
掌編小説「天井桟敷な男と女」
天井桟敷な男と女
広島友好
H(エイチ)が東京にいた頃、影絵の人形劇団の女性と映画を見たことがあった。Hが二十歳前で、その女性は二十五、六歳だった。
彼女は離婚をしたらしく、出会った頃と名字が違った。彼女の過去について聞いたことはない。Hに聞く勇気もなかった。また過去を聞けるだけの関係にもなっていなかった。Hが彼女とデートしたのはその時が初めて。彼女は地方への公演が多く、会う機会が少なかった。会えても他に誰かいた。
彼女が影絵の劇団に入ったのは、離婚が大きな契機になっていたらしい。それまでに芝居や人形劇の経験がない彼女が、まったく新しい環境に飛び込んだことからそう察せられた。彼女はその驚き、戸惑いを、Hによく話してくれた。影絵の幕に人形を扱う自分の頭の影が映り、生徒たちからは失笑を買い、舞台監督から叱責を受けたこと、地方と東京の生徒の観劇態度の違い、旅の途中の風景の移り変わりなどなど。
その日、劇団の仲間から勧められたという『天井桟敷の人々』を見たいと彼女は主張した。いい映画だという。上映している映画館も彼女は調べていた。Hもその映画を見たことがなく、もとより彼女の意見に反対する気持ちもさらさらなくて、二つ返事でOKした。
渋谷のはずれにある古い名作ばかりを上映する映画館だった。故郷の老朽化した映画館に慣れていたHには、そのたたずまいに別段驚きもしなかった。またその姿が古い作品を上映するのにふさわしい雰囲気でもあった。
さて、『天井桟敷の人々』は途中に休憩をはさんだ長い映画であった。だが、その面白さに時間を短く感じた。Hは隣りに彼女のいることさえ忘れた。
十九世紀半ば、フランスの《犯罪大通り》を舞台とした、二人の男と一人の女の恋の物語であり、また社会的背景もよく描かれた作品だった。第二次世界大戦中にナチス占領下のフランスで作られた映画だ。
ヒロインの娼婦をめぐり、主人公のパントマイム役者と彼女を取り合う恋敵のシェイクスピア俳優がいた。男くさい男だった。好きな女を手に入れるためにはどんな強引なこともするし、決闘も辞さない。
結局ヒロインの心はいつも詩人的風貌のパントマイム役者の手中にあるのだが、報われない恋ゆえに、その男のみじめさ、馬鹿さ加減、哀愁というものがHに濃く伝わってきた。
Hは彼を擁護した。映画が終わったあとの居酒屋で、影絵の彼女に熱弁を振るった。
男は彼のように好きな女性に対し、あらゆる手段を使ってでもその心を盗みにかかるべきなのだ。そしてその努力が報われないゆえに男は哀しく、しかるがゆえに観客の同情を得るのだ……。
影絵の彼女はチューハイを飲み、頬をほてらせながらHの話を聞いていた、年下の男の幼い熱情を微笑ましく見るように。
その彼女の笑みは、Hには回答ではなく問いかけであった。映画の中の男に、自分の心を託して口説いていることに、彼女は気づいていただろうか。Hの心は焦(じ)れた。
居酒屋を出たのはまだ夜の八時頃だった。それが二人の別れの時間。彼女は次の日からまた影絵芝居の旅に出る。
朝五時には起きなきゃいけない……寝不足はこたえるの……体が資本だから……。
Hは物分かりのいい顔で、彼女を地下鉄のホームまで送った。
「もう三十分だけ一緒にいて下さい」
という台詞を何度も飲みこんで。
彼女を乗せた電車は蛍光灯で白々と照らされたホームから、闇の洞穴へ吸いこまれて行った。
去り際、彼女は謎のように微笑んだ。その問いかけるような微笑みを思い浮かべながら、Hはホームのコンクリの太い柱に何度も頭を打ちつけた。
【了】
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