地域で暮らし続けるための理学療法【理学療法とは何か #028】
この連載は、6本を1シーズンとして進めています。
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地域で暮らし続けるとは、どういうことでしょうか。
家の中で動けることは大切です。ベッドから起き上がれること、トイレに行けること、食卓まで歩けること、浴室へ移動できることは、自宅生活の基礎になります。前回は、住宅環境が人の動きを支えたり、妨げたりすることを考えました。
しかし、生活は家の中だけで完結しません。
人は玄関を出ます。道を歩きます。車に乗ります。バスや電車を使います。スーパーへ行きます。病院へ行きます。デイサービスへ行きます。近所の人と挨拶をします。地域の中に出ていくことで、生活は外へ広がります。
理学療法を「病院の中で歩く練習をすること」あるいは「家の中で安全に動けるようにすること」だけで理解すると、ここが抜け落ちます。理学療法士が見ている歩行は、単なる移動能力ではありません。その人が地域の中で暮らし続けるための条件です。
以前、私は歩行の心理社会的な意義について考えたことがあります。そこでは、かなり極端に、しかし本質的なこととして、現代において人間に必要な歩行能力は、「玄関からの10歩」と「目的地に着いてからの10歩」ではないかと論じました[1]。
これは、長い距離を自分の脚だけで歩く必要がないという意味ではありません。歩行能力が高いことは、もちろん大切です。遠くまで歩けること、速く歩けること、安定して歩けることは、その人の生活を広げます。
しかし現代社会には、車、タクシー、バス、電車、エレベーター、エスカレーター、車椅子、送迎サービスなど、多くの移動手段があります。もし玄関から車までの10歩が安定していれば、車に乗ることができます。目的地に着いてから入口までの10歩が安定していれば、その場所に入ることができます。その間の移動は、社会の仕組みや支援によって補えることがあります。
つまり、安定した10歩を作ることは、地域生活の入口を作ることです。これは一見すると小さな目標です。しかし、その10歩があるかどうかで、その人の世界は大きく変わります。玄関から出られるかどうかです。車に乗れるかどうかです。病院へ行けるかどうかです。買い物へ行けるかどうかです。人に会いに行けるかどうかです。
これは、長い距離を自分の脚だけで歩く必要がないという意味ではありません。歩行能力が高いことは、もちろん大切です。遠くまで歩けること、速く歩けること、安定して歩けることは、その人の生活を広げます。
しかし現代社会には、車、タクシー、バス、電車、エレベーター、エスカレーター、車椅子、送迎サービスなど、多くの移動手段があります。もし玄関から車までの10歩が安定していれば、車に乗ることができます。目的地に着いてから入口までの10歩が安定していれば、その場所に入ることができます。その間の移動は、社会の仕組みや支援によって補えることがあります。
つまり、安定した10歩を作ることは、地域生活の入口を作ることです。これは一見すると小さな目標です。しかし、その10歩があるかどうかで、その人の世界は大きく変わります。玄関から出られるかどうかです。車に乗れるかどうかです。病院へ行けるかどうかです。買い物へ行けるかどうかです。人に会いに行けるかどうかです。
地域で暮らし続けるための理学療法とは、移動の確保とコミュニティへの参加を支えることです。理学療法士は、この視点を持ったうえで、どの基本動作を達成させるべきかを考える必要があります。
ここで主軸にしたいのは、買い物です。
買い物は、地域生活を考えるうえで非常にわかりやすい行為です。買い物には、家の中で準備すること、玄関を出ること、道を歩くこと、車や公共交通を使うこと、店内を移動すること、商品を選ぶこと、荷物を持つこと、支払いをすること、帰宅することが含まれます。単に「歩けるかどうか」だけでは成立しません。
一人で暮らしている人にとって、買い物に行けるかどうかは生活の安定に直結します。家族と暮らしている人でも、自分で買い物に行けることは、自立感や役割につながります。近所のスーパーに行くことは、食べ物を手に入れるだけではありません。人と会うことでもあります。季節を感じることでもあります。自分で選ぶことでもあります。
地域で暮らすことは、自分でできることが多ければ多いほど安定します。ただし、すべてを自分で行う必要があるわけではありません。自助をどれだけ高めたうえで、互助、共助、公助をどう使うかが重要です。本人の身体能力だけでなく、地域の支援をどう組み合わせるかが問われます。
家の中で動けることと、地域で動けることには大きな違いがあります。
家の中は慣れています。家具の位置もわかっています。床の状態もわかっています。距離も短いです。疲れたらすぐに座れます。トイレの場所もわかっています。家族が近くにいることもあります。
一方で、地域は不確定です。路面が違います。坂道があります。段差があります。信号があります。車が通ります。自転車が通ります。人が横を通ります。雨の日もあります。暑い日も寒い日もあります。途中で休める場所がないこともあります。トイレがどこにあるかわからないこともあります。
さらに、周りの人すべてが支援者であるとは限りません。人混みでは、誰かにぶつかられるかもしれません。急いでいる人に追い越されるかもしれません。店内ではカートが通るかもしれません。地域には、家や病院とは違う不確定要素があります。ときには、安全を妨げる要素にもなります。
