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理学療法はどこまで変えられるのか【理学療法とは何か #018】

この連載は、6本を1シーズンとして進めています。
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理学療法は、どこまで人の身体を変えられるのでしょうか。

これは、とても難しい問いです。簡単に「変えられます」と言い切ると、理学療法を過大評価することになります。逆に、「たいして変えられません」と言い切ると、理学療法の本質を見失います。理学療法は万能ではありません。しかし、何もできない仕事でもありません。変えられるものと、変えにくいものを見極めたうえで、変えられる部分に正確に働きかける仕事です。

一般の人にとって、理学療法士が何をする人なのかは、まだ十分に定まっていないように思います。患者さんにとっては、「寄り添ってくれた人」、という印象が強く残ることがあるかもしれません。それは大切なことです。しかし、理学療法士が社会の中で専門職として理解されるためには、それだけでは足りません。「動けるようにしてくれた人」、あるいは「身体の変化を作ってくれた人」、という実感をどこまで持ってもらえるかが、理学療法士の社会的な役割や地位にも関わると思います。

では、理学療法は何を変えているのでしょうか。

症例による、という前提は必要です。それでも世界的に見れば、理学療法は運動を変え、運動を促すことで、人の身体と生活に変化を与えている仕事だと言えます。その変化には、いくつかのレイヤーがあります。痛みが軽くなることがあります。関節が動きやすくなることがあります。負荷量が調整され、以前より安全に動けることがあります。歩行が安定することもあります。これらはすべて、患者さん自身の体感や体験として現れる変化です。

今シーズンでは、脳卒中を一つの基準例として考えてきました。脳卒中後には、麻痺によって関節が動きにくくなることがあります。足首の背屈が出にくくなり、つま先が引っかかりやすくなることもあります。股関節や膝関節の動きが不十分になり、歩き方が不安定になることもあります。理学療法士は、そうした関節角度の変化や運動範囲の拡大を見ています。そして、足首の背屈制限が少し変わることで、歩様がどう変わるのかを見ています。

ただし、ここで誤解してはいけないことがあります。理学療法士は、脳の損傷の原因である梗塞や出血そのものを除去することはできません。手術のように病変を取り除くことはできません。実際の組織変化や病理変化は、理学療法士にとっては機序(みえないが起きていると症状から推論する)として捉えるものです。理学療法士が直接見ているのは、現象としての動きの変化です。麻痺がある中で、どの関節がどのように動いているのか、どの動作が可能になっているのか、どのような代償が出ているのかを見ています。

麻痺が治る、感覚が完全に回復する、という部分は、理学療法士だけの力とは言いにくいです。そこには脳損傷の部位、損傷の大きさ、病期、年齢、全身状態などが関わります。しかし、だからといって理学療法士が何も変えられないわけではありません。病理的な変化の中で、理学療法士が適切に介在することで、よりよい回復につながることは確実にあります。動作を習得し、変えるための道筋を作ることは、理学療法士の仕事です。

このとき中心になるのが、予後予測です。

予後予測とは、文献の数値をそのまま当てはめることではありません。まず、組織がどのように回復するのかを理解する必要があります。私はこの理解を、「生理回復マトリクス(機会を作ってどこかで解説します)」として整理しようとしています。どの組織が、どの時期に、どのような回復過程をたどりやすいのかを理解することが出発点になります。そのうえで、病気の進行や変化についての教科書的な理解と、目の前の患者さんの評価結果を突き合わせ、統合し、解釈する必要があります。

個人差があるのは事実です。しかし、「個人差があります」、で終わらせてはいけません。その個人差を少しでも埋めていくのが知識であり、専門性です。年齢、病期、病変部位、筋力、感覚、認知機能、栄養状態、フレイル、リスク、治療への反応性を見ます。さらに、これまでの治療反応を見ます。すべての情報を統合した結果として、予後予測があります。文献から当てはめるだけでは不十分です。目の前の人に引き寄せて考える必要があります。

ここで、「治す」、と「支える」の関係も整理しておきたいです。

現代のリハビリテーション医学では、「支える」、という考え方が非常に重要です。病気や機能不全があっても生活できるようにすることです。環境を整えることです。道具を使うことです。家族や地域とつなぐことです。この考えは不可欠です。しかし、理学療法がそこだけに寄りすぎると、治療としての力が弱くなります。

私は、「治す」、と「支える」は同じ円の中にあると考えています。「治す」はその中の小さな円かもしれません。そして、現在のリハビリテーション医学の中心には、「支える」という大きな円があります。しかし、治すことを追求することで、支えることの円は強くなります。関節が少し動くようになるから、立ち上がりが安定します。足首が少し使えるようになるから、歩行の安全性が高まります。痛みが軽くなるから、自宅での運動が続きます。治すことはおこがましい言葉かもしれません。それでも、支えることを強くするために治すことを追求するのは、理学療法の使命だと思います。

もちろん、限界は常にあります。変えられないものもあります。脳損傷の範囲、不可逆的な変形、重度のフレイル、進行性の病気、認知機能の低下、社会環境の制約などは、理学療法士だけでは変えきれません。理学療法士が限界を認めることは、敗北ではありません。むしろ専門性の一部です。

ただし、限界を語るには条件があります。なぜ限界なのかを説明できなければ、それはただの怠慢です。正しい評価の先に限界があるべきです。十分に評価せず、十分に試さず、予後予測も曖昧なまま「難しいです」と言うなら、それは限界ではなく、考えることをやめているだけです。限界を認めることと、早く諦めることは違います。

理学療法士は、変えられる部分と変えにくい部分を分けて考える必要があります。変えられる部分には積極的に働きかけます。変えにくい部分については、代償、補助、環境調整、目標修正を使います。たとえば、脳卒中後に麻痺が残っても、短下肢装具を使うことで歩行の安全性を高めることができます。完全に元通りに歩けなくても、トイレへ安全に行けるようになることはあります。ここでは、治すことと支えることが接続しています。

すべての職業が万能ではありません。医師も、看護師も、薬剤師も、作業療法士も、言語聴覚士も、それぞれが医療という大きな仕組みの中で役割を担っています。だからこそ、理学療法士も、自分たちがどのパーツとして存在しているのかを理解する必要があります。そして、そのパーツは代替可能性が低いものでなければなりません。運動を見て、動作を変え、生活への投影線を読む専門性は、理学療法士が担うべき重要な役割です。

理学療法は万能ではありません。
だからこそ、自分たちが医療の中でどのパーツとして存在しているのかを理解する必要があります。
そして、そのパーツの代替可能性が低いところに、理学療法の専門性が残ります。

ここまでで、Season 3では理学療法の作戦を見てきました。目標を決め、治療原則を使い、意味のある反復を設計し、自宅での継続まで含めて治療を考え、治療がうまくいく条件を整理し、最後に理学療法の可能性と限界を見ました。

次回からは、Set 2へ入ります。高齢社会と地域生活を扱います。平均寿命が伸び、人類はかつて経験したことのない長寿時代に入っています。その中で、手術や薬だけでは支えきれない問題が増えています。予防を含めて、運動を主体としたリハビリテーション医療はますます重要になります。次のシーズンでは、フレイルと転倒を入口に、高齢社会の中で理学療法が何を支えるのかを考えていきます。

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