと何もする気が起きなかったからだ。
    働き始めてから、随分とコンビニに助けられた。


    3. 嵐の中にいる

    仕事を辞めると決めた時、まだ自分にも可能性が残っているのではと、臨床業務以外の職にも応募した。結果は振るわなかった。
    たとえば面接で「薬剤師として良かったことはなんですか」と問われた時に「特には…」と答えに詰まるくらいにはやつれていた。流石にそれは向こうも落とすだろ、闇の薬剤師だなあ、と自嘲し、お断りメールを見るたびに自分自身が否定されたようで気が滅入った。

    様々な業務と転職活動を同時並行で行う期間が3ヶ月ほど続いただろうか。
    どうにか年休が取れると決まった時にはもう、私は転職活動を続けるのはしばらく無理だ、と思うようになった。引き継ぎや手続きで完全に参っていたからだ。

    休みの間には出かけたりもしたが、ひどい風邪を引いたのと、今までの疲労がここぞとばかりに猛威をふるい、月の半分以上をベッドで寝て過ごした。
    この時点で立ち止まって考えていたら、現状がもっとましになっていたのかもしれないが、完全にあとの祭りだ。

    その後、ハローワークに行き、やむなく引っ越しをした。ろくに働けないのに税金はしっかり取られ、生活は驚くほどままならなかった。

    夏を過ぎたあたりから、自分がよりひどい状態になっていると感じた。
    横になると過去を思い出して嗚咽していたし、眠れず食べられなくなった。
    内面に雲が垂れ込んで、驟雨に遭う確率が異様に上がったようだった。

    不意に雨が止んでも、ぽつんと一人荒野に立っている。
    周りに誰の気配もないような気がした。
    あるのは自分の痛みだけだった。

    死のうと思っているのに私以外は誰もいない夕暮れ

    追い詰める声も自分だったが、かろうじて残る理性の声も自分だったような気がする。

    飛び降りるなよ!踊り場から怒りは見上げゆっくり階段を降りろと言う

    必死に自分を保とうとしたが、雨雲は何度も雷鳴を轟かせ、稲光を走らせながら湧き上がった。

    雨傘から流れ落ちリュック濡らす気づくと肩口にも染み夕立の中

    転がり落ち手からすり抜ける良かったこと記憶が黒ずんで田畑を焼く

    思い返せば去年は、ずっと嵐の只中にいるようだった。今まで耕し、手を入れてきた自分の田畑がすべて薙ぎ倒され、大地は荒れて剥き出しになった。
    嵐の真ん中で身を伏せながら、私はただ天候を窺うだけになっていた。

    本当はすべてから逃げ出したかった。
    映画『ショーシャンクの空に』の有名な雨のシーンみたいに、自分を解き放つことができたらどれだけ良かったろう。半ば諦めながら、雨が良いものへ、苦痛を洗い流すものへと変わるよう、祈った。

    喜雨慈雨震えるあの時天を見た折り重なる地層のうえ剥き出しとなり

    曖昧に秋は過ぎ、季節は冬になっていた。
    友人や専門家に相談した結果、私は休職することになった。


    4. 食べる

    休職を決めても手続きなどがあったため、休むことに専念し始めたのはしばらく経ってからだった。

    とりあえず、食べないことには始まらなかった。

    食べても入っていかず空洞多き身体それでもスープでふやかす

    過緊張が少し緩んでわずかずつ食べられるようになると、食べ物は偉大だなあ、とぼんやり思えるくらいにはなった。

    しょうがねえよこの世界とろろ蕎麦しか優しくねえんだ

    アミノ酸スコア100こんなに適応力も高くて卵

    何年ぶりかもわからないほど、久しぶりに自炊をした。
    3ヶ月ほど経った頃には、自炊の頻度も上がってきていた。そして大学時代に、友人のために料理を作ったことを急に思い出した。ある時カボチャの鶏肉そぼろあんかけを料理しようとして、包丁で手を切ったのだ。

    南瓜で流血すまん今度からチンするわ

    「お前黙ってると思ったら、手なんか切って何してんだよ〜」と友人は言い、半ば笑いつつ心配してくれた。びっくりさせた上に心配をかけ、あんかけは片栗粉の量を間違えてもっちゃもちゃと固くなったのに、友人は食べてくれた。

    そんな記憶が戻ってきた頃、外を歩くと新緑が芽吹いていた。
    大学時代の別の友人には子供が生まれるという。近所の葬儀場では葬式が行われ、その脇を通りながら私はスーパーの荷物を運んでいた。

    人が死ぬ日に生まれる人もいるのだ新緑の候


    5. 歩く

    社会復帰を焦っていた気持ちはあったけれど、やがて休職の区切りが見えてきた。休職を終え、パートとして転職した。フルタイムでは復帰できないとの判断だった。
    気弱な心の片隅で、早まったかなあ、なんてぼやきながらも、季節は確実に過ぎていった。

    久しぶりの社会復帰で、私は想像以上にくたくたになった。
    けれども休みの日はたまに、用事のついでに町を歩いた。

    窓枠のうつくしさに見惚れる今日は月曜日

    カフェに入って珈琲とサンドイッチを頼み、勤めびとが行き交う町で、かすかな後ろめたさを抱えながら、私はただ息をしていた。

    珈琲の水面に映るまぬけづらもういいんだよ休もう

    以前は働いて金をもらいつつも、成長できたらいいなと考えていた。真面目だった。

    病してなお憧れる回遊魚おれは淡水魚水草を食む

    向いていないと感じることをし続けるのはしんどい。それでも続けてきたのは、何か信念のような確固たるものがあったからではない。
    大層なものはなかったけれど、どこかでずっと、誰かの役に立ちたいとは思っていた。