ここでも、アフォーダンスの視点が役に立ちます。環境は人の動きを誘導します。広い歩道は歩くことを促します。ベンチは休むことを促します。段差は足を上げることを要求します。混雑した店内は、避ける動きを要求します。信号は、一定時間内に横断することを要求します。地域の環境は、その人にさまざまな動きを求めてきます。
その要求に応えられるかどうかを、理学療法士は見なければなりません。
玄関を出ることには、身体的な意味だけでなく、心理的な意味があります。「扉を開く」という言葉は、新しい人生を始める比喩として使われます。それと同じように、毎日玄関の扉を開けて外へ出ることは、その人の毎日に新しさを作ります。
外に出ると、天気がわかります。風を感じます。人に会います。季節を感じます。自分の家の外にも世界が続いていることを身体で確認します。これは、社会とのつながりです。モチベーションの支援でもあります。
外に出なくなると、生活は静かに狭くなります。買い物に行かなくなります。通院が負担になります。近所の人と会わなくなります。歩く量も減ります。身体機能も落ちます。意欲も落ちます。地域へ出ることは、身体活動であると同時に、社会参加でもあります。
地域で暮らし続けるために、理学療法士は何を評価するべきでしょうか。
まず、転倒リスクを十分に評価したうえでの歩行能力です。どれくらい歩けるのかだけではありません。どの路面なら歩けるのかです。坂道はどうかです。段差はどうかです。方向転換はどうかです。人が横を通ったときにバランスを崩さないかです。荷物を持って歩けるのかです。疲れたときにどうなるのかです。
買い物を考えるなら、荷物を持てるかどうかは重要です。片手に杖を持っている人が、もう片方の手で荷物を持てるのかです。歩行器を使っている人が、買ったものをどこに置くのかです。店内で商品を取るときに、片手を離しても大丈夫なのかです。買い物袋を持って玄関の段差を上がれるのかです。
また、どこに行こうとしているのかを評価することも重要です。近所のスーパーなのか、坂の上の店なのか、バス停を使うのか、家族の車で行くのか、歩いて行くのかです。目的地が違えば、必要な身体能力も変わります。理学療法士は、「歩けるかどうか」ではなく、「どこへ、どの条件で行けるのか」を見る必要があります。
地域で暮らすためには、本人の身体能力だけでなく、地域資源も見る必要があります。
地域包括ケアシステムの中には、自助、互助、共助、公助という考え方があります。自分でできることを高めることは重要です。しかし、それだけでは足りません。家族、近隣住民、デイサービス、訪問介護、地域包括支援センター、通いの場、移動支援、公共交通などをどう使うかも重要です。
理学療法士は、その地域にどのような「助」があるのかを理解し、どれを使うべきかを考える必要があります。そのうえで、必要な身体能力はどれくらいかを見立てます。どのような条件で衰えやすいのかを考えます。今後さらに必要になる支援は何かを予測します。
在宅や地域の理学療法では、数週間や数か月だけではなく、数年単位での予測が必要になることがあります。今は買い物に行けても、半年後、1年後、3年後にどうなるのかです。進行性の病気があるのかです。フレイルが進んでいるのかです。家族の介護力は保たれるのかです。地域資源は使えるのかです。理学療法士は、身体の変化から生活の未来を見立てる必要があります。
この領域では、治療なのか、支援なのか、介護予防なのかが曖昧になります。病院であれば、治療という言葉が使いやすいです。在宅や地域では、支援という言葉が使いやすくなります。介護予防という制度の言葉も出てきます。
私は、ここでも「治療を内包した支援」という意識が大切だと考えています。
変えられることがあります。変えられないことがあります。助けられることがあります。助けられないことがあります。身体機能を改善できる部分があります。環境やサービスで補うべき部分があります。本人の努力だけでは難しい部分があります。地域の力を借りるべき部分があります。
この境界を見つけていくことが、理学療法士の重要な仕事です。
地域で暮らすことには、境界線があります。ここまでは一人で行けるという線があります。ここからは見守りが必要だという線があります。ここからは送迎が必要だという線があります。ここは身体機能を高めれば変わるという線があります。ここは環境や支援を使わなければ難しいという線があります。
もちろん、すべてが思い通りになるわけではありません。そこまでは無理だという場合もあります。身体機能が改善しにくい場合もあります。地域資源が足りない場合もあります。家族の支援が難しい場合もあります。それでも、その人の生活がどこまで広がりうるのかという投影線を描くことは重要です。
地域で暮らし続けるための理学療法とは、単に家の中で動けるようにすることではありません。
玄関を出て、目的地にたどり着き、地域の中で生活を続けるための境界線を見極めることです。
その境界線を身体の視点から描くことが、理学療法士の仕事です。
次回は、「通院できない人に何が起きるのか」を考えます。日本では、通院が比較的身近な外出になっています。医療費が比較的安く、病院やクリニックへ行きやすい環境があります。そのため、通院は単なる医療行為ではなく、その人の人生における重要な外出になっていることがあります。次回は、通院できなくなることが、身体と生活と社会参加に何をもたらすのかを考えていきます。
参考文献
[1]堀 寛史.「歩き」の心理社会的意義─意欲・自己効力感・社会関係性の視点から.理学療法,42巻11号,2025年11月号.