    そんな記憶も今はどこか道端に置いて、とりあえずただ歩こうとした。
    日差しが強いある日、木陰で一息ついた。

    おまえが悪いを断ち切りたくてただ公園を散歩する

    空の色相雲の自由度眩しく木陰で見上げてる

    これまた久しぶりに、かつて何度か行っていた本屋に行けた日があった。
    その本屋の佇まいや雰囲気が好きだったが、ずっと足が遠のいていた。
    そこで何冊か本を買った。

    この津村記久子でしばらくは生きられる新緑が濃い緑になる頃


    6. 休み休み戻る

    仕事に復帰したものの、心身はなかなか落ち着かなかった。物事の初めに負荷がかかるのは、仕方のないことではある。しかし、疲れ果てた日は気持ちも落ちるようだった。

    そう、初めからうまくいったりはしない。
    慣れない仕事にミスをして、職場で行き違いが生じたりもした。

    言い訳ですよねの言葉に追い詰められし現場のTo err is human

    本当は職場で泣いたりしたくはなかったが、目には涙が勝手に滲んだ。
    自分で跳ね返す力はまだ不足していた。

    負荷が積み重なれば動けなくなる日もある。
    前と違うのは、もう休むと決められたことだった。
    それでも怖いものは怖い。

    途中まで準備してやはり起き上がれぬ休みの電話のやるせなさ

    怖いけれど、自分を手酷く責めたりはしなかった。
    責めても動けない。単純なことだった。
    単純なことに辿り着くまで何年もかかってしまったな、とは思う。
    希死念慮というやつは簡単に無くなりはしないけれど、自責感情は前より弱まっていた。

    素直にベッドに横になった。動けないのだから仕方がない。子供の頃よくしていたように、ベッドの脇の窓を少し開けた。

    わずかに開けた窓に風訪れカーテンが動く様見つめそれだけで遠くに行けた

    空は淡い水色で、小さい雲が上空の早い風に流されていった。空を眺めていると飛蚊症になっている自分に気づいた。立派に中年だなあ、とカーテンをゆらゆらさせたまま、私は眠ろうとした。

    深い午睡本当は臆病で目覚めた時の夕暮れが遠い

    去年から眠りが浅くなってしまっていたが、今年に入ってから時折深く眠れる日が出てきた。
    目が覚めると夕方で、日が落ちようとしていた。
    眠っても目が乾く。

    目薬さしても乾く眼球いつかきっと雨の中の涙の如く流れる

    目薬をさしながら、10代の頃に観た映画『ブレードランナー』のロイのセリフを思い出していた。「俺はお前ら人間には信じられぬようなものを見てきた」から始まる有名なセリフだが、自分はもう人間ではないような気がするから、このセリフをいつも胸に備えておくと良いかもしれない、と冗談のように思った。
    そういうことを考えられるのは、多分回復の兆しだ。
    本来、私はふざけて一人遊びに興ずる自分が好きだった。
    病はそれすらも見えづらくさせていたのだな、と今ならわかる。
    だから、苦しみを時々出し抜いて、こういうばかなことを考えるのは悪くない気分だった。

    誰が許さなくても私が許す牛歩でかまわん道草しようぜ


    7. 生き直していく

    今も生きている。
    生きて、ぼちぼちと働き、時折書いている。

    書くだけでなく、絵もごくたまに描いたりする。
    拙いながらも、暗闇を飛び続けるアマツバメを描いた。ヨーロッパアマツバメは、驚異的な長期間飛行が可能な鳥らしい。
    ちなみに「Blackbird」のモデルは、クロウタドリと言われていて、美しい声で囀るんだとか。

    週に何回か働きながら、仕事の合間に外の景色をふと眺める時もある。
    そして、以前を思い出すこともある。今だって別に順風満帆ではないけれど、一番ひどい時よりは落ち着きつつある。

    病は繰り返し歌う、でもわかってる少し休んでまた歩けばいい

    痛みは残っても、距離を置いて眺めようと試行錯誤する。
    次第に距離感がわかるようになり、振り返ってみると、私はいつも後から気づく。

    嫌われたくはなかったな職場の窓から見つめる街路樹の花萌葱

    あの頃あなたの光の強さでできた影、今ならわかる見えないものもあるということ

    私は何事も経験しないとわからない。
    頼りない、弱々しい、不完全な生き物だ。
    でも。
    でも、と口ごもりながら詠う。

    弱々しく明滅する神経回路喪われてもいつの日か迂回路で巡り会う

    喪われても、元通りにならなくても、別の形で回復する。そう信じている。

    おさまるところにおさまれ言葉知らなかった詠うのがこんなに楽しいなんて

    真夜中に自由へと飛び立つ鳥を、地上の泥の中に足を取られたまま、見上げるだけの存在でもいい。私の言葉が孵化せず、翼がなくとも構わない。
    たとえ詠い飛ぼうとすることが無様だとしても、夜の空気の芳しさは私に残る。

    病は悪いことばかりで私を埋め尽くそうとしてきた。
    嵐が弱まるのを感じながら、今ようやく詠える。
    これは祈りだ。

    忘却の彼方どんなに苦痛に食いちぎられても良かったことはずっと消えない

    私のささやかな、切実な、心からの祈りだ。
    それがどうかあなたにも届くことを祈る。

    痛みを抱えているあなたに。

    喪うことを怖れるあなたに。

    今ここで息をしているあなたに。



    #創作大賞2026 #エッセイ部門

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    昼寝のあと遅れて思い出したかのように、映画・美術・音楽・自由律俳句などのエッセイを書いてます。巷の話題を追わず、過去と現在を行き来する雑多なnote。良き作品の媒介者となれることを祈りつつ、好きなものを語っとります。みなさんの好きなものも知りたいです。お茶でも飲みながらどうぞ。

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